帰宅
すっかり暗くなってしまった。それなりに発展している街とはいえ、住宅街に入ると人が歩いている様子はちっとも見受けられない。
そのためか、夜になると時々不審者が発生するらしい。未だに俺はその不審者とやらに遭遇したことはないのだが……まぁ、会いたいなんて思わないのが当然だよな。
そして現在俺たち三人は『戸野差』という表札がある家の前で立ち止まっている。もちろん俺の家だ。
「ルナ、ティグリス。いいか? 唯奈に変な誤解をされるようなことは絶対に言うなよ?