〜遺された歌〜
アルヴェ大陸がその名になる以前、アスロスと呼ばれる種である人は、黒き影に怯えながら暮らしていた。
怨みつらみをもって死んだ者の魂が黒き影となって森に住んでいるのだと。樹々や大地は黒き影の手足であり、文字通り樹々の枝や根が人を攫い、影が人を喰らう。人はその森に、畏怖の念をもって霊樹の森と名付けた。
人であるアスロスが赤い血を流して僅かに勝ち取った森には、その血を糧に人に適する植物と生き物が育まれた。
畑を耕し、家を建て、斯くしてアスロスは地に根付く。しかしながらこれは、池の主に見つからないように、岩陰の一角に住処を構えるようなものだった。アスロスの祖先は新天地を求めて、西方の風のない死海を船で渡ってきた。しかし、火を操り、銑から鉄を、鉄から鋼を作り出すことができても、池の主である黒き影には敵わなかった。
そうして、いつからかアスロスは霊樹の森に住む黒き影を生き物として見なくなった。
黒き影は、人が抱いた怨徹骨髄の怨嗟や怒りの権化と言われ、その姿は闇を写した漆黒の肌、貪欲な黒い眼に黄金の瞳、二本では足りぬと言いたげに四本の腕と人の倍はある背丈をもっていた。人の持てる武器で最も硬い鋼を弾く肌の下に流れるは、人の飽くなき欲望を映すかのような黄金の血。
人は影に呑まれ、世代を紡ぐごとに黒き影に抗うことを忘れ、世界の隅で平穏を祈り生きる弱き種となった。
しかし、その世を照らす銀の光が射す。ルヴァと呼ばれる人によく似た種だった。
白銀の髪を太陽に照らせば仄かに虹色が浮かび、純白の雪を彷彿させる肌に生命をもった宝石のような色の眼。そして、何よりも銀色の血と神秘と言われる奇跡が、真紅の血をもつアスロスに同じ人ではないことを理解させた。
そして、アスロスはルヴァを、黒き影と相対する存在、人の平穏を祈る善き心の権化であり、それを守るために降り立った神と奉る。
人の世を照らす銀の光は五つ。これを、五神とした。
五神は威光をもって黒き影を追い払うと、アスロスが安寧して暮らせる大地を与えた。
人は百年による宴で神を讃え、神と黒き影との戦を聖戦と言い伝え、与えられた大地をアルヴェ大陸と呼んで歓喜の歌に酔いしれる。
人は五神を忘れることがないように、彼らを永遠のものとするべく名をつけた。
〝愛と断罪の女神サンアール〟
〝博愛と智慧の神エスダール〟
〝紬の神ヴェガス〟
〝創造の神クリアス〟
そして、アスロスを最も愛した、
〝誇りと希望の神ルグリオス〟
だが、神は人の地アルヴェから姿を消す。
人々は憂い、破滅だと嘆きの声をあげる者もいれば、神は人の成長を喜ばれ元の世界へと戻ったのだと言う者もいた。どちらにせよ、神は一つの歌をアスロスに贈ったという。
――赤子は眠る
素晴らしき揺り籠で
赤子は眠る
嵐きたりて 雨が降りて 地がわれようとも
赤子は眠る 何も知らずに
嘲笑か慈愛か、微笑みながら歌った神の真意を知る者はいない。