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【XIth Stigmartha / Τέλος αιωνιότητα】  作者: ささゆみさき
悠久と終わりの物語/序章:歩みのはじまり
2/8

φ/I

序章 歩みのはじまり -Βίρτεμπεργκ-


"その歩みは永き連鎖を断つ白羽の軌跡の

その始まりと為り得るのだろうか?"


挿絵(By みてみん)


Φ/


 その意識は眠りの中にあって、どこまでも深い暗闇に漂っている。


 夢は見ていない。


 映像はなく、そこにいるのは自分自身だけ。


 星のない夜空を連想させる黒。聞き慣れた音が断続的に鼓膜を振るわせる。




 ピ、ピ、ピ……。そんな音。




 四肢の感覚は曖昧で意識もまどろみの中にあって。自由を求めて動こうにも力はまるで入らなかった。


 不思議と息苦しさはない。自然と体にあるすべての力が抜けていくようで、心地よくさえ思った。




「……――!」



 ふと、誰かが自分の名前を叫んだ気がした。





 ――誰だろう……? 呼んでる……。





 尋ねようと小さく口を開く。その声を、知っている。けれどそれが誰のものかは、もはやわからなくなった。


 言葉が漏れるのと同時に激しい耳鳴りに襲われ、すべての音が掻き消されたからだ。




「……――!」



 もう一度、誰かが叫んだような気がした。もう、それが誰のものか考える余裕はない。


 心地よさはもはやなく。感覚すべてが静寂に食われ、削られ、飲み込まれていくような気味の悪さと不安。


 それが、目に見えない怪物のようになって襲いかかってくる。


 それを“死”だと認識(直感)したそのとき。






 ――あ。





 スイッチを切るように――


 唐突に、音が、感覚が、なにもかもがただ深い闇の奥底へと消え失せた。








Ⅰ/






「……っ」




 酷く頭が痛み、額を押さえる。


 ゆっくりと上体を起こすと体の節々に鈍い痛みが走った。


 ぼさぼさの、それでいて彼によく似合った黒髪が小さく揺れ、付着していた砂埃がぱらぱらと落ちる。白い長袖のワイシャツや若草色のズボン、赤いネクタイからも同様だ。


 ふと、目の前に強い気配を感じ、ゆっくりと瞼を開く。


 細く開かれた瞳に入り込む光は眩しいとは言い難い仄かなものだったが、寝起きの目は光を嫌い彼は眉を顰めた。


 徐々に光に慣れてきた目を開き、気配の主を見上げていく。


 大腿まで覆った黒のロングブーツがまず、目に入った。


 見上げていくと深いスリットの入った見慣れないルビーのドレス、その上に花弁のように広がる透き通る爪の装飾が特徴的なコルセット、


次いで……大きく開いた豊かな胸部。


はっと慌てて視線を上げると、ほんのりと桜……あるいは薔薇のそれと同じ色に染まった髪が映った。


 最後に褐色の肌を持つ彼女の冷たい視線がこちらの視線と絡まる。


 何だか気まずくて。剥がすように視線を左右に巡らせる。


前髪を残して短く刈り揃えた髪をした碧眼の大柄な青年と、


それより遥かに小柄で、特徴的な……喩えるならロップイヤーの垂れ耳のような髪型の少女が見えた。


 どちらも女性とは異なり黒衣に身を包んでいる。


青年の装いは右肩に巨大な肩鎧、少女の装いは全身を覆ってなお余りある長い丈とそれぞれに形状は異なっている。


 次に見慣れない石造りの床と並木のように伸びた巨大な石柱たちが映った。


 それはいつか写真で見た神殿のようだった。




「……えと、まだ……夢を見てるのかな」




 何度見直しても見覚えなどあるはずもない景色。


 思わず呟くと直後、突然(うなじ)が擦れて痛み息苦しくなった。


 なにが起こったのか理解できない内に体が一瞬宙に浮く。




「っ……! なにを……」




 反射的に視線を落とすとシャツの胸元が伸びている。


 目の前の女性に胸倉を掴まれて立たされたのだと、それだけでなんとか理解できた。なんて力強さだろう。


 首の痛みと息苦しさがあまりにも現実的で困惑する。


 夢の中の感覚はここまで鋭敏だっただろうか?




