VII
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神殿の門をくぐると視界を満遍なく満たす眩い光にシンクは目を細めた。
周囲には青々とした木々が茂っている。その隙間から世界を照らす木漏れ日は赤く、遥か彼方の前方の海へ沈んでいく夕陽が見えた。
水面はここからでもよくわかるほど宝石を散りばめたようにちかちかと輝いている。
「うわあ……すごく、綺麗だ……」
「ああ、ここはなかなか夕景が感動的でよ。騎士団にもこの景色が観たいがために神殿警備に志願するやつがいるくらいだ」
ヴァーテクスとコココも沈んでいく夕陽を見つめ嘆息を吐いた。が、傍の衛士長はあまり感動していなかったようだった。
「おい、浸っている暇はないぞ。そこに馬車を待たせてある。我々には夕陽を眺めている時間などない。それにどこで見ても同じだろう、こんなもの」
「えー、もう少しくらいいいじゃないっスか。俺だってここに来れるのなンて滅多にないンスから。海に沈んでいく夕陽っスよ。ロマンチックじゃないっスか」
ヴァーテクスが名残惜しそうに言うと、ガルディアは呆れたようにため息をついた。
「知らん。お前は子供か」
リコフォスに向き直る。
「姫様、さあ、行きましょう」
「……夕焼け綺麗ですよガルディア。もう少しだけ見ていきませんか?」
「かしこまりました」
ガルディアは敬礼すると先に鋪道を歩いていった。その背中を目で追っていると少し離れた場所に屋根付きの大きな馬車があり、御者(※馬車を操る人のこと)らしき人物に話しかけていた。
「掌返し早すぎませんかね!?」
ヴァーテクスが非難の声を上げるが恐らく聞こえていないだろう。シンクは苦笑する。
と、喉にまるで毛が這うような不快感が押し寄せ、思わず咳き込んだ。一度咳込むと次から次へと咳が喉を突いて飛び出した。肺が痛んでもなお止まらない。
――調子がいいと思ったけど、やっぱりダメだったか……。
咳をしすぎて目尻に涙が浮かぶ。
視界が白く霞む。
それが涙によるものだけではないことを知っている。全身に軋むような痛みが走り、嘔吐感が襲ってくる。耐え切れずシャツの左胸を鷲掴む。掠れた音を立ててシャツに深い皺が浮かぶ。
「シンク君!」
リコフォスが異変に気づいて駆け寄る。
「大丈夫ですか!? 今癒術を……」
【天使の歌声】を詠い上げ、癒しの光がシンクを包む。――が、彼を襲う発作が治まる気配は無かった。全身に汗が滲む。
「そんな、癒術が……シンク君! シンク君!」
段々とリコフォスの声が小さく、途切れていく。
「……なん、で……ここ、ま、で……き、て……」
ヴァーテクスとコココ、アルクドも傍に駆け寄って知る限りの癒術を施すが効果はない。
リコフォスの瞳にも涙が浮かぶ。
「シンク君、しっかりしてください! シンク君!」
必死になってシンクの背中をさすり、声を掛け続ける。
「どうしたら……」
目尻から溢れた涙が頬を伝う。と、そのときだった。
「あい、どいてどいてー」
短い金髪クセ毛の少女がリコフォスとヴァーテクスを押しのけて割って入ってきた。
――いつの間に!
