プロローグーー森の洞穴
深い森の中。
鬱蒼とした木々の奥に、小さな洞穴があった。
「……雨、全然止まないね。」
ふと、人間の話す声が聞こえる。変声期を終えた青年のような、低い声。
「雨ぐらい君ならなんともないじゃないか、何故こんな所で道草をくうんだい?」
別の声が心底不思議そうに聞いた。少女のような高い声だ。
少し静寂があって、最初に聞こえた声が苦笑しながら答えた。
「これは、趣味みたいなものだよ。僕は普段、魔法を使うけれど、移動中は極力、魔法を使わないことにしているんだ。その時の天気なんかで変わる景色を見るだけで終わらせたくないんだ。体感して、経験にして自分の思い出に刻みこむ。魔法を使えば濡れることなんてないし、この洞穴を見つける苦労もしなくていい。」
それから、一呼吸おいて、こう続けた。
「でも、それじゃつまらないんだよ。この旅は急ぐものでもないし、ね。」
「ふーん」
「それにね、旅なんて本当はしなくてもいいんだ。それをやってるんだから少しは無駄なこともしたいじゃないか。」
「そっか」
「まぁ、君が嫌だと言うなら、飛行魔法でひとっ飛びだけど、どうする?」
「いや、いいよ、君の趣味に付き合うよ、急ぐ旅でもないし。」
「そっか、ありがとう。」
「でも、この雨、明日の朝まで降るから、今日はここで野宿だよ。」
「……仕方ない、それじゃあ、僕はもう寝るよ。おやすみ、シルフィー。」
「うん、おやすみ、ジル。」
暗闇のなか、がさごそと布の擦れ合う音が聞こえて、その後、雨が木の葉を叩く音しか聞こえなくなった。