フラグはへし折るためにある!
そのことに気づいたのはようやく10歳になったときだった。
コルザ伯爵家令嬢シトリンというのは私の名前だ。訂正すると今生の私の名前と言った方が正しい。
私はなぜか昔から前世の記憶というか、あーこれ知ってる前にもあった、的なことがごく小さい頃からあって、それを不思議に思ってはいたのだった。でもまあ損することもないし、こんなもんか、と思っていたわけだが。
金髪蒼眼というあまりにもテンプレな容姿でもちろん顔だってまあそれなりではある。容姿が良くて伯爵家という貴族階級に恥じない財力でもって、少々どころではなく不仲だった両親に、それでも蝶よ華よと育てられすくすく育った私は、案の定なかなかわがままなお子様に成長していったわけなのだが。
その日々はけっこうあっさり崩れ落ちたわけだった。――――ある少年によって。
黒髪黒眼。漆黒の貴公子(というかなんだこの中二病な通り名は)と後に呼ばれる少年の名は。
「――――初めまして、ブルエ侯爵家のフィサリスと申します」
仮面夫婦を演じる両親の見栄の為に開かれた盛大な誕生日会(という名の拷問)に招かれた客の中にいたのが、かの少年で。愛想の欠片もない無表情で、上の台詞を吐いたのだった。
切れ長の眼に冷たそうな唇の釣り上がり具合といい、ものすっごく(来たくないんだけど行けって言われたから仕方なく来てやった)というのがありありとわかる。
ごきげんよう、と淑女らしくスカートをひいてご挨拶、と思って屈んだ瞬間。
「!!」
スカートの裾を思い切り踏んづけてものすごい勢いで私は前向きに倒れそうになり(マナーの授業をかなりさぼっていたから、まあこうなるわな)、結果冷ややかな目線を向ける少年が仕方なく支えて立ち上がらせるという大失態を起こしてしまった。
なんたる不覚!少年の(なんだこの女)みたいなうさんくさい眼をかわそうと、ごめんあそばせ……と乾いた笑いで乗り切ろうとして。瞳をあわせた瞬間……。
(――――ちょっとまて!!!!!)
こいつ知ってる!すげえ知ってる!っていうか超知ってる!!!
驚愕に眼を見開いた私は思わずその手を振りほどいてバルコニーへと駆け出した。見る人は、思わぬ失態に慌てて恥ずかしくなり気まずいやら照れくさいやらでちょっとその場から逃げ出しちゃった、てへ、みたいな乙女の行動と受け取ったろうが。実際はまったく違う。
私は運命の悪戯に呆然としていた。
この後の流れは嫌でも知っているし、思い出せる。
金髪碧眼の伯爵令嬢は、このパーティーであの少年に一目ぼれ。そして自分にベタアマな父伯爵におねだりをして無理やり押しかけ婚約者になるのだ。もちろんあの少年はそんな令嬢にまったく興味がないので邪険に扱うのだが、令嬢はめげない。
やがて大きくなり、貴族階級の者が通う王都の学院に進学してもそれは変わらなくて、そのうちに少年はやがて一人の少女を愛するようになり……。
(おい、まて、こら、ちょっと)
令嬢は、少年の愛を奪う少女を憎むあまりに数々の嫌がらせをするのだが、それもすべて少年に悟られ。彼に憎まれて学院を追い出された挙句、実家の伯爵家は愛人に乗っ取られ家庭崩壊、家にも帰る居場所とてなく失意のまま病気でそのへんの安宿で息を引き取る……。
薄れていく意識の中、令嬢は呟くのだ。詰んだな……じゃなかった、わたくしの負けよ……と。
「って! ふざけんな―――!!!!!!」
私は一人きりのバルコニーで思わず叫んでいた。
そしてようやくすべてを思い出していた。
