3 言葉が分かる!?
とりあえず、ここがどんな世界かの確認よりも先に、現状の把握が必要だと新は思った。
この部屋はどんな場所なのか。女は何故ここに居るのか。あの骸骨は何者なのか。何故闘っていたのか。危険はもう無いのか。
今、それらに答える事が出来る唯一の存在は、隣で焚き火の炎を見つめている女だろう。
しかし、先程来のやり取りで、言葉は通じない事が分かっている。身振り手振りだけで乗り切るには、聞き出したい話題は複雑過ぎた。
どうしたものかと新が頭を抱えていると、
「~~」
女の方から話しかけてきた。
「あ、何?」
「アグナ」
「え?」
手を自分の胸に添えながら、女はそう言った。
「アグナ」
「……あ! もしかして、名前か? アグナ?」
新は女を指差して、「アグナ」という言葉を繰り返す。
それを見た女は愉しそうに笑って頷いた。
「おお! そうか、アグナか! あっ、俺は新」
女に習って、新も胸に手を添えながら自分の名前を繰り返す。
「シン?」
「そう。俺の名前は、新、っていうんだ」
「シン。シン」
互いの名前が分かっただけ。たったそれだけでも新は嬉しかった。アグナも嬉しそうに笑った。
それから二人は、同様のやり取りを繰り返した。焚き火の炎や、燭台、蝋燭に、串焼きの肉から、剣など、とりあえず目に付く物全ての名詞をお互いに確認していく。新は骸骨についても聞こうかと一瞬考えたが、今は触れない方が良いような気がしてそれは止めておいた。
暫くそうしていたが、やがて目に付く物もその殆どを聞いてしまった為、会話も途切れがちになった。
まだ本調子ではないのか、アグナが少し辛そうにしていたため、新は彼女に横になるよう促した。今は静かな寝息を立てている。それを聴く限りでは問題はなさそうで、新は何度目かの安堵のため息を吐いた。
見張り役、ということでアグナが持っていた剣を貸してもらったが、建築現場で働き幾らか鍛えられている新でも少々重く感じられた。アグナのように振り回すのは自分にはとても無理だろう、と新は思った。
長剣自体は細かい装飾が施され、新の素人目にもそれは美しく感じられた。一種の芸術品のようだ。
「それにしても、こんなもの扱ってたのか……」
どんな世界だったら、アグナのような綺麗な女性がこんな剣を使うようになるのだろう、と新は思った。しかも、動く骸骨とかいう、あんな訳のわからない物を相手に、アグナは渡り合っていたのだ。
不安が新の胸を過る。こんな剣があったとしても、満足に使えないのであれば自衛にもならないのではないか、という不安と、だいぶ物騒な世界に来てしまったのではないか、という不安だった。
そこで新は、骸骨が持っていた細剣の存在を思い出した。
念のため周囲を確認した後、アグナの長剣を彼女の脇に置いて、骸骨が崩れた場所までやって来た。乱雑に散らばっている骨の山の傍に、その細剣はまだ在った。
手に持ってみると、アグナの長剣よりもやはり軽く、新でもある程度は扱えそうだった。骸骨が持っていた、という部分に腰が引けそうになるが、そうも言っていられない。あの骸骨の強さがどの程度なのかは分からないが、あのレベルの化け物が出てくれば、たとえ武器が有ったとしてもとても助からないだろう。それでも、有ると無いとでは安心感が違う。
アグナが眠る焚き火まで戻って、炎の灯りに照らしながら改めて細剣を観察してみた。
刀身は綺麗なもので、あのアグナの攻撃を何度も往なしていたにも関わらず、刃毀れは見受けられない。アグナの長剣のような特別な装飾はなく造りもシンプルで、より一層無骨に感じられた。
「少し慣れておくか」
剣術など習ったこともない新としては、どう扱えば良いかなど分かる訳も無かったが、それでもいつ来るかも分からない本番を迎える前に、剣の重さには慣れておきたいと思った。
焚き火から少し離れた所で、虚空へ向かって剣を振ってみる。
ひゅっ、という小気味いい風切り音が新の耳に届いた。
今度は上下に二回。横に一回。それぞれを混ぜて数回。更に、突きを数回。振る事に疲れる程ではない。
しかし、振っていて新は気付いた。この細剣は、振るとそれだけで少したわむのだ。
試しに、近くにある岩に添えて力を入れるとぐにゃりと曲がった。
「げっ!?」
