4.朝からアクシデント連続
なかなか寝付けなかった僕だったが、明け方はうとうとしたらしい。
いつも通りの時刻に鳴った目覚ましの音で起きたからだ。
既にベッドの中にケイはいなかった。
リビングに行くと、パンの焼けるいい匂いがした。
ケイが朝食の用意をしてくれていたのだ。
フルーツジュースにトースト……。
簡単なものだが、朝食を用意してもらえるのが、こんなにうれしいなんて。
しかも、用意してくれたのは、かわいい人間の女の子(の姿をしているケンタウロスなんだけど)なのだ。
こんな幸せな事は無い。
「あ、おはよう、絆君。
よく眠っていたみたいだから起こさなかったんだ」
ケイが満面の笑顔で僕に言った。
違うよケイ。
僕は夕べ全然寝られなかったんだ。
明け方やっとうとうとしたんだけど……、夕べの睡眠時間は一時間あったかどうか……。
リビングの時計を見ると、いつもの朝の時刻。
寝付いたのはものすごく遅かったのに、起床時刻はいつも通り。
睡眠時間、足りなさ過ぎるよ。
「朝食、これでいいかな?」
僕の顔を見て、ちょっと心配そうにケイ。
そんな顔しないでケイ。
どんな食事だって、君が用意してくれたものなら大歓迎さ。
「う、うん、ありがとう」
「じゃ、食べよう。
座って」
「うん」
まるで、本当の新婚さんみたいだ。
なんだか、幸せ過ぎる!
いいのか?
大丈夫なのか僕?
何か後でとんでもないドンデン返しがきたりしないか?
向かい合い、見つめ合ってトーストをかじる僕とケイ。
ああ、うれしはずかしとは、こういうことか……。
このまま時間が止まってしまえばいいのに……。
僕は時計を見た。
うん、まだ大丈夫だな、さっきと同じ時刻だ。
ん。
――え?
さっきと同じ時刻……?
まさか時計止まってる?
そりゃ、確かに
「このまま時間が止まってしまえばいいのに」
とは思ったけれど、止まってほしかったのは時間であって時計じゃない。
「ケイ!」
「はい!?」
「大変だよ!
時計が止まってる」
「え……、ということは……、遅刻ってやつ!?」
僕らはそれから猛ダッシュで食事を平らげ、歯を磨き顔を洗い身支度を整えて玄関に向かった。
「絆君、私の両肩に手を置いて!」
ケイが振り向いて僕に言った。
「両肩に……、こうかい?」
意図がよく分からなかったけれど、言われた通り、僕はケイの両肩に自分の両手を置いた。
ボワンと煙が出た。
そう、これは、昨日、ケイがヴァンパイヤだったあの黒マントの子との戦闘時、ケンタウロスに変身したときの煙だ。
「え……?」
次の瞬間、僕はケイの上に座っていた。
いや、正確に言えば……。
ケンタウロスに変身した、ケイの下半身の馬の背中の部分に座っていたのだ。
両手はケイの背中に置いたまま。
ただ、ケンタウロスに変身した際のケイは、上半身裸だ。
僕はむき出しのケイの両肩に手を置いていた。
ショートカットだったケイの髪は、たてがみのように背中の半分くらいまで伸びている。
髪の色は、ケイの馬の下半身と同じで、深みのある艶々としたこげ茶色。
この髪でケイの両の胸も隠れているのだけど、髪が少し揺れたら、直ぐに露わになってしまいそうだ。
「じゃ、絆君、しっかりつかまっててね?」
「え?
つかまっててって……。
ケイ、まさか?」
「ウン!
これから中学校まで猛ダッシュで走っていくから。
この姿ならあっという間だから心配しないで。
中学校の場所は下見して知っているから大丈夫だよ!」
「だ、だめだよ、ケイ!」
「え?」
「ケンタウロスの姿で人間の町を走ったら、たちまち大騒ぎになっちゃう!
