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豊臣家一門衆筆頭
関ヶ原の戦いで東軍が勝利したことで、支えていた大名の多くが西軍についた豊臣家は大幅に勢力を弱めた。
一門衆で領地を保ったのは、東軍、西軍どちらにもつかなかった木下家定(2万5千石)と、
逆に加増された小早川秀秋(55万石)だけだった。
豊臣秀頼ですら、太閤蔵入地が徳川家康によって他の大名に分配されたことで、
知行は220万石から65万石に激減した。
徳川の天下になることは誰の目にも明らかであった。
小早川秀秋は、そのなかで豊臣家一門衆筆頭として、秀頼を守り支えていくはずだった。
そして、12歳まで秀次に次ぐ関白継承資格者として育てられ、
小早川に出されてからは大名として生き、
東軍を勝利に導くほどの力を持った彼ならば、それは可能なはずだった。
彼が、実兄である木下延貞と共に、2年後に死ななければ。
ねねが、彼の死によって豊臣家の存続を諦めなければ。