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【XIth Stigmartha / Τέλος αιωνιότητα】  作者: ささゆみさき
悠久と終わりの物語/序章:歩みのはじまり
3/8

II

序章 歩みのはじまり -Βίρτεμπεργκ-


"その歩みは永き連鎖を断つ白羽の軌跡の

その始まりと為り得るのだろうか?"


挿絵(By みてみん)


II /




 カツン、コツンと乾いた足音が大広間のような空間の高い天井に反響し、周囲に吸い込まれるようにして広がっていく。


先程より幾分明るくなった景色を眺めながら、シンクは思考を巡らしていた。


 この夢のことだ。




 騎士や魔術が存在する世界。


 持っていた武器がなにもない空間に消え、あるいは唐突に現れる未知の技術。


進めば進むほどに見たことのない神殿遺跡。


 夢は人間の経験を整理し、記憶に定着させるための脳の作業の副産物……そんな話を聞いたことがある。


実際その日見たものや聞いたものが夢に出ることは多々ある。それが無意識であっても例外ではない。


あるいはその人間の深層心理が反映されることもあるらしい、とも聞いたことがある。


 架空の物語は好きだし、ファンタジー小説だっていくつか読んでいる。故にそんな夢を見るのも不思議ではない。と、思う。


 だとしてもだ。


ここまで見たことのないものが――信じられないほどに現実味を帯びて形となり――現れるものなのだろうか?


 否、なんにせよ、ここまで非現実的な状況だ。どう考えても夢で間違いない……はずだった。


 自室のベッドで起きていないことがなによりの証拠だ。


 部屋の外に出ることなどほとんどなかったし、どんなに思い出しても最後に眠った場所は――本当に記憶が正しければ――紛れも無く自室のベッドの上だ。


そこまでわかっているはずなのに、なぜだかこれを現実のもののように感じる自分がいる。


 時折空気穴や隙間から迷い込む風の冷たさだとか、すれ違う篝火から感じる暖かさだとか、地面に投げ出されたときに感じた痛みだとか、今まさに触れている青年から伝わってくる生物特有の温もりだとか……。