慌てて引き戻すと、細剣は元通り真っ直ぐになっていた。靭性は物凄く高いらしい。ほっと一息吐く。しかし能く能く考えてみると、この細くたわむ刀身でどうやってアグナの長剣を往なしていたのだろうか。そもそもあの戦闘中には、曲がっているようには見えなかった。
「ううむ……」
謎がまた一つ増えた瞬間だった。
それから暫くして、アグナが目覚めた。新に渡したはずの剣が傍らに置いてある事に疑問を持ったようだったが、新が骸骨の細剣を掲げてみせると納得したように頷いた。
(あー、言葉が通じればなぁ)
新はそろそろこの場から移動したかった。時間にしてどれ程の間過ごしているのかは定かではないが、陽の光がない環境がストレスになり始めている。その上、いつ化け物が飛び出してくるかも分からない状況なのだ。
物は試し、とまずは話をしてみようとアグナの方へ目を向けたが、その後方に目が吸い寄せられた。
何か光る球のような物が浮いていた。ふわふわと、風に揺られるように不規則に、蛍よりも大きく黄色い、光る何かが。
「あ、アグナ?」
こちらに向くアグナに指差しでその存在を伝える。新の指差す先を追って振り返ったアグナは、すぐに醸し出す雰囲気が鋭利なものになった。新は若干の息苦しさを覚える。それは、アグアの発する剣気に当てられていることで起こっているのだが、そこまでは新には分かるはずもない。
それを知ってか知らずか、光の球は二人の居る方に近づいてくる。
そして、こんな声が聞こえた。
『そんなに警戒してくれなくても、ワタシにはあなたたちをどうにかする力は無いよ?』
「「っ!?」」
部屋全体に反響しているような、かと言って鼓膜を打つ種類の音では無いように思われた。何というのか、直接頭の中に聴こえているような。
しかし今はそれはどうでも良かった。
この世界ではアグナしか知らない新だったが、此処は言葉が分からない所なのだと思っていた。しかし、この光の球の言うことは理解る。
『あれ? ふーん、君は随分、変わった匂いをしているね?』
実体はない、唯の光の塊だ。顔が無ければ目も有るのか分からない。しかし、確かにそれは新を視ていると感じられた。それはつまり、今の言葉は新に向けられた言葉だと言うことだ。
『んー? ああ、君はあっちの人なんだね。そういうことなら――』
「あっちって……、あっ!? 教えてくれ! ここは何処なんだ?!」
光の球は、自分が置かれた状況を理解しているのかも知れない。そう思うと新は聞かずには居られなかった。
しかしそれは、アグナに遮られる。
「待てシン! そいつに耳を貸してはダメだ!」
「……え?」
「恐らくそいつはホロウスピリッツだ。言葉巧みに心を惑わし、その精気を吸って生きていると――」
「ちょ、ちょっと待った! アグナ、今……」
だが新はそれ以上に、或る事に驚いていた。
「何だ? どうし……あれ?」
アグナもそこでようやく違和感に気がついたようだ。
「「言葉が分かる!?」」
名前を呼んで、それに応える。それしか出来なかったはずなのだ。
『へっへーん。ワタシが二人を繋いであげたんだよ~? どう? ちゃんとお互い理解出来るでしょ?』
「あ、ああ」
「……いや! 騙されてはダメだ、シン!」
アグナは光の球からシンを庇うようにして前に出た。
『えー何? あ、翻訳が上手くいってないのかな?』
「違う! そうしてシンと私を油断させ、寝首を掻く腹積もりだろうと言っている!」
『あー、あの子達とワタシは違うよ? まあ、あの子達はワタシの眷属みたいなモノだけど』
「眷属と来たか。ふん、此処では騙し合いが常。そんな口車に乗るとでも――」
『んー。それなら、あなたも一緒だよねぇ? 本当のことを言っているとは限らない』
「なっ」
『ねえシンくん? そうなるよね?』
「え? あ、いやぁ……」
「っ! シン! お前はどちらの味方なのだ!?」
「お、落ち着けって。とりあえず今は、意思の疎通が取れるようになったんだ。騙されているとしても、これはありがたいじゃないか」
「む!?」
そうなのだ。この光の球がどういう理由で二人に近づいてきたのかは分からない。だが、どうやらそのお陰で今二人は普通に会話が出来ている、らしい。確かに光の球が現れるまではお互いの話す言葉は分からなかった事を、アグナも思い出したようだ。
「むぅ……」
『……シンくん意外とドライねぇ』
ともかく、これでようやくこの状況の理解に一歩近づく。新はそう思った。