誰もが吃驚して目を見開いた。
ここには許可を得たものか見張りや警備の騎士しか入る事が許されない敷地のはずだ。その格好は当然騎士のものではない。それどころか近づいてきていた気配すら感じなかった。
ふと、シンクの胸に触れ目を閉じていた彼女にヴァーテクスが声を掛ける。
「アンタ、猫霊人か……?」
「は? それ、今関係あんの?」
不機嫌そうにゆらりと揺れるものが霞んだ視界に入る。
驚いたことに、それは猫の尻尾に見えた。さらに驚いたことにその尻尾のような物体は少女の臀部へ伸びている。視線を少し上へずらして彼女の頭部を見ると案の定というべきか猫の それと酷似した耳がぴくぴくと上下していた。
「貴様、何者だ!」
アルクドがその肩に触れる。少女は金色の猫目でアルクドを一瞥したが、すぐにシンクに視線を戻す。
「通りすがりの医者よ。酷い咳をするのが聞こえて、こうして駆けつけたの。悪い?」
「医者?」
そう語った通り、少女は白衣を羽織っていた。
肩や胸元に歯車がアクセントとしてあしらわれている事を除けば医者や科学者が着用しているもので間違いない。
微かに薬品の匂いがする。
「あんたたち邪魔よ。ちょっと離れてて」
彼女は持っていたトランクを開くと革紐のついた楕円の物体を取り出す。それは小型ではあるがガルディアが持っていたものと似た物体――恐らく魔導器だろう――だった。
「辛いでしょ。すぐに楽にしてあげっから」
少女は優しげな微笑みを浮かべると手にした魔導器らしきものをシンクの首に掛け、嵌められた宝石に触れる。魔導器が起動して小さな光を放放った。
と、まるで魔法に掛けられたようにみるみる胸の痛みが治まり、呼吸も楽になる。
「……は……」
小さく息を吐いてシンクは少女を見上げる。咳をし過ぎたせいかまだ鳩尾辺りや背中がキリキリと痛む。
「あんた、呼吸器の疾患持ちでしょ」
「……えと……けほ……」
小さく咳をして、言葉を詰まらせる。
少女は立ち上がると何も言わなくていい、と言うように首を横に振った。
「それ、あげるわ。呼吸を助ける医療魔導器。お金はいいから」
早口に言って、少女はくるりと踵を返す。
「待って!」
シンクは身を起こすとその背中にやっと声を出し、投げる。
「ありがとうございます、えっと……」
「……トワイリトよ」
少女は顎を上げると面倒くさそうに名乗る。
「トワイリトさん……」
「さん、いらない。呼び捨てでいいわよ、むず痒い」
「それじゃ、トワイリト……本当にありがとう」
頭を下げて、にっと歯を見せて笑う。
「たまたま本国に帰る途中で寄り道してたらここに迷い込んだだけだし、急患には慣れてるから本当に気にしなくていいわ」
トワイリトと名乗った少女は頬を掻くと仏頂面で言う。押し黙っていたヴァーテクスが顎を人撫でして口を開く。
「本国……って言うとやっぱり峻厳大陸の方か?」
「そうよ。風の噂を……戦争が近いって聞いてね。……そんで、帰りの途中で咳き込むのが聞こえて。来てみたらあんたたちに出くわしたってわけ。と、これでいいかしら。騎士団様?」
と、アルクドを睨みつけて嫌味っぽく説明するように言ってしまうと、白衣を直して、トランクを閉め持ち上げる。
「な……! 良い訳が……!」
アルクドが言いかける。が、
「アルク」
ヴァーテクスがその肩を叩いて静止する。
「お帰りはそっちの森を通ってくのをオススメしますよ。あっち通るとわからずやでおっかない石頭のおねいさんがいますから」
「親切にどうも」
後ろ手を振ってトワイリトと名乗った少女は言われたとおりに舗装されていない獣道へと歩き出す。
「あ、あの!」
その背中にリコフォスが声を掛ける。
「まだ何か? あたし忙しいんだけど」
「いえ……。私はリコフォスと言います。お友達を、シンク君を助けてくださってありがとうございました!」
トワイリトは後頭部を掻いて、溜め息を吐く。
「律儀ね、あんた達。いいって言ってんのに」
「……そ、そうでしょうか?」
「ま、いいわ。えっと、シンクだっけ? あんまり激しい運動するんじゃないわよ。あとリコフォス? 友達ならちゃんと見といてやりなさい」
「は、はい!」
ふん、と鼻を鳴らすとトワイリトはそれから一度も振り返らずに森へと姿を消した。