 それらをあまりにも生々しく鮮明に感じすぎている。本当にその世界に自分が生きているような不思議な感覚。




 ――いや、そんなはずはないよね。やめよう。




 シンクはかぶりを振る。


「お待たせいたしました」


 ふと重い空気をひとりの声が割った。


 声の主へ視線を向ける。ガルディアだ。その視線の先には小さな人影がある。




「ガルディア! ヴァーテクスにコココも。遅かったですね?」




 人影が静かに答える。




「申し訳ありません」




 ガルディア、コココは敬礼をし、ヴァーテクスは頭を下げた。


 がくんと高度が下がってシンクは声を上げそうになったが寸でのところで飲み込んだ。




「いえ、ふふ。『待ち合わせの場所でお友達を待つ』だなんて普通の女の子がするようで、何故だか楽しかったですよ」




 灯りに照らされ、現れた人影は同い歳くらいの少女だった。


 身長はシンクより一回りほど小さいがコココほどではない。


華奢な体に柔らかな印象を受ける薄桃色のスカートに桃色のコルセット。


その上に人の急所である胸部を包み込む鞣革の胸鎧が着けられている。白い革鎧は篝火の赤い光を跳ね返して淡く光っている。


 毛先に桜色のグラデーションがかかった白髪と、その両側を三つ編みにして後頭部に回してポニーテールにした、少し手の込んでいそうな髪型が印象的だ。


 顔立ちは上品でありながら大人びてはいない。美人というよりは可愛い。全体的に清楚な印象を受ける美少女だった。


 ガルディアは少女に敬礼すると、腰を曲げ、頭を下げた。




「お怒りでおられますか?」




 ふわりと左右に髪を揺らすと、柔らかい小鳥のような声で少女は答える。




「まさか。来てくれることがわかっていましたから。信じていると不思議と待っているのも嫌ではないものなのですね」




 穏やかに微笑んで体を傾けてみせる。ガルディアもそれに釣られ微笑み返すが、すぐに睫毛を伏せてしまう。




「そうですか……。それでも申し訳ありません」




 少女は腰を降り頭を下げる従者に少し困った顔をして、やがて自然に視線を外した。


すぐに今度は見慣れない少年と目が合う。


ボサボサの、といっても決して不潔さを感じない、彼の整った顔立ちによく 似合った黒髪。その瞳は髪と同じく漆黒。


 彼を見つめていると深い闇を覗いているようだったが、それは心が休まる夜の闇に似ていると思った。


 何故か彼を見ていると不思議な気持ちになる。何より、少女の目に映る彼は――。




「そちらの方は?」




 少女が誰にともなく尋ねる。




「賊です」




 ガルディアが即答した。本人が名乗る暇もない。




「あら、そうなのですか?」




 少女は両手の指を揃えて口許を押さえる。彼女のまんまるに開いた目がシンクを映した。




「違いますっ!」




 シンクは悲鳴のような声を上げた。




「違うそうですよ?」


「賊は皆同じことを言うのです。信じてはなりません」




 それを聞いてシンクは小さく溜息を吐き項垂れる。ヴァーテクスがその背中を慰めるように軽く叩いた。




「そういうものなのです?」


「はい。それに遅刻の原因です」


「あら……そうなのですか?」




 少女が小首を傾げて、今度はシンクに問う。シンクは突然質問を投げかけられ困惑したが、




「……その、遅刻の原因には、なったと思います」




 歯切れは悪かったが正直に答える。自分に時間を割かせてしまったのは事実だった。


よくよく思い返せば黙って移動している間中、ガルディアはあの円形の物体をしきりに気にしていた。


あれは恐らく時計のようなものなのだろう。


見る限り自他共に厳しい性格のようだ。それを考えれば待ち合わせに遅れるなど以ての外だろう。


 苛立っていたことも頷ける。


 居心地が悪くなりなんとなくコココを見ると、胸中を察したのか申し訳なさそうにこちらを見つめていた。


 二人を交互に見て少女は目を伏せると、首を振った。




「あまりお気になさらないでください。私は平気ですから」


「すいません……」




 そうは言われても返す言葉は謝罪だった。


少女は微笑を浮かべ、それから一呼吸置いて、




「改めまして……貴方のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」


「えと……」




 シンクは逡巡してガルディアを見る。


彼女はこちらを見つめているが、その視線は冷たいものではなかった。


