ボクタチノケツイ
「先生ぇええええええええええええええええええええええええッ!」
相手は教師だとか、自分は生徒だとか、そんな事はどうでも良かった。
というより、頭が真っ白で、他の事を考える余裕など無かった。
僕は、自分でも信じられないくらいに絶叫し、先生の腕を引っ張っていく。
後先なんて、何も考えていない。
とにかく、このままではいけないという思いでいっぱいだった。
隣の音楽準備室に先生を連れ込み、きっちりとドアを閉める。
早乙女さんを置いてけぼりにしてしまったけれど、それすらも考える余裕がなかった。
先生のあの一言の衝撃で、今も僕の心臓は暴れ、肺は大量の酸素を求めている。
間違いなく興奮しているけれど、その割には頭に血がとどいていない気がする。
このまま、何もかも真っ白になって昏倒出来た方が、或いは幸せなのかも知れない。
でも、先生のあの言葉の真意を確かめなければ、僕の学生生活に関わる。
今にも手放してしまいそうな意識を、気力でどうにか繋ぎ止める。
一度は放ち切った酸素をどうにか取り戻し、出来る限り頭の中を整理した。
「……な、何で!?」
それでも、僕の口から出た言葉は、ひっくり返した様な頭から飛び出たそれだった。
「はっはっは。教師ナメんじゃねえよ。
早乙女が教室に入った瞬間、お前が早乙女に惚れたのはお見通しだ」
「じゃ、じゃあ、早乙女さんの席が僕の隣なのも、僕に校舎を案内させたのも……!?」
「担任の特権を使ってやったんだぞ。跪いて靴を舐めて欲しいぐらいだがな」
軽いノリで答える先生に、僕は頭を抱えた。
つまり、今日一日、僕は先生に弄ばれていたのだ。
そう考えると、早乙女さんとの一連の出来事が、何もかも先生の笑い声で染まってしまう。
一方、先生のお陰で、僅かながらも早乙女さんとの距離が縮まったという事実も、遺憾ながら存在する。
その所為で、怒れば良いのか感謝すれば良いのか判断出来ない。
「ケツの青いガキ共の色恋沙汰に、面白おかしく首を突っ込む……。
くぅ――! これだから教職は辞められねえ! その辺の三一ドラマよりよっぽど面白いぜ!」
殺意すら抱いた僕は、やはり責められてしまうのだろうか。
先生ならよくある事だから僕は良いとして、早乙女さんまで巻き込むのは許せない。
「……で、挙句早乙女さんのコンプレックスを利用して、僕とデートさせるんですか」
「おっと、勘違いするなよ。早乙女を手伝ってやりたいのは本当だ。
恥をかく練習にお前とのデートを選んだのも、半分は本気だし」
言い方を変えれば、本気なのは半分だけなのだけど。
「訊くまでもないでしょうけど……もう半分は何なんですか?」
「お前の為の援護射撃」
「援護どころか、僕を撃ち抜いてますよ」
背後に味方がいる事が、こんなにも恐ろしく思えるなんて。
でも、確かにこれはチャンスかも知れない。
本来、デートに至るまでには、『恋人同士になる』という絶壁を突破する必要がある。
僕なら、途中で三回くらいは命を落としてしまうだろう。
ところが、先生の提案に乗っかれば、迅速かつ確実にデートにこぎつける事が出来るのだ。
もちろん、何もかもが形だけである事は承知している。
それでも、早乙女さんとデートが出来るというのは充分魅力的だ。
早乙女さんが傍にいて、早乙女さんをずっと見ていられて、早乙女さんと同じ事をする。
そんな事を想像するだけで、身体中が熱くなってしまう。
落ち着いて考えれば、デートでする事なんて、一人でも充分出来る事だろう。
外食する事も、映画を観る事も、景色を眺めながら散策する事も、わざわざ他人と一緒にする必要など無い。
けれど、デートで一番重要なのは、何をするかではない。
好きな人が隣にいる。これに並ぶ幸福なんて、宝くじで一等でも当てない限り存在しないだろう。
好きな人が出来た今、僕は改めてそう思う。
それに、これを機に仲良くなれる可能性も、僅かながら決して否定する事は出来ない。
第一、これは早乙女さんが喋れる様になる為にする事なのだ。