「見慣れない格好だな。何者だ、貴様」




 敵意を剥き出しにした冷たい表情を向け、抑揚のない声で彼女は問う。


 その気迫に一瞬息を呑んだが、小さく息を吸って真っ直ぐにその顔を見つめ返して答えた。




「……真句(シンク)域峯(イキネ)……真句です」


「イキネ……? 聞かない名だな」


「確かに……珍しい苗字だとは思いますが……」




 懸命に息を吸って呟くように答えた、瞬間。


 彼女は胸倉を掴んだまま腕を右へ勢いよく払い、手を離した。


 また、浮遊感。


シンクと名乗った少年はなにがなんだかわからないまま地面に落下した。


 女性は真横に伸ばした手をゆっくり腰に掛け、シンクを見下ろす。




「ぐっ……!? つ……ッ」




 左肩を激しく打ちつけ、一瞬の鈍い痛みに思わず奥歯を噛んだ。


 小さな気遣いがあったのか頭部をぶつけた様子はない。体全体の痛みとしてもそこまでのものではない。


 いや、気遣いが本当にあったのならそもそも投げられることなどないのだろうが。




「ヴァーテクス、コココ。こいつに縄を打っておけ」




 女性の一言にはそれこそ気遣いなどない。


指示すると後ろに立って経過を見守っていた青年と少女がシンクに駆け寄ってきた。


倒れ伏すシンクの背中に回りこむとシンクの手を彼の背中側に引いた。と、いつの間に取り出したのか手に持っていた縄で素早く縛りあげる。




「痛たたた! 」




 腕を捻られ、その痛みに思わず表情を強張らせて声を上げた。


 この痛み……本当に夢なのだろうか?