 少女が望んでいることなら。そんな気持ちが伝わってくる。シンクは確かめるように頷くと名乗った。




真句(シンク)です」


「シン……ク?」




 少女は小さな声で彼の名をなぞる。その声にもう一度頷いて続けた。




域峯(イキネ) 真句。えと、よろしく」




 改めて言って。


 手を差し出そうにも縛られているからそうもいかない。できるだけ失礼のないように小さく笑顔をつくった。




「とても素敵なお名前ですね」


「うん。……俺もそう思う」




 シンクが言うと、少女は柔らかく微笑み返した。それだけだが、シンクにはそれがひどく嬉しかった。


少女はそっと自らの胸元に指を揃えて当て、静かに口を開く。




「私はリコフォス、といいます。リコフォス・アリスィア・ステマ」




 少女、リコフォスはシンクの隣に歩み寄るとそっと縛られた手に触れる。握手の代わりなのだろう。温かさが細い指先から伝わってくる。リコフォスは言葉を繋げる。




「第三十三代ステマ皇国皇帝の第三皇女です」


「皇女……?」




 少女の言葉を反芻して、シンクは慌てて頭を下げる。




「お姫様!? あ、えっと、粗相をお許しください!?」




 何が粗相、なのかは自分でもわからないがシンクは驚きの余りそんなことを叫んでいた。リコフォスもそれには驚いたようで、触れていた手を胸元に引っ込めてしまう。


 その一瞬後、




「姫様!?」




 ガルディアが慌ててリコフォスとシンクの間に割って入った。そして、きっとシンクを睨む。




「なにをお考えになっておられるのですか。相手は得体の知れぬ者。身分を明かすことがどれだけ危険なことか……!」


「ガルディア」




 リコフォスの声にガルディアは口を噤む。


 彼女の優しげな蒼い瞳がじっと見つめていた。




「本当に彼は賊と呼べるものなのですか? 得体の知れないのならば、なぜ確認する前に縄をかけてしまっているのです?」


「それは、姫様に危害の及ばぬようにと……」




 ガルディアが言い淀むとリコフォスはシンクを改めて見つめる。




「シンク君。私からもう一度お尋ねしてもよろしいですか?」


「あ、ああ」


「貴方は、本当に賊、なのですか?」




 その目は疑うようなものではなく、言うなれば自分の想像している言葉を信じて待っているようなそんな色をしていた。


 だから、だろうか。シンクは迷いなく、頭を左右に振った。




「俺は盗賊なんかじゃないです。嘘に聞こえるかもしれないけれど、本当にここに来た方法だってわからなくて。起きたらここにいた……」




 それ以上の言葉が出ない。


その全てがありのまま、繕う必要もない。


だからこれ以上の言葉を見つける必要がなく、見つけることだってできるわけがなかった。


 リコフォスはガルディアの顔を改めて見つめる。




「ガルディア。シンク君は賊じゃないと思います」


「何故……そう思われるのですか?」


「それは……」




 訝しむガルディアにリコフォスが小さく口を開き答えようとしたそのときだった。




「リコフォス様、ガルディア隊長! 衛士隊のみなさんもこちらでしたか」




 遠くから白いマントを纏った青年が金擦れの音を響かせながらこちらに向かって駆けてくる。


髪は短く切りそろえられ、その表情は常に険しい。


最初、シンクに向けられたものだと思っていたがそうではないことに気付く。


彼の眉間には深い皺が刻まれているのだ。歳も然程重ねているようには見えない。


……苦労が絶えないのだろうか。


その後ろからとことこと人影が追いついた。


美しい銀の髪の少女だ。掻き分けて赤い突起物が伸びている。驚くことにそれは角だった。


目蓋を開閉していると少女は小首を傾げて自らの角を不思議そうに撫でるので、シンクは慌てて首を横に振った。




「お、アルクドじゃねェか。それにミストの嬢ちゃんも。今日は二人が警護か?」




 ヴァーテクスが二人に歩み寄る。と、青年が人差し指をヴァーテクスの鼻先に突きつけた。




「アルクドじゃねェか、じゃありませんよ団長。試練の時間はとっくに過ぎているんですよ! 司祭たちが準備を終え試練の始まりを待っているというのに!」




 怒鳴りつけられてヴァーテクスは苦笑すると思い出したように、シンクを指差して言った。




「スマン! こいつのせいで遅れた」


「ええええ、今更!?」




 ――その通りだけど、最低だ!


 売った! 今までのは一体なんだったんだ!




