1/10
彼さえ生きていれば
初投稿です。
彼は、 3歳で叔母夫婦の養子となった。
彼は、 8歳で丹波亀山10万石の大名となった。
彼は、11歳で従三位権中納言兼左衛門督になった。
彼は、12歳で弟が出来た。
彼は、13歳で別の家に養子に行った。
彼は、14歳で筑前30万石の大名となった。
彼は、16歳で慶長の役に出兵した。
彼は、17歳で越前北ノ庄15万石に転封された。
彼は、18歳で叔父を亡くした。
彼は、19歳で兵15000を率いて関ヶ原の戦いに参加した。
彼は、21歳で亡くなった。
彼の死から13年後、豊臣家は滅亡する。
もしも「彼」が生きていたら、豊臣家の滅亡は防げていたのではないだろうか?
豊臣家一門衆筆頭で岡山55万石の大名である「彼」がいれば。
淀殿や高台院、豊臣縁故の大名からの信頼も厚い「彼」がいれば。
朝廷や公家を動かすことが出来る「彼」がいれば。
徳川家康を征夷大将軍に押し上げた功労者の「彼」がいれば。
そう、「金吾中納言殿」こと「小早川秀秋」が生きていれば。