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【XIth Stigmartha / Τέλος αιωνιότητα】  作者: ささゆみさき
悠久と終わりの物語/序章:歩みのはじまり
7/8

VI

序章 歩みのはじまり -Βίρτεμπεργκ-


"その歩みは永き連鎖を断つ白羽の軌跡の

その始まりと為り得るのだろうか?"


挿絵(By みてみん)


VI/


《その前に。リコフォス》

 精霊王に名を呼ばれ、リコフォスは背筋を伸ばした。

「は、はい。何でしょう?」

《継承を済ませましょう。説明もその後の方が早く済みますから》


 ――そういえばリコフォスの試練の最中だったんだっけ。


 あまりに色々な事があって、色々なことを話されている内にすっかり忘れていた。

 忘れてはならない大切な事なのだが。


 ――ごめん、姫様。


 心の中で謝る。リコフォスは一瞬シンクの申し訳無さそうな顔を見て首を傾げたが、すぐ女神像に向き直り祈るように膝をついた。

「お願いします。精霊王様」

《はい。では、体を楽に。力を抜いてください》

 精霊王に言われた通り力を抜き、目を閉じる。すると女神像の胸の前で組んだ手に眩い光の球が現れる。


 ――これが、ケテル……。


 シンクはそのどこまでも濁りの無い美しい宝珠・ケテルの光に見惚れた。見ているだけで体内の穢れも浄化されていくようだった。

《汝、純白の継承者として生を受けし者。汝に受け継ぐ覚悟、意思はあるか》

 精霊王が厳かに語りかける。リコフォスは目を閉じたまま、

「我、純白の継承者として生を受けし者。この身にその光を宿し、守り抜く意思をここに宣誓せん……」

 同じく厳かに答える。何度練習させられたのだろう?

 試練を受ける者が代々守ってきたその宣誓に応え、光球がゆっくりと舞い降りる。

 光はリコフォスの背に回ると、吸い込まれるように背中から体内へと溶け込んでいく。

 直後、一斉に周囲に光の糸が現れ、リコフォスに宿ったケテルへ惹かれるように勢いよく向かっていく。

 その凄まじさにシンクはリコフォスの身を案じたが、すぐに杞憂だったことを知った。

 光は穏やかに彼女と調和し、それを受け入れる彼女はどこか穏やかな顔をしていた。

《継承は滞りなく終わりました。リコフォス。あなたを第三十二代白の継承者として認めます》

「はい。ありがとうございま……す……」

 礼を言おうとしたリコフォスはその言葉が言い終わらない内に腹部を押さえ、(うずくま)り、唸る。

「姫様!?」

「……っぅ、う……」

 額に汗を掻いて、唇を固く結んで。駆け寄ったシンクの袖を強く摘んだ。

「精霊王様、これは……」

 慌てて尋ねると、脳内に声が響く。

《宝珠の性質上仕方の無いことです。体に馴染むまで少し痛みますが……丁度良いのでシンク、スティギアで彼女に触れてください》

「え? はい」

 何が丁度いいのか解らないが……。シンクは言われた通りにスティギアを纏った右手で彼女の背中をさすった。

「大丈夫ですか、姫様」

「……は、い……? あれ?」

 リコフォスの苦痛に歪んでいた表情が急激に和らいだ。

 耐えるように強く摘んでいた袖から指を離し、顔を上げる。

「どうしました?」

 その顔を覗き込むシンクを見つめ返す。

 彼が背に触れた途端、感じていた鈍痛が綺麗に無くなった。

 魔法のように。

「シンク君、その、何をしたのです?」

「……へ?」

「痛みが消えたのです。その、何か癒術でも使ってくださったのかと……」

 シンクは予想だにしない質問を受けて面食らう。

「まさか、魔法なんて使えませんって! 何って言われても……」

 した事といえば背中をさすった、だけだ。


 ――そういえば姫様に触れるように指示を出したのって、精霊王様、だよね。

 

 思い出し、頭に響く声へ意識を集中する。

「えと、精霊王様?」

 語りかけるとすぐに答える声がした。

《それは【精霊浄華(イニシャライズ)】。ダアトが持つ能力のひとつ。異常な働きをしていたり暴走していたりしている精霊子(アウラ)を正常化するものです。スティギアで触れた個体や箇所に精霊子の異常があれば、すぐに発動します》

「それで、シンク君が触れた途端に痛みが消えたのですね」

 納得したようにリコフォスが頷く。その一方で。


 ――すぐ教えてくれればよかったのに……。


 何故経過を見守っていたのか。

 そんな事を思いながらシンクは目を細め、――どこかにいる精霊王にするように――虚空を睨んだ。

 と、済んだことをいつまでも気にしているのも野暮だろう。それよりも、シンクは訊きたい事があった。

「そういえばずっと気になっていたんですが……、そのアウラっていうのは?」

 目が覚めたときから気になっていた事だったが怪しまれないために訊いていなかった。

 この世界でこれから留まり過ごしていくなら知っておく必要があるだろう。

「この世界に溢れている目には見えないエネルギーで、精霊王様の子。ありとあらゆるものを構成しているもの」

 リコフォスが淡々と言葉を紡ぐ。

「ですよね?」

《然り。魔法の発動の協力者にもなり、大凡この世界の発展の礎となっています。ですが、幾つか語弊があります。まず精霊王の子、という表現ですが――正しくは子である精霊(アウリア)のさらに子……孫のようなものです。そして、目には見えないと言いましたが、精霊との感応力が低い生物には視認できない、と言ったところでしょう。人でも精霊感応力の高い方や聖痕継承者なら視る事ができます》

「あ。もしかして俺がこの世界に来てから時々見かけた光の糸って……」

 結界を解くために詠唱を行った司祭たちや、石像の攻撃を防ぐ魔法を使用したリコフォスの周囲に発生していたもの。

 あまりに忙しなかったため何か錯覚のようなものを見たのだと思っていたが、どうやら――

《然り。それこそが精霊子です》

「なるほど……」

《ですが、精霊子は何かしらの行為に反応しない限り光を放つことはないので、特別何かを行ったりしない限り目にすることは無いでしょう》

「ああ、それならよかった」

 シンクは胸を撫で下ろす。

 世界中に溢れているというのだから、四六時中あの光と付き合わなければならないのかと思った。

《では、本当に時間が無いのでスティギアに宝珠を模造する方法をお教えします》

 精霊王の口調が急に強くなり、早口になる。相変わらず小声だが。一体何の時間が無いと言うのだろう?