 途端に目頭が熱くなった。


なるほど。これが裏切られるという気持ちか。


その気持ちに覚えがある。大切にしていた本を友人に貸して失踪――いわゆる借りパク――されたときのものにどこか似ていた。




「……大人って汚い!」


「俺の中では褒め言葉さ」




 ふふ、とヴァーテクスは鼻を鳴らした。アルクドと呼ばれた青年は呆れ顔で溜め息を吐く。その後ろにいる少女、ミストは指示待ちなのかなにも言わずその場に立っている。




「うちのヴァーテクスがご迷惑をお掛けして……」




 コココが頭を下げるとアルクドは「とんでもない」と頭を振った。




「いえいえコココさんのせいじゃないですよ。うちのぐうたら団長がすいません」


「おい、今上司をぐうたらって……」




 ご丁寧に指まで指されて酷い謂れ様である。言われた本人は思わず顔を顰める。




「さ、リコフォス様、みなさん。こちらです。ミスト」


「……はっ!」




 アルクドはそんなヴァーテクスには目もくれず傍らのミストに声をかけ移動を開始する。


それから足早に広間の中央にある石造りの螺旋階段へ案内した。




「無視か……」




 ヴァーテクスはどこか複雑そうに部下たちの背中を見つめていた。シンクは少し気の毒になったが、先ほどのことを思い出して特にフォローはしないことにした。







 螺旋階段を上がるとすぐ通路が現れた。最初に通ってきた廊下の跡地のようなもので広々としている。


 アルクドとミストを先頭にしてガルディア、リコフォス、ヴァーテクスとその肩にシンク、コココと続き一向は目的地へ向かって通路を進む。


二階の通路もやはり最初に通ってきたような廊下と同じく、大広間に比べて灯りが淡い。視界が悪いわけではないが、薄暗い。各自で足元に注意しながら先を急いだ。


「あの、ヴァーテクスさん、これからなにかあるんですか?」


 小声で尋ねると彼は首を振った。




「ああ、まあ。国家機密だから言えないンだけどよ」




 見ればガルディアの冷たい視線がこちらに向けられている。シンクは「気にしないで」と首を小さく振った。




「ガルディア、よいではありませんか」




 リコフォスがガルディアの顔を覗きこむようにして言う。




「なりません。いくら姫様のお許しがあったとしても」




 頑なに断る彼女にリコフォスも口を閉じた。どうやら本当に無闇に口外して良いことではないらしい。




「……大切なこと、なんですね」


「ああ。そうだな。確かに世界的にも大切なもの、だ」




 そう答える彼の声色は真剣そのものだった。


「そう、大切なことなんです。そこのバッカテクスがうっかり口走りそうになったけどね」




 そう言われるとヴァーテクスの真剣さに真剣さを感じなくなった。


シンクが苦笑するとヴァーテクスはコココの頭を鷲掴む。




「誰がバッカテクスだ!」


「ヴァーテクスのことに決まってるでしょう!?」


「なんだとチビウサギ!」


「なんですか、デッカテクス!」




 至近距離で睨みあう二人――……コココは童顔のせいで迫力はないが。と、二人の顔の間に刃が煌く。


咄嗟に身を離した二人が、刃を間に突き入れた主へ機械的な動きで視線を移す。と、そこには隊長の鬼の形相があった。




「……煩い」


『すみません!』




 反射的に二人が同時に姿勢を正す。なんというか、慣れている。




「ほら、ガルディア。そんな顔をしていると眉間に皺ができてしまいますよ」




 リコフォスに言われてガルディアは眉間を押さえる。


ヴァーテクスがちらりとアルクドの背中を見やった。




「……部下がもっと淑やかで有能であれば何ら問題はないのですが」


「ほむ……人員交代でしょうか」




 リコフォスがぽつりと漏らした瞬間。衛士隊の二人の背中に電流が走った。




