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【XIth Stigmartha / Τέλος αιωνιότητα】  作者: ささゆみさき
悠久と終わりの物語/序章:歩みのはじまり
4/8

III

序章 歩みのはじまり -Βίρτεμπεργκ-


"その歩みは永き連鎖を断つ白羽の軌跡の

その始まりと為り得るのだろうか?"


挿絵(By みてみん)


III/




 ――白の大神殿遺跡。別称ケテル大聖堂。


 その最奥には、かつて存在した高名な聖職者によって施された結界によって封印された部屋がある。


 硝子細工の照明とステンドグラスの天井。


 かつてこの世界をつくり出したといわれている女神フォティ・リィンを模った美しい女神像が安置されたその部屋は俗に“試練の間”と呼ばれている。


 結界は決して破ることができず、司祭が数人がかりで結界解除術を使用してもその威力を弱めることしかできない。


 そうして入ることができるのはその身に聖なる痣、聖痕(スティグマ)を持って生まれた者のみ。


 そしてこの部屋に踏み入ることができた神に選ばれし子は試練の間にて天使が齎した超大な魔力を秘めた結晶体、宝珠(セフィラ)を継承するため証を示さなくてはならないという。




「……すいません、なんだか聞いてもすぐには理解できないというか……」


「この世界……いや、言いすぎか。少なくとも大陸じゃ常識なんだが」




 ヴァーテクスは片膝を曲げて座り、通路の向こう側を見つめながら苦笑した。




「とりあえず今わかってもらいたいのは、その聖痕ってものを体に持ってないやつは結界に阻まれるってことくらいだな」


「阻まれるっていうと?」


「あそこを通ろうとした瞬間、さっきよりすげェ突風が来るってことさ」




 先程よりすごい突風……。屈強な男や騎士ですら支えあったり、全力で踏ん張らないと耐えられないようなあの風よりも威力の強い風。


想像しただけでぞっとする。


 間違いなく怪我は免れないだろう。否、怪我で済めば幸いかもしれない。




「だから、誰も一緒に行かないんですね」




 三人の司祭が次々に頷く。彼らは結界の調整をしているらしく、皆一様に壁の方を向いている。




「あくまで先入観でしかないけど」そう前置きして、ヴァーテクスは続ける。


「衛士や当日の警護を任される人間は特に試練についての知識を叩き込まれ、植え付けられる……。その恐怖感が先行して行きたくても、行けねェんだよ。情けないことにな」




 ヴァーテクスは顔を顰めた。それを見て、シンクは俯く。


 最初、華奢な女の子をなぜ命の危険があるとわかっている場所に一人で行かせるのか不思議だった。


だが、そういうことだったのだ。


 なんて酷い人たちだろうと思ってしまった。けれど、改めて見れば皆不安そうな表情をしていた。


 誰一人として試練に挑む彼女を心配していない者などいない。


それでも笑顔で声援を送ったのは彼女をこれ以上不安にさせないためだ。




「ま、お前も間違ってなかったさ」


「え?」




 心中を察したのかヴァーテクスはシンクの頭に手を置いて笑った。




「さっき。お前リコ姫にさ。“本当にいいのか、命がかかっているんだろう”って確認してたろ?」


「……あの……すいません」




 ヴァーテクスは首を振る。


「いや。すっきりした。誰もが思っていたことだ。だが、立場上誰も言えなかった。本当はここにいる誰もが止めたいと思ってンだろうよ。皆、リコ姫が好きだからな」




 シンクは俯いたまま、ふっと笑みを零した。




「だから、ありがとな」




 彼がそう感謝の意を伝えたとき、その持ち主の割には弱ったような声が静かに響く。




「……ヴァーテクス、賊との会話は……」




 ガルディアだった。


 彼女もまた片膝を立てて座っている。


その傍らにミストを寄りかからせ、反対側にアルクドが仰向けに横たわっている。


二人をあの突風の中支え続けていたのだ。さすがに疲れているらしかった。


 一般騎士に過ぎない二人もまたあの突風に耐え続け疲労困憊といったところだった。




「衛士長、さすがにもう賊じゃないってのはわかったでしょ」




 肩をすくめて言う。ガルディアはゆっくりと頭を振った。




「……賊ではないとしてもこの場所に立ち入った時点で重罪になる。わかっているだろう? それが事故であったとしても例外は認められない」


「もー……融通が利かないンだから」




 呆れ顔で溜め息を吐く。その彼の隣に先程まで突風から全員を守った魔術師が歩み寄り、力なく座り込む。




「コココ、お疲れさん」


「はりきっちゃった……えへへ」




 ヴァーテクスが汗で湿った髪を撫でてやるとコココはふにゃっと力の抜けた笑みを浮かべた。




「迅速な対応で助かった。さすがは魔術師長だ」




 衛士長も部下に労いの言葉を投げる。




「いえ、咄嗟に詠唱陣(アリア)を展開できず……負担をお掛けしました……」


「謙遜するな。お前以外の魔術師ではあのタイミングで魔法の発動すらできなかったろうさ」




 彼女の口ぶりからして、魔術師長と呼ばれる者の力があったからこそ被害を出さずに済んだのだろう。