 この様子だとそんな事を訊いている余裕も無さそうだった。

《まずスティギアを解放……はしていますから、省略します。

 武装化したスティギアを装備した腕を……はい。右腕です。宝珠を持つ継承者に向かって突き出してください》

「えっと、こ、こう?」

 恐る恐るリコフォスに向かって右腕を突き出す。

 すると彼女に反応するようにスティギアから耳鳴りのような高音が鳴り響いた。

「うわ……!」

《そうしましたら、次に継承者はスティギアに触れてください》

「は、はい!」

 言われてリコフォスは一歩進み出るとシンクの腕を両手で包む。

「こうでしょうか?」

《はい。ではリコフォス、シンクに心を開いて》

「……え?」

 リコフォスは首を傾げる。

 心を開く。それは日常でよく使われる言葉だ。

 だが、言われてみるとそれはひどく抽象的で具体的にどうすればいいのかわからなかった。

 シンクの腕を握ったまま考え込むリコフォスに精霊王はひとつ唸って。

《難しかったでしょうか。では、これならいかがでしょう? 貴女の力を預ける事を赦すのです》

「私の力……」

《そう。言い換えるなら、信じ、貴女自身を委ねなさい》

 リコフォスは頷くとシンクを見上げ、微笑んだ。

 シンクは少し驚いたように目を見開くと首を傾げ、やがて彼女の笑みの意図がよく解らないまま笑みを返す。


 ――それなら、簡単です。だって……。


 最初にシンクに出会ったときからリコフォスはすでに彼を信じ始めていた。

 ケテルの継承者として生まれた彼女は軽く集中すれば、精霊子を素質的に視認できる者よりも詳細にそれを視ることができた。

 精霊子の動きはその付近の人間の性格によっていくつかのパターンを持って動く。経験からリコフォスは知っていた。

 賊としてシンクを紹介されたときも、その本質を見るために彼の周囲を視た。そして驚いた。

 彼の言葉ひとつひとつに周囲の精霊子はどこか楽しそうに飛び回り、忙しく反応していた。

 それは精霊子に祝福された者にのみ起きる現象だと、教材にしていた著名な癒術書で読んだことがあった。

 精霊子と友人のように調和する事は高位の魔術師でも、その習得に気の遠くなるような時間と研究を要する。

 そんな努力をした人間か、あるいは精霊子が自ら選んだ人物のみにその現象は起こる、と覚えていたがシンクの様子を見るに前者はありえない。そう彼女は思った。

 ならば、残るのは後者。


 ――精霊子は元々人に興味を示すことは少なくて、単に歌……詠唱(アリア)に反応して協力しているだけの事が多い。この世界ではそれが常識なんです。けれど、シンク君は違った。 精霊子自身がシンク君と遊びたがっているような、そんな風に視えて。

 

 だから、リコフォスは精霊子が愛するシンクという人物の心の純粋さ、優しさを――彼を構成するものを信じることにした。

 そして、その気持ちは彼と約束を交わしたとき一層強まった。

 挫けそうになった耳に彼の声が届いたとき、死ねない。そう強く思った。

 自身の強迫観念に気づいて『意思』に気付いたとき、初対面であるにも関わらず、少なからず甘えを覚えた。

 共に試練に挑んでいたとき、彼の力に自分の力を重ねて乗り越えたい。そう、願った。

 それらすべてが心を開いていく、開くという事なら。


 ――私は、最初から貴方に心を開かれ始めていたのかもしれない。


 直後。

「……う、っ」

 リコフォスの全身が淡い光に包まれ、胸元から収束された光が放たれる。その衝撃で彼女は大きく仰け反り、天井を仰いだ。が、その手はしっかりとシンクの右腕を掴んでいる。

 視界を支配するどこまでも白く澄み渡った、力強い輝き。

 それは精霊子なのだろうが、今まで見てきたどれともどこか異なる神々しさと温かさをシンクは感じた。

《その光は宝珠から生み出される原初の精霊子にして原初の光。別名精霊光(オリジナリア)