 現実離れしたこの光景は夢以外のなにものでもない。なのに何だろう、この得体の知れない不安感は。心臓がうるさく鳴る。




「悪いな少年。うちの隊長おっかねんだわ。ま、運が悪かったと思って大人しくしててくれな。なに、一段落ついたら俺からうまく言ってやるからよ」




 縄を締め終え、青年ヴァーテクスは傍らにしゃがむとその肩を軽く叩いてそっと耳打ちした。


シンクは驚いて目を丸くしたが、すぐに笑みで返した。




「ヴァーテクス、なにをしている!」


「いえいえ~、なんでもないッすよ、ガルディア隊長」




 怒鳴られた彼は飄々と笑いながらシンクの体を起こす。


 一瞬よろめいた体を慌てて少女、コココが支える。


 体勢を立て直し、シンクは二人に小さく礼を言った。




「まったく……お前たちはすぐに……。いいか、賊に構うな」




 ガルディアと呼ばれた隊長格らしい女性は苛立っているらしく二人を叱責する。それを聞いてシンクはむっとした。




「賊って、俺は……」




 思わず反論しかけたが、




「なんだ」


「なんでもありません」




 ぎろり、とガルディアの冷たい視線がこちらを捕らえた瞬間、気勢が一気に殺がれて口を閉じた。


ほとんど蛇睨み状態だ。隣でヴァーテクスが苦笑した。




「さて……」




 ガルディアは腰から突き出た花弁のような鎧部の内側からなにやら円形の物体を取り出した。その表面を人差し指でなぞる。


 するとその表面へどこからともなく光が集い、中心から放射状に放出され、やがて虚空に定着する。


 それをちらりと見て、物体を振る。集った光が散り、消える。


 小さく溜め息を吐いてヴァーテクスに視線だけ向け言った。




「時間だ。ヴァーテクス、そいつを担げ。急ぐぞ。姫様を待たせるわけにはいかない」




 それだけ言うと彼女はひとりで歩き出してしまう。「うっす!」とヴァーテクスはわざとらしく敬礼すると、シンクの前で膝を折り、申し訳なさそうに視線を泳がせた。





「あー……てわけで……。俺はヴァーテクス・ガーネットだ。えーっと少年?」




 そこまで言って目を細め、こちらの顔を覗き込む。





「真句です」


「ああ、そうだったな。よろしく。と、シンク、ちょっと持ち上げるぞ。悪いな」


「あ、はい。すいません。お手数をおかけします」




 シンクは頭を下げると、ヴァーテクスの肩に体を預けた。ヴァーテクスはその潔さ――あるいは素直さ――に呆れたように笑みを浮かべた。しっかりと背中に彼の腕が回り、すぐにふわりと体が浮く。


 それを見ていたコココがヴァーテクスの裾を摘み、小さく引く。




「ヴァーテクス、乱暴にしちゃだめだよ」




 まるで幼子を諭すように言われヴァーテクスは微笑した。それから頭をゆっくり左右に振って。




「わぁってるって」




 ヴァーテクスは視線をコココから外す。


それからガルディアには聞こえないように言った。




「まだ盗賊かどうかもよくわかんねェ子供に乱暴なんてしません」




 シンクはその言葉に少しほっとして。同時に二人のやりとりをどこか微笑ましく思った。







 盗賊という大変不名誉な汚名を着せられ、不本意ながら縄に付いた少年シンクは柑橘色の髪の青年、ヴァーテクスの肩に担がれながら周りの景色を休み休み観察していた。


 シンクが最初にいた場所は暗がりだった上、眠気眼だったためよくわからなかったのだが小さな照明に照らされたそれは飾り気の少なく、それでいながら荘厳なつくりの建物であることがわかった。




「ヴァーテクスさん、ここは一体なんなんです?」




 尋ねると、ヴァーテクスは訝しげに切れ長の目をさらに細めて顎を上げる。




「本当に、知らないのか?」


「え? ええ。はい、本当に知らない、ですけど」




 答えると彼は困ったような表情をして、空いている方の手で後頭を掻いた。




「ここは白の大神殿遺跡。別名ケテル大聖堂。この世界じゃ知らないやつはいない……と思っていたンだが」




 そうは言われても知らないものは知らない。シンクは眉を顰める。




「……えと、すいません。聞いたことが……」


「そうか……」




 ヴァーテクスはしばらくなにか考えているように押し黙り天井を仰ぎ見ていたが、やがて視線を前方に戻して口を開いた。


「目的地まで長いし、退屈だろ。ちょっとお勉強タイムといきますか」


 唐突ではあったが実際退屈だった。彼の申し出にシンクは静かに頷いた。




「今お前がいる場所は白の大神殿遺跡っていう古代建造物のひとつだ。いつだったか忘れたが、この世界ができた頃くらいにつくられたモンなんだと。ンで、現在はステマ皇国によって管理されてる」


「ステマ皇国?」


「おいおい。それもわからない、なんて言い始めるとさすがに嘘っぽいぜ?」




 言われて記憶を辿るが勉強不足なのだろうか? やはりステマ皇国、という名前に覚えがなかった。小さく頭を横に振る。




「……申し訳ないけど、本当にわからないんです」




 ヴァーテクスの訝しげな表情がどこか心配そうなものに変わる。




「まさか、記憶喪失ってやつか?」


「いや、そういうわけじゃないと思うんですが……」




 色々なことを思い出してみる。自然に忘れていく他愛のなさそうなものを除けば別段欠如している記憶はない。


ヴァーテクスは少し混乱したようだったが、咳払いをひとつすると、「話を戻すが」と説明を再開した。




「俺たちがいる遺跡っていうのは大昔に作られた聖堂だったものらしい。考古学者じゃねェから詳しいことはわからねェ。けど、そういうモンだからな。世界的に歴史財産的、宗教的にも貴重で神聖な場所なンだよ。そこに入ることができるのはごく限られた人間のみ。一般人は基本的に見張りの騎士に止められてお帰り願うモンなんだが」