彼女は名実共に優秀な魔術師のようだ。




「とはいえ、風を捌く程度で倒れるとは。お前のところの騎士は貧弱ではないか?」


「そんなことないッスよ。彼らは十分実力もあります。そうでなければ遺跡の警備の任には当たらせない」




 ヴァーテクスは二人の深く呼吸を繰り返す部下を見つめ、頭を掻いた。




「こいつら以外の人間に警備をさせていたら、恐らく大怪我をしていたでしょう。まあ最も今回は衛士長が体を支えてくれたからってのもあるんですが」




 ふん、と鼻を鳴らすと彼女は天井を仰いだ。綺麗に梳かれた髪がするりと額を滑る。


思わずヴァーテクスは笑みを零す。口では悪態をついていても寄り掛かかるミストをそうさせているのは他でもない衛士長なのだ。




「そういえば、話を聞く限りヴァーテクスさんは騎士、なんですよね?」




 ここに来るまでに色々と話を聞いていたが、そんな会話がいくつか登場していたのを思い出す。




「ああ。こんなんでも白薔薇の騎士団の団長をしてる」




 シンクはそれを聞いて驚きを隠せず顔に出す。と、すぐに「失礼しました」と謝った。


 騎士団長は口角を吊り上げた。




「騎士団長らしくないとは自分でも思ってるンだがな。で、なんでまた突然そんなことを?」


「……いや、その騎士ってあんまり聞かないので……」




 騎士の存在は世界の歴史的に見れば大昔からあった。


戦記や歴史の中にこそそれらは存在していたが、剣も鎧も日常的ではない。


その程度の認識しかない。


それこそファンタジーの世界に登場するくらいで、その名は今やあくまで階級や称号として残されている。


自身の知識量が単に少ないだけなのかもしれないが……。


 石造りのひんやりとした廊下に青白い光が明滅する。それを眺めてから、またヴァーテクスに視線を戻す。




「そういえばさっきから色んなものに驚いてたな。それもどれも常識的なことで……。けど、お前は記憶喪失だとか、そういうものじゃない、そう言った」


「……はい」




 ヴァーテクスは天井を一度仰いでから、シンクへ視線を改めて移す。




「……なァ、今まで答えてやった対価っつったらおかしいかもしれねェけど、今度は俺から訊かせてもらってもいいか? お前は、本当に何者なんだ?」




 少し考えて唸るとシンクは小さく頷いた。顔を上げ、ヴァーテクスの視線を受け止める。


 そして、静かに。




「俺は……恐らくこの世界の人間ではない、です」




 実に的を射た告白だった。


 これは夢だ。自分は当然この世界の人間ではない。


 自分の世界の常識ではありえない事ばかり起こっていて、何もかもが食い違っていて。自分は身に覚えのない場所にいる。


 そして、この世界には魔法が当たり前に存在している。


 理由は十分過ぎるほど揃っていた。




「なに?」




 それを聞いて最初に反応したのは意外にもガルディアだった。


 彼女の視線が突き刺さる。しかし、それは意外にも冷たいものではなかった。


 目を細め、顎を摘んでこちらの顔を見つめていたが、やがて立ち上がる。




「……嘘を吐いたところで罪が重くなるだけだぞ」


「嘘じゃないです。俺の知ってる世界に魔法はないし、騎士だって一般的な存在じゃない、俺の知ってる世界は……」




 そこまで言ったときだった。




「姫様!」




 グノスィ司祭がしゃがれた声を上げた。その声にいち早く反応したのは先と同じくガルディアだ。


 通路に駆け寄り、その先にある試練の間を見やり絶句した。


 そこにいたのはリコフォスと、三メートルはあろうかという巨大な鎧を模した石造。




「おいおい!? なんであんなところにゴーレムがいンだ!」




 同じく駆け寄ったヴァーテクスが声を上げる。


 柱のような腕を持つ石造は軽々とそれを振り回し、執拗にリコフォスを狙う。


リコフォスは足をバネのように弾き、真横に素早く移動してそれをかわしていく。


空を切った腕は地面を砕き、抉った。


瓦礫や破片が飛び散りリコフォスを襲ったが、彼女は素早く鎚矛と盾で打ち落とす。


 リコフォスは反撃の隙を伺いながらひたすら回避を続けているが、その動きも徐々に蓄積していく疲労により鈍くなり遅れていく。


 お互いに決定打は無い。


 ただ過ぎていく時間に伴ってリコフォスの動きは疲労によって衰え、目に見えて不利になっていった。




「あれ、ゴーレムじゃない……。神像、ガーゴイル……!」




 今度は騒ぎ出した一同に歩み寄ったコココが震える声を絞り出す番だった。像を目にするなり思わず呟いたその名に誰もが息を呑んだ。




「ガーゴイルだって!?」


「高度錬金生物だぞ……。なぜ聖域にそんなものが……」




 シンクにはさっぱりわからなかったが、約束を交わした相手がまさに危機に瀕していることはわかった。


 身をよじり立ち上がると通路に向かって走り出す。




「シンク、なにをするつもりだ!」


「……っ!」




 ヴァーテクスが咄嗟にその肩を掴み通路から引き剥がす。


 シンクの目に通路の向こう側で駆け回るリオフォスが映る。


 肩で息をしており時折咳込む、その顔は汗まみれだ。それでもその瞳からは闘志が消えていない。……否。


 それは本当に闘志の炎、なのだろうか?


