婚約者の騎士が「戦地から生きて帰れたら結婚してほしい」と言ってくるので、その死亡フラグをへし折ります。
「アリス。もし、俺が生きて帰ってこれたら――どうか俺と結婚してほしい」
突然のプロポーズを告げて来たのは、私の婚約者であり、帝国騎士団に所属する騎士――キースだった。
群青色の短髪は前髪を上げていつもより少しだけ大人な雰囲気。黄金色の瞳は真っすぐ私を見据え、プロポーズの返答を待っている。
期待の眼差しを向けられる中、とても言い辛いのだけど、私の答えは既に決まっている。
「ごめんなさい。それは出来ないわ」
「……そうか」
私の返答に、キースは分かりやすく肩を落とし、この世の終わりかの様にみるみる生気を失っていく。
婚約者なのにも関わらず、何故彼のプロポーズを断るのか……これには深い事情がある。
私達は家が近くて同い年という事もあり、小さい頃からよく遊んでいた。いわゆる幼馴染という関係になるのだろう。
伯爵家の長女として生を受けた私は、十六になる頃に婚約者を決めなければならなかった。
だけど私はずっとキースの事が好きだった。彼は貴族ではなく、労働階級の家系。でもとても優しいし、真面目で誠実で……気付けばそんな彼に惹かれていた。
そしてキースも、私の事が好きだと言ってくれた。
それでも、私達は身分が違い過ぎるから、結婚は出来ない……そう諦めていた。でも彼は諦めなかった。
私の父と掛け合い、キースが帝国騎士団の騎士になれたなら、私との婚約を認めるという約束を取り付けた。
そして十六になった彼は、約束通り帝国騎士団に所属する騎士となり、父に認められて私と婚約したのだ。
正式な婚約者となり、これで堂々とお付き合いが出来る。
私達を阻むものは何もなくなり、約束された未来がある。それだけで気持ちは満たされていった。
そんな私達も二十歳を迎えた。もういつ結婚しても良い年齢。あとはキースが時期を見てプロポーズをしてくれるだけ。そう思っていた。
だから、決して彼からのプロポーズが嬉しくなかった訳では無い。
彼の事は今も変わらず、ずっと愛しているし、一刻も早く結婚して一緒に暮らしたいと思っていた。
本当に……ずっと、彼からのプロポーズの言葉を待ち続けていた。
……それなのに……それなのに……!
「なんで今のタイミングでプロポーズしちゃうのよ!?」
「……え?」
そう。タイミングが問題なのだ。
彼は明日から戦闘が激化していると言われる戦地へ向かう。
隣国で長きに渡り繰り広げられている戦争に終止符を打つために、満を持して帝国騎士団が動く事になったのだ。
その中でも精鋭部隊として名を馳せている第一部隊に所属するキースは、戦地の最前線で戦う事になるのだろう。
生きて帰られる保証なんて無い。
それなのに、なんでこのタイミングで死亡フラグ立てる様な事を言っちゃったかな。
「キース。戦場へ行く前に、『生きて帰ってきたら〇〇しよう』みたいな事を言っては駄目よ。それでどれだけの人が帰ってこなかったか知ってる?」
「いや、知らないが……」
「でしょうね。だから言っちゃったのよね。でも大丈夫。私が今、あなたの死亡フラグをへし折ってみせたから」
「死亡フラグ……?」
「ええ。これできっとあなたは生きて帰って来れるはずよ。いい? 本当に生きて帰るつもりがあるのなら、戦地へ向かうタイミングでプロポーズなんてしては駄目よ」
「いや……。生きて帰るつもりだからこそのプロポーズだったんだが」
「だからそれが駄目なの! 生きて帰る気があるのなら、プロポーズは帰ってきてからしなさいよ!」
「そうなのか。じゃあ、もし生きて帰ってきたら君に伝えたい事があるから待っていてほしい」
「だーかーらー! なんでいちいち死亡フラグ立てちゃうかなぁ!? 答えはノーよ!」
再びシュン……と肩を落としたキースは、翌日、戦地へと向かった。
同僚の騎士に、「戦場へ行く前から死にそうな顔してるが大丈夫か?」と気遣われいたけれど、力なく頷く彼の後ろ姿を見送りながら、無事に帰って来る事を祈った。
一カ月後――。
キースは満身創痍になりながらも、戦地から無事帰還した。
ボロボロになった彼の体を抱きしめながら、あの時もしもプロポーズを承諾していたら、きっとここへは帰って来れなかっただろう――そう思った。
だけどその後、キースからプロポーズされる事は無かった。
体が完全に回復してからも、二人きりで良い雰囲気になった時も……彼は何も言ってこなかった。
多分、あの時キースが言っていた「帰ってきたら伝えたい事がある」の言葉に対して、私が断ってしまったから、何も言えなくなってしまったんだと思う。本当に真面目なんだから……。
だけど、戦地から帰って来てから三ヶ月後。再び、彼からプロポーズされた。
「アリス。明日から、北の洞窟に巣食う古代ドラゴンの討伐へ向かう事になった。だから……生きて帰る事が出来たら、どうか僕と結婚してほしい」
余計な死亡フラグを立てながら。
キース……私が言った意味、ちゃんと分かって言っているのかしら?