「騎士?」




 シンクは首を傾げる。彼の日常の中に在る騎士といえば御伽噺や歴史書の中に登場するもので現代ではあまり耳にしないものだった。




「どうした?」


「あ、いや……あんまり聞き慣れなくて……騎士がいるんですか?」


「? そりゃあいるだろ。白薔薇の騎士団シュヴァリエ・ロ・ロゼ・アラヴァスティアっていえば世界でも屈指の有名な騎士団だぞ。まさか……それすら知らないわけじゃ……」




 シンクは沈黙でそれに答える。先ほどから聞き慣れない言葉ばかりだった。




 ――これもここでは常識なんだ……。凝ってるなぁ俺の夢。



 

 一連の出来事を紙に書いたら小説がひとつ書けそうな気さえする。そんなことを思っていると深い溜息を吐かれた。




「……おいおい。冗談きついぜ?」




 眉を顰めて引きつった笑顔を浮かべ、ヴァーテクスはもう一度溜息を吐いた。




「冗談じゃなくて、本当に、わからなくて……」




 その声色は弱々しい。だが、嘘ではない。ヴァーテクスはそれを聞いてなにか察したらしく、「なんだか色々ややこしそうだな」と三度目の溜め息をついた。




「……どうやってここに来たのか覚えてないのか?」




 やや真剣な面持ちで彼は尋ねてくる。どうやって、と言われてもここが夢なら手段なんてものはない。というしかない。


 (かぶり)を振って答える。




「どうやってって……。寝て起きたらここだったとしか……」




 まるで身に覚えのないシンクはありのまま答える。と、唐突に手首を縛っている縄がきつく締まった。腕が縄目に引っ張り上げられ絞られる。




「痛たたたっ! いきなりなにするんですか!」




 あまりに突然の痛みに語気を荒げて非難の言葉を叫ぶ。縄を引いたのはいつの間にか近付いていたガルディアの手だった。




「大人を馬鹿にするのも大概にしろ」


「そんな……、別に馬鹿になんて……!」


「捕縛され追い込まれた賊はな、お前と同じようなことを口にするんだ。|常識の範囲の教養、知識《その程度のこと》を“わからない”だと? 巫山戯るのも大概にしておけよ。そんなわけがあるか」




