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短編集

おばあちゃん

作者: さゆみ

 押し入れの整理をしていると何年も前の年賀状が出てきた。懐かしいと思い眺めていると、その中におばあちゃんからの年賀状を見つけた。なぜだか、ふつふつと、おばあちゃんとの子供のころの思い出がこみ上げてきた。楽しくて、悲しくて、残酷だった子供時代ーー




 おばあちゃんの家までは電車で2時間ぐらいかかる。車だともう少し早く着くのだが、当時の私はひどい車酔いをしたので電車で行くことが多かった。一緒に行くのはだいたい母と弟と3人。最寄り駅を降りて歩いて約10分。にぎやかな商店街を抜けて、畑を横切って、大きな病院が見えたらもう少しで小学校がある。そのすぐ先を右に曲がると静かな住宅街。一番手前の白い壁の家から数えて5番目の家だ。


 「こんにちは」母が言うと、「いらっしゃい」切れ長の目をもっと細めておばあちゃんが迎えてくれる。おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいるけれど、あまり話すことはなかった。いつも自分の部屋で読書をしているか書き物をしているか、寝ていた。おばあちゃんは、おじいちゃんは作家だと言っていたけれど、私にはよくわからなかった。母の妹のかおるさんも一緒に住んでいた。かおるさんは、誕生日にいつも私の一番欲しいものをプレゼントしてくれるから好きだった。


 おばあちゃんは私たちが来ると、すぐにいろいろな食べ物をテーブルに並べる。家ではあまり食べられない高そうな物がたくさんあった。おばあちゃんは料理が得意だった。食べたいと言えば何でも作ってくれた。私は特におばあちゃんのお寿司屋さんが好きだった。「はい、何にしましょう」おばあちゃんが言うと、私は「マグロ」「エビ」「イカ」などと言う。おばあちゃんは「はいよ」と言って素早くお寿司を握って「おまちどうさま」と出してくれた。本物のお寿司屋さんよりおいしいと思った。


 おばあちゃんはとてもオシャレだった。それに上品だった。いつも着物を着ていて、きゅっと帯を締めて、料理をする時は着物の上に割烹着を羽織っていた。お化粧もエプロンもしない母とは全然違っていた。ある時、おばあちゃんはグレー地に黒い星柄のワンピースを着ていた。いつもの和服のおばあちゃんとは違って、とても不思議な感じがした。私はなんとなく「おばあちゃん魔法使いみたい」と言ってみた。「そうよ、実は魔法使いなの」おばあちゃんは口をすぼめて笑った。


 おばあちゃんの家は二階建ての4DK。1階にある洋間が私は好きだった。難しそうな本がたくさん並んだ本棚とレトロなオーディオセットがあった。シックで大人の感じがする部屋だった。一人になりたい時はソファに寝そべって、さわり心地がさらさらの金色のクッションを抱いて夢を見た。そういえば、このソファに座って、とびきりの笑顔の私をアルバムの写真の中に見たはずだ。となりには同じくニコニコ顔の女の子。この子はおばあちゃんの家の近くに住んでいた、じゅんちゃんだ。


 じゅんちゃんは私と同い年でよく遊んでいて、とても仲良しだったと思う。でも、記憶の中のじゅんちゃんは泣いていた。



 「痛い、やめてよ」微かに聞こえるじゅんちゃんの声。「じゅんちゃんが私の言うことをきかないからだよ」「だって……」「だってじゃないよ」「痛いよーー」「じゃあ、早く泣けば」「ぎゃあ!!」「もっと痛くするよ」泣き始めたじゅんちゃん。「ざまあみろ」嬉しそうに笑っているのは…………私。



 喉が渇いた私は、おばあちゃんに「何か飲みたい」と言った。おばあちゃんは冷蔵庫からオレンジジュースを出してコップに注いだ。「そうそう、ケーキがあるの」「わあー」「どれがいい? あっ、好きなだけ食べなさい」私はチーズケーキが好きだ。白い箱の中にはチーズケーキが多めに入っていた。おばあちゃんは優しかった。



 かおるさんの部屋は階段を上がって左側。右側はおじいちゃんの部屋だ。おじいちゃんには帰るときだけ「おじいちゃん、さようなら」と言いに行く。おじいちゃんはいつも「うん」というだけだった。かおるさんは独身で図書館に勤めていた。時々、おもしろい本を見つけてきてくれた。特に絵本は嬉しかった。かおるさんは結局、今も独身を通している。


 二階から降りるときは少し気をつけなくてはならなかった。階段が急なのだ。私は3、4歳のころ何度か滑り落ちている。そう、最初は本当に落ちた。でも……


 私は二回目から故意に滑り落ちている。自ら進んで落ちた。激しい音を立てて落ちた。そうすると、みんなが駆け寄って来る。抱き上げて心配してくれる。私は嬉しくて仕方がなかった。その喜びを味わうために何度も落ちてみせた。痛みなど感じなかった。その頃、ちょうど弟が産まれたばかりだった。弟は色白で目が大きくてまつ毛が長くて、みんなに可愛がられていた。そんな弟が私は嫌いだった。

 