ここは現世であって現世ではないこと、あろうことか私は前世ではまっていた乙女ゲームの中にどうやら転生してしまっていることを。
そのゲームの名は「聖マリアージュ学院~花園でつかまえて☆~」といった。乙女ゲームにしてはかなり売れたゲームで、通称聖マリと呼ばれていた。1、2、3と出て、徐々に売り上げがダダ下がり、ついにはなくなってしまったが。
私の名前は令嬢シトリン。そう、前世ではまっていたあのゲーム1のなかに出てきた悪役令嬢だ。
そして先刻会った少年こそが、諸悪の権化である漆黒の貴公子(だからなんという中二病ネーム)ことブルエ侯爵家子息フィサリスなのだ。
フィサリス。
その名を思い出すだけで、うへえ、となれる。
常に仏頂面で機嫌悪そうなのがデフォな上に、たまに笑ったかと思えば冷酷極悪。プライドだけは侯爵家跡継ぎらしくそこいらの山よりも果てしなく高く、言動は常に上から目線。自己中心的で唯我独尊、いいのは顔だけ(ただしいつも機嫌悪そう)という、通称漆黒の貴公子。
最初はお気楽極楽の能天気王太子(例によって例のごとく顔だけは良い)をライバル視して、色々とやりあっていたがそのうち無二の親友となり、学院を卒業してからは彼の片腕として権勢をほしいままにする、というおち。
ちなみに、私ことシトリンは、色んな意味をこめて金の女王様なんぞと呼ばれていたりした。
まあ、あれだ。金色の髪と気位の高さと、フィサリス以外はゴミ、みたいな扱いだったから、触らぬなんとやらでそんな名前なのだろう。
ともかく、このゲームにはまって全キャラコンプを目指したときは、俺様魔王様なフィサリスと、苛めたおそうとするシトリンに、うへぇ、となったものだった。
容姿がいいんだからあんな仏頂面の男なんぞやめてさっさと別の男でも探せばいいのに、と何度思ったことだろう。しかも身体弱いくせに力技で来るから、結局熱出したりとかして寝込んで、肝心のフィサリスとのイベントは潰せないでやんの。悪役ながらなんだかかわいそうな子だと思ってた。
……思ってたのに。
「ありえねー」
ぽつりと呟き、ひっそりと溜息をつく。私がシトリンということは。
少年フィサリスと出会う=私、死ぬ。という流れではないか!?
は、いや、まてよ、婚約さえしなきゃいいのでは!なんという名案!!これは全力で死亡フラグへしおるしかないよね、と私はぐっと拳を握り締めた。
「……おい、おまえ」
よっしゃーやったるでーと死亡フラグへし折る方向で思いを巡らせていた私の後ろで、少年にしては低い声がした。……も、もしやして……この声は。ぎぎぎ、とおそるおそる振り返れば。
髪の色と同じ黒の衣装に身を包んだ(っていうか人の誕生日に、なに縁起でもない漆黒ルックで来てんだよてめー)フィサリスの姿があった。
「な、な、なんの御用でしょう」
ほほほ、と清楚に誤魔化し笑いをして、そろそろと後ろに後退してみるものの、なぜかフィサリスはついてくる。不機嫌そうに腕組みしたまま、一歩一歩近寄ってくる。
「おまえ、名前はなんだ?」
いや、あの、一番最初に私名乗ってるし、そもそも今日私の誕生日会だし、聞いてなかったのかよおめー、とは口が裂けても言えない。なんだこの10歳にして震え上がるほどの眼力は、おい。
「し、シトリンと、も、申します、です」
やばい、しどろもどろになってきた。つーかこえーよ、こいつ。
「シトリンか。……いい名前だ」
うへえええええ!!!なんか笑み怖い、怖いよお!助けてください!!