「……っ、オリジナリア……?」

《その光は貴方への信頼の証でもあります》

 それを聞いて、シンクは虚空を仰いだ。光を放つ彼女を見つめ、困ったように微笑む。

「……そっか」

 出会って間もない自分に信頼を向けてくれている。それに少しだけ戸惑った。でもそれ以上に嬉しくて、どこか照れ臭くて。

「精霊王様、次はどうしたらいいんですか? ちょっと、姫様辛そうで」

「……はい……その、結構、大変……です」

 仰け反ったまま、リコフォスが苦しげに呟く。

「……その……体、勢が……」

「ですよね……」

《ええ、すみません》

 精霊王は小さく咳払いをすると続けた。

《精霊光をスティギアに憶えさせるのです。光を浴びているスティギアに意識を集中して》

 頷き、すぐに目を閉じると意識と神経を右腕に集中する。

 瞼の裏の閉じた世界の暗闇さえ照らす光を、スティギアへ憶えさせていく。

《具体的には……》

「大丈夫です。何となく、解りますから」

 目を閉じたまま、方法を説明しようとする精霊王を静かに遮る。

 強く、温かく、どこまでも澄んだ、純白の輝き。

 自身が感じるイメージが思考を通じてスティギアに流れている。原理は解らないが、何故かそう思う。

 次いでスティギアと精霊光が繫がるような、そんな感覚が返ってくる。

 心を繋ぐ。それだけ聞くとひどく難しいように思える。

 けれど、“感覚”が、理解(わか)ってくると、至極簡単なことだった。

 それはまるで――

「手を繋ぐのに……似ているんだ」

 確かめるように呟いて、ゆっくりと瞼を開く。それと同時にリコフォスの胸元の光がゆっくりと収まっていく。

「……終わった?」

 完全に光が失せると、放出の間浮力のようなものが働いていたのだろう。リコフォスの体が重力に従って揺れ、背中から倒れた。

「お……っと」

 慌ててそれを抱き留める。疲労困憊、といった様子で彼女は小さくため息を吐くと目を閉じた。

「大丈夫ですか? 姫様」

「腰が……痛いです……。すみません、少し、このままで……」

「あ、はは……力抜いていいですよ」

 一瞬申し訳無さそうに眉を顰めたが彼の言葉に甘え、リコフォスは脱力した。自身の方へ引き寄せるように抱き起こし、シンクもため息を吐く。

「精霊王様、これでいいんですか?」

 変わった部分はざっと見たところでは解らなかった。

 シンクの質問に精霊王は嬉々として答えた。

《ええ。成功です。スティギアをご覧ください》

「……今、無理です」

 苦笑する。リコフォスの背中を支えている右腕を確認するのは難しかった。

《では後程。今のように宝珠の複製と蓄積、保存を行うのですが理解できましたか?》

「なんとなく、ですけど。解りました。えっと、手を繋ぐ? そんな感覚でしょうか」

 原理は相変わらず理解できなかったが、今の方法で成功ならそれで概ね正解だと思う。


 ――それにスティギアに集中して精霊光を憶えさせる、って部分以外はほとんど自動だからなぁ。


《イメージは人それぞれですが、貴方がそう感じて成功したなら、貴方にとって心を繋ぐという事は手を繋ぐことに近しいのでしょう》

 シンクは精霊王の言葉に頷いた。

 思いの他簡単に複製を終えた事には驚いたが、今後も同じ方法を行っていくのなら難しくない方が良い。

「これならやっていけそう、です」

 そう言うと、精霊王は安心したように笑い、言う。

《良かったです。と、もう少し説明したいところですが……》

「?」

 精霊王の言葉が一瞬切れる。

《疲れも溜まっているでしょうし、突然ですが試練の間入り口まで転移します》

「え?」

「説明したいこと伝えてからでも別に……」

 二人は唐突な宣言に焦った。シンクは聞き覚えの無い単語を出されたから尚更だ。


 ――転移って何だ!? ワープ!?


《送り届けたあとで説明します。さすがに残り時間も僅かなようですので》

 彼女の言葉が終わるか否か。唸り声のような地鳴りが響く。

 ぱらぱらと埃や小さな破片が辺りに舞い落ち始めた。

《頑丈に造られているのですが……》

「時間って……もしかして」

《はい。試練の間が先程の戦闘の損傷で崩壊しようとしています》

「そんな……」

 リコフォスがシンクの腕を軽く叩き手を放すように伝える。

 右手だけ背中を支えられるように添えて、シンクはリコフォスからゆっくりと腕を放した。

 リコフォスはよろけながらなんとか立ち、指を組んで問う。

「試練の間が崩れてしまっては、次の継承者は……それに精霊王様はどうなるのです?」

《おかしな事を訊きますね。貴女たちがこの戦争を治めるのですから、次のために……など必要ないでしょう?》

 くすりと彼女は笑った。《それに》と彼女は続ける。

《私はここに在って、ここに無い概念。この部屋が崩れたところで消滅したりしません。説明もまだ残っていますしね》

「精霊王様……!」

《さあ、安心しておゆきなさい》

 強く、それでいて優しい口調でリコフォスの声を遮る。その言葉のあと二人の足下にひとつ、魔法陣が浮かび上がった。

 陣に引き寄せられるように光の糸――精霊子がどこからとも無く姿を現し、溶けていく。


 ――転移魔法。


 魔法の事などよくわからないがそう直感して、シンクはリコフォスの手を引く。

「シンク君……」

「行きましょう、姫様」

「――はい」

 躊躇している時間は無い。

 部屋全体を震わせるその音は確かに大きくなっているのだから。

 返事をして顔を上げ、シンクの傍らに立つとシンクの横顔を盗み見る――そして、思わず微笑んだ。

「緊張しているのですか?」

 シンクは危機に対する緊迫とはまた違った、引きつった笑顔を浮かべていた。

「あっはは……わかります? えと、て、転移とか、その、初めて、なので」

 自分を慰めようと、あるいは励まそうと必死に笑顔を造っているようだが、心中はそれどころでは無いようだった。それでも懸命に笑おうとしてくれている。

「変な顔になっていますよ」

「え、ま、参ったな……」

 自分ではうまく笑っているつもりだったらしい。

 シンクは自分のうなじを撫で、今度は苦笑いした。

「ごめん……なんか、その……余裕無くて」

「ふふ」

 リコフォスは引かれている手を強く握り返す。

 彼は少し驚いたように身を一瞬強張らせたが、

「ありがとう、姫様」

 そう言って笑う。リコフォスもその笑みに柔らかく笑みを浮かべて返した。

 シンクの表情は今度こそ自然な笑顔だった。

 魔法陣が十分な精霊子を内包し、光を放つ。発動が近いのだとシンクは思った。

 一体どんな感覚が待っているのだろうか?