「……ごめんなさい」
「そうか……」
「いや……だからなんでこのタイミングなの?」
「生きて帰る為に気合を入れようと思っていたんだが……やはり駄目なのか」
切なげに顔を歪めるキースの姿を、私も泣きそうになりながら見つめていた。
私だって結婚したいよ。でも、あなたに生きて帰ってほしいから……ここでプロポーズを承諾する訳にはいかないの。
だって死亡フラグが立っちゃうんだもの。
断る私だって本当は辛い……。その事をどうか分かってほしい。
だから今度こそ、生きて帰ってきたら――その時は、ちゃんと私にプロポ―ズしてよね……?
翌日、暗いオーラを纏いながら項垂れるキースは、次の戦場となる北の洞窟へと向かった。
同僚の騎士から、「なんで毎回、行く前から死にかけてるんだ?」と問われても答えを返す元気も無く。待機していた馬車に乗り込む彼の寂しい背中を見送った。
キース、ごめん。でもきっと大丈夫。あなたは生きて帰ってきてくれる。
あなたが立てようとしていた死亡フラグは、きっちりとへし折ったのだから。
そう思っていた――。
「北の洞窟のドラゴンが逃げ出したらしい」
キースがドラゴン討伐へ向かって一週間後。
そんな話が耳に飛び込んできた。どうやら戦況は良くないらしい。
ドラゴン討伐へ向かった討伐部隊から怪我人が続出し、撤退を余儀なくされていると。
そんな中で、人間達の攻撃に激怒したドラゴンが洞窟を飛び出し、人が多く住む街へ向かったと。
討伐部隊も後を追っているらしいけれど、空を飛ぶドラゴンのスピードに追い付ける筈もなく、見失ってしまったらしい。
ドラゴンは温厚な性格が多いけれど、キース達が討伐に行った北の洞窟のドラゴンは気性が荒いらしく、度々、人に襲いかかっていたらしい。
だから今回、珍しくドラゴン討伐という指令がキースの元にも下ったのだ。
何事も起きなければ良いのだけど……そう思った矢先。
「きゃあぁぁぁぁぁああ!!」
突然、女性の叫び声が聞こえてきた。
その声の方へ振り返ると、女性だけじゃない。多くの人達が動揺しながら上空を見上げている。
私も上空を見上げてみると、そこには天空を高く羽ばたく巨大な……ドラゴン!?
「見ろ! ドラゴンがやってきたぞ!」
「逃げろ! 早く建物の中へ隠れるんだ!」
「誰かぁー! 助けてぇぇぇ!!」
一瞬でこの場はパニックに陥り、逃げ惑う街の人々を嘲笑うかの様に、ドラゴンはその巨体を地に降ろした。
羽ばたく羽の風圧で私の体が飛ばされそうになる。
なんとか耐え、恐る恐るその姿を確認する。黒光りする巨大な鱗が身体を覆い尽くし、ギョロりとした大きく鋭い瞳は、目の前の私に向けられている。
初めて見るその悍ましさに、私の体が恐怖でカタカタと震え出した。
怖い……! でも……足が動かない……!