「世の中にはいい人もいるもンだなあ」
感心したようにヴァーテクスが笑う。と、アルクドがその顔に詰め寄り、指を突きつけた。
「何を仰っているんです! 団長、どう見てもこんな商道を外れた場所に居るなんて怪しいでしょう! 今すぐにでも追って……」
ヴァーテクスは右手を挙げてアルクドの言葉を遮ると、首を振って言う。
「野暮だよ、アルク。お前さんはどう思うか知らないが、現にシンクが助かってるンだ。それでいいじゃねェか。なあ、コココ?」
傍らのコココに振ると彼女も同意し、頷く。
「そうですね。ヴァーテクスはバッカテクスですが、本当に危なそうな人を考えなしに見逃すような人じゃないのは私が一番知ってます。保証しますよ」
コココに言われるとアルクドもそれ以上何も言わなかった。眉を顰めていたが呆れたように溜め息を吐いたあたり腑に落ちてはいないようだが、納得したのだろう。ヴァーテクスは「悪いな」とその肩に謝った。
程なくしてガルディアが戻ってきた。
「姫様、もうよろしいでしょうか?」
リコフォスは頷く。
「はい。お待たせいたしました」
「いいえ、お気になさらずに。と、姫様。シンク、どうかしました?」
地面に腰を下ろし、リコフォスに背中をさすられているシンクを見て訝しげな顔をする。
「はい、先程まで発作を起こしていまして」
「発作?」
ガルディアは腕を組むと、右手で顎を撫でた。
「もういいのか?」
「はい。もう大丈夫です。すいません」
シンクがリコフォスの手を小さく叩いて頷く。リコフォスも頷き返し、手を引いて立ち上がる。心配そうにシンクを見つめていたが、やがてヴァーテクス、コココ、アルクドに声を掛けて馬車に向かって歩き出す。
「……発作か」
視線をどこか別の場所に移してガルディアが呟く。
「治まりましたから」
シンクは心配させまいとにっと笑って立ち上がり、ヴァーテクスたちに合流しようと足を踏み出す。
「シンク」
すれ違い様、ガルディアがシンクの肩を叩いた。
「えっ!? あ、はい」
びくりと肩を震わせ、振り返る。
何か怒られるような事をしただろうか?
「あの、ガルディアさん……」
とりあえず謝っておこうと口を開こうとしたその一瞬前に。
「無理はするなよ」
「……ごめ……へ?」
思わずその顔を覗き込もうとするが、ガルディアは首を横に振って顔を逸らしてしまう。
「二度は言わん」
ガルディアは踵を返すと馬車へ向かって歩き去ってしまう。
シンクは思わず頭を掻いた。
――ガルディアさんって、優しい人なんだな。
目を細めて、小さく頷くとシンクもその後ろについて歩き出す。
と、馬車に向かっていたガルディアの進路が急に変化した。その先には何やら楽しそうに話すヴァーテクスがいる。
「ヴァーテクス」
「はい?」
唐突に近づいてきたガルディアの気配とその声にヴァーテクスが振り向く。と同時にその頬に左手の拳がめり込んだ。
「痛あああああああああ! なんで!? しかも利き手ッ!」
「わからん。何故か腹が立ったから殴った。許せ」
「ひ……酷い」
シンクはつい先ほどヴァーテクスがガルディアのことを散々言ってたのを思い出した。
……やっぱり怖い人なのかもしれない。ヴァーテクスの周辺で笑い声が上がる中シンクだけは身震いしていた。
一通り笑ってから、一行は馬車に乗り込む。
「それじゃ、アルクド。引き続き神殿の警備頼むよ。ミストの嬢ちゃんにもよろしくな」
「はっ」
アルクドは先ほどの出来事や不満を感じさせない力強い返事と敬礼をする。ヴァーテクスは頷き、続ける。
「それと今日は案内役ありがとう。勤務が終わったらゆっくり休んでくれ」
「はは、ご冗談を。これから忙しくなるのですから休んでいる暇はありませんよ」
「忙しくなるから休めってンだ。仕事に真摯なのは評価しているンだが、休むのも仕事だぜ?」
ヴァーテクスは溜め息を吐いて仏頂面の部下に言う。
「休むことも仕事、ですか……。わかりました」
アルクドは考えるような仕草をしてから、もう一度敬礼する。
「は……。では勤務が終わり次第休暇をいただきます」
「ああ、そうしてくれ」
御者が馬の背を撫で、手綱を引いた。馬車馬は小さく首を振ると高らかに足を上げた。
「出発します」
御者の声で馬車の車輪が軋んで音を立て、やがてカラカラと小気味の良い音を立てて回る。