 胸の中に巣食った小さな不安はやはり消えなかったが、リコフォスと一緒ならきっと大丈夫。

 相変わらず根拠は無いが……そう思えた。

「シンク君」

 魔法陣が放つ光の渦の中。

 名前を呼ばれて、リコフォスに視線を向ける。

 彼女は何か言葉を紡いだが、魔法の発動を告げる高周波の音がそれを遮る。

 けれど、シンクには聞こえた。鼓膜ではなく、心で声を感じ取る。


 ――ありがとう。


「どういたしまして」

 その返事が届いたかどうかはわからない。

 魔法陣が弾けるように散り失せて言い終わるか否かというところで転移魔法が発動した。



「姫様!」

 転移の衝撃で一瞬手放していたリコフォスの意識を引き戻したのは悲鳴のような声だった。

「あ……ぅ、ん……、ガルディア……?」

 瞬きをするリコフォスに衛士長ガルディアが駆け寄る。

「よくぞご無事で……」

「……ああ。終わったの……ですね」

 リコフォスはその声に試練を終えたことを再確認する。


 ――乗り越えることができた……。あの困難な試練を。


 夢を見ていたような気分だった。あんなに苦しかったのに、遥か昔の出来事のようにすら感じる。

「お疲れ様です。姫様」

 言って、ガルディアは安堵の表情を浮かべた。疲れに因るものか、気の抜けた顔をしてふらつく主の体を支える。

「いやぁ、最初っから最後まで冷や冷やしっぱなしでしたよ~。……おかえンなさい、リコ姫」

「リコフォス様、お帰りなさい」

 自身を迎える声に帰ってきたという喜びが湧いてくる。リコフォスは思わずほうっと小さなため息を吐いた。

 それから辺りを見回してみる。試練の間の入り口のあった行き止まりの前。

 ヴァーテクス、アルクド、ミスト、三人の司祭。それぞれが一様にリコフォスを見つめ、安堵の笑みを漏らしている。

 それと、離れたところに疲れていたのか目を閉じてじっとしているコココが見えた。

 そこでリコフォスははっとした。

「……シンク君は?」

「……」

 いない。どこにも。

 ガルディアはその問いに答えず、目を逸らす。

「ヴァーテクス……?」

「ああ、それがですね。えっと……落ち着いて聞いてくださいね?」

 答えないガルディアに代わって質問を移されたヴァーテクスは肩をすくめて、ため息を吐いた。

「シンクの奴、まだ転移して来ていないンですよ」

「え……?」

 想定外の答えだった。

 転移魔法の範囲外だったのだろうか?

 いや、確かに一緒に魔法陣の中に立っていて、手もしっかり掴んでいた。だからそれはありえない。

 それに精霊王によって行使された魔法だ。尚更だろう。

 となれば、どこか別の場所に転移した……。あるいは何らかの要因で転移されなかったと考えるのが妥当なのだろうか。

 嫌な予感が脳裏を過ぎり、リコフォスは試練の間を振り返る。

 入り口はすでに無く、そこにあったのは途切れ途切れの紋様が刻まれた無機質な壁……。

「シンク君……」

 不安で胸が詰まりそうになる。

 試練の間にもしも取り残されているのなら、今頃は――

「もう一度、試練の間に……! もしかしたら、取り残されてしまったのかも……」

「もしそうだとしても一度体を休めて出直しましょう。試練の間には聖痕継承者しか入れないンですから。姫様が元気じゃないと調査できないでしょ」

 諭すように言う。実際、彼女は立っているのもやっと。これ以上の行動は無理だ。それは誰が見ても明白だった。

 傷こそ消えているが、蓄積されすぎた疲労は休まなければどうしても癒すことはできない。

「で、ですが……」

「なあに。そんなに心配しなくても、あいつならピンピンしてますって」

「同感だ」

 歯を見せて笑うヴァーテクスにガルディアが頷く。

「お、珍しいっスね。意見が合うなんて」

「万が一中に取り残されていたとして、経験上ああいう奴は案外クロナガシムシよりもしぶといものだからな」

 ヴァーテクスがからかうように言うと、ガルディアは飄々と返した。

「クロナガシムシって……」

 思わずガルディアの言葉に誰もが苦笑する。

 それからヴァーテクスはリコフォスに歩み寄ると頭を乱暴に撫でた。

「……きゃっ」

「えっと、まあそういう事なンで、姫様。心配しないで待っててやりましょう」

 「ね?」とあやすように言われて、リコフォスは頷くしかなかった。誰もが元気付けようとしてくれている。いつまでも渋っていては申し訳ない。

 少しだけ冷静になって。リコフォスはふと、シンクの言葉を思い出した。


 ――“約束したじゃないですか。生きて帰ってきて、友達になろうって。”


「大丈夫……きっと」


 ――悔しいけれど、今の私には何もすることができない。シンク君、無事でいて。

 