「ンな!? リコ姫、それはちょっと……!」


「姫様、ご、ごめんなさい、お許しください!」




 ヴァーテクスとコココの全身にじっとりと冷や汗が滲み出る。




「あ、あの? 冗談ですよ? 面白くなかった、でしょうか」


『え』


「ジョーク指南本を読んでガルディアと二人で勉強したのですが」




 二人の反応が意外だったのかリコフォスは目を丸くしている。ヴァーテクスとコココは深く安堵の溜め息を吐いた。




「心臓が止まるかと思いました……」


「ちなみになんていう本、なんです……?」




 コココが涙目で訊くとリコフォスは曲げた人差し指の第二間接に口付けして。




「なんでしたっけ、ガルディア?」


「確か『 特選! 呟くだけで部下のやる気に火が点くブラックジョーク♡』でしたね。抜群の効果です。著者に褒章を与えてもよろしいかと」


『やめてください!?』




 ガルディアの感心したようなその言葉に部下ふたりの非難めいた声が重なった。


シンクも苦笑いしながらジョークというより直球な脅し文句だよなぁ、などと思っていた。


 そんな会話をしている内に目的地に到着したらしく、アルクドとミストの足が止まった。


 そこは廊下の行き止まり。壁の前だ。


 壁には紋様が彫られており、見たことのない小さな文字がその下にびっしりと記されている。


壁の前には司祭なのだろう。白いローブを纏った三人の男女が待機していた。その手にはそれぞれ経典のようなものを持ち、深く被ったフードの奥から視線を感じる。




「お待ちしておりました、姫様」


 大柄な司祭が内臓を揺さぶるような低い声で言う。

「試練の準備は整っております」




 次に細身の司祭が歌うように透き通った声で続ける。


 リコフォスは歩み出て軽く膝を折ると、会釈した。それを誰もが口を固く閉じ見つめていた。


 シンクはそれにどこか張り詰めた空気を感じて眉を顰めた。




「ええ。お待たせいたしました。ゾイ司祭様、ミラ司祭様、グノスィ司祭様。今日はお世話になります」




 リコフォスがそう言うと、三人の司祭もそれぞれ深く会釈を返した。




「いえいえ……ご立派に成長なされた」




 小柄な司祭が頭をゆっくりともたげて優しげな、しゃがれた声をリコフォスに掛ける。それから歩み寄ると手を取り、まるで子や孫にするように愛しげに両手で包んだ。




「……この日が来なければ良いと、いつも願っておりましたが……とうとうこの日を迎え……」




 グノスィと呼ばれた司祭の手は枝のように細く幾つもの皺が刻まれていた。


顔が見えなくてもそれが老人の、そして声音から女性のものであることが容易に想像できる。




「グノスィ大婆(おおばあ)……いえ、司祭、それ以上は皇国への反逆になる」




 ガルディアが彼女の言葉を遮るとグノスィは朗らかに微笑んだ。




「おお、おお。すまぬの」




 グノスィ司祭は首を横に振って寂しそうに笑った。




「それにしてもガルディアも立派に、美人になった」


「お(たわむ)れを」




 ガルディアは打って変わってふっと笑みを零す。




「ほほ……姫様をここまで守り、鍛えてくれたこと、感謝しますよ。ありがとう……」




 グノスィ司祭はそう言うと、リコフォスからそっと手を離し、今度はガルディアへ手を差し出した。




「いや、姫様への……皇国への御恩返しには程遠い」




 ガルディアはグノスィ司祭の手を取り、首を振った。




「さて、ただでさえ遅刻しているからな。そろそろ始めたいのだが」




 ガルディアは司祭から手を離すと他の司祭たちに声をかける。


 ゾイと呼ばれた男性の司祭は頷くとリコフォスの方へ体を向ける。




「私は構わん。しかし、いいのか。試練とはいえ命を落とす事もある。後戻りはできないぞ」




 ――命を、落とす?