窓の外で景色がゆっくりと回り始め、アルクドとの距離が離れていく。アルクドは馬車に敬礼をし、こちらからその姿が見えなくなるまで見送り続けていた。ヴァーテクスは「律儀な奴だ」と笑った。
馬車の速度が思いの外速いことに驚いているとガルディアは「それでも一時間ほどは掛かるがな」と言った。
窓の外では木々が次々に流れて後方へ消えて行き、やがて森を抜けた。鬱蒼としていた緑の代わりに陽が落ちたばかりの紫の空が広がった。前方の地平線には静かな海が、両側には高い山々の影が見える。
空はまるで光の海だ。やがて濃紺に染まった空に散りばめられていた星星は一層その輝きを増した。
「うわ、綺麗だ……」
「ああ、この地方は煌星が近いから鮮明に見えるらしいな」
ヴァーテクスが窓の外を退屈そうに眺めながら言う。シンクは首を傾げた。
「煌星?」
「あの空に輝いているひとつひとつの光の事です。セレスティア大遺書によると黄昏の揺籃から届いてくる光だそうです」
コココが説明し、そのあとをガルディアが呟くように続ける。
「煌星の光は視認できないが光の精霊子が反応して空で輝いているらしい」
シンクはその言葉に空の光が星そのものでは無いことに気がついた。世界は精霊子によって構成されている。その言葉の意味を何となく理解した。
空の星の光も、草木も、空気でさえも精霊子で形作られ、世界はその恩恵を得て生きている。
ふと精霊王に見せられたこの世界の終わりを思い出した。
この美しい風景も運命を変えられなければ枯れ、滅んでいく。
運命を変える。
それは言葉だけなら簡単に言えてしまう。けれど、その責任は果てしなく重い。
それでも。シンクの意思は変わらなかった。
運命を変える。関わってしまった以上、もう見過ごせなかった。
自分の今存在している“現実”に確かに存在する人たち。
自分が諦めれば、世界もろともこの人たちの命も、終わる。
だから尚更、諦めるわけにはいかない。必ず運命を変える。それは一人では困難なもの。けれど――
「あ」
肩に重みを感じて声を上げる。ガルディアが鼻先に指を立てる。
見れば、リコフォスが頭を乗せて静かな寝息を立てていた。
「……うん。きっと大丈夫」
シンクはその寝顔に頷く。
独りで立ち向かうのではない。その胸には確信があった。
――運命は変えられる。君と、俺たちみんなの意思があれば。
ガタンと馬車が大きく揺れた。それから車輪の音や揺れが先程よりも小さくなった。
「……商道に入ったな。あと小一時間もすれば皇国だ」
ガルディアの呟きに馬車の前方に視線を移すと、地平線に城壁が見えた。城壁の所々に明かりが灯っている。
「あれが光の国、ステマ皇国皇都。我々が住む街であり、姫様のお住まいのある場所だ。そして」
ふっと、口角を微かに上げガルディアは小さな声で言った。
「これからはお前の住む場所だ」
¶
「しつこいわね……。執念深い女って嫌いだわ」
忌々しげに呟いて少女は夜闇に紛れ、月灯りを避けるように木々の間を縫って走っていた。
背後を龍の角を額に持つ少女が追う。
「しゃあなし!」
森を抜け、月明かりに照らされた少女の髪は金色。
獣の耳を逆方向に立て、白衣の左ポケットからペンデュラムを取り出す。
「悪いけど、あんたに構ってる暇はないの!」
振り向き様に左腕を突き出し振り回す。紐に吊るされていたペンデュラムは腕の先で引かれ、空中に複雑な軌跡を描く。
やがて軌跡は青白い光として現れ、空中に魔法陣を作り出す。
「うりゃ!」
右ポケットから月光を受けて金色に輝く銃を取り出すと少女はその中心目掛けて引き金を引いた。撃鉄が降り、火を吹く銃口。銃弾は見事に魔法陣の中心を撃ち抜いた。
直後、追跡者が森から飛び出る。
「ッ」
瞬間、追跡者は息を呑んだ。
宙に浮かぶ魔法陣とその中央で静止する装飾された黄金の銃弾。弾はやがて空中で溶け、魔法陣を伴って地面に落ちる。
「……錬金術!?」
一歩下がると途端に地面が芹上がる。芹上がった土塊は天へ丁度木々が育つように伸びた。息つく間もなく目の前にいくつもの土壁を現れ視界を閉ざす。と、土壁の奥でまた銃声が響く。
――壁を厚くさせる? 出現させる? 何にしてもこれ以上時間は稼がせられない!