 今は“約束”が彼を導いてくれる事を祈るしかない。

 もし帰って来なかったときは体勢を立て直してまた来よう。

 そう決めて、リコフォスはガルディアに腕を伸ばした。

「ガルディア、申し訳ありませんが肩を貸していただけませんか?」

「ええ。お任せください」

 ガルディアがその腕を引き、肩を支えようと手を掛けたそのときだった。

「待ってください」

 小さな制止の声がした。

 壁の端の方でじっとしていたコココだった。

「シンクさん、います……。入り口の近く、壁画の部屋?」

「え……」

「壁に精霊紋様があってよかったです。辿ってみました」

 コココは小さな両手を振った。彼女の指から精霊子の淡い光が散る。

「コココ、お前は……何をしているかと思えば」

 ふにゃっと柔らかい笑みを向けるコココにガルディアは渋い顔をした。

 一方でリコフォスは安堵すると同時にふらふらとガルディアから離れる。それを慌ててガルディアが抱きとめる。

「姫様!」

 リコフォスははっと顔を上げてその腕に触れる。

「ガルディア、私、シンク君のところへ――」

「ええ、わかっています」

 ガルディアは眉を寄せ、諦めたようにため息を吐いた。

「おひとりでは大変でしょう。ご一緒します」

「ガルディア……」

「まったく。お前たちも姫様も賊の事など放っておけばいいものを」

 言われてコココが身を縮こませる。

「す、すみません……っ」

「いや……別に怒っているわけじゃないさ」

 表情を和らげ、首を振る彼女にヴァーテクスが頷く。

「まっ、色々言いたいこともありますしねェ」

「そういうことだ。搜索する手間も省けたしな」

 そう言ってガルディアとヴァーテクスは邪悪な笑みを浮かべた。

「うわあ……シンクさん、ご愁傷様です……」

 コココが呟くと黙っていたアルクドがミストに何やら耳打ちする。ミストは頷くと一礼して試練の間前の壁に背を向けて歩き去っていく。

「あ? どうした?」

「いや、さっきから変な気配というか視線を感じていまして……様子を見てくるように言ったんですよ」

 アルクドは天井付近にある空気穴を見上げ、睨んだ。ヴァーテクスもその視線の先を凝視した。

「何にも見えね……お前、そういうとこ敏感だよな」

「団長が鈍感なだけです」

「……ぐぅの音も出ないってのはこの事だな……。でもいいのか? ミスト嬢一人で」

「ええ。優秀ですからね、あいつは。さ、我々も行きましょう」

 アルクドの言葉に一同は頷く。

 リコフォスは見守る司祭たちに向き直って。

「ばあや、ズイ司祭様、ミラ司祭様」

「姫様、ここからが本番です」

 ズイ司祭が丸太のような腕を腰の後ろで組むと低い声で言い、腰を曲げた。

「はい。必ず、この戦争を止めてみせます」

「お願いします」

 ズイ司祭が礼を言うと、今度はミラ司祭が歩み出た。

「リコフォス様、そして皆さんに星神様の加護がありますように」

「ミラ司祭……いえ、先生。今日まで癒術の勉強にお付き合いくださりありがとうございました」

 リコフォスが言うと、彼女はくすり、と笑って、

「いいえ。忘れないでくださいねリコフォス姫。癒術の根幹は人々の痛みを理解しようと努めること」

「はい。いつも胸に」

「貴女の力で人々の苦しみを和らげて差し上げてください」

 そう言うとミラ司祭は小さく礼をして下がった。

「さて、最後は私でしょうかね」

「ばあや、あの……」

 グノスィ司祭はリコフォスに歩み寄り、深い皺の刻まれた手でその背中を優しく撫でた。

「ばあや……」

「頑張りなさい。貴女と貴女を信じてくれる本当のお友達を、貴女もまた信じて」

 リコフォスは微笑んで、頷いた。

 嗄れた声が穏やかにリコフォスの背中を押してくれるようだった。

「ありがとうございました、皆さん」

 そう言って。一同は試練の間へ続く回廊に背を向けた。

「また遊びにいらしてくださいね、姫様。ガルディア様」

「戦争の終結、願っています。騎士団の皆さん、衛士団の皆さんもご無事で」

「人々の祈りの重さに押し潰されないように。ご自身の願いを見失ってはいけませんよ」

 三人がそれぞれにそんな声を一同にかけ、送り出してくれる。

 誰もが振り返り、もう一度礼をした。

 そして誰もが思っていた。まだ出発点に立っただけ。ズイ司祭の言葉通り、これからがこの戦争の本番なのだ、と。

 試練の成功、終わりは素直に喜ぼう。しかし、喜んでばかりもいられないのだ。

「ヴァーテクス、コココ、ガルディア」

「お?」

「なんです?」

「いかがなさいました?」

 リコフォスの囁くような声に三人は彼女の方へ視線を移す。

「……あの」

 皇女は深く、息を吸って。それぞれの顔を見回した。

「これから今まで以上に大変になると思います。それでも、ついてきて……くださいますか? あの、もしかしたら、助けて……くださいって言うことがあるかもしれ、ないのですが……」