どこか冷たいものを感じ取ってシンクは眉を寄せた。


 舞い上がった土埃が目に入ったのか片目は完全に閉じてしまっているが、彼女はそれでもなお助けを呼ぶことも叫ぶこともしない。


肉体の限界などとっくに来ているはずなのに気丈に戦い続けている。




 なぜそこまでして戦い続けるのか。試練とやらは自身の命と比べどれほどの価値がある?


 広い空間だった試練の間は無残に地面が砕かれ、ところどころ隆起している。動きが次第に制限され、巨体と彼女の間合いが狭くなっていく。


 不意に瓦礫に足を取られ彼女の体が小さく揺れた。


 とうとうバランスを崩し、片膝をつく。


 散らばった細かな石が次々に膝に突き刺さりリコフォスは苦痛に顔を歪めた。それでも悲鳴は決して上げない。


無理やり立ち上がり、跳んだ。朱色の雫が軌跡を描いていく。




「なんで……」




 縛られた手を強く握り締め、奥歯を噛む。




「シンク……」


「なんで止めないんですか! 助けにいかなきゃ、姫様が……! あなたたちならできるんじゃないんですか!?」




 シンクは傍らのグノスィたち司祭に向かって叫んだ。


 そうだ。この試練を請け負っている司祭なら、試練を中断する術くらい知っているはずだ。


 なのに見ているばかりで、声を上げるばかりで。




「なんでやめさせないんですか!」


「それは、さっきも言っただろ、証のない人間は……」


「けど方法くらいあるはずです! それにここを通ろうとだってしてないじゃないですか! やってみなきゃわからない、そんなもの助けにいかない理由にはならないでしょう!?」




 「証がなければ通ることは叶わない」そうは言っているが、ヴァーテクスの言うように所詮は『先入観』。実際はどうかわからない。


 シンクの言葉に皆言葉を失った。




「シンク……」


「いい、ヴァーテクス」




 ヴァーテクスが言葉を探してシンクを宥めようとしたとき、その横からガルディアが割って入った。




「小僧。もし仮に手を貸せたとして、それは試練の規則を破ることになる。それがどういう意味か、お前にわかるのか」




 苦しげな表情でシンクを睨み問う。


 その目を見つめ返すシンクもまた、苦しげに眉を顰め、奥歯を噛んだ。




 ――わかってる。


それが姫様の頑張りを否定することだって、ここにいる皆の気持ちを踏みにじることだって、わかってる。わかってるけど……!




 十二分に理解している。ヴァーテクスの言っていることも、司祭たちの態度の意味も。


だから納得して傍観しろ? そんなもの到底受け入れられなかった。


 それでいいのか?


 いくつかの提示された先入観とルール、前提。


恐らくそれらは事実で、先人が伝え、残してきた試練のすべてだ。


 だが、それを承知で、なお助けようと行動したものが誰一人としていない。


 安全である根拠のない行動を試すのはひどく無謀で危険だ。


 だとしても、大切な人なら危険を顧みず助けたいものではないのか?


 助けようと駆け出すものではないのか?




 ――いや、感情論だ。




 シンクは項垂れる。


 それを掲げてどうなる? そう、一般的な視点で自分を自分で制止する。


 それでもどうにかしたい、どうにかできるはずだと逸る気持ちと、無謀を諌める理性の葛藤。


 悲しいことにシンクの心は年相応で、微妙なバランスで保たれた成長過程にあった。


 そのせいで青臭い願いや理想、あるいはエゴが芽吹いてもそれを振りかざす前に、僅かに顔を出し始めた大人の自分がその常識で刈り取ってしまう。


 自分が自分の中で雁字搦めになっているのを感じ、奥歯を噛んだ。




「……っ」


「シンク、戻ろう」




 優しく諭すようにヴァーテクスが言う。肩を掴んだ手に力を込め、その体を引き戻そうとする。




「お前の気持ちはわかる。けど、これ以上は踏み込ンじゃいけない。危なくなるのはここにいる皆だ、わかるだろ?」




 どんなに憤ろうとどうにもならない事実がそこにあり、それは不測の事態への恐怖という高い壁になって――万人を阻む。


 元来他者を怒鳴ることも感情を荒げることなど無いシンクに、もう心中を吐き出す威勢も元気も残っていなかった。


 けれど、それはもどかしく胸が潰れそうで。吐き出さなければやるせなさで死んでしまいそうで。


 ガルディアが興味を失ったように試練の間の先へ視線を移した。




 不意に、脳裏に少女の影が浮かんだ。


 セミロングの黒髪、


優しげな色をした細い瞳。


彼女なら、自分がリコフォスと同じ状況にあったとき何と言うだろう?




