第11話
「…という訳なのよ」
「まじか」
午後の光が差し込む、王宮の医務室。
ベットカバーをかえるユーリと医療道具を整理するギルは、2人会話を交わしていた。
内容は、国家的機密事項。
イーレス国王からアンへの求婚について。
「求婚、とまでは行ってないみたいよ?ただ遊びに来てみませんか〜って」
「だからって国王レベルじゃ求婚だろ?」
「……だよね、やっぱ」
はぁ〜っと、そろってため息。
訳もなく包帯をぐるぐると巻きながら、ギルがどこか遠くを見たまま呟く。
「ルーセルには、言ってないんだろ?」
「当たり前じゃない」
「じゃあ…ある日突然アンがいなくなって、実はイーレスにお嫁に行ったんだ、って言う訳?」
「お嫁じゃないって……」
突っ込むユーリの声には覇気がない。
そんな事を言われてルーセルが納得するとは、2人とも思っていない。
恐らく彼は怒り狂うだろう。
そしてその彼をどうにかするのは自分達の役目だ。
ユーリが突然シーツをぐしゃぐしゃにしだした。
それを思い切りベットに投げつけると、ギルの方をばっと向く。
「言っちゃいましょう!」
「また無茶な」
ユーリの思い切りのよすぎる言葉に、ギルはげんなりとした。
だが、こうなったユーリを止めるのは難しい事はよく知っている。
そして今、ルーセルに黙っているのは得策ではないと、ギル自身も思っているから困るのだ。
「でも、あいつがそれでどうするか」
「そんなの知ったこっちゃないわよ」
「はぁ?」
聞き間違いかと思ってギルは大声で聞き返した。
だがユーリの表情を見て口をつぐむ。
「だってもし、何も出来ないままアンが結婚しちゃったらルーセル様がかわいそうじゃない!」
彼女の瞳は赤かった。
「……まぁな」
ルーセルの友達として、その意見には賛成だ。
「でもさ、王は黙っておけって言ったんだろ?」
「あら?あたしはそんなの聞いてないわよ!聞いたのはギルだけでしょ?」
「……おい」
「うるさいわね、知らないってば!とにかく言うの!」
「あっ、おいちょっと待てって!」
仕事を放り出して飛び出して行ったユーリの後を、慌ててギルは追いかけた。
「うわっ!」
と思いきや、扉を開いて出た瞬間にユーリの背があって、ギルはぶつかってしまった。
ユーリも態勢を崩したが、ギルの方は振り返らない。
前方に視線を移して、ようやくギルは現状を飲み込んだ。
そこには、ルーセルが立っていたのだ。
「教えてくれて、ありがとう」
ルーセルは強張った顔で微笑んだ。
そのままくるりと背を向けて歩き出す。
「あ、ちょ、待ってください!」
ユーリが慌てて声を上げるがルーセルは耳を貸さず、あっという間に2人の視界から消え去ってしまう。
「…あちゃー」
あまり焦った様子のないギルの呟きに、不審に思ってユーリは顔を上げた。
まさか。
「知ってたの…?」
「いや?でも、最近よく来るから、もしかしたらって」
がくっとユーリは肩を落とした。
ここで怒っても疲れるだけだ、そう自分に言い聞かす。
でも、自分よりずっとタチが悪いと思わずにはいられなかった。
「それよりいい訳?あいつ、アンがいる場所なんて知らないんじゃないか?せいぜい城中を駆け回って終わりだぞ」
「なら早く引き止めてよ!」
やっぱりこの人いやだ、思いながらユーリは叫んだ。
ケリーに呼ばれユーリに仕事を代わってもらって医務室に来たアンは、そこにルーセルの姿を見つけて息を呑んだ。
医務室に他に人はない。
すぐに恐怖心が湧き上がってきて、震える足で1歩下がる。
「逃げないで。…近づかないから」
ルーセルがどんな顔でその言葉を言ったのか、下を向いているアンにはわからない。
ただ、胸がずきんと痛んだ。
「大事な話があるんだ」
逃げる訳にもいかず、アンはごくりと唾を飲み込んで医務室のドアを閉めた。
けれどもそれ以上先に、ルーセルの傍に近づくことは出来なかった。
心臓が激しく打っている。
「イーレスに行くって…聞いた」
アンの心臓が大きく跳ね上がる。
「マクレード殿のことを、どう思う?」
「え、どうって…」
自分の事なのに、どこか遠くから声が聞こえる気がする。
「結婚するのか?」
ルーセルは一体何を言いたいのだろう?