 ガルディアには信じるつもり、というものが毛頭ないようで冷たくあしらわれる。


 どうやら彼女は今までの会話をこの神殿に侵入した賊の言い逃れの常套句だと思っているらしかった。




「この地へ足を踏み入れた時点で重罪だ。縄を解くつもりは毛ほどもない。すべてが終わった暁には即刻皇国の地下牢にぶち込んでやる。覚悟するんだな」




 冷ややかな棘のある言葉にじわりと嫌な汗が滲んだ。




「ちょ、ちょっと待ってください! 俺は本当に! 」


「黙れ」


「……なっ」




 取り付く島もなかった。ガルディアはどこまでも冷たくシンクの言葉を殺してくる。


 その威圧感に息が詰まり思わずゴクリと喉を上下させた。




「ああ、それと逃げようなどと思うなよ。我々は王室衛士隊の精鋭だ。少しでも不審な素振りを見せてみろ、そのときは斬る」




 びっと彼女の指先が眼前に突きつけられる。その眼光が鈍く光った。


 冗談でもなんでもなくその目は本気だ。直感的に悟り、今度は背筋を凍りつかせた。


 ガルディアは視線を前へと戻すとまた先頭へ戻る。




「賊などという存在は等しく低俗で卑劣だ。実際なにをしでかすかわかったものじゃない」


「過大評価しすぎですよ。こんな縄つけられてたらなにもできませんよ、俺――」




 試しに縄を解こうと体を捩ってみるが隙間なく縛られた腕はぴくりとも動かなかった。しかしその様子を見ても尚、彼女の視線は依然冷たいままだ。




「黙れと言わなかったか、小僧。三度目はない」




 警告にシンクは顔を顰める。


 ずっと黙ってついてきていた少女コココは両者の顔に代わる代わる視線を移し、今にも泣き出しそうな顔をしている。




「衛士長、またそんなこと言って脅かしてやらないでくださいよ」




 ヴァーテクスが見兼ねて一瞥もくれないガルディアの背中に言う。表情ひとつ変えず、彼女は答えた。




「脅しでもなんでもない。私は本気だぞ、ヴァーテクス」


「またまたァ♥ 衛士長は優しい人だって知ってますよ、俺」


()れるな。お前から斬るぞ」




 唐突にヴァーテクスが顎を引き、体を反らした。


見れば鼻先に刃物が突きつけられている。


 その先を辿っていくと先が細く鋭い剣(レイピア)のものであることがわかった。その柄はガルディアの左手に握られている。彼女の視線は前を向いたままだ。




 ――ど、どこから取り出したんだ?




 見ていた限り防具は装備しているが武器は身につけていなかったように見えた。一体どこに持っていたのだろう?




「うえっへェ、勘弁してくださいよ」




 武器を突きつけられたヴァーテクスは相変わらずへらへらと笑いながら返した。


 ガルディアはそれ以上なにも言わず、レイピアを払うと徐に左脇の虚空を突く。と、刃の切っ先に光で模様が浮かび上がる。


 それは小さな裂け目のように見えた。


 やがて刃先から光の裂け目に飲み込まれるようにゆっくりと消え始め、僅か数秒足らず。


 その場からレイピアは一寸も残さずに消え去った。

 信じられない光景にシンクは目を見張る。


 じっと虚空を見つめるシンクを横目に確認したが、ヴァーテクスはさすがにもうなにも言わなかった。




「あの、ヴァーテクスさん」


「お? どうした」




 シンクはガルディアに聞こえないよう自分を担ぎ運んでくれている――と言うのもまた妙な気もするが――ヴァーテクスに小さく声をかける。


 色々なものが新鮮で驚くばかりだ。常識がこちらの常識とはずれた世界。それ故、疑問がつきなかった。


 とはいえガルディアには雰囲気的に尋ねられそうにない。コココは終始無言震えているから声をかけづらい。そうなると必然的に話相手は彼になってしまう。


 最初から砕けて話をしてくれていたこともあって、彼が今一番の安全地帯のようにも思える。




「こんなことを言うとまた突っ込まれそうなんですが……ヴァーテクスさんたちは、何者なんですか?」




 まず気になったのは彼らの素性だ。




「何者ってそりゃあ、一般的なヒトだぞ。学名的にはヒュリアか?」


「あ、えと、すいません。質問を変えます……。王室衛士隊って言ってましたよね」




 シンクは首を振って言い直す。


訊かれた彼は、もう訝しむような顔はしなかった。「ああ」と言って頷くと虚空に空いている手を伸ばし、指を開き、握り、拳を固め、ゆっくりと払った。


 と、一振りの巨大な剣が虚空を裂いて、その手に引き出されるようにゆっくりと現れる。




「さっき隊長が言った通り俺たちはステマ皇国の王室近辺の警護を任されている精鋭隊だ。これがその印」




 そう言って剣の鍔を指し示す。と、そこには薔薇の彫刻が施されていた。それから左手の人差し指がガルディアの首元を指す。


 彼女の襟、向かって右側に同じように薔薇の紋様があった。




「んで、隊長はあの怖い顔の人。ガルディア・ブレイヴ殿だ。あれ見りゃわかると思うが、結構厳しい集まりなンだぜ?」




 俺なんかが言っても説得力ねェな。なんて彼は笑った。


そこまで言って巨剣を一振り。先程のように武器が虚空に消えていく。




「あの、聞いておいてなんですが……それ、俺に話してもよかったんですか?」


「こう見えて有名人だしな。一般常識みたいなモンさ。気にすンなって」




 片目を瞑っておどけてみせる。シンクはほっと胸を撫で――られないが――下ろした。


 先ほどから自分の質問に答える度にガルディアに叱られていたから、これ以上話題的な意味で地雷を踏みたくなかった。




「ちなみに、そこのチビスケも衛士隊の隊員なンだぜ?」




 ヴァーテクスは歯を見せて悪戯っぽく笑って続けると、顎で傍らを歩く少女を指した。




 ――刹那。




 コココの小さな足がしなり、ヴァーテクスの脹脛を叩いた。聞いたことのない音と同時にヴァーテクスの脹脛が波打つ。つい先程まで震えていた人物とは思えない見事な蹴りだ。格闘家かなにかなのだろうか。




