夏ミカン
「小春、ごめん別れよう」
「……分かった……」
去年のクリスマス。校舎裏の通路で小春に告白されたこの場所で、俺――宮島康平は日向小春をたった今振った。
目の前にいる小春はただただ震えながら、その大きな瞳に大粒の涙をためて、それでも必死に溢れ出しそうな感情を抑えている。
俺はそんな小春の姿を見ていたくなかったから、「それじゃあ」と一言だけ言って、逃げるようにしてその場を後にした。
小春を失った悲しさが俺を支配していた。
俺が高校二年だった年の一学期の終業式の翌日。つまり夏休み初日、俺の所属していた硬式野球部は県の決勝戦を迎えた。県立高校としては実に四半世紀ぶりに甲子園に行けるかというその試合であったが、接戦の末その切符を手に入れることはできなかった。
俺はその時、ベンチではあったがメンバーに選ばれていた。二年の時のチームは、俺の先輩にあたる東島豪というピッチャーが凄腕として名を轟かせていて、その先輩の力により県決勝戦まで来られていた。東島先輩は地方大会の活躍からも甲子園での活躍が注目されたり、プロ野球チームのスカウトが学校に来たりするほどの実力の持ち主であった。
そんな東島先輩であったが、連投の疲れから決勝戦の九回裏の守りの時に痙攣を起こしてしまい、代わりに登板したのが俺であった。
二対二の九回裏ツーアウトランナーなし、相手は先発から投げていたピッチャーに代わり九番に代打が起用された。俺は先輩が凄すぎて一度も公式戦のマウンドに上がれなかったが、二年生ながらにこの大舞台に上がれた高揚感に酔っていた。
アウト一つとれば延長戦でこちらは一番からの好打順だ……
マウンドに出てきたばかりなのに大粒の汗が額からボロボロ落ちてくるのを感じながら、気負いをしないよう大きく振りかぶって投げたその一球が、その試合最後に投げられた球であった。
金属バットの奏でる音とともに、相手側チームの三塁側アルプススタンドから大きな歓声が上がる。俺は一瞬何が起きたがわからなかったが、目の前を走ってホームベースを踏む選手と試合の終わりを合図するサイレン、そして駆け寄ってくる先輩たちの姿を見て、試合が終わったことを理解した。
そして先輩たちの夏が終わった……。
翌日先輩たちからの引継ぎ・引退式と次期部長、仮スタメンの発表があったが、俺はその練習を無断で休んだ。どんな顔をしていけばいいかわからなかった。
何をするわけでもなくただぼぉーっとベッドの上に寝転がって昼を迎えそうなそんな時、LAIMに普段連絡のないマネージャーからの返信があった。会話もほとんどしたことのなかった後輩のマネージャー――日向小春からの連絡には少し驚いた。がさらに驚いたことは、文面に「今家の前にいます」と書いてあったことであった。
野球部の誰かがマネージャーを使って呼び出しに来たのかと思った俺は、「いかないよ」と送信したが、すぐに「いえ、お邪魔しに来ました」と返ってきた。
茶化しているとしか思えなかったが、このままLAIMでの返信も時間がかかるため、直接帰ってもらうように言おうと玄関を開けると、制服を着て大きな籠にあふれそうなぐらいの夏ミカンを持っている小春の姿があった。
「先輩がお好きだと聞いたので持ってきました」
と言って持っていた籠をグイっと前に出してくる。
確かに俺はミカンは好きな果物だが、さすがに多すぎるだろ。
「今回来たのは個人的にです。上がってもいいですか」
聞こうとしていた答えが先に出てきたが、なぜ小春が個人的に来たかがわからない。
幸い家族は出かけているし、この膨大な量のミカンは少しでも減らしたかったため、小春をリビングに通した。
「麦茶しかないがいいか?」
「はい、大丈夫です」
小春には妹の席に座ってもらい、俺は冷蔵庫からパックの麦茶を氷の入ったグラスに入れた。
「どうしてわざわざうちまで来たんだ?」
グラスを出して俺は席に着きながら訊ねる。
グラスを両手で持ち入れてあったストローをちゅーっと吸ってから、小春は口を開いた。
「憧れの先輩が来なかったので心配になったから来たのですが、迷惑でしたか」
意外だった。誰かに憧れにされることなんてなかったし、小春にそうみられていることを全然知らなかった。
「いや、迷惑ではないが、どこに憧れたんだ?」
純粋に気になった。