 その言葉にシンクがはっと目を開き、顔を上げる。


リコフォスの小さな背中が映った。その背中は気のせいだろうか。小さく震えているように見えた。




「善いも悪いも無い。見送りに来た者は皆、覚悟をしてここにいる」




 ガルディアはゆっくりと頷き、拳を握り締めた。




「これでも、やれるだけの訓練は施したつもりだ。……それにこの程度の試練を乗り越えられないようでは、この戦争を生き残ることなど夢のまた夢だ」


「しかし……」




 ――戦争? 今確かに……。




 ゾイ司祭がリコフォスを見つめる。


 あまりにも華奢な少女の肢体だ。


彼の顔はこちらから見えづらかったが、不安げであることだけは誰から見てもわかる。




「私は皇国や皇国の民のため、そして、願いのために今日まで生きてきました。覚悟は、生まれたときにできています」




 リコフォスはきゅっと口を結ぶとゾイ司祭を見つめ返す。


 その瞳には覚悟と『意志』の炎が灯っていた。




「姫様、よろしいのですね?」




 ミラ司祭が静かに問う。否……最終確認を行う。その問いにリコフォスは力強く頷いた。




「ゾイ司祭、グノスィ司祭」


「……ああ」




 ミラ司祭が壁の左側へと移動し、続いてゾイ司祭が右側へと移動する。




「姫様……」




 壁の正面に移動したグノスィ司祭はリコフォスをゆっくりと見上げ、経典を胸に強く抱きしめる。その経典に触れるとリコフォスはにっこりと微笑んだ。




「司祭様……いえ、ばあや。大丈夫です。必ず、やり遂げて見せます」




 グノスィ司祭は重い瞼をいっぱいに開いた。それはまるで少女の笑顔を焼きつけているかのようで……。




「……御武運を」




 三人が壁の方へ向き直る。それぞれが片手で経典を開き、もう片方の手を壁へ突き出す。




「……ヴァーテクスさん」




 シンクは眉を顰め、声をかける。




「……しっ。シンク、ここまで一緒に来れたのもなにかの縁だ。見てやってくれ。姫様の晴れ姿だ」




 ヴァーテクスが鼻の前で人差し指を立て、遮るとリコフォスの小さな背中をじっと見つめた。


そのどこか苦しげな声に、シンクは唇を噛んだ。




 ――なんだこの気持ち。なんなんだ、胸がざわざわする。




 胸が押し潰されるように苦しくなり、額に汗が浮かんだ。


 ふと、司祭たちが壁に向けた掌が青白く輝いた。


試練とやらの始まりを悟る。


周囲から光の糸が彼らの掌へ集い、淡い煙のようになって壁へと吸い込まれていく。




「白の精霊王よ、応え給え」


「光を齎し闇を祓う彼の王よ」


「闇をも共に連れ立ち世界を成す偉大なるものよ」




 三人の司祭が口々に詠唱を始める。


 その(うた)が進むに連れ集う光の糸は多く、太くなっていく。


 司祭たちの掌には今や蒼い炎が揺らめき、壁に吸い込まれていく光線は眩いばかりだ。




「根源たるケテル」


「王たるケテル」


「母たるケテル」


「万物の上に立ちし光よ」


「白の子、汝の前にて証を立てんと欲す」


「赦し、受け入れ給え」




 壁の紋様と文字が神々しく輝きはじめる。


 それに呼応するように照明の光が強くなり、遺跡内の空気が澄み渡っていく。


長い時間の中で風化し遺跡となった神殿は彼らの歌で息を吹き返したいくかのようだ。


 黒ずんだ壁は白く輝き、消えかけた模様もその色を濃くして、失われた部分を取り戻し元の像を成していく。




「王をその身に授かるべき乙女」


「裁定を受け証を刻んだ乙女」


「その志を、どうか照覧あれ!」




 そこまで歌った司祭たちの詠唱が唐突に止まる。


 アルクドとミストがリコフォスの背中をゆっくりと押した。彼女は頷くと迷い無く輝く壁の方へ歩いていく。




「我こそ、汝が宝珠(セフィラ)、純白のケテルを継がんとする者。白の聖痕(スティグマ)を身に刻み生まれた子」




リコフォスは壁の前で膝をつくと、祭たちの詠の続きを紡いだ。




聖痕継承者(スティグマルタ)、リコフォス・アリスィア・ステマ……」




 宣誓の声が響く。その声に呼応して微かな振動が辺りを振るわせた。




「……? 皆、構えろ!」




 ヴァーテクスがなにかに察知して怒鳴りながら、大剣を取り出して地面に突き立てた。


それと同時に壁から一気に光が放出される。




「……チッ」




 舌打ちをしてガルディアが飛び出した。


同時に腰に触れ、虚空から二本の剣を抜き放つ。


 反応が遅れたアルクドとミストの背後に飛ぶように駆け寄り、並んだ二人を掴んで自身の前に押し出す。と、自身の踵に剣を突き立て踏みつけ、踵を固定した。