 ――そうだ。きっと。




 脳裏に浮かんだ彼女はにっと口角を上げて笑った。



 “それが、何? 関係ないでしょ、そんなの。だってさ?”




 ヴァーテクスに掴まれていたシンクの体が不意に揺れる。




「規則とかルールとか――」




 掴んでいた手が強い力に剥がされ、ヴァーテクスは驚愕に目を剥いた。それはシンクのものなのか。


 否、そんなはずはない。それだけの力があったなら、あれほどまでに容易に拘束などできるわけがない。


 目の前の少年はその目の色を怒りに、あるいは憂いに染めてぽっかりと開いた通路のその先を睨みつけた。




「そんなこと言ったって死んじゃったら、なにもならないじゃないか……ッ!!」




 決して大きな声ではなかったけれど、勢いも何もないけれど、『彼女』と共に叫んだ。


 その瞬間。


均衡した心の感情論が理性を上回った。


 その叫びは通路を容易に突き抜け、その先にある試練の間全体を振るわせた。




「シンク、君……」




 リコフォスはその声に目を見開いた。その響きに心臓が跳ね、強く呼応する。


不思議と限界を超え、劣えるばかりであった体中に僅かに力が宿る。


 はっと顔を上げた。


 ガーゴイルと呼称された巨像が腕を振り上げ、勢いよく振り下ろされる。


 リコフォスは盾を構え、静かに目を閉じた。誰もが声を上げ、その光景から目を逸らす。


 だが、シンクだけは彼女から目を離さなかった。




 ――姫様……!




 その目には、光の糸が一斉にリコフォスに集まっていく光景が映っていた。そして聞き逃さなかった。


 彼女の唇から紡がれるその(うた)を。




「……光の子、……我に迫る災厄、脅威を祓いし聖なる盾と成れ……!」




 光の糸が幾重にも織り込まれ、リコフォスの背に光の翼を形成する。


 直後、大きく広げた翼は強く白い閃光を放つ――!




「【天燐の光翼(フテラセレスティア)】!」




 彼女が詠い上げた瞬間、煌く翼が彼女を包んだ。


 その翼はガーゴイルの腕を阻む巨大な盾となる。




 ――助かったのか?




 ガーゴイルの動きはそのまま制止しているように見える。




「……っ……ぅっ」




 しかし、翼の内から漏れたのは安堵の声ではなく、苦悶の呻きだった。


 そう、ガーゴイルは制止されてもなおその力を緩めていないのだ。柱を食い止めた翼は軋み、その音はこちらまで聞こえてくるようだった。


 光の魔力で形成された頑強な翼にゆっくりと皹が走っていく。


 その音を耳にしたとき、シンクの意思は完全に定まった。




「……っ」




 ザッという乾いた音がした。




「シン……!?」




 気付いたヴァーテクスが手を伸ばすが一瞬遅い。シンクの足が地面を蹴り通路に向かって突進する。


 イチかバチか、そんな思いすらシンクにはない。ただ、「このまま見捨てたくない」その感情だけが衝動となり理性を麻痺させた。


誰もが咄嗟に構える。




「あのバ……!!」




 すぐに後を追おうと走り出そうとした彼の足は、しかし、動くことはなかった。


否、動けなかったといった方が正しい。


 そのときにはすでにシンクの足は結界を超えていた。




「どうなって……」




 目の前の光景に呆然と立ち尽くす。覚悟した突風はない。


 シンクの体は何事も無く通路を抜けているのに、結界が作動していなかった。


 ヴァーテクスは呆けたまま思わず結界に触れてしまう。


 強烈な閃光と共に小爆発とも言える強烈な衝撃が襲った。


 弾き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられる。そこで我を取り戻す。


慌ててコココが駆け寄り、結界に触れたヴァーテクスの指先を診る。腕鎧が焦げ付いていた。だが幸運にも大事は無さそうだった。


 思っていたよりも結界の作動範囲や威力は狭く小さいものだったが、その機能は確かに生きている。


 ヴァーテクスは片手を挙げて無事を振り返った全員に示して、シンクの姿が消えていく通路を見つめた。


 その中でひとり、眉を顰め何かを確かめるようにガルディアが顎を撫でていた。




「……衛士長?」


「今のは……なんだ?」




 ガルディアは試練の間へと続く廊下を走り抜けていく後ろ姿を睨みつけ、呟いた。







 ――結界が作動しない?


 


 理性を取り戻したシンクははっとして、結界のある通路の出入り口を振り返った。


 自身の行動を省みると今更どきどきと鼓動を打った。


 見ればガルディアが、何故か尻餅をついているヴァーテクスが、コココが、そこにいる全員が自分へ注視して、目を見張っていた。


 罪悪感に襲われてやるせない気分になったが頭を振って断ち切り、行くべき先へ踵を返す。


 結界の存在は本当にただの伝承でしかなかったのだろうか?


 否、結界の力を弱める際、確かにあれだけの光と突風が襲ってきたのだから結界自体は確かに存在したのだろう。


 だとしたら何故? 本当は証を持っていなくても通ることができた……?