「誰よりも努力家で練習熱心にやられている先輩をすごいと感じてます。最近はフォームチェックよくなさっていましたよね? 昨日の試合のフォームもきれいでかっこよかったです」
まさかそこまで見られているとは思わなかった。
「みんなは東島先輩すごいって言いますけど、私は断然頑張っている宮島先輩の方が凄いと思っています」
小柄な体躯の小春から大きく強い尊敬の念を受け、俺はすごい嬉しかった。
こんなに言ってもらえると、くよくよしていた自分が恥ずかしくなってくる。
「日向、ありがとう。実をいうと部活をやめようと思っていたのだけれど、お前のおかげで何とか乗り越えられそうだ」
「それはよかったです」
小春は嬉しそうにほほ笑んだ。
少しして小春は用事があると我が家を後にし、俺も監督に謝罪の連絡をした。
小春はその日から、俺の練習についてアドバイスをLAIMで送ってきてくれたり、たわいもない話をしたりするようになった。
その後俺はピッチャーとして新チームのスタメンに入れてもらえたが、十二月中旬の合宿で肩を痛めてしまい、そこで医者からもう野球はできないと告げられる。
失意の底にいた俺だが、小春のフォローもあり再び持ち直し、そしてクリスマスの日に小春から告白をされ、俺は快く受けた。
だが幸せな時間は長くは続かなかった。
親の転勤話が来たからである。しかも転勤先はアメリカとのことだった。
「……え、まじかよ。どうにかならないのか?」
「なるわけならないじゃない。もう辞令がでたのよ。うだうだ言ってないで早く整理なさいな、時間ないのよ。あとお父さん疲れてるんだから文句とか言っちゃだめよ」
母からの言葉に食い下がりたかった。
俺だけでも日本にいさせてくれと。
だがそんなことは現実的でないことはわかっていたため、俺はそれ以上何も言えなかった。
だがそうなるとやはり問題なのが、小春との関係をどうするかだ。
小春は夏の時から俺の支えになってくれたし、今は彼女としてとても大切な人だ。遊びに行く頻度も多くなったし、最近では敬語が抜けてきていることも距離が近づいた気がしていた。
本当なら傷つけたくないがどうすれば……。
俺はその日は、小春への連絡も返信できず、ただどうすればいいか苦悶していた。
翌日になってLAIMで小春に「返信できなくてごめん」とだけ送り、学校に向かった。
坂を上がって校門が見えてきたそんな時に、後ろから声をかけられた。
「おはよう先輩、何かあった? 顔色悪いけど」
振り返ると小春の姿があった。
「おはよう小春、いやちょっと寝不足なだけだよ大丈夫」
「何かあったら言ってね」
心配そうに眉をひそめる小春の頭を俺はわしゃわしゃと撫でて気を紛らわした。
「もう何するの先輩」
すこし膨れっ面になりながらも笑う小春を見て俺も自然と笑みがこぼれる。
「それじゃあ先輩。私こっちだからまたね」
笑顔で一年生玄関に去っていく小春の姿を見てほほえましく感じる。
この子には、幸せになってほしい。
そう俺の中で思いが固まっていった。
その日の昼に俺は小春にLAIMを送った。「伝えたいことがあるから、放課後にクリスマスの場所に来てほしい」と。
俺が校舎裏に着いた時にはすでに小春が来ていた。本当であったら俺の方が先に来ていたかったが、担任の語りが長いのが全て悪い。
「それで先輩、伝えたいことって何?」
朝の笑顔はなく、どこか不安そうな顔で小春は訊ねてきた。
俺は一呼吸おいてから、口を開いた。
「実はな小春、俺好きな人がいるんだ」
「え……、嘘っ……」
小春が信じられないように目を見開いたが、俺は続けた。
「幼馴染でずっと前から好きだったんだけど、駄目だと思ってあきらめていたんだ」
「……そんな、嘘なんでしょ……?」
「けど昨日、その幼馴染から告白されたんだ」
「そんな……もう、言わないで……」
「俺も好きだから付き合いたいって伝えた。だからLAIMの返信をしなかったんだ」
「…………」
「だから小春、ごめん別れよう」
「……分かった……」
俺に幼馴染なんていない。転勤族の親だから小学校も中学校も仲が良くなる前に引っ越しをしていた。確かにこうなることは危惧するべきだったか……。
何より小春に噓をついた罪悪感で押しつぶされそうになっている。
けどいい。俺のことを忘れた方が小春の幸せになるのだから。