それから、彼らの背中を腕をいっぱいに伸ばして支えた。


 彼女の一瞬の動作の直後、光は雪崩のように突風を纏い、うねり、その場にいるすべての人間に襲いかかる。




「ぐ……くっ」




 シンクは思わず目を細め、顔を背ける。


 司祭たちは経典を開き、なにやら詠唱すると結界をつくりだし風をやり過ごしている。


 だが、結界を生み出す術を持たない者たちは容赦の無い突風にその身を晒すことになった。


 いや、それはもはや嵐だ。


怪物の唸り声のような風鳴りが響くと全身に重しを乗せられたように自由が利かなくなる。


ざりざりと踏ん張る足元が滑り、後退させられていく。




「……くっぐ……大丈夫か、お前ら!?」




 声を上げたのはヴァーテクスだ。


直後、突き立てた大剣の切っ先がカタカタと揺れる。長い時間風を受け地面から抜けそうになっているのだ。


そこからの判断力は流石と言うべきか、早かった。


殴りつけるようにして柄を握ると大剣が霧散する。




「ヴァーテクスさん!?」




 シンクの悲鳴に彼はにっと笑ってみせた。


がっしりとシンクを担ぐ腕に力を込める。


ヴァーテクスは地面の僅かな隙間にもう一方の手を伸ばして指を突き入れ、それだけで体を支えていた。


 さらに風が強くなる。


ヴァーテクス始めその場にいる全員が飛ばされないように一層身を低くし、足元に体重をかけて踏ん張る。


 自身が負担になっていることを申し訳無く思い、シンクは眉を顰めた。


しかし、それを見た彼は疲労の色も見せず、笑みを浮かべたままだった。






「俺の事は心配しなくていい。慣れてるからな。それよりじっとして黙ってろよ、シンク! 舌噛むぞ!」


「ッ……、はい……!」


「よし、いい返事だ! コココ! は心配いらないな」




 ヴァーテクスの言葉にシンクは振り返る。


 後ろにいたコココはなにやら高速で呟いており、驚いたことに風が彼女を避けて通り過ぎ、去っていく。


 シンクはふとコココの言葉を思い出す。




 ――“宮廷魔術師長”。




 シンクは初めてそこで魔法の存在を認識した。




「ひょっとして、コココさんって」


「ああ。すげェ奴だよ。最年少で魔術師たちのトップ組織、宮廷魔術師の長になった実力者だ」




 やがてその恩恵はその場にいた全員に齎される。


「拒絶せよ、【覇者の要塞(エーゼンバーグ)】!」




 コココの声と同時に魔法が広範囲に拡散されていく。


程なくして体を叩いていた突風がそよ風程度に弱まった。ガルディアに支えられていたアルクドとミストの体が前のめりに崩れる。


 ガルディアはそれを確認するとその場にあぐらを掻いてどさりと音を立てて座る。




「……っ」


「だっはあ! しんどッ!」




 ヴァーテクスもそれに倣って地べたに腰を下ろした。




「シンク、平気か?」


「うん……。ありがとう、ヴァーテクスさん」




 安全を確保した面々の視線は自然とリコフォスに集まっていく。


 彼女は風をまったく往なしておらず、全身に光と風を受け、その場に留まり続けていた。


 不思議なことにリコフォスはまるで微動だにしていなかった。


光も風も直撃している。だがそれらはリコフォスの身体に吸収されるように消え、彼女限定で影響を与えていないようにも見えた。


 やがて光も風も収まり壁の紋様と文字は消え、ぽっかりと通路が開いていた。


その先にはただ広い空間があり、遥か遠方に巨大な女神、あるいは天使のような姿をした巨像が安置されている。


 美しい硝子細工の球体がいくつも天井からぶら下がり、白い光を湛えている。


 天井には屋根の代わりにステンドグラスが広がっている。そこから差す光は硝子細工の光と相まって広場全体を優しく照らしていた。




「姫様、道は開かれました」


「あとは精霊王様より試練を賜り、継承者の器を証明するのです」


「無事を、祈っています」




 司祭たちの声援を受け、彼女は足の横に下ろしていた拳を固く結んだ。




「行って参ります」




 リコフォスが全員に向き直り、会釈する。その顔は笑顔だった。




「ええ。必ず生きてお帰りください」




 ガルディアがゆっくりと立ち上がり、敬礼する。




「リコ姫なら余裕だって! 終わったらまたリンゴパン食いにいきましょうぜ」


「ええ。ヴァーテクス、楽しみにしています。ガルディアも、ありがとう」




 傍らのヴァーテクスが笑顔をつくった。




 ――待ってくれ。なんだ、これ。これじゃ、まるで……。