 考えたところで魔法を知らない人間の憶測など通用するはずもない。……なら、足を動かそう。


 思案を断ち、助けたい人の下へと急ぐ。


 蒼い燐光がふわふわと漂う通路を風を纏って駆ける。


 踵が地面に刺さる度に響く足音と、身を揺らす度に縄で縛られて痛む肩。それらをどこか煩わしく思いながら、短く息を吐き前へ、前へ走る。




「……()っつッ!?」




 不意に右腕に熱を感じて立ち止まる。と、突然肩の痛みが和らぎ、手首が軽くなった。




「……縄が……!?」




 あんなに固く縛られていた腕は自由になっており、少し後ろにいつの間にか焼き切れた縄が転がっている。




 ――それになんだろう、この腕輪……。


 


 右腕に見覚えの無いものがあった。


 十個の窪みがあるメダルが鎖で繋がれたブレスレットだ。その腕輪から仄かに熱を感じ、それが先程感じた熱の主であることに気付く。


 左手の指先で触れると波動のようなものが一定のリズムで伝わってきた。


それは鼓動のようにも思える。




 ――なんだか生きているみたいだ……。


 


 気になるが、今はそんなことを考えている場合ではない。




 ――姫様……!




 また、地面を蹴る。弾き跳んだ爪先が砂埃を巻き上げる。


 助ける方法なんて考えていなかった。


ガルディアたちの元へ帰る保障だってない。その自信も、正直ない。


 それにこれは夢ではなかったか?


 なのに……なぜこんなに必死になっている?


 その答えは自分でもわからない。それでも走らずにはいられなかった。


 どうすればいいかなんてその場に行けば自ずとわかるはずだ。


 そんな根拠のない自信が、あるいは虚勢がシンクの背中を押し足を動かせた。







 通路をひたすら突き進んでいくと不意に視野が広まる。


 瓦礫と、抉られ隆起した地面、荒らされた試練の間が眼前に広がった。


 その向こうにガーゴイルの攻撃に耐えるリコフォスの翼が見える。


 咄嗟に近くに転がっていた小さな瓦礫をひとつ掴み上げ、障害物の間を縫いながら走った。ガーゴイルの巨体が鮮明に見える。


 瞬間、シンクはその頭部目掛けて瓦礫を投げつけた。


 瓦礫は一瞬ヒュンッという乾いた音を鳴らし、勢いよく飛び、真っ直ぐにガーゴイルの後頭部を撃つ――!




「当たった……!」




 巨体が揺れ、こちら側にバランスを崩す。シンクはその光景を目にして一瞬呆気に取られた。


 注意を逸らすつもりで投げた瓦礫がそもそもガーゴイルまで届くとは思っていなかったし、それによって巨躯を倒すことも想定には無かったからだ。


 とりあえず幸運だったと合点して足を速めた。


 ガーゴイルは体勢を立て直そうと瞬時に両腕を大きく回転させ、背後に突き立てる。


 攻撃を加えていた腕はリコフォスの翼から離れ、巨体を支えるために立てられたその腕ではすぐに追撃はできないだろう。




「姫様!」




 その隙にシンクはリコフォスに駆け寄る。


 声をかけると翼が解けた。小さな羽となり木の葉のように舞い落ちる。地面に触れた羽は音も無く光の粒子となって虚空に消えていった。


 リコフォスは自分を心配そうに見つめている少年の顔を見上げて最初驚いたように目をまん丸にして、やがて頰を緩め、すぐにはっと口許を押さえる。


彼女の顔は埃まみれでひどく汚れている。


 シンクはリコフォスに手を差し伸べた。


彼女は慌てて右手を払うと武器を虚空へ仕舞い、手を握り返す。


 シンクはそれを引き上げ、ゆっくりと立たせた。




「……シンク、君……どう、して? 結界は?」


「話はあとです。いきましょう。走れますか?」




 リコフォスは頷く。が、先程の怪我で膝が痛むらしく、一歩踏み出すと同時にシンクの胸に倒れ込んでしまう。




「駄目そう……ですね」




 その肩を抱いて体を支え呟くと、リコフォスは睫毛を伏せた。




「ごめんなさい」


「いや……」




 呟いてからふと思い至る。シンクは彼女の全身を見つめた。




「シンク君……?」




 軽量化しているのだろうが胸元の革鎧の他にも視線を落とすと、腹部を亜銀の板金が覆っている。腰周りに広がるフォールドにも同様に板金が施されていた。




 ――持ち上げられるか?




