-嫌悪-
「痛てぇ...」
聖から解放されても尚じんじんする頬をさすりながら零すと、聖は何故か満面の笑みを浮かべた。
「私、嬉しい」
何でだよ...俺はこんなに痛がってるのに...。
まさか、実はSなのか?!そうなのか?!だったら何故かは分からないけれどショックなんだが!
「零兄、元気でた」
俺のことを気遣ってくれたのだろうか。
もしかして、俺に足りないのは空が飛べないことだとかいう変な回答も...。
しかし、俺には嬉しいという感情がない。
そのことを再認識して、悲しいと思ってしまう。
人の善意を嬉しいと思えない自分が悲しい。
正の感情を捨てる道を選んだのは、他でもない自分自身だというのに。
――既に世界は矛盾しすぎている
「そういえば、向こうで、貴族がもめてた」
俺がまた沈んでいくのを察したのかそうでないのか、聖は東の方向を指さしながら話題を変えた。
貴族。1番やっかいな身分。俺が大嫌いな階級。
「貴族同士の揉め事か?」
無言で頷く聖。
それなら放っておいてもいいじゃないか。どうして揉めているのかも、揉め事の規模も知らないが、幸福を貪っているようなあいつらの揉め事を解決してあげる義理なんてない。実際、俺が行ったところで門前払いだろう。部外者は黙れとか言われるに違いない。
「行かないの...?」
隣で聖が首を傾げる。
俺が何でもかんでも街の問題を自ら解決するようないい人だとでも?ましてや自ら貴族なんかと関わるとお思いで?ご冗談を。まっぴらごめんだ。
けれど、世界はそんなに簡単ではない。
「行こう。現地まで案内してくれ」
俺の口から発せられた言葉は、心とは真逆のものだった。願わくば、俺が辿り着いた頃には揉め事が解決していますように。
という俺の小さくて大きいような希望は、とても儚く簡単に砕け散ってしまうのだった。
貴族街。
大通りから1番遠いところにある区域。
名前から分かるように、貴族の住宅が建ち並ぶ。
一般市民、下手すればそれ以下と扱われてもおかしくないイレギュラーな俺から見れば、全てが豪邸で、第二の王城がいくつもあるようなイメージだった。
どこよりも道は綺麗に整備され、唯一馬車が通る区域。
貴族街の真ん中あたりまで行くと、確かにきらびやかな服装の人たちが群がっていた。あらかじめ聖に聞いた話では、今後の領土問題で争っているらしい。貴族がどう思っているかは知らないが、ここに住んでいる以上、別国に侵略して領土を奪うのも、国内の領土を誰かに受け渡すのも決めるのは王様のはずなのだが。
「なるほど、つまりこいつらは馬鹿なんだな」
一人で納得して頷く。
俺ははぐれないように聖の手を掴むと思い切って人混みに割り込んだ。
幸せボケした貴族の群れに飛び込んで行っているのだと考えると吐き気がした。もういっそのこと皆殺しにしてもいいのでは、という考えが頭の中に浮かんだ頃、ちょうど人混みの一番前まで出て来た。
しかし、そこにいた人物のうち一人を見た瞬間に、聖と共に情けない声をあげてしまう。
「...って、あれ?」
「翠...?」
緑色のウェーブがかった長髪。長くて尖った耳。澄んだ黄色のたれ目。間違いない。木精霊の翠だ。
どうやら翠はこの揉め事を止めようとしているらしい。
「だから、あの公園がなくなれば、そこは私の領地になるのだ!」
「いいえ、私の領地よ!元々私のものだった場所なんだから!」
「ふ、二人とも、落ち着いてくださいぃ...」
「「部外者は黙れ!!」」
その様子を呆然として眺めていた俺は完全に呆れ返ってしまった。先刻予想した通りの言葉を貴族が返している。だから言わんこっちゃない。翠のように、貴族の揉め事を止めようとしたって黙れと一蹴されてお終いなのだ。
「零兄、力でねじ伏せる」
静かに告げた聖は無表情だった。何故か声音には殺意と冷徹さが篭っていたように感じられた。
しかし、それはとてもいい案だ。言葉が通じないなら力ずくしかない。
絶対的な力は人間の想像を簡単に超えてしまう。
自分たちにはここまでなのだと諦めてしまった人間には、その程度の想像しか出来ない。
想像を超えた存在は、危険人物として認識される。
注意しろと身体が告げる。
想像を超えた彼らは仲間ではない、敵だと。
だから、人間にとって俺たちは危険人物で敵。警戒すべき相手。
しかし、逆に言えば貴族は俺らにとって危険人物で敵。警戒すべき相手。
貴族の考えや裕福な生活は俺と聖の想像をはるかに超える。俺たちには、幸福を想像することさえ出来ない。
俺は聖と自分が別の服を着ているところを強くイメージした。フード付きのコート。俺は黒色で聖は白色。フードはちゃんと顔を隠せるくらい深いもの。
次の瞬間、そこにいたのは黒色のフード付きコートを着てフードで顔を隠している存在と、白色のフード付きコートを着てフードで顔を隠している存在だった。
「じゃあ、ちゃちゃっと片付けますか」
聖に目を向けていうと、彼女も俺を見上げて小さく頷く。
「「さあ、ショーの開幕だ」」
一応メインキャラクターが全員登場しました。
ひとりひとりに違う考えがあって、その数だけ正義がある。出会い方が違えば、零羅と聖は貴族と分かり合えていたかもしれません。