形式的とは言えデートをするなんて、この歳では恥ずかしい事この上ない筈。
実際、今でさえ、僕は恥ずかしくて仕方が無い。
その恥ずかしさを乗り越えれば、喋る勇気が湧くかも知れない。
つまり、この案は、お互いにメリットがあるのだ。
先生の野次馬魂に踊らされている気がして癪だけど、ここは……。
「……そういえば、先生」
「ん、どうした?」
舞い上がっている最中、僕はとんでもない事を思い出してしまった。
今日一日の全てを、何もかも覆しかねない事を。
あの時は何事も無く流したけど、これは決して無視する事が出来ない。
「先生言いましたよね。早乙女さんの両親は劇団員で、公演の為に転校してきたって」
「ああ、確かに言った」
「だったら……またすぐに転校するんじゃ……?」
「まあ、そうなるな。つーか、今頃気付いたのか」
当然の様に答える先生に、僕は目の前が真っ白になった。
ようやく見えた一筋の光明が、追いかけるよりも速く遠ざかっていく。
あの時に気付けば良かったと、今になってようやく思う。
ついさっきまでの頭の中がお花畑な僕が、急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
またすぐに転校してしまうなら、いくら足掻いたって無駄ではないか。
「どうした? 青菜に塩撒いたみたいになっちまいやがって」
「だって先生……どうせすぐに転校するなら、仲良くなんてなれっこ……」
そこまで言って、僕は固まってしまった。
何となくだけど、気付いたのだ。
早乙女さんが、異様なまでに口を閉ざす理由に。
これだけでは、何もかもを説明する事は出来ない。
でも、少なくとも理由の一つではあるだろう。
だとしたら、僕はここで諦める訳にはいかない。
時間が少ない事を理由に、仲良くなる事を諦める訳にはいかない。
「……判りました。先生の計画に乗ってあげます。というより、是非乗らせて下さい」
「さっきから何なんだ? 態度が二転三転して面白いけど。
ま、今時は携帯やらパソコンやら色々あるし、距離なんて大した障害にならないだろ。
とにかく、これで、あとは早乙女の返事次第だな……何が何でも頷かせてやる」
僕は確かな決意を、先生は迷惑な好奇心を胸に、置き去りにした早乙女さんが待つ音楽室へ向かった。
音楽室に戻ると、一人残されてそわそわしている早乙女さんが迎えてくれた。
「ごめん、いきなり独りにしちゃって」
僕が謝ると、早乙女さんは首を横に振った。
どうやら先に書いていたらしく、ノートを僕の方に向ける。
『何かあったの?』
至極もっともな質問に、僕は答えられずにいた。
いくらなんでも、向こうで起きた事をそのまま伝える訳にはいかない。
転校初日の人に告白なんて、地球の危機を三回救うよりも難しいだろう。
適当に誤魔化せば良いのだろうけど、目が合うだけで心臓が高鳴ってしまい、言い訳を考える余裕など無い。
早乙女さんの可愛らしさに何も出来ない僕に代わって、先生が答えてくれた。
「いいか早乙女。男にはな、女には理解出来ない、男だけの世界があるんだ」
合っているのかも、誤魔化せているのかも判らないのが、少し心許無いけど。
『男だけの世界……ですか』
早乙女さんは、わざわざ書いて先生の言葉を反芻した。
そして、さっき程じゃないけど、何故か頬を染める。
一体、早乙女さんは何を想像したのだろうか。
何となくだけど、男には理解出来ない世界を作り上げている気がしてならない。
というより、先生の言い方だと、そういう方向にしか聞こえない。
「それはさておき……早乙女、さっきの話だが、オーケーしてくれるよな?」
明らかに頷く事前提で、先生は早乙女さんに尋ねた。
これも前もって書いていたらしく、早乙女さんはすぐに返答を見せる。
『私は良いんですけど……鳴瀬君は迷惑じゃないですか?
転校してきたばかりの人とデートだなんて……。
こんな方法でしか会話出来ませんし、多分楽しくないですよ?
