表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金吾殿  作者: さんろ
8/10

陰謀説の限界をこえて

ここまで、小早川秀秋がすべてを操って東軍を勝たせたという話をしてきた。


このような陰謀説でよく言われる反論に

「通信手段、通信速度が限られる戦国時代に、様々な場所や日時で発生した事柄を、

一人の人物が秘密裏に操ることなど出来ない」というものがある。


実際、関ヶ原の戦いの前には、両軍による勧誘合戦が行われており、多くの書簡が現存している。

そのなかには、小早川秀秋が徳川家康に送った手紙や、小早川秀秋が受け取った手紙も残っており、

陰謀説の入り込む余地はないように思える。


しかしながら、「その場に関係者が居る」ならば書簡は不要であり、

「絶対に表沙汰に出来ない」話ならば、書簡には残せない。


「田辺城の戦い」では、「三条西実条の正室の兄」で「前田玄以の嫡男」である前田茂勝と、

「ねねの従兄弟」である杉原長房が参戦している。細川幽玄は、嫡男忠興の嫁である

細川ガラシャが7月18日に自害しており、討死以外に面目を保つ手段がなかった。

朝廷が「ねねの要請で介入した」なんてことは、表沙汰にできるわけがない。


「大津城の戦い」は、「秀吉の側室の京極竜子の兄」である京極高次が東軍に寝返った

ことではじまった。また、西軍で「小早川秀秋の兄」の木下俊定か参戦している。


ねねの力を使えば、竜子を通じて高次を動かすことは容易だった。

しかし、これも書簡には出来ない。ねねが東軍に肩入れすることが分かれば、

その時点で東軍の勝ちが決まってしまう。そんなことを西軍首脳部が許す訳がなかった。

ねねは実兄である「木下家定」に護衛され、中立を保つ姿勢を見せた。


京極高次は、自分の意思で東軍に寝返ったという立場を貫くことになる。



小早川秀秋がねねの力をつかって東軍を勝たせ、ねねがそれを許可した理由。


それは、北政所(ねねのもつ「大名の妻子への監督権」を三成達西軍首脳部が

侵し、細川ガラシャを自害させてしまったことからである。


最初の方針である「大名の妻子を人質にするために大阪城に入れる」ならば、問題はない。

また、「大阪城に入れるために、北政所に命令してもらう」であれば

細川ガラシャが自害していても細川家の命令違反で話はすんだ。

ガラシャが自害してしまった後、西軍首脳部が北政所に公式に謝罪していれば、

まだ取り返しもついたかも知れない。


そのどれも行われなかった結果、北政所は西軍を見限った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