第13話
「嫌だ」
一言静かに、ルーセルは答えた。
「……あ」
かっと頭に血が上るのが、自分でもわかった。
「アンは…そうやって泣き落とせば、僕が誰でも抱くような奴だって思ってたんだ?」
「…そんな」
ことはない、とは、言い切れなかった。
その通りだったからだ。
自分が満足したいから、ルーセルに抱いて欲しかった。
それがいかに、ルーセルをばかにした行動か。どれほど、彼の気持ちを踏みにじっていることか。
ルーセルの、静かな炎がくすぶる瞳が、きつくアンを見据えた。
「それで明日には僕の前から消えるつもりだったんだろう?そんな女、誰が抱くもんか」
時が凍りついたようだった。
「……ごめん」
ようやく口から出たのは、かすれたような言葉だけ。
もう行こう。
そう思ってドアに近づこうとするのに、ルーセルの声がそれを止める。
「謝ってほしいんじゃない」
足が固まる。
「どうしてアンは自分のやりたいように生きようとしないんだ」
背後のルーセルが、少し近づく気配がした。
「アンは前に言ったよね?結婚したくなければしなきゃいいって」
耳がルーセルの足音を拾ってしまう。
「そっくりそのまま返すよ」
近づいて欲しくないのに、待ち望むような気持ちもあって。
「アンはどうしてそんなに自分を犠牲にしようとするんだよ。親がいないとか、恩があるとか、気にする必要はないんだ。アンにそんな義務なんかない!」
アンは何にも言えなくて、ただ背中でルーセルの声を聞く。
「アンの事を城の皆が愛してるんだ。だから、アンがこんなふうにして結婚するなんて…祝福なんて出来ないよ…」
聞こえる足音はもう、ない。
「アン…」
ゆっくりと、背後からルーセルの腕が回される。
首筋にかかるルーセルの吐息。
頬に、やわらかなルーセルの髪が触れた。
早くここから出ろと、遠くの方で声がする。
でも…
でももう。
この腕を離すことなど、出来そうもなかった。
「私だって行きたくないよ…」
「おはよう」
ぼんやりと目を覚ましたアンは、至近距離のルーセルの顔に驚いた。
「お、おはよう…」
ルーセルは既に服を着替え、ベットの端に腰掛けている。
「えっと…着替える、よね?」
ぎこちなくルーセルが言って、後ろを向く。アンは慌ててベットから出た。
壁の時計を確認すると、まだ早朝だ。
今から急いで出れば、イーレスへの馬車には間に合う。
「ルーセル」
彼の体が完全にこちらを向くのを待ってから、アンは口を開いた。
「私、イーレスに行く」
「……どうして?」
ルーセルの瞳には、落胆の色があった。
でもどこか、ああやっぱりと、最初からアンがこう言うのはわかっていたとでも言うような、諦めの表情もあって。
アンは無理に笑顔を作る。
「大丈夫。ちゃんと帰ってくる。ちゃんと断って…帰ってくる」
「そんな事しなくていいよ。僕が、父上に話をする。アンが行かなくてもいいように」
アンは首を振った。
「私…このままじゃルーセルに守られてばっかだよ」
ルーセルがかすかに怒りの表情を見せた。
「私がずっと一緒にいるなら…ルーセルは嫌な思いをいっぱいする。失うものだって、きっとある」
「そんなの…!」
彼が身を乗り出すと、それに合わせてアンも身を引いた。
「違うの!だから、それでも私と一緒にいたいって思えるような人間になりたいの」
アンはしっかりとルーセルの目を見つめた。
迷いも何もない、決意を秘めた瞳で。
ルーセルは言おうとした全ての言葉を失う。
「だから、イーレスに行って、勉強して、そうしたらルーセルの所に来るわ。私と結婚して下さいって!」
「……――は」
ぽかん、とした表情のルーセルが、やがてふっと笑みをもらした。
泣き笑いのような変な顔で、大きく頷く。
「待ってる」
今度こそ本当に、アンはドアを開けて部屋を出た。
新しい世界へ。
でも、もう不安にはならない。
帰る場所は、ここにある。
一週間後
「おはよう」
「おはよう……アン?」
がばっとルーセルはベットから飛び起きた。
目の前には、にこにこと笑うアン。
「………え?」
がしっと頭を押さえ込む。
自分は、夢でも見ているのだろうか。
「用事は済んだから、すぐに帰ってきたの。…ねぇ、聞いてる?」
アンの怪訝な声に、ようやく彼は顔を上げた。
アンはいつものメイド服ではなかった。私服を着て、手には大きなかばん。旅立った彼女が持って行ったのと同じものだ。
「……アン?ほんとに?」
「ほんと」
確かめるように手を引いて、その体を抱きしめる。
本物だった。
本当に、アンだった。
「なんで?どうしてこんな早いの?」
肩に顔をうずめながら聞く。
「…あのね、私の家族が、イーレスにいるんだって」
「………」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「イーレスのメイドに、私にそっくりな人がいて、マクレード様が会わせてくれたの。私ってね、双子だったんだって。だから、捨てられちゃったみたい。不吉だって」
そこまで一気に言うと、はぁっと息を吐いた。
耳元に熱い息がかかる。
「姉には会ったけど、両親には会わなかった。だってもう、そんなのいらないし。私にはちゃんと家族がいるもん。ケリーさんとか、お城のみんなとか」
アンの体が小刻みに震えていることに、ようやくルーセルは気がついた。
「……うん」
言いながら腕に力を込める。
「それに……」
「僕もいる」
不安そうに言いよどんだ彼女の言葉を、すかさず彼は引き継ぐ。
けれどそのまま彼女が黙ったままなので、不思議に思って名前を呼んだ。
アンは、悲痛な顔をしていた。
「私…あんなに大口叩いたのに、全然…。何も変わってないんだけど、でも…ルーセルの傍に、いてもいい?」
不安そうに揺れるアンの瞳。
ルーセルは腹の底から沸いてくる笑みをかみ殺すのに苦労した。
「一生ね」
そう言って笑うと、アンを引き寄せてキスをした。
「お前、変わったよな〜〜」
しみじみと呟くサミン国第1王子シャルティン。
「そう?」
答えるは第2王子ルーセル。
そして2人のやりとりを面白そうに眺めるギルとユーリ。
4人は例によって医務室にいた。
この場にアンがいないのは、運がよかったとしか言いようがないだろう。
「そうだよ。前は女なんてぜーんぜん興味なかったくせに、帰ってきたらいきなりこれだもん。ま、やっぱ僕のおかげって訳か」
「そういう兄さんこそ…そろそろ結婚とか考えないわけ?」
「うわっ!お前そーいう事言う!?つーかお前が言う!?天変地異の前触れじゃん!!」
「………」
「かわいくない!全くもってかわいくない!お前はそういうキャラじゃなかったのに!」
「恋すると人は変わるんだよな〜、ルーセル?」
「なるほど。そうなのかい?ルーセル」
「そりゃあ変わりますよ。何てったって毎朝彼女に起こしてもらってるんですから!きっと『おはよう、ダーリン。ちゅ』ですよ」
「ほうほう。それはそれは…」
「………うるさいな!!」
Goodmorning, my darling!
完
ここまで読んで下さり、どうもありがとうございます。
2人の話はここで完結です。
今後は、番外編として後日談などを書いていきたいと思います。
よろしければどうぞお付き合いください。