「好きで小さいわけじゃないですぅっ」


「あだァ!? そんなン言うためにわざわざ蹴るやつがあるか!」




 脂汗を全身に吹き出しながらヴァーテクスが非難の声を上げた。


 すぐに三人にガルディアの凶器のような視線が突き刺さり、一斉に石のように口を閉じた。




「……えと、コココ・アイン・ヴォーパル……王室衛士隊宮廷魔術師長です」




 ガルディアの顔色を伺いながら彼女は静かに、小さな可愛らしい声で名乗った。そういえば名乗り合ってなかった。シンクも静かに名乗り返す。




「域峯 真句です。よろしくお願いします。それにしても……」




 ――魔術? 今魔術って言ったのか?




「どうしました?」




 コココが顔を覗き込む。


 咄嗟に口に出そうとした疑問を頭を振って「いや、なんでもないです」と寸でのところで飲み込んだ。


 恐らく魔術とは『魔法』のことだ。きっとこの世界ではこれも常識なのだろう。


尋ねるにしても今は口に出さない方が良い。その判断は正しかったらしい。ガルディアが一瞬横目でこちらを伺ったのが見えた。


 とにかくなにをするにもまずは疑いが晴れるのを待つしかない。


 ヴァーテクスとコココはシンクの様子に顔を見合わせて首を傾げた。




「あ、ああ、そういえば。今どこに向かっているんです?」




 慌てて話題を変えようと、二人に尋ねる。「おう。それはな」ヴァーテクスが答えようとした瞬間。




 シュビッ!




 そんな乾いた音がした。


 誰もがピタリと歩みを止める。


 首をゆっくりと回して斜め上を見ると、ヴァーテクスの喉元に仄かな照明に照らされ赤く煌く刃が突きつけられていた。コココはその刃を見つめ、打ち上げられた魚のように口を開閉している。


 シンクはなにがなんだかわからない。


 明らかなのは突きつけた主が確認するまでもなくガルディアだということだけだ。


 彼女はすっとレイピアを脇へ戻し、虚空へ突き入れる。




「……ヴァーテクス、国家機密だ」




 抑揚のない声で警告するその表情は怒り、というよりは呆れている、といった色が濃かった。




「はっ、しまったァ!?」




 素っ頓狂な声を上げたヴァーテクスを見て、彼女の唇から溜め息が零れる。




「お前は……本当に王室衛士としての自覚があるのか?」


「い、いやあ、あることはあるンスけど……。なんでしょうね、こいつ相手だとなんだか油断するというか」




 困ったように笑って後頭部を掻く。ガルディアはもう一度溜息を吐くと視線をシンクに移す。次はなにを言われるのかと反射的に身を緊張させる。




「……まあいい。そろそろだ」




 しかし、口から出たものは文句ではなかった。




「え?」




 予想外の展開にシンクは拍子抜けし、ガルディアを見上げた彼女はすでに視線をまた前へ向けており目が合うことはなかった。




「……とうとうか」




 ヴァーテクスの呟きにコココが無言で俯く。


 急に一行を取り巻く空気が重いものへ変わった。それから誰も喋らなくなった。シンクも勿論、同様に。疑問がないわけではない。むしろ聞きたいことだらけだった。


 それでも口を開く気が起きない。




――どうしたんだ……?




 そんな言葉を塞き止めて、やがて三人の歩が再び進められる。停滞していた景色もそれに従って流れ出した。今まで代わり映えしなかった通路のような空間が不意に開けたのは、それからしばらくしてのことだった。

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