「あの、姫様……」


「心配いりません、コココ。必ず帰ってきますから」


「はい……!」




 泣きそうな顔で言うコココにリコフォスは変わらず優しい笑みを向けた。


 彼女の笑顔を見るほど胸の辺りがざわついた。鼓動が不定で息苦しくなる。




「おい、シンク? 大丈夫か? やっぱり疲れて……」




 ヴァーテクスが様子に気付き、肩からシンクを降ろす。


 シンクの額には汗が浮かんでおり、重力に従って頬を伝いゆっくりと落ちる。




「ヴァーテクスさん……もしかして、試練って姫様だけが受けるんですか?」


「そうだが? それが試練ってモンだろ。代々続いてきたルールだしな」


「そう、ですか……」




 地面に腰をつき、目を細めてリコフォスの背中を見つめる。




「白の試練は……必ず越えられるものではない」




 ガルディアがリコフォスに聞こえないように呟く。




「その内容は受けた本人にのみぞ知る。それこそ多岐に渡りそれらは決して同一ではなかった。だから如何なるものであるか、わからない。しかし最悪のケースで……」




 そこまで言って、彼女は口を噤んだ。そのあとの言葉は続けられなくとも、何となく無事では済まない。そう、察してしまう。




 ――そんな過酷な試練を……これから君は、ひとりでやろうとしてるのか。




「アルクドさん、ミストさん。お二方もここまでありがとうございました」


「いえ、頑張ってください、姫様」


「リコフォス様、ご無事をお祈りしています」




 二人の騎士にも挨拶を終え、最後にリコフォスはシンクに向き直り、見つめた。やはり柔らかな笑みを浮かべている。


 また、胸が苦しくなった。


最後にリコフォスがこちらへ視線を移した。




「シンク君、あの」


「……あの、姫様」




 彼女が言葉を紡ぐその一瞬前にシンクが口を開く。




「は、はい。なんでしょうか?」


「本当に……いいん、ですか?」


「え?」




 シンクの表情はどこか曇っていた。


その目に映るリコフォスの笑顔がどこか痛々しくて。


 他の者たちにはいつも通りのリコフォスが映っていても、シンクに見えている彼女は――震えているように視えていた。




「命がかかっているんですよね?」




 その問いに彼女は躊躇なく頷く。


シンクはそれを見て、奥歯を噛んだが、慌ててすぐに笑顔をつくってみせた。


 それはきっとぎこちなくて無理のある変な表情で。


「シンク君?」


「すいません。突然。忘れてください」


「……はい」




 釈然としない彼の言動に、リコフォスは思わず胸の前で手を組んだ。


 シンクの何気ない問いかけになんだか胸の奥にしこりができたような気分だった。


 否、あるいはその正体に気付いているのかもしれない。


 そして、気付かないふりをしている。




「と、ところでさっきなにか言いかけていませんでしたか?」




 慌てて話題を変えようとシンクができるだけ明るい声音で言うと、彼女は小さく頷いて。




「はい。あの、試練が終わって帰ってきたら、その……」




 リコフォスは少し言い辛そうに胸の前で組んだ指を何度も組み変えて。


決心したようにシンクの目を見ると、言った。




「私の、お友達になってくださいませんか?」


「姫様……!」




 その言葉にガルディアが顔を顰める。


リコフォスは彼女を片手を挙げて制止するとシンクの返答を待った。




「そんなことですか。もちろん。俺でよければ喜んで」




 シンクがにっと歯を見せて笑うと、彼女は両手を顔の前で合わせて嬉しそうに笑った。




「けど、そのためには生きて帰ってこないと。ね?」




 彼の言葉に少女は頷く。


「はい! 必ず……。約束ですよ?」


「はい」




 リコフォスはゆっくりと通路を振り返り、深呼吸すると右手でマントからガルディアも持っていたあの円形の物体を取り出し、左手で払った。


 両手に光が集まる。


 眼前の虚空に光る両手を突き入れ、ゆっくりと引き出す。光が収まると彼女の右手には盾、左手には鎚矛が握られていた。




「改めまして、行って参ります」




 それ以来振り返らず、彼女は強い意志を湛えた瞳で行くべき先を見据えた。


 先程まで壁のあったその場所へ足を踏み入れる。


 その胸に約束を宿して。きっとその約束がここに戻してくれると信じて。




 その先にある“ 試練の間”へと――

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