君たちモンスターは、ひっそりと人間たちと共存共栄をはかっていくんだろ?」
僕は昨日ケイから聞いた話を、今度はケイにした。
「あ、そうか……。
つい、うっかりしちゃった」
再びボワンと煙が出た。
ケイは、中学校の制服を着た普通の人間の女の子の姿に戻っていた。
髪の色はケンタウロスの時と人間の時とで同じだけれど、長さはボーイッシュなショートカットだ。
正直、さっきのケイの綺麗な背中をもっと見ていたかったという願望があったけど、今はそんなこと言っているときではない。
時間はどんどん過ぎている!
「と、とにかく、人間の姿で走るんだ、ケイ!」
「う、うん、分かった、絆君」
僕たちは猛ダッシュで中学校に向けて駆け出した。
ところがケイと走ってみてびっくり。
ケイの足の速いこと速いこと。
ケイは人間の姿をしているときでも、その身体能力は人間をはるかに凌駕しているのだ。
「ケ、ケイ、待って!」
僕はどんどん引き離されながら叫んだ。
「あ、絆君、ご免。
ちょっと速かった?」
僕が追いつくまで、ケイはその場で駆け足しながら待ってくれていた。
僕が追いつくと、今度はケイは僕のスピードに合わせて、横に並びながら走ってくれた。
僕はもう息が切れ始めているのに、ケイは全く息が切れていない。
女の子に負けるなんて悔しい……、でもまあしょうがないか。
中学生の女の子というのは仮の姿で、ケイは本当はギリシャ神話に出てくるモンスター、ケンタウロスなんだから。
「ケイ、あの角を曲がるよ」
「え?
真っ直ぐじゃないの?」
やっぱり!
ケイは知らないんだな。
曲がった方が、裏道つかって近道なんだよ。
「こっちの方が近いんだ!
僕についてきて」
「う、うん? 分かった!」
ケイがあらかじめ下見していたというコースと違うのだろう。
ケイは若干とまどった様子だったが、素直にスピードを落とし、僕の後ろをついてきてくれた。
僕は角を曲がった。
その時!
☆!!!!!
目から星が出た。
何かにぶつかったのだ。
「いってぇ~~」
僕はしりもちをついた。
何にぶつかったのだろうと、目を開ける。
あれ?
どうやら、女の子にぶつかちゃったみたいだ。
「ご、ごめん、大丈夫?」
僕は、立ち上がり、僕と同じくしりもちをついていたその女の子に手を差し伸べた。
「いえ……、こちらこそ……、すみません……、あ!」
スカートだというのに派手にしりもちをついてしまっていたその子は、あわててスカートをおさえた。
あちゃーー。
重ね重ね悪いことをしちゃったな。
「怪我は無い?」
手を差し出す。
片手でスカートをおさえたまま、その子は、もう片方の手を、差し出した僕の手の平にのせた。
「平気です……」
女の子が顔を上げた。
僕と目が合った。
「あっ!?」
「あっ!?」
二人は同時に声を上げた。
見覚えのある黒髪のツインテール。
なんと、その子は……、昨日、僕の命をねらい、ケイと死闘を繰り広げた、黒マントのヴァンパイヤの女の子だったからである。
「おまえ!」
ヴァンパイヤのその子は、僕の手をふりほどくと、後ろに跳びすさった。
「絆君、下がって!」
ケイが、僕の前に立ちはだかった。
対峙するケイと、ヴァンパイヤのその女の子。
「あれ……?」
僕は気付いた。
ヴァンパイヤのその子、昨日と服装が違うのだ。
昨日は、黒マントを羽織り、マントの下にはゴスロリの黒いフリフリの衣装を着ていたのだけれど、今日は制服を着ている。
ちなみに着ているというその制服は……、今、ケイが着ているのと同じ。
つまり、僕が通う中学校の女子の制服だ!