 そう口にするのはどこか照れ臭くて。彼女の声は控えめだった。

 衛士たちは主のそんな様子に顔を見合わせて、

「あっはっは! 今更ですよ、リコ姫。最後まで付き合いますって。それに姫様助けるのが俺たち衛士なンスから。な、コココ」

 笑って言うと、コココも神妙に頷いて続ける。

「ヴァーテクスに任せるのも不安ですからねー。姫様は私と衛士長でしっかり助けますっ」

「ン、だ、と、このマイクロミニウサギ!」

 ヴァーテクスがコココとまた近距離で睨み合う。……本当は仲が良いのかもしれない。

「なんですか脳筋ムッキテクス!」

「脳筋ムッキ……!?」

「騒がしいぞ、お前たち……」

 ヴァーテクスが悲鳴のような声を上げたところでガルディアが顔をしかめ、二人を睨んだ。

『すみません!!』

「まったく……」

 深くため息を吐いて、ガルディアは改めてリコフォスの横顔へ視線を向ける。

 その目は穏やかで、強い覚悟の火が燃えていた。

「姫様、お仕えする事になったあの日にも言いましたが……私はどこまでも貴女様をお守り致します。この剣は御身の為に磨いたのですから」

「ガルディア……」

「それは私だけの『意思』ではありません。そこの煩い部下も。そして、白薔薇の騎士団(シュヴァリエ・ロ・ロゼ・アラヴァスティア)の騎士たちも皆同じです」

 そう言って顎で先行しているアルクドを指す。

「私は、沢山の人に支えられているんですよね」

「はい。ですから、姫様はお一人で戦っているわけではない事を、お忘れ無きよう」

「ええ。ありがとう、ガルディア」

 ガルディアは柔らかく笑みを浮かべて主君の感謝に答えたところで「さて、と。あとはあのバカシンクですね」とヴァーテクスがニヒルな笑みを浮かべた。

「ああ、そうだな」

 ガルディアも同様に邪悪なうすら笑いを浮かべる。

「二人共、あの、お手柔らかに……ね?」

『善処します』

 声を重ねて答える二人に、コココと、今度はリコフォスも同情した。



《シンク》

「……ん、あ……精霊王様……? 無事だったんですね」

 朦朧としていた意識が精霊王の声で覚醒する。

 どうやら転移が終わったらしい。いつの間にか仰向けに倒れていた身体をゆっくりと起こす。

《言ったはずです。大丈夫です、と》

「そうでしたね。って、あれ……ここは?」

 見慣れない景色だ。先程まで見ていた天井や周囲の雰囲気、質感こそ遺跡のものと変わりないが最初に通った回廊や試練の間とも違う。

 辺りを見渡す。人影どころか人気もない。

「姫さ……!」

《大丈夫です。リコフォスは問題なく彼女の衛士隊の元へ送りましたよ》


 ――……よかった。


 精霊王の言葉にほっと胸を撫で下ろす。あの崩壊に巻き込まれていたらと気が気でなかった。

「あれ、なんで俺は別の場所なんです?」

 確かにリコフォスと同じ魔法陣に立って飛んだはずだ。

 精霊王はコホン、と咳払いをする。

《時間があの時はありませんでしたから。話がある、と言いましたよね?》

「あ、それで……」

 壁に手をつけ、立ち上がる。まだ疲労でふらつくが長い休憩を取ったおかげで倒れることは無さそうだ。

「えっと、姫様たちと同じところでは話し辛い話なんでしょうか……?」

《はい……。今は味方のような顔をしていても後に叛旗を翻せば情報を利用されることもあります》

 そう言われて、シンクは長い髪を撫で表情を曇らせた。

「……信用してないんですか?」

 いいえ、と精霊王はいう。

《信じていますよ。けれど、人の思惑は精霊であっても読むことはできませんから、一応、です》

 シンクは静かに頷き、壁に背を預ける。

「それで、話って言うのは……」

《はい。まずはスティギアのことを。スティギアの性能については先程実演して理解できたと思います》

 頷く。

 異常な動きをする精霊子を正常化する力と他者の宝珠を複製・蓄積・使用する力。

「このふたつ、ですよね」

《然り。そして、シンクの身体能力を向上させる変身能力、【反転(サーヴェラント)】》

「変身能力……。この姿のことですか」

 シンクは改めて身辺を見回す。膨らんだ胸、長く伸びた髪、低くなった視界、丸みを帯びた腕や足。

 何度見てもその体は女性のそれだった。

《その通りです。今回は想定外に【霊素の王冠(エィテルクラウン)】も発動しましたが、彼の能力を使用せずとも身体能力を向上させることが可能です》

「なるほど」

 確かに女性体に変身してから跳躍力は腕力、速度、すべてにおいて超人的になっていた。

《【反転(サーヴェラント)】は自由に発動できる他、シンクの身に危機が訪れたとき、シンクが宝珠の力を使用しようとしたときに自動的に発動します》

「俺の身に?」

《はい。奇襲などを予見することもできるでしょう》

「奇襲!?」

 シンクは思わず飛び跳ねそうになる。聞き馴れない言葉だが、聖戦に参加すると決めた以上無縁とはいかないのだろう。

《それと複製した宝珠の能力は【反転(サーヴェラント)】状態でしか使用できないことを念頭に置いておいてください》

「わかりました。えっと、あの精霊王様?」

 おずおずと右手を挙げる。と、精霊王はわかっています。と制止する。

《【反転(サーヴェラント)】を解除する方法をお教えします。その体では色々とお辛いでしょう》

「すいません……」

 シンクはほっと溜息を吐いた。戦争が終わるまでこのままだったらどうしようかと不安で仕方がなかった。

 言って、右腕に目をやる。鈍く光る腕鎧に少女の顔が映る。

《精霊光を覚えさせたときと同じように、神器に意識を集中してください》

「えっと、手を繋ぐように……?」

 シンクは瞼を閉じて言われた通りにスティギアへ意識を集中していく。と不思議と感覚という感覚が曖昧になっていくようだった。スティギアに意識を繋げようとしているはずなのに、そうしようとすればするほどスティギアから遠ざかっていくようだ。

 このまま自身の体がどこか得体の知れない場所へ漂っていってしまいそうでシンクは続きを急かした。

「次は?」

《スティギアに触れながら“流転せよ!” ……ただこれを詠うだけです》

「うた、う?」

 そういえばリコフォスと二人で癒術を発動するときも彼女が言っていた事を思い出す。

《魔法の発動に必要な約束の言葉の事です。短いですが、列記とした魔法の詠唱……。さあ、騙されたと思って》

 騙されていると思うことが前提なのか。シンクは苦笑いした。

 スティギアへ意識を集中したまま左手で右腕の神器に触れる。と、今度は拡散していた意識が一気にスティギアへ集き、繋がっていくのを感じた。瞼の裏に鏡で見慣れた自身が映る。

 鏡合わせの自分の手が徐にこちらの手を引いた。そして、何かを待っているようにこちらを見つめている。


 ――そうか。ここで……。


 シンクはこちらの手を引く鏡の自分の手を、掴まれた手で掴み返す。

「……流転せよ!」

 意識の中で、鏡の自分は頷くと光の粒子となり雪崩込んでくる。それと入れ替わるように何かが抜けていく。その何かが自身の反転体……女性体の自分の像を成したのを視認した瞬間。

 強制的に意識が引き戻された。

 蒼光の精霊子が卵のような殻を形成し瞬時にシンクを包み、強く輝いたと思うと弾けるように割れる。

 光の殻が消え去るとシンクは【反転】する前の元の姿に戻って、立っていた。

「戻り、ました?」

《戻ると説明したはずですが……信じられないなら確かめてみたら如何です?》

 確かめるように自身の体を見下ろす。胸は、平らだ。

 それだけでシンクは安堵した。次に腰を見る。ボックススカートもズボンに戻っている。髪に触ってみる。短い。

「よかったあ……、騙されてなかった」

 心の底からそんな言葉が漏れる。聞いて、精霊王は失笑する。

《騙されたと思って、とは言いましたが……。今のは【流転(フルーメン)】。【反転】を打ち消し元の姿に戻る……簡単に言うとシンク限定の魔法です》

「俺の?」

 首を傾げると、彼女は《然り》と返す。

《先程も少し話しましたが、本来、聖痕継承者は女性で無くてはならないのです。そのため初代世界王が敷いた世界のルールたる“世界秩序(ワールドオーダー)が作用して”シンクが宝珠の力を使って、“聖痕継承者として戦おうとしたときのみ”女性体に変貌させるのです》

「それでさっき女性体であることが聖痕継承者の参加者である証拠だって言ってたんですね」

《その通りです。そもそも【反転】自体がスティギアの能力ではなく、名前も便宜上私が勝手につけたものです。あくまで“ダアトの聖痕継承であるシンク(あなた)”が“聖痕継承者として宝珠の力を扱うとき”に相応しい姿に変えられ、同時に“スティギアの力を引き出せる状態”になっているだけで、スティギアが力を引き出しているわけではないのです》

 なるほど。いくつか疑問が残っていたが、ここに来てようやくひとつ納得できた。シンクは頷いた。

《そこで“【反転】と名付けたこの現象によって女性体に変化した姿をスティギアを介してあるべき姿に戻す”効果を持った魔法をシンクの体質に合わせて創った、というわけです。これが【流転(フルーメン)】。望んでいないときに【反転】しそうになったときに使用すれば変身を解除することもできます。……と、最も後にも先にもこのような魔法を使うのは貴方だけでしょう》

