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金吾殿  作者: さんろ
4/10

ねねの力

小早川秀秋の叔母であるねねには、「北政所(きたのまんどころ」という呼び名がある。


北政所は「「宣旨をもって特に授けられた」摂政、関白の正室の称号」なので、

関白の正室ならば全て北政所と呼ばれる訳ではない。

事実、豊臣秀次の正室である若御前(池田恒興の娘)は北政所と呼ばれていない。


北政所というと、側室である淀殿との対立や、大名の妻子の纏め役といった時代劇のイメージが

強いが、最も重要な仕事は「朝廷、公家との交渉を一手に引き受ける」ことだった。


これは秀吉の生前から変わらず、聚楽第への後陽成天皇の行幸では、諸事万端を整えた功で

従一位に叙されている。


秀吉の関白任官が1585年、関ヶ原の戦いが1600年なので、15年もの永きにわたって、

ねねが朝廷や公家との交渉を独占してきたことになる。


そのねねが持つ「力」を、小早川秀秋は使うことが出来た。


その「力」で、伏見城の戦いでは実兄の木下勝俊を、田辺城の戦いでは細川幽玄の命を救っている。


「古今伝授が失われるのを怖れ、細川幽玄が討死しないように朝廷が勅使を派遣して講和させた」

という、歴史好きにはよくしられたエピソードのことである。


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