 明らかに走れない彼女を無理に走らせるのは忍びない――そもそも走れる状態だとも思えない。そうなれば思いつく“できること”は限られる。


 一か八か。シンクのお世辞にも逞しいとはいえない細腕がリコフォスの太腿と背中に回る。




「……っと」


「きゃっ!?」




 リコフォスが小さく悲鳴を上げた。


 ふわりとその体が宙に浮き、次の瞬間には抱き上げられていた。




 ――あれ? 軽い……。部分的とはいえ鎧を着けているのに。




 予想外に軽い彼女に驚愕するが、それも一瞬。


 持ち上がったのだ。これで移動できる。細かいことは気にしないでおこう。




「あの、シンク君、これからどうするのです?」




 シンクは頷くと今来た通路の方を振り向く。


距離は八百メートルといったところか。遠いというほどの距離ではないが決して近くもない。


「運がよければ逃げましょう。ここから離れないと……」


 全力で走って、本当に運がよければ辿り着く距離。万が一うまくいかなくても自分が囮になって殿(しんがり)になれば……。


 そこまで考えを巡らせたところでふと窮屈さを感じた。


 リコフォスの指がシャツに絡まり、皺になっていた。見れば眉を顰めてこちらをじっと見つめている。




「姫様……?」


「……それは駄目です!」




 きゅっとシャツを掴む手に力が込められる。




「気持ちはわかります。けどこのまま戦っても……」




 リコフォスの消耗は激しく、自身にも戦う能力なんてない。


 立ち向かうことは先ほどの結界を越えたとき以上に無謀だ。


 彼女の『意志』が固く確かなものであっても、ここまで来てみすみす死にに行かせるようなことはしたくなかった。




「この試練を放棄するわけにはいかないんです!」




 リコフォスの叫びにシンクはこんなに大きな声が出るのかと驚いたが構わず走り出す。


彼女の爪がシャツ越しに肌に食い込む。しかし、痛みは僅かだった。力が入っていないのだ。


 風を受けて流れる汗が飛散する。




「降ろしてください! この試練のために私はここまで!」




 ガルディアが似たようなことを言っていたことを思い出す。


 ここまで来るのにきっと多大な苦労があったのだろう。気持ちはその必死さから痛いほど伝わってくる。


 けれど速度を緩めない。


 時間の経過と共に腕の中のリコフォスの体から力が抜けていくのを感じているからだ。


 力なくシンクの胸にもたれかかり、動く気力など残されていないはずなのに。彼女はなおも叫び続けた。




「私は、戦えます!」




 けれどその声音は弱々しい。


 戦えるだなんて、そんなはずはない。


それは誰よりも自分がわかっているはずだ。だから、シンクは眉を顰めた。


 今、自分がやっていることは我侭だ。彼女を助けたい。その思いだけで走り続けている。


 しかし、それは同時に彼女の想いを踏みにじることと同義だ。


 リコフォスの頭が胸に強く押し付けられる。温かな胸の中、搾り出すように彼女は吐き出した。




「この試練を越えられなかったら……、私の命なんて、もう、ある意味が――」




 ――……。




 ぴたりとシンクの足が止まった。


ゆっくりと。憂うような瞳が、腕の中の少女を映す。




「姫様……」




 少女の肩は震えていた。




「今の、本気で言ったんですか?」




 その問いに彼女の顔が上がり、シンクを見つめ返す。そして、強く頷く。




「……はい。これは私が選んだことです。誰に強制されたわけでもなく、自分自身の『意志』でこの試練に挑むと決めて……そのために生きてきたんです。ですから、この気持ちに偽りはありません」