 シンクは乾き笑いを漏らし、それからすぐに浮かんだ疑問を口にする。

「あれ、でもさっき姫様と一緒に説明を受けたときはスティギアの能力のひとつだって……」

 精霊王は「ええ」とだけ言って。

《虚を突くためです》

 シンクはまた首を傾げた。《勿論信用していないという事は無いのですが》と前置きして、精霊王は続ける。

《万が一裏切り行為などの有無に関係なくリコフォスや、その周辺で情報を仕入れた何者かが情報を漏らしてしまったとして。聖痕継承者だと敵に知られたなら、貴方の力を封じるために何を狙ってくると思いますか?》

「それは多分スティギア……。あ、そうか」

 シンクは精霊王の企みに気づいて声を上げた。

 つまり全ての能力をスティギアを媒体に行っていると誤情報を流しておくことで、スティギアを奪い無力化したと敵に思い込ませることができる。もしその上で襲撃してきたとしても【反転】を行うことで虚を突くことができる、ということか。

「でも、スティギアが無くてもちゃんと【反転】はできるんです?」

《ええ。危機に対して自動的に【反転】を引き起こすのはスティギアの作用ですが、“宝珠の力を使用しようとすれば”世界秩序が聖痕継承者を感知して【反転】を引き起こすことはできます。シンクも聖痕継承者であることを忘れないように》

「えと、ダアトでしたっけ……? どうやって使うんです?」

 【流転】や精霊光の記憶のやり方はもうなんとなくわかる。けれど、それはスティギアを介して行っていたからイメージが掴めただけで何もない状態で、自分の体内にあるという宝珠の力とやらを使用する方法など見当もつかない。

《【流転】したときと同じ容量で、今度は【反転】した姿を思い浮かべて意識を集中するのです。そして今度は“反転せよ”。と詠うだけ。これだけで貴方の中のダアトがスティギアが無くとも貴方に力を貸します。あ、一応これも応急処置的に私が創った貴方用の魔法なのですが……》

「あー、えっと、ありがとうございます」

 説明が長くなりそうだ。話を切るためにシンクが(とりあえず)礼を言うと、精霊王は満足気に鼻を鳴らした。

《とりあえずこれだけ覚えておけば戦う上で支障は無いでしょう。さて、この辺りにしておきましょうか。また何かあればスティギアの複製したケテルに触れて語りかけてくださればお答えします》

 言われて、思い出す。


 ――そういえばさっきスティギアを見るように言ってたっけ。


 まじまじと腕鎧に目を落と――そうとしたが、そこにもうスティギアの姿は無かった。否、正しくは戦闘形態のスティギアは無かった、というのが正しいだろうか。

 そこには十のメダルが鎖で繋がれたブレスレットがあった。

 その内の一枚が光沢のない純白に塗りつぶされていた。メダルの中央には美しく輝く小さなダイヤモンドが嵌められている。

「……すごい、綺麗だ」

《それがケテル……。宝珠は魔力結晶としての形状の他、今スティギアに嵌められているように物質へと顕現し、宝石となります。スティギアは複製した宝珠がそのようにわかりやすい形で出現します》

「なるほど」

 シンクはメダルの端を摘まんで見つめる。

「これが、姫様の持っているケテル――」

 そう呟いた刹那。脳裏に映像が浮かぶ。

 リコフォスとガルディア、ヴァーテクス、コココ、そしてアルクドが神殿の廊下を歩いている映像。やがてある部屋の前で立ち止まる。

「……これって」

《では、シンク。また》

「え? あ、精霊王様?」

 ふっと精霊王の気配が消える。と同時に。


「へ?」


 一瞬何が起きたのかわからなかった。ゴン、という鈍い音が頭の中で反響し、映像が消え、代わりに瞳には白い大理石の地面が迫ってくる。為す術もなく額から地面に倒れた。

「~~~~ッ!!」

 額を抑えて蹲る。なにせ大理石に頭から突っ込んだのだ。目の奥に未だに星が瞬いている。宝珠の加護なのかはわからないが身体が頑丈になっていて良かったと思った。

 もしこの世界に来る前の自分なら病院行きだ。

「な、何……」

 見上げると拳を固めたヴァーテクスの姿があった。

「よう。無事みてェだな」

「今……この瞬間、無事じゃ、ないデス……」

 額の次は頭頂部に激しい痛みを感じて手を伸ばすとたんこぶができていた。

「げ、ゲンコツ……」

「応。一発で許してやるから感謝しろよ」

 にっと白い歯を見せてヴァーテクスは笑った。

「だが、私は許すとは一言も言っていないがな」

 唐突にガルディアの声がした。

「え」

 ヴァーテクスの傍らからガルディアが一歩進み出たと思ったときにはふわりと体が宙に浮いていた。気がつくと直立していた。

「え、え?」

 思考が追いつかずに呆けていると、ガルディアの右腕が目にも止まらない速さで放物線を描いた。直後。ミシッという何か……人の体から鳴ってはならない音が響いた、かと思うとま た頭頂部に痛み――否、超激痛が走った。頭から爪先へ抜けるその痛みにひと呼吸遅れてガクンと膝から崩れた。

「あいッッッッだァァ!?」

 思わず頭を押さえて絶叫する。ヴァーテクスのものよりも遥かに厳しい拳骨だった。

「ちょ、衛士長! 手加減はどうしたンですか!?」

 思わず非難の声を上げたのは先に殴ったヴァーテクスだった。

「したぞ」

 小首を傾げてしれっとガルディアは答えた。

「どこがっスか! やっべェ音しましたよ、今!」

「利き腕とは逆の腕だ。手加減しているだろう?」

「それ手加減に入らないっスから!」

 ヴァーテクスの言う通り、シンクは俯いたまま体を左右に揺らしており、その様子はどう見ても尋常ではない。

「シンク! おい、大丈夫か!? うわ、目の焦点合ってねェしッ! 医者、もしくは癒術師(クーラ)――ッ!?」

「は、はい! シンク君! お気を確かに! 光よ、速やかに痛みを奪い去って! エ、【天使の歌声(エンジェシング)】!」

 リコフォスは二人の間から慌てて割って出るとシンクの傍らへ駆け寄り、真っ赤になった頭頂部に手を翳して癒しの光を放つ。やがて手放しかけた意識が戻り、シンクははっと顔を上げる。頭頂部の痛みは消え、コブも無くなっていた。