ドラゴンはグルルッと唸る様な低い声を吐き、白い牙をこちらに見せた。
まるで私に狙いを定めたかの様に……獲物を仕留める構えをはじめた。
「あ……」
もしかしたら、私は今ここで死ぬのかもしれない。
その事が頭を過った時、ドラゴンが口を大きく開いて私に襲い掛かった。
私は目をギュッと瞑り、覚悟を決めた。
ただ――キースの事が、心の残りだった。
「アリス!!!」
キィンッ!! と金属が擦れ合う声が聞こえた。
私が今一番会いたかった愛しい人の声と共に。
ゆっくりと目を開くと、ドラゴンの牙から私を守る様に、剣を構えて攻撃を防ぐ彼の姿があった。
「キース……」
涙交じりにその名前を呟く。
彼は攻撃を防ぎながら、ジリジリと私が居る後方へと後ずさると、私の体を抱えてその場から大きく飛び退いた。
キースの体はあちこちに血がついていて、返り血なのか本人の血なのかよく分からない。
だけど、ハァハァと息を乱す彼からは、余裕なんて微塵も感じられない。
「アリス! 大丈夫か? 怪我はしていないか!?」
そんな状態なのに、私の体を一番に心配してくれる彼の優しさが嬉しくて……。
「ええ。大丈夫よ……」
そう呟いて涙がこぼれた。
先程まで感じていた死への恐怖。もう会えないと思っていた大好きな彼と会えた喜び。
そんな感情が交じり合う涙を、キースは血が付いていない指先で拭ってくれた。
再び襲いかかってくるドラゴンの爪を、私を抱き抱えたままかわすと、キースは私を連れて走り、離れた場所にある建物の陰に身を隠した、
「アリス、助けに来るのが遅くなってすまない。怖い思いをさせてしまったな」
「ううん。助けに来てくれてありがとう」
そんな会話のやり取りをして、少し安心した様にキースは小さく息を吐いた。そして再びキリッと表情を引き締め、遠くで暴れているドラゴンを睨み付けた。
「アリスはここで隠れているんだ。俺はアイツをなんとかする」
「キース……」
行かないで。そう言いたい。
だけど、彼はきっと行くのだろう。
人一倍正義感が強くて、真面目な彼だから。そんな彼だからこそ、私は好きになったのだから。
「アリス」
気落ちする私を気遣う様に、キースはいつもより優しい声で私の名前を呼んだ。
「もし、俺がこの戦いで生き残れたら……結婚してくれないか?」
……なんでそれを今、言っちゃうのかなぁ。
「もう……いつも言ってるでしょ……?」
「ああ、そうだな。今は言ってはいけないんだったな」
そう言ってキースは切なげに笑い、
「じゃあ、行ってくるよ」
表情に影を落とし、抱き抱えていた私を地に降ろすと、哀愁漂う背中をこちらに向けて走り去っていった。
その背中を、私はいつまでも見つめていた。
歳の離れた私の兄も、帝国騎士団に所属していた。
「今日、彼女にプロポーズしたんだ。今度の戦地から帰ってきたら結婚しようって告げたら泣きながら承諾してくれたよ」
三年前、そう言って嬉しそうに笑っていた兄は、戦地から戻って来なかった。
死地と化した戦場。多くの死者を出したその地で、兄の死体を確認する事は出来なかったらしい。
それでも、当時の状況から生き残る事は難しいだろうと、死亡者リストに載せられた。
兄の婚約者は泣き崩れ、今もまだ新しい恋には踏み出せずに、帰らぬ兄を待ち続けている。
それは私の兄だけではない。同じ様に、恋人にプロポーズをして帰って来なかった人は大勢いた。
戦地へ行く前に将来の約束をしてはいけない。死亡フラグが立ってしまい、生きて帰れなくなる。
大量の死者を出した悲劇の戦いが終結した後、誰かがそんな事を言い出した。
それを耳にした時、「ああ、だから私の兄は生きて帰れなかったのか」と納得してしまった。
だから私は、大事な人を死なせない様に気を付けようと思った。
もし、戦地へ向かう前にプロポーズなんてされてしまったら……ちゃんと断ろうと。
そう思った。
だけど――。
本当に?
それって本当にいけない事だったの?
だって、本当に死んでしまうかもしれないのでしょう?
死んでしまったら、もう何も伝える事なんて出来ないじゃない。
私はさっき、死ぬところだった。死の間際、頭を過ったのは後悔ばかりだった。
見えないフラグに怯えて、私は本心を彼に伝える事が出来なかった。
私も本当は彼のプロポーズが嬉しかった。ずっと結婚して一緒に暮らしたかったと。
最後に見た彼の顔が、あんな悲しみに暮れた表情だなんて嫌だ。
なんで最後の別れになるかもしれないのに、あんな風に言ってしまったのだろう。
なんでちゃんと伝えなかったのだろう。
待っているから。生きて帰ってきてね。って……。
それなのに、さっきもまた同じ事を繰り返してしまった。
もし、彼がこのまま死んでしまったら――?
このまま彼と二度と会えないなんて――そんなの嫌!!
その瞬間、私はキースの後ろ姿を追い始めた。
「キース!!」
「……?」
今、まさにドラゴンと対峙しようとしているキースに向かって叫んだ。
「キース! この戦いが終わったら……私と結婚して!」
「……!?」
私の言葉を聞いたキースは、大きく目を見開き、
「いや……断る」
「え……?」
断る……? 断っちゃうの?