「おい、おまえ。……退屈だからしばらく相手をしろ!」
名前を聞いておいておまえですかい、とは口が裂けても言えない、無理。おとなしくバルコニーから連行された私は、全身真っ黒仕様の少年の相手をすることとなった。
とはいっても衆人環視の中広間に戻る気力はもはやない。仮面夫婦の生暖かい目線のもと少年と仲良しこよしが出来るわけがなかったのである。仕方なくバルコニーから中庭へと降り立った。
しかし、私は気づいていなかったのだ。
とっくに仮面夫婦とフィサリスの父侯爵と、パーティーに招かれた客たちは全員、窓際にスズナリニなりながら私達の様子を眺めていたことに。
我が伯爵家は潤沢な資金によりかなり豊かな暮らしをしている。広い農地もあるから食べ物に困ることもないし、派手ではないがそこそこ豪華な生活をおくっている。
庭もまた、しかり。庭師が異国かぶれで、なんというか異国籍な庭園が無駄に広がっている。金を惜しまない父伯爵(まあ見栄の為だろうが)のもと、庭師が好き勝手に拡張(そして魔改造)した庭は、がちで富士の樹海……じゃなくて、王国でも有数の大庭園なのだ。
庭園目当てに訪れる客も多い。ちなみに父はしっかりお金をとるエリアも用意してあったりするので、きちんと元はとっている。しっかりしている。
「ふん、なかなかの庭じゃないか」
意外や意外、フィサリスはきょろきょろと周囲をみまわしそんな声をあげた。ちなみに私ですらここは時々迷いそうになる。
「――――これはなんだ?」
「ああ、これは、煎じると炎症にきくというお花で――――」
「ふむ。……どちらかというと薬草が多いのだな」
なかなか商売上手な父親はこの庭でちゃっかり薬草を栽培してはしっかり売りさばいている。無駄に広いだけではなく、ちゃんと計算してあるのがにくい。
しかし、こいつとちゃんと会話ってできるんだなあとしみじみしていると、突然フィサリスは走り出した。おい、まて、こら。こちとらドレスなんですけど!
――――これってちょっと、もしや、きゃっきゃうふふな追いかけっこ!?
たどりついたのは、まあ、なんというか、なぜここに!みたいな滝。なに造ってんだよおまえ、と庭師を小一時間問い詰めたくなる代物だ。だが、わがままな少年としては初めての代物だったらしい。まあ普通は庭にこんなものは作らないし。
眼を見開き感嘆の声をあげた。ふむふむ、意外と年相応だ。まあ、婚約はないにしても普通に友達なら、ありじゃねと私は思うことにした。婚約者にならなくても嫌われないのが一番大事なはずだしね。
将来的に成功が約束されているからお近づきになっておいて損はないだろうし、いずれ愛人に家を乗っ取られ追い出される身としては、ご学友ってのはおいしい、非常に。
「――――決めたぞ!」
「はい?」
「ここでしばらく俺は修行するぞ! 空気はいいし水も近い、怪我をしても薬草がたくさんある。修行する環境として申し分ない」
「はいー?」
聞けば、この仏頂面貴公子はつい先日も剣術の稽古で王太子に負けたのだそうだ。ついでにいうと馬術でも負けたらしい。というかあらゆる点で王太子には一個も勝てないのだという。
すげーな、王太子。そういえば顔も無駄に良くて物腰も柔らかいから学院でも人気ナンバー1だった気がする。……ああ、容姿と家柄でももう負けてんだっけか。性格は、どっちもどっちだったけど。
ともかくフィサリスはあの王太子に勝つために修行をしようと志したらしい。しかも努力したなどと王太子に悟られることなく。だが王都にある自領で修行するとそれが王太子に筒抜けになるから、秘かに修行できそうな場所を探していたのだという。なんだそれ、面倒くさい。
王都からはさほど離れていない我が伯爵領ではあるが、悲しいことに王都というか王家とはまったく縁なしなので絶対ばれないだろう。
しかし、だ。
「あの、当家としてはそれはよろしいのですが……」
侯爵家の嫡子が一介の伯爵家に長逗留というのは、いくら幼いとはいえまずいのではないだろうか。おそるおそる口にすると、考え込んだようだった。だがしかし。彼は恐ろしい案を提案してくるのだった。
「――――おまえ、俺の婚約者になれ!」
なにを言うかこやつは、と引きつる私を。ずるずると引きずりながらフィサリスは広間へと連行していく。なぜ?どうして?フラグはへし折ったはずでは??
?マークが大量に飛び交う中、広間へと連行された私は、なぜか極悪な笑み(本人的には多分普通の笑顔)を浮かべたフィサリスによる婚約宣言を聞かされる羽目になったのだった。
あれ?フラグがへし折れないよ?