「は……し、死ぬかと思った……」

「大袈裟なやつだ」

 飄々と言うガルディアにシンクは眉を顰め、非難めいた視線を送った。途端ギロリと睨み返される。

「何だ」

「ナンデモアリマセン」

 背筋を伸ばして機械的に応答する。彼女は腕を組むと鼻を鳴らした。

「よし。本来なら賊として地下牢にぶち込んだあとで半日ほど説教するところを拳骨一発で許してやったんだ。喜べ」

「ハイ、スミマセン」

 まだ半日説教される方が良かったと思ったがこれ以上殴られるわけにもいかない――次こそ無事では済まない気がする――ので口を噤んだ。

「あんまり大人を心配させるような事はするンじゃねェよ。本当に焦ったンだからな。今回は上手くいったからこれくらいで済んだけどよ」

 ヴァーテクスの手がシンクの頭を乱暴に撫でる。

「コココも何か言いたいことがありゃ今の内だぞ」

 ヴァーテクスが振り向くとアルクドとコココがこちらを困ったように笑って見つめていた。

「私は特にないけれど……。あ、ひとつだけありました。リコフォス様を助けてくださって、ありがとうございました」

そうコココは礼を言ったがシンクはその言葉を素直に受け取れなかった。首を横に振って頭を下げる。

「いえ……本当にすいません、勝手な事をして」

 コココも同じように首を振った。

「いいえ。結果的にリコフォス様もシンクさんも無事に帰ってきましたから。ただ、もうご自分の命を投げ出すようなことはなさらないでくださいね?」

「はい」

 頷くと、コココは優しく笑みを浮かべてそれ以上は何も言わなかった。

「……皆さん。よろしいでしょうか?」

 今まで黙っていたアルクドが一同を見回して尋ねる。五人が頷くのを確認すると彼もまた頷き壁画の間を後にする。

 ガルディアはヴァーテクスとコココに順に視線を移すと腰に手を当てる。

「さて……行くぞ。これから準備もある。衛士隊の仕事もここからが本番だ」

「ええ。そうっスね。うっし、気合入れていきますか! 撤収撤収!」

「はーい! 姫様、シンクさんも」

 出口に向かって歩き出したコココに言われてシンクは立ち上がる。一瞬ふらついたが、その手をリコフォスが掴み、引いてくれた。

「あ……。ありがとう、姫様」

「どういたしまして」

 シンクがしっかりと立ったのを確認してリコフォスはそっと手を離す。改めて向かい合って二人はどちらともなく自然に笑い合った。

「ほら、なにやってンだ。行くぞー」

「すいません、今行きます!」

 ヴァーテクスに急かされて二人は彼へ駆け寄る。一行は神殿の出口へと足並みを揃えて歩を進めた。と、唐突にヴァーテクスがシンクの肩に肘を乗せて笑いながら囁いた。

「シンク、姫様をよろしくな」

「え?」

「あの子はずっと城の中で育ってきてさ。本当に年の近い友達がい無ェンだよ」

「そう、なんですか」

「ああ。あの子に近かったのは俺たち衛士や侍女、両親ぐらいなもンだ。それでも、恥ずかしながら俺たちにはどこか義務っていうかさ。どうもリコ姫の境遇に同情して付き合っちまってる部分があって。俺らはほら、どうしたって年が離れてるからよ。姫様も多分俺たちには話し辛い事もあるだろうし、年頃の悩みもあると思う」

 表面ではいくらでも理解者であれる。だが、その真意や心境を知るのも聞き出すのも至難の業だ。それ故にヴァーテクスは自身を本当の意味での理解者ではないのだと笑った。溜め息を吐いて「情けないよな」そう言う。

「お前さんが純粋にあの子の、本当の意味での初めての友達だ。どうか仲良くしてやってくれ」

 ヴァーテクスは背中について歩くリコフォスに視線だけ向ける。シンクは微笑んで力強く頷いた。

「はい、勿論。約束しましたから」

「うっし、頼んだぞ」

 シンクの言葉にヴァーテクスは心底嬉しそうに笑みを浮かべ、その背中を小さく叩いて身を離した。

 リコフォスが二人の背中を見つめて首を傾げる。

「何をお話ししているのです?」

「リコ姫を末永くよろしくねーって話っスよ」

「末永く……ですか?」

 眉を小さく歪めて、思案顔になる。

「うん。約束しましたから。友達になるって」

 言うと、リコフォスの表情がみるみるほころんでいく。

 やがて満面の笑みを浮かべてリコフォスは大きく頷いた。

「はい! 末永く、よろしくお願いしますシンク君!」

「こちらこそ、よろしくお願いします、リコフォス様」

 軽い足取りでシンクの横に並ぶと進む方へ真っ直ぐに向き直る。

 試練を越え自身に向き合って、つい先ほどまであんなに狭くて一筋だった未来は、信じられないほど果てしなく広がっている。明日が来るのが怖かった。叶うはずのない願いを心の端にしまって、歩むべき道は決まっている。そう思っていたから。

 けれど、今その横顔は未来にある希望へと思いを馳せる子供のように晴れやかだった。

 その顔を知っている。ふと浮かんだのは艶やかな黒髪の少女。

 

 ――元の世界は今どんな風になっているんだろう?

 “君”は、どうしているんだろう?

 心配ではあるけれど、……やるべき事ができた。

 この世界を救うとか、そんな大層な事をしようとは思えないけど、誰も傷つかずに戦争の幕を閉じる。

 俺にとっても初めての友達……彼女、リコフォス様のその願いを叶える。必ずやり遂げよう。

 きっと難しくて諦めたくなるときが来る。けれど俺はひとりじゃない。無力でも、ない。

 だから大丈夫。

 そのあとで、俺は胸を張って必ず君の下に帰るから。


 音雨(おとめ)――。


 脳裏に浮かんだ少女はにっと笑って、「ちゃんとやるんだよ」そう言った気がした。

「うん、しっかりやるよ。待ってて」

 シンクは口角を僅かに上げて小さく呟いた。


挿絵(By みてみん)

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