俺が小春を振った日以降、小春からの連絡はなかった。学校では会うかと思ったが、引っ越しの準備や各所手続きもあり、あまり学校に行けなかったのもあったのか、遂には小春と会うことはなかった。
これでよかったんだ。小春には小春の人生を歩んでほしい。
最後に見た小春の顔を思い浮かべて、心臓に刃物を突き立てられたような感覚に陥りつつも俺はアメリカ出発の日を迎えた。
家族で空港につき、ニューヨーク行きの飛行機の搭乗手続きの開始のアナウンスが流れ、出発ロビーから出発口に入ろうとしたその時、
「せんぱーい!」
ロビーに響くそれはよく聞いたことのある親しい声であった。
心臓が飛び出しそうになる。
まさかそんなことは……、おそるおそる振り返るとそこにはいつもの制服姿の小春が立っていた。
「小春⁉」
思わず叫んでしまった。どうして彼女がここにいるのか。まさか噓がばれて怒っているんでは……。
俺は目の前の現実が整理できない。
「ほら康平、なにやってるの! 行ってきてあげなさいって」
すると見かねた母さんが俺の肩をポンと叩いてくる。……ありがとう母さん。
俺は出発口の列から外れて、小春のもとへと駆ける。
「小春……どうしてここに?」
おそるおそるではあったが小春の大きな瞳に視線を向ける。
むすっとしつつもどこかやわらかい表情の小春。
「ひどいよ先輩!嘘つくなんて。あの時はショックで頭が回らなかったけど、何かあるんじゃないかと思って先輩の担任に聞いたらアメリカに行くって。なんで素直にそういってくれなかったの?」
「あっ……いや、その」
俺は小春が嘘だと見破ったことに動揺して目を泳がせる。
「どうせ先輩のことだから、私に負担かけたくないとか、そんな感じじゃない?」
俺はぐうの音も出なかった。小春が全てを知ってるようだから降参するしかないな。
「悪かった、小春。小春の言うとおりだ。……小春を傷つけることを言ってしまってすまない」
俺は深くこうべを垂れた。すると小春は俺の頭をわしゃわしゃっと撫でてきた。
「えっ?」
頭を上げる俺の眼前にはよく見た笑顔があった。
「いつものおかえしだ!」
そのはにかんだ表情はやはり素敵だな。
「っと先輩、そろそろ行った方がいいんじゃない?」
腕時計を確認すると搭乗開始の時刻が近づいてきていた。
「先輩、私のことは大丈夫だから。むしろ英語ができない先輩の方が私は心配だよ」
小春は小さくガッツポーズをとりながら俺に笑ってくる。
「そうだよな。俺も頑張んないと」
小春につられて俺も自然と笑顔になる。
「それじゃあ先輩行ってらっしゃい、私も必ずアメリカ行くから待っててね!」
「ありがとう。……待ってるよ」
小春は出発口に行く俺が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けていてくれた。気が付くと俺の視界は涙でいっぱいになっていた。
そして搭乗口に入る前に小春のLAIMにメッセージを送った。「さようなら」と。
アメリカに来て二年が経過した。
俺はあまり英語ができなかったため、未だに英語に慣れないながらもなんとか大学に行っている。バイトは比較的に日本人の利用客も多い日本茶カフェというところでバイトをしている。オーナーは日本通なので、日本語が通じるのもありがたい。
今日もいつもの感じでカウンターでレジ打ちをしていると、サングラスをかけた女性が流暢な英語で話しかけてきた。
「Hay, excuse me. Do you have Natsumikan juice ? 」
「な、夏ミカンジュース⁉」
メニューにない商品を言われて慌てる俺を見て女性はくすりと笑いサングラスを外す。
「自分の好物も忘れたんですか、せーんぱい‼」
そこにあったのは俺のよく知っている素敵な笑顔だった。
初めての方は、初めまして。
久しぶりの方は、大変お久しぶりです。かがみやです。
しばらく小説を書いていませんでしたが、久しぶりに筆を持ってみました。
今回初めて小説を完成させることができました。
実はこのジャンルは初めて書きました。
つたないところもおるかとは思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
また違う作品も投稿できたらと思うので、どうぞよろしくお願いします。