「く……っ! 焼き滅ぼせ【火竜息吹】!」
追跡者は詠う。その眼前に赤い魔法陣が浮かび、巨大な火球を出現させ土壁に射出される――!
火球は壁の中に溶け込むようにして消え、直後。土壁は内側から沸騰するように泡立ち、どろどろと融解した。
背の低くなった壁を飛び越えて追跡者は柏手を撃ち、手袋の下に仕込んだ魔導器を起動させると虚空から剣を抜き放つ。
深い静寂の中周囲を見渡す。
壁の向こうにあるのは遥かな平原。錬金術の使用代償に抉れ、荒れた土の上にも力強く伸びた雑草たちにも特に異変は感じられない。もっと注意深く。
そう足を踏み出したとき。不意に目の奥が痛み思わず瞼を押さえる。指の隙間から見える景色が白く霞んだ。
「時間切れ……これ以上の追跡は不可能、ですね」
追跡者、ミスト・マグナカルタは溜め息を吐くと奥歯を噛み締めた。
そのときだった。腰の辺りから声が聞こえる。
アルクドのものだ。魔導器を取り出すと嵌められた翡翠の宝石に触れる。
『マグナカルタか。どうだ?』
「……申し訳ございません。対象を取り逃がしました」
『そうか……。いや、隊長より先ほど通達があった。深追いする必要はない。帰投せよ』
「……はっ」
ミストは剣を虚空へ仕舞うといつの間にかはだけたシャツの胸元を直して虚空を一瞥し、森の中へと姿を消した。
¶
少女、トワイリト・ロー・アルカーは暗闇の中で耳を欹てていたが、やがて足音と気配が遠ざかったのを感じて冷や汗を拭った。ペンデュラムの鉄紐がしゃらりと音を立てる。
「いやあ、肝が冷えたわ……」
――土壁はあくまでカモフラージュ。あれに引っ掛かってくれて助かったわ。
土壁を作り出した直後、トワイリトは自身の足元に“錬金術”を用いて穴をつくり出して潜り、入口を再度薄い土膜で塞いだ。落とし穴をつくる用量とまったく同じ突貫工事。注意深く見ればバレてしまいそうなほどの簡易的なものだったが、夜の闇にうまく紛れたといったところか。
追跡者が諦めたらしいことを確認すると自嘲気味に笑う。
「これじゃ猫じゃなくて土竜ね……」
呟いて狭い穴蔵の中で立ち上がった。
「さて、港まで穴掘っていこうかしら」
右のポケットから魔導器を取り出す。
「……シンクとリコフォス、ね。あんたたちには期待してるんだから」
魔導器に嵌められた赤茶色の石に触れる。
掲げられた先に魔法陣が浮かび大穴が掘られていく。その壁面や天井は突き出た槍状の岩が格子状になったものに支えられ、洞窟を生み出していく。
トワイリトは右手に握ったペンデュラムを掲げる。その宝石の中で眩い精霊子の光が灯り、周囲を淡く照らす。
――待ってるわよ。あんたたちがあたしのところに来るのを。
トワイリトは洞窟を進みながら彼らが居るであろう場所を一瞬だけ睨んだ。
金色の瞳にはどこか期待と覚悟とが入り混じった光を湛えていた。