「そんな事を言ったら死亡フラグが立つんだろ? アリスが死ぬのは嫌だ」
「……」
た……確かにそれを言ったのは私だけど。
どうしよう。これ、思った以上にショックだわ。ちょっと立ち直れそうにない。
キースもいつもこんな気持ちだったのね……。
本当に、悪い事をしたわ……。
「アリス」
いつの間にか、私のすぐ目の前にキースが来ていた。
そして私の前で跪き、私の手を取った。
「この戦いが終わったら、俺と結婚してほしい」
「……え? だって今、断ったんじゃ……?」
「アリスの死亡フラグが立つのは嫌だからな。折らせてもらった」
そう言って、キースは少し意地悪な笑みを浮かべた。
「……キースはフラグが立ってもいいっていうの?」
「大丈夫だ。俺は死なない。アリスが俺のプロポーズに承諾してくれたら、絶対に生き残ってみせる」
「……」
キースは真剣な表情で私を真っすぐ見据える。
不確かなフラグなんかよりも、キースの言葉を信じたい。
「ええ。結婚……するわ。私もキースと一緒に暮らしたい。だから、絶対に生きて帰ってきてね」
そう告げると、キースは嬉しそうに笑顔を咲かせた。
「ああ。約束だ」
キースは立ち上がると、私の体を一気に引き寄せ、私の唇を奪う。
だけどすぐに唇を離すと、くるりと私に背を向け、再びドラゴンの元へと勇ましく駆け出した。
キース……本当に……ちゃんと生きて帰ってきてね。あなたの言葉を信じているから。
私は両手を組んで目を閉じ、神に祈る様に、ただひたすらに彼の無事を祈った。
次の瞬間――。
ドッゴオォォォォォォン!!!
物凄い轟音が響き渡り、目を見開くと、先程まで暴れていたドラゴンが頭から真っ二つに両断された状態で倒れていた。
その先には――キースが一人、佇んでいる。
「なんだあいつ……!? 一撃でドラゴンを両断したぞ!?」
「すげえ!! もしや彼こそが伝説の勇者だったのか!?」
「勇者様ぁああああ!!!!」
人々の大歓声を浴びながら、キースは手にしていた剣を鞘に戻し、私の元へと戻って来る。
……え? ドラゴン、一瞬で倒しちゃったの?
ちょっと状況に付いていけずに、私は目を丸くしたまま固まった。
そんな私を見て、キースは幸せそうに満面の笑みを浮かべた。
「アリス。約束だからな。俺と結婚しよう」
「…………はい」
改めて言われた公開プロポーズに、少し気の抜けた様な返事をしてしまったけれど、それを見た周囲の人々は大いに沸いた。
後日、キースの同僚から聞いた話によると、プロポーズを断られたキースは、本来の力を全く発揮する事が出来ず、本当に死んでしまうところだったらしい。
キースの実力は騎士団の中でもずば抜けているらしく、本当に勇者の生まれ変わりなのではないかと言われる程で。前回の戦地への派遣、今回のドラゴン討伐も、キースがいれば余裕だと高を括っていたらしい。
それなのに、いざその時になると……戦う前から戦意喪失しているキースの姿に、騎士団達の士気はダダ下がり。予想外の苦戦を強いられたとか。
どうやら、私が必死になってへし折っていたのは、死亡フラグじゃなくて、彼の生きる気力だったらしい。
その後、本来の力を発揮し出したキースは、戦場の鬼神と呼ばれ、次々と敵国の部隊を壊滅に追い込み、あっという間に敵国は白旗を上げた。これにより、長期に渡って続いていた戦争は一時休戦となった。
そして晴れて、私達は盛大な結婚式を挙げて一緒に暮らし始めた。
ちなみに、一年後に私の兄もちゃんと帰って来た。
婚約者との約束を果たすまで死んでも死にきれないと、敵地から必死に身を隠しながら無人島に流れ着き、そこで自給自足の生活を暫く続けた後に、海を渡って戻って来たのだとか。
こちらも、無事に再会を果たした婚約者と結婚し、幸せな家庭を築いている。
誰よ。死亡フラグとか言い出した人。っていうか、そもそも死亡フラグって何だったの……?
そんな疑問は残るけれど、深く考えない様にした。
だって今はそんなの信じていない。
そんなものよりも、私が信じるのはキースの言葉。それだけだから。
そして彼は今日もいつもの言葉を口にする。
「アリス。明日からまた戦地に赴く事になる。だから、生きて帰ってこれたら……俺達の子供を作ろうか」
「……ええ。待っているわ」
私の返事に、彼は幸せそうな笑みを浮かべて私を力強く抱きしめた。
そう。彼が立てているのは死亡フラグなんかではなく。
必ず生きて帰る。
決して折れる事の無いその誓いを、心の中にしっかりと立てているのだ――。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
さくっと読めるほのぼのとした短編を書きたいと思い、今回の作品を書かせて頂きました!
もしこのお話をお気に召して頂けましたら、↓の☆☆☆☆☆で評価して頂けると、嬉しいです(*^^*)