〜ある探検家〜
神の求め方は人それぞれだ。
ただ己のことを考えて祈りを捧げ、起きた事象に神の有無を感じるもの。他者のために祈り、行動し、事象がどのような結果であっても神の御技と感謝し神を感じるもの。はたまた己の想像もできないような力を持った者に対して神を見るもの。本当に人それぞれだ。
では、私はどうか。
踏み出した足は、数千年という星霜のなかで静寂を唯一の友とした埃っぽい遺跡の回廊に音を響かせる。天井の亀裂から差し込む陽光の中を、さながら時の流れを体現するかのように、きらきらと埃が漂っていた。壁に触れる指先は、象形文字でもない小川に流れる木の葉の軌跡を描いたような線をなぞる。
この線を描いた者達。叡智をもって人に神秘を授け、世界の浄化を司り人を導いた、かつて神と呼ばれたルヴァの名残りをこうして追い、その種族の奥深さや欠けているところ、歴史の節目に必ず現れる彼らの存在の大きさを噛み締めるとともに、その存在を創り出し人である私達を繋ぎ合わせる大いなる力に私は神を感じている。繋ぎ合わせる力。それが私にとっての神。
——信じれば報われる。
フレル星教、五神教、神の概念を持たず魂の姿を説く天羅万象は、ただ闇雲に信じることを説いているのではない。魂の底から信じ、その信頼で己の背中を押し、行動するからこそ報われるのだ。
だが、神は闇雲に信じることを説いているのではない。魂の底から信じ、その信頼で己の背中を押し、行動するからこそ報われるのだ。だから、こうして命の危険を冒してでも遺跡に踏み込んでいる。赤い革の装丁をした古めいた書物の持ち主、いつかその人に会えるようにと。
あの人から頂いた——よく手癖が悪いと言われたものだ——書物には、無数の付箋紙が本の髭と言わんばかりに飛び出していて、その内の一枚を捲ると、今立っている回廊の姿の写生が軽い筆使いで描かれていた。描かれた廊下そのものが、まったく同じ風景が目の前にある。自分の足元を見て、歩いてきた廊下を振り返り、思わず口元が綻ぶ。かつてこの場所に師が立っていたに違いない。師の写生の頁の端には、線を引っ張って注釈がびっしりと書き込まれている。その中の太字で書かれた言葉の意味を、見返す度に何故なのだろうかと考えたものだ。
〝私はここで引き返した〟
あの破天荒な師が引き返すものだろうか。きっと、この奥に見せたくないものがあるに違いない。師は、私が頂いたこの本のことを命の次に大事なものだと言っていた。人の手に渡った時のことを考えて、このように先へ進ませないようにしているのだ。
松明を掲げて歩き始め、天井の亀裂から射し込む陽光のベールを潜り、足元に赤と白を纏う蛇が地面を泳ぐように近づいてきた。天井には蜘蛛の巣が張られ、これ以上先に人が進んだようには見えない。時折、回廊の亀裂から松明の灯を反射させる蝙蝠の目が光り、壁にはびっしりと縞模様の守宮が張り付いていた。
突如、松明の火が揺れて、遺跡の中では滅多に感じることのない空気を首元に感じた。地面に目を凝らし、そこに見えた亀裂の先に空間があると理解した時にはすでに遅かった。声を上げる間も無く地面が崩れ、内臓が浮き上がる感覚と同時に地面に落ちた。
幸い、そこまで高いわけではなかったようだ。さっきまで自分が立っていた天井を見上げ、瓦礫の砂埃にむせ返りながら周囲を見て、私は思わず声を漏らして笑った。
壁一面に描かれているのは、神と呼ばれたルヴァの言葉の数々、風を気ままに描いたような線は文字というには優雅で抽象的で、同じ形はほとんど見られない。
だが、私にはここの壁に描かれたルヴァの言葉を見たことがあった。本に息を吹きかけ埃を飛ばすと、重い本のある頁を開いた。遺跡に来る前に穴があくほど読んだその頁にしたためられたルヴァ語は、壁の言葉そのものだった。言葉は途中で終わっているものの、師匠はここにも来ていたのだ。
私はここで引き返した——さっきの注釈は、もしかしたら回廊の損傷を示唆するものだったのかもしれない。
師匠の命よりも大事な本が、まるで誰かの手に渡ることを知っていたかのような書き方をされていることに思わず笑みを零す。
(私が読むことを知っていたようだ)
閉じた頁の装丁を撫で、繋ぎ合わせる大いなる力に畏敬の念の息を洩らしながら壁のルヴァ語に目を走らせた。
ここに認められた言葉は、〝傍観者〟と呼ばれたルヴァからみた世界の有りようを語ったものだった。ルヴァ語は人の話すような言葉とは似ても似つかない。喉を鳴らすようで鳴らさない音の流れであり、それは森に流れる葉のそよぐ音にも比喩され、そこにのせられるのは彼らの心情だと云う。
生き物に宿る心を自在に読み取り、意思疎通を取ったと云われるルヴァは、言葉ではなく心情を音にのせて詠うのだ。
壁の言葉には〝傍観者〟から見た世界の有様を嘆くものが多かった。争いの輪廻に疑問を抱き、人の繰り返す過ちに嘆くもの。
今まで探索してきた遺跡には、ルヴァが人と織りなす世界のことを描いたものが多かった。内容は多様であったが、どれも共通の疑問が描かれていて、それは人の愛だった。
愛が生み出す人の絆の強さ、愛が生み出す憎しみの強さ、愛が生み出す人の業、その美しいものがなによりも人を醜くする愛の在り方に、ルヴァは嘆き、感嘆し、疑問を抱いている。
この忘れ去られた遺跡のように、ルヴァもこの世から去ってしまった。西の赤ノ国やモルゲンレーテ星教国はいまだに存命の神が国を治めるというが、その姿を見たという話は聞いたことがない。神の姿が消えた世は戦乱に満ち、神の在り方が変わった。先祖を神とし、王がたつ。そして、今は王が神の国もある。
師も、神であるルヴァを探して、愛弟子である私を——黙って姿を消した師だが、私なりに雑務はしっかりこなしていたし、尊敬もしていたし、少しは私のことを可愛いやつだとは思っていたはずである——置いてまで探検しているのだ。
——人は一人では立てない。だから、神が必要だ。
師はそんなことを言っていた。ルヴァである神が戻れば、人はまた一つになれる。師はルヴァを探求するうちにその思想に呑み込まれていった。
(形に神を求めてはなりません、師よ)
結局のところ、生きるのは自分の意思であり、立つも歩くも自分自身。
壁のルヴァ語を読んでいくと、本に書き込まれた言葉の先が描かれていた。そこに描かれた言葉に私は息を呑み、松明を掲げ言葉を繰り返し口に出した。
「アルヴェの西の剣、スバニア……スバニア」
心情を語るルヴァ語の中に、固有の名が出るのは珍しい。
紙とインク、筆を取り出して地面に広げ、写生しやすいように壁の埃を刷毛で払おうとして手が止まった。先ほど私を驚かせた言葉〝アルヴェの西の剣スバニア〟の部分だけ埃が薄いのだ。なにかが、または誰かがこの文字の部分をよく見ようと埃を払ったのだ。
それが意味することに綻ぶ口元を引き締めると、一心不乱に紙に筆を走らせた。
運命はいろいろなものを繋ぎ合わせる。師が残した本には、まるで誰かに語るように注釈が記されている。私が師への手がかりを見つけて遺跡に踏み込むこと自体が、師の悪戯なのかもしれない。
そうであっても、いまこの瞬間、私は私の神を感じてる。