 お母さんに気付かれないように、幼稚園ぐらいの時、私は弟をいじめていた。たぶん叩いたり蹴ったり…… 相当酷いことをしたと思う。弟が泣くのがおもしろかった。でも、本当は何をしたのか、よく覚えていない。弟も忘れているだろうか。弟は中学を卒業すると家を飛び出した。どこにいるのだろう。何をしているのだろう。それより、元気なのだろうか。もし会えたら、会えたら何て言おうか。本当は弟がとても可愛かった。



 私が小学4年生になってすぐのことだった。家の事情で私は一人、おばあちゃんの家に預けられた。弟はお母さんと一緒に居られるのに、私はダメだと言われた。少し寂しかったけれど、おばあちゃんと一緒に暮らせるのは嬉しかった。学校にも行かなくていいし。



 おばあちゃんの家にはセキセイインコのぴーちゃんがいた。ぴーちゃんはお喋りが上手だった。「むかーし、ピー! むかし、あるところに、おじーさんとおばーさんがおりました。ピー! ピー! すると、おーきなももが、どんぶらこー、ピー! どんぶらことながれてきました」「まあ、おじーちゃんのパンツはピー! きったないよピー! ピー! ピー!」



 それにしても退屈だった。昼間、かおるさんは仕事に行ってしまう。おじいちゃんは相変わらず部屋に籠っている。おばあちゃんは忙しそうに家事をしていた。みんなが学校に行っている時間は外出も出来ない。まだ一度も開いていない教科書の表紙を眺めながら、私は毎日、何を考えていたのだろう。記憶から抜け落ちてしまっている。



 ある日、おばあちゃんは庭の植木に水遣りをしていた。私はおばあちゃんに「ねえ、麦茶飲みたい」と言った。おばあちゃんは聞こえないのか水遣りを続けている。私はおばあちゃんの傍に行き「麦茶!」と大声で叫んでいた。すると、振り返ったおばあちゃんは言った。「バカじゃないの。麦茶なら冷蔵庫に入っているでしょう! もういい加減に一人で出来るでしょう。ともくんは小さいから無理だけど、あなたはもう大きいのだから」


 まさかおばあちゃんから、そんな返事が返ってくるなんて予想もしていなかった。弟と比べるなんて思いもしなかった。すごくショックだった。もちろん麦茶なんて自分で飲めるに決まっている。でも、いつもおばあちゃんは「はい、はい」と言って用意してくれた。それが、すごく心地良かった。それなのに…… 私の中の何かが割れた。


 私はぴーちゃんを大空に帰してあげた。だって鳥は空を飛ぶために翼があるのだから。そして、二階のかおるさんの部屋に入り、かおるさんのお気に入りのベージュの革のバッグに油性の赤いペンでハートと女の子の絵を描いた。それから、公園に行って滑り台を一回滑って、つまらないから、すぐ横のスーパーマーケットに入って、チョコレートとグミを手にしてポケットに入れた。外に出ると「待ちなさい」と後ろから強く腕をつかまれた。




 私は二学期から学校に通うため家に戻った。それから、いろいろな事があったけれど、おばあちゃんの家には、ほとんど行かなくなっていた。しばらくして、おばあちゃんは脳血栓になって倒れた。すぐに手術をして元気になったのだが、痴呆が進み、次第に私のことも母のこともわからなくなっていった。そして言葉も忘れてしまった。笑うことも泣くことも怒ることも食べることも出来なくなり、ただ息をしているだけだった。



 もう何年も前におばあちゃんは亡くなった。延命治療はせず、眠ったまま静かに逝った。私は悲しかったのだろうか。よくわからない。涙は出なかった。ただ、今、心の中に鮮烈に溢れてきたのは、おばあちゃんのあの時の言葉だった。「バカじゃないの。麦茶なら冷蔵庫に入っているでしょう! もういい加減に一人で出来るでしょうーー」




 「そうだよね、おばあちゃん……」私は年賀状をまとめて押入れにそっとしまった。そしてサイドボードの真ん中の引き出しを開け、一枚の薄い紙を取り出した。「もう、ちゃんと一人で決められるよ」私はその紙に判を押した。そしてふぅーと息を吐いた。おばあちゃんはこんなこともよく言っていた。「あなたはいつもブスッとしているけれど、笑った顔は誰よりも魅力的なの。だからもっと笑っていなさい」私はキッチンに向かった。温かい紅茶を飲もうと思った。












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[良い点] 一旦うっ、と思わせる。 でも最後は、現実を見据えながら前を向く主人公の姿。 読み味の悪いエピソードを濃厚な読後感に変えてしまった手法は見事だと思います。 [一言] 個人的にはジャンル文学で…
[一言] 子どもは時として残酷ですよね。自分が常に、物語の、家族の、中心にいないと怒り狂います。 都合の悪い事は見ないふり。 大人になって、時間が経って、心に刺さったトゲの様な懺悔を独白している様です…
[良い点] 突き刺さる感じがたまらんです。 [一言] 冬童話、お疲れ様です! 相変わらず突き刺さる言葉が小説ではさらに健在な感じがスゴイ。 痼りを残して、でもだからこそ強く生きていけるのは真理だと思い…
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