大事な話とはこのことなのだろうか。
「けっこん…」
アンはぼんやりとして繰り返した。
私が?
どうして?そんな余裕どこにもない。自分はイーレスへ逃げるだけだ。
逃げる。逃げる。後ろを振り返らず。前も見ず。ただひたすら、逃げるために。
…………何から?
「僕が怖い?」
予想外の言葉に、アンは反射的に顔を上げた。
ルーセルはこちらを向いてはいなかった。
悲しそうな、憔悴しきった顔で、下を向いていた。
ぎゅっと胸が痛くなる。
ルーセルにこんな顔をさせたのは自分だ。
下を向いたまま、ルーセルが再び口を開く。
「……ごめん」
「ルーセルは悪くない」
アンは勇気を出して1歩踏み出した。
「違う僕のせいだ!」
しかし大声に足を止める。
「アンがそうなったのは全部、僕のせいだ。あの時のことも、全部全部。イーレスに行くのだって。僕のせいなんだろう?」
「違う!」
「じゃあ、なんで?」
ルーセルが顔を上げる。
「………」
アンは反射的にうつむいた。
「アンはいつも、僕に何も言ってくれない」
ルーセルの足音が近づいてくる。
けれども足は根が生えたように動かなかった。
「僕のことが嫌いならそう言えばいい。こんな風に避けられるよりずっといい」
ルーセルの足音。
「イーレスの事だって、断れなかったんじゃないのか?言って欲しいんだ…何でも。僕はアンの事を理解したい。わかってあげたいんだ」
喉がからからに乾いて声が出なかった。
心臓が、王宮中に響き渡っているんじゃないかというくらいに大きく鳴っている。
それが恐怖からなのか、それとも別の感情からなのか、アンにはよくわからなかった。
ただひたすらに首を振る。
少なくとも、無理矢理行かされる訳では無い事をわかって欲しかった。
その時急に、肩を痛いほどに掴まれた。
「……っ!」
それがどちらの声だったのかはわからない。
ふわり。
ルーセルの黒髪が顔をかすめ
柔らかい何かが唇に押し付けられた。
「好きなんだ」
気がつけば、ルーセルにきつく抱きしめられていた。
「好きなんだ。…だから傍にいて」
何が起こったのかわからなかった。
ただ、どこか遠くで誰かが「ごめん」と囁いて、気付けばアンは床に座り込んでいた。
ルーセルの姿は、ない。
心臓が激しく打っている。
頬は濡れていた。
アンは唇をかみ締めた。
苦しい。
どうして、と思わずにいられなかった。
何故、こんなに体が震えるんだろう。傍にいるのが苦痛なんだろう。
そう、自分はずっと震えていたのだ。キスをした時も、抱きしめられた時でさえ。
怖くて怖くて仕方がなかった。
きっとルーセルを傷つけた。
彼の誠意を踏みにじった。
「どうなっちゃうの…?」
ずっと一生、このままなのだろうか?
ルーセルに触れることも、話すこともできずに。
そんな絶望的な毎日を送らなければならないのだろうか?
それとも。
それとも、イーレスに行けば、何かが変わるかもしれない。
けれどもその希望さえ、今はあまり輝いては見えなかった。
ルーセルは柱に拳を打ちつけた。
アンは求めてる。
自分の全てを理解して、受け止めてくれる誰かを求めてる。
虚勢を張って、自分の弱さにも気付かないでいるくせに。
なのに…
「なんで僕じゃ、ダメなんだ……」