デートって好きな人と行くからこそだと思いますし、鳴瀬君に嫌な思いをさせるのは……』
早乙女さんらしい、気遣いに溢れた答えだ。
彼女の優しさに胸が温まると同時に、何だかやきもきしてしまう。
僕は嫌だなんて全く思ってないし、寧ろ大歓迎なのに。
だったらそう言えば良いのだけど、何事も理屈通りに事が運ぶ訳ではない。
悩む僕を尻目に、先生は笑いを堪えるのに必死の様だった。
「まあ、その、僕の事は気にしなくて良いから。早乙女さんの……クラスメイトの為だし。
僕で良ければ、出来る限りの事はするつもりだから、ね?」
「…………」
ノートを抱えて、早乙女さんは俯いた。
突然こんな話を持ち出されたのだから、悩むのも無理は無いだろう。
僕にとっては美味しい話でも、早乙女さんはそうではない。
それでも、僕は早乙女さんが頷いてくれる事を願った。
好きになった女の子と、少しでも距離を縮めたいから。
それ以上に、少しでも早乙女さんの為になりたかったから。
もしかしたら、さっきの答えは建前なのかも知れない。
本当は、僕とデートするなんて嫌なのかも知れない。
そんな不安が、僕の頭の中を過ぎる。
しばらくして、早乙女さんがついに顔を上げた。
震える手で、ノートに字を書き始める早乙女さん。
準備していなかった答えを、ノートに委ねる早乙女さん。
僕は、その返答を胸を詰まらせながら待っていた。
そして、彼女の思いが込められたノートが、僕に向けられる。
『鳴瀬君が構わないなら、私に断る理由はありません。
私なんかじゃ楽しくないでしょうし、恥ずかしいですけど……よろしくお願いします』
三回、僕はその文章を読み返した。
加えて、どこかに小さくでも拒否する文が無いかをチェックする。
一通り終えて、これが間違いなく早乙女さんの意思である事を確認すると、
「…………!」
僕の言葉は声にすらならなかった。
頭の中が何かでいっぱいになって、喉をも詰まらせていくのが判る。
それが『喜び』である事に気付くまでに、暫し時間を要した。
未だ嘗て、ここまで嬉しいと感じた事があっただろうか。
恐らく、第一志望の学校に受かったとしても、ここまでの感情は抱かないだろう。
仮初のデートですらこれなのだから、恋人同士にでもなったら、どうなってしまうのだろうか。
思春期故の甘酸っぱい妄想が、洪水の様に僕を押し流していく。
「決意してくれたか……よし、後は俺に任せとけ。
『ドキッ!ハニカミだらけの青春デートプラン(ポロリもあるよ)』を考えておいてやる」
「深夜に一人で見たくなる様なプランを立てないで下さい」
そんな空気を数秒でぶち壊した先生に、僕は少し冷たくツッコんだ。
先生との年の差が幸いしたのか、早乙女さんには意味が伝わらなかったらしい。
意訳しようとする早乙女さんを妨害する為にも、僕は早乙女さんに言う。
「じゃあ、その……僕の方こそ、よろしく」
『うん。少しでも喋れるように頑張るから』
やっぱり、早乙女さんにとっては、あくまでも喋れる様になる為のデートでしかないらしい。
判り切っていた事だけど、一抹の物悲しさは拭えない。
でも、少なくとも『良い人』の評価は得られた筈だから、初日としては上々だろう。
「もう案内は終わったから、そろそろ帰った方が良いんじゃないかな。
女の子一人で帰るのは、遅くなると危険だし。それに、転校初日で疲れてるでしょ?」
早乙女さんは頷き、『今日はありがとうございました』と書き残して、音楽室を去っていった。
退室の時にも、深々と頭を下げて、やはり『失礼しました』と書いたノートを持っていた。
……礼儀正しいのか、どこか抜けているのか、どっちなのだろうか。
ともかく、こうして僕の初恋は、多少歪ながらも確かに前進したのだった。
「良かったな、鳴瀬。これでお前の彼女いない暦=年齢に終止符だ」
「僕、まだ十四歳ですけど」
「まあ、こういうのは早いうちに慣れた方が良いって。
下手に年食ってからだと、なまじ金と地位持ってるからエラい目に遭うぞ。……マジで」
「……実体験、なんですね」
この人が主導なのが、頼もしくもあり不安でもあるけど。
初回ということで、一気にここまで公開します。
ここから先は、下書きすら一切出来ていないので、次話はいつになるやら(何