 その目に灯る『意志』の炎は確かに強く燃えていた。


 その炎にシンクの目から憂いの色が焼き払われる。だが、シンクはその炎の中心にあるものに小さな不安と疑問を抱いてしまった。


 それが何なのかはわからなかったが。




「……私はこの試練を越えて成し遂げたいことがあるんです! それは命を賭けて挑まなくてはならくて……。その価値が確かにあるんです」




リコフォスの手がシャツから離れ、左手がマントに触れる。


 右手が淡く輝く。この動きは……そうだ。この試練に挑む前、彼女がしていた動作。


 彼女は武器を取り出すつもりなのだ。




「……シンク君、降ろしてください」




 真っ向からその視線にありったけの『意志』を乗せ、シンクに懇願した。




「……」




 目も当てられないほどボロボロに消耗して、震えて、それでもなおその顔は気魄を失っていない。


 瓦礫や破片で切り傷を作った膝から血を滴らせ、体中埃まみれで、息だって整っていない。


 なのに……。彼女は、戦いたいと。


 そして、その先で成し遂げなければならないことがあると。


 そう訴えた。


 この不利な状況で。こんなに絶望的な試練でさえ乗り越えられなければ、その命に意味すらないと。


 再びシンクの足が地面を蹴る。




「シン……!」




 リコフォスは今にも泣き出しそうな声で彼を制止しようとして、……やめた。


彼が向かった方向は出口とは違う、向かって東側。比較的損傷が少ない開けた空間がそこに残っていた。


 ガーゴイルがゆっくりと追撃を再開する。




「シンク君……?」




 目的地は出口に向かうより遥かに近い場所。障害に阻まれることも無くガーゴイルと十分な間合いを取って辿り着く。




「姫様」


「は、はい!」




 ゆっくりと膝をつき、彼女の足が勢いよく地面に着かないよう気を配って降ろす。


シンクはこちらに向かってくるガーゴイルへくるりと向き直った。




「俺も戦います」




 気がつけばそんなことを言っていた。




「え?」




 彼の言葉に彼女は目を丸くして、その横顔を見上げる。




「で、でも……!」


「戦わせてください!」


 自分がなにを言っているかはわかっている。役に立つ見込みだって毛頭ない。――実はロクに体を動かしたこともない。


 そんな自分がどこまでできるか正直わからない。


 けれど。


 それでも女の子が目の前で無茶をして傷つくのは耐えられなかった。


――この子がこれ以上傷つくくらいなら。


 シンクは拳を握り締めた。




「いいんです。シンク君は逃げてください。これは私の試練です。私が自分の力で終わらせないと……だから」




 しかし、リコフォスも頑なだった。


 シンクは言葉が終わる前に彼女の手を取った。




「ルールが気になるなら出直してもう一度やればいい!」




 気付けば怒鳴っていた。座り込む彼女の肩が小さく震える。


 それは怒鳴り声に対する恐怖によるものではなかった。


 リコフォスの瞳がシンクを映して揺れる。


 『意思』を感じてしまった。


自身の『意志』に負けない『意思』。


強く握られた手から止めどなく流れてくる、自分を「助けたい」というシンクの純粋な気持ち。


 方法も理屈も存在しない、唯それだけの『意思』。


 シンクは彼女に肩を貸し気遣いながら立たせた。ふらつきながらも立ち上がり、リコフォスは激しく首を振った。




「……そういうわけには!」




 搾り出すように出したのはそんな言葉。


 リコフォスは動揺していた。




 ――今、私……?




覚悟が、揺らぎかけた。


 生まれてからこの日まで、この試練の日のために胸に刻んだ『意志』とそこから生まれた強い覚悟。


それは何より縋ることのできるものなのに。たった一人の少年に挫かれそうになった。


 未熟だったのか? 予想外の事に動悸が激しくなる。


 ……覚悟。そもそも覚悟とは、なんだったか?