「ケイ、待って。
その子……、僕らの中学校の制服着ているよ」
「あ、本当だ……。おまえ、どういうつもり?」
油断無く身構えながら、ケイが問うた。
「ふん……。
私はもともと隠密裏に掛橋絆の命を奪うために派遣されたのだ。
つまり、掛橋絆と同じ中学校に入り、隙を見て命を奪うはずだったのさ」
「じゃあ、おまえが昨日やったことは任務と違うってことね」
ケイに指摘されると、ヴァンパイヤの子は悔しそうな表情をした。
「わざわざ人間の学校に通うなどまどろっこしい。
そんなことしなくても、人間の男ごとき、あっという間に命を奪えると思っていたのだ。
しかし、貴様という邪魔が入った」
ヴァンパイヤの子はケイを指差しにらみつけた。
「しょうがないから、指令どおり、今日から掛橋絆と同じ学校に入り、隙を見て命をもらうことにしたのだ」
ひいいいいい、この女の子、かわいい顔して恐ろしいことをさらっと言う~~~~。
やっぱり、ヴァンパイヤなんだ。
「そうはさせないわ。
私がいる限り、絆君には指一本触れさせない」
ケ、ケイ、頼もしい~~。
「どうかな?
昨日は油断したが、今度はそうはいかないぞ」
「じゃあ、今試してみる?」
ケイとヴァンパイヤの子との視線がぶつかり合い、火花が散った。
「あ、あの……、お取り込み中悪いんだけど」
「なに!?」
「なに!?」
二人の美少女が同時に僕を見る。
意識が戦闘モードになっているせいか、顔がものすごくこわいよ、二人とも。
「その……、もう学校遅刻ぎりぎりなんだけど」
僕は自分の腕時計を指し示した。
「は、いけない!
絆君にはこれまで通り普通の生活をしてもらわなければいけないんだった!
行こう!
絆君」
ケイは、ヴァンパイヤの子とのにらみ合いを中断し、僕の手を取った。
「う、うん。
い、行こう」
僕は、ケイと手をつないで走り出した。
「あ、ま、待て、貴様ら」
後ろからヴァンパイヤの子も走って追ってきた。
「ああ、おまえ、なんで後をついてくるのよ!」
ケイが後ろを振り向いて叫ぶ。
「黙れ!
私は掛橋絆の命を奪うのだ。
隙が出たらすぐさま攻撃を行うのだから、掛橋絆から離れるわけにはいかないのだ」
ヴァンパイヤの子が負けじと叫び返す。
「――ていうか、おまえ今この道を走ってこなかった?
なんで逆戻りしてんのよ?」
ケイがツッコむ。
そういえばそうだ。
僕がぶつかったのはヴァンパイヤの子がこの道の向こうから走ってきたからだった。
どこへ行こうとしていたんだろう?
……。
あ、そうか!
僕は思い当たった。
「あ、あの君さあ……」
走りながら振り向いて、今度は僕がヴァンパイヤの子に話しかけた。
「何だ!?」
「君、もしかしたら、学校へ行こうとしてたんでしょ?」
「う……」
ヴァンパイヤの子が目をそらして、ちょっと気まずそうな顔をした。
「でも道間違えて走ってたんだね」
「う、うるさい!
初めてだったから、ちょっと……、勘違いしていただけだ」
「へえーー」
今度はケイが半眼になって言った。
「絆君と同じ中学に通うといいながら、学校の場所も知らなかったわけーー?」
「く……、ケンタウロス貴様!」
ヴァンパイヤの子が走るスピードを上げた。
「追いつかれるもんですか!」
ケイが負けじとスピードを上げた。
スピードを上げたのはいいのだが……。
人間離れしたケイの走る速さにこの僕がついていけない。
「わ、わ、わ、ケイ、ちょっと待ってーー」
僕はケイに猛スピードで引っ張られながら走った。
あまりのスピードに体が離陸してしまったほどだ。
「あ、建物が見えた!
絆君、あれがそうだよね?」
「そ、そ、そ……、そうだけど……、ケイ、肩が……、肩が抜ける~~」
ケイが手を取って僕を離陸させたままもうスピードで校門を通過。
一瞬遅れてヴァンパイヤの子も校門を通過。
チャイムが鳴った。
どうにか三人とも遅刻は免れたのだった。