 混乱する。




「ルール、だから?」




 ふとシンクが屈んだ。


漆黒の瞳が覗き込んでくる。その視線がリコフォスの視線に絡む。


 今まで何度もこんな風に誰かが手を貸してくれようとした。


 けれど、その手を「自分ひとりでやらなければならないことだから」と拒み続けてきた。


それは教えられてきた「ルール」であり、自分にとっての当たり前だったからだ。


 試練を受けている今この瞬間だって、その思い、認識は変わらない。そのはずなのに。




「そう、です……ルー、ル……」




 どんな言葉を紡いでも彼を拒めない。


そう、直感した。


 必死で彼を拒む言葉を探す。


 ひとりでやらなければならない。そのために強くなろうと今日まで生きてきたのだから。


 彼を赦せばそれは自身の今までを否定することになる。


 けれど、見つからない。


 なぜか、ひとつも見つからないのだ。その言葉が。




「姫様、俺は姫様を助けたいんです」


「そういうわけには、いきません! 私、は……死んでも、ひとり、で……」




 声が震える。


言葉が風前の砂のように攫われていく。


 自らの口から出た「死んでも」という言葉から言い知れのない恐怖が冷や汗となってじわりと体中に伝染していく。


 平静を保つために胸の奥から取り出して縋った「決意」や「覚悟」と謳った御旗は、瓦解寸前だった。




「姫様、約束」




 彼はたった一言彼女にかけた。


それは強く胸を穿った。


 たった二文字の言葉。




「!」




 リコフォスは目を見開き、息を呑んだ。


 トドメだった。


自身を縛りつけていた偽りの覚悟や『意志』と名付けた「強迫観念」が解けていく。


そう。それは強迫観念で合っている。


生きている限り誰しも死んでまで成し遂げたいものなど、本当にはない。


生きている人間、生きて何かをやり遂げようとする者なら尚更そうでなくてはおかしい。


だってほら。


生者が何かを為そうとするとき、その前提には必ず自身が生きて何かしら獲得する前提があるのだから。


だからやり遂げられないなら死んでも構わない、なんてそんな覚悟は嘘なのだ。




「約束、したじゃないですか。生きて帰ってきて友達になろうって。姫様から破るつもりですか?」


「……あ、ぁ……わた、私、は……」




 続けられる言葉の暖かさにリコフォスは思わず両手で顔を覆った。


目頭が熱くなる。




「命を懸けてやらなきゃいけないことなら尚更生きてやり遂げることに執着してください。……ね? リコフォス様。生きて、ください」




 静かに、諭すように。




 ――生きて。




 その言葉にリコフォスははっとした。


 試練に挑む前にもシンクがかけてくれた言葉。


 ああ、そうだったのだ。


生まれたときには運命が定まっていた。だからいつしか意識することも無くなっていた。


 両親、民、国から期待されて、答えることが義務だ。


その考え方は知らずに逃げ場を閉ざす。


気付いた時には逃げられなかった。


いや、そもそも自分自身で枷をつくり、逃げようとすることさえ許さなかった。


 逃げられないから、せめて傷つかないように強くなろうとした。


ガルディアに頼み込んで来る日も来る日も訓練を続けた。




 すべてはこの試練のため。


期待に応えるため。


だから試練を乗り越えられなければ嘘だ。


 乗り越えられなかったときは、運命に相応しくなかった。それだけのこと。


 それなら――運命の流れに身を任せて死んだ方がましだ。




 いつからだろう。


洗脳されたようにそう思い続けて生きていた。仕方ないと自分に言い聞かせ続けた。


 『そうあることが当然である』と、そうどこか思考停止して、自分の『意思』はそこにありもしないのに諦めて、『意志』と名前を付けて納得したつもりになっていた。


 それが「強迫観念」の正体。


『意志』の中心にあったシンクが感じた疑問と不安だった。


 『意志』は人が生きる指針だ。


そこに定めた目標に向かうことで人は自分を見失わずに済む。




 ――だが。『意“志”』は決して自分の中からのみ生まれるわけではない。


育ちの中で他者の評価や自意識で巣食わせ、本心とは関係なく知らずに育ててしまうことがある。


 それを正しく認識していれば問題はない。


けれど生きている人間のほとんどは認識することすら放棄してしまっている。


 その方が迷わないし、余計な苦しみを味わうこともない。


端的に言えば楽だからだ。


 リコフォスも同じだった。


自らの願いや本心――即ち『意“思”』――と『意志』をそもそも履き違えてしまっていた。


 限界まで傷ついて、手を差し伸べられて、偽物の自分に向き合って、やっと醒めてしまった本心を掬い出すことができた。


 痛くて、死の恐怖に直面してもなお、助けを求められない状況。その中で、やっと――。


 それほどまでに「気付く」ことは難しい。


ただ、気づいてしまえばあとは左右を逆に履いてしまった靴を履き直すような、簡単で些細なことだ。


 今だってほら。


シンクという一人の少年の言葉に、触れた手の温かさに。


眼を瞑っていた弱さ、本当の『意思(おもい)』が溢れ出てくる。




「……ぁ、……うぁ……」




 リコフォスの瞳がシンクを映して揺れる。


 丁度幼い子供が悪い夢から醒めて、親の顔を見上げたときのそれに似ていた。そう。




 いつだって、リコフォスは助けを求めていた。




 けれど、それは甘えているだけだと嫌悪すらしてしまった。


 でも、そうじゃない。


 誰かに助けを求めることは決して恥ずべきことではないのだ。




「シンク君……、私……」


「うん」




 求めていた助け、それに応えてくれる存在がすぐそこにいる。


 だから。小さな音にかき消されしまいそうなほどの声で、彼女はずっと誰かに言いたかった思いを伝える。




「……私、本当は怖、いんです。助けて、ほし……い。痛いっ、のも、死んじゃうの、も……嫌……!」




 ぽつり、ぽつりと。固い殻に閉じ込めた本来の弱い自分をそっと放していく。




 ――そうだ。私は……生きたいんだ。




「シンク君……」


「さ、生きて帰ろう、姫様」




 シンクはそれ以上の言葉は聞かずに、ただ頷いてにっと笑った。


その笑顔を見た途端、込み上げてくるものを感じてリコフォスは慌てて目尻を拭った。




「シンク君」


「ん?」




 リコフォスはシンクの肩に触れ、それから頷いた。




「……ありがとう」


「ううん」




 肩を掴む手に触れ、リコフォスの顔を改めて見る。


彼女は、今度は応えるように強く頷く。二人は隣り合わせに立ち、地響きを鳴らし向かってくる巨像へ向き直った。


 リコフォスは空間に手を突き入れると光を纏わせつつ引き出す。

手の光が霧散すると右手に盾を、左手には鎚矛。


 シンクも不恰好ながらファイティングポーズを取った。


 巨像はゆっくりと、確かに距離を詰めてくる。




「……来た」


「……はい」


「姫様、もう怖くない?」




 言うと、リコフォスは一瞬シンクの横顔を見て。




「怖いです……怖いですよ」




 「けれど……」と彼女は続ける。




「シンク君がいるから、独りのときよりもずっと平気です」




 そう言って、柔らかく微笑んだ。




「そっか……。うん、よし!」




 視線はガーゴイルに向けたままでシンクは微笑んだ。


 小さな声、でもそれは本心だ。


それが嬉しかった。リコフォスも同じだ。初めて本心を言えたことが嬉しかった。


 確かめるように、そっと鎚矛を持った左手の甲を伸ばすと小さくシンクの右手の甲がぶつかった。




 ――私はひとりじゃない。もう、怖くない。




 リコフォスの瞳が闘志を湛えた。


それは、今度こそ圧倒的な『意思』を宿した、生きたいと願う強い『意志』の炎。


 先程まで視えなくなっていたリコフォスに(すだ)く、光の糸が光を増してシンクの目に映り、瞬く間にその密度を濃くしていく。




 刹那。




 ドクン……と。


 シンクの腕輪が脈動する。


直後、腕輪から津波のような波動が放たれ、シンクとリコフォスの体の芯を突き抜ける。




「うっく……!」




 ィィィィィィ――ンッ!




 耳鳴りのような音。


 次いで気を失うほどの強烈な閃光が二人に襲い掛かった。




「……―――ッ!?」


「シンク君ッ!」




 衝撃と光、体に起こった異常にリコフォスの膝が崩れる。


 その寸前に、彼女はシンクがいるはずの場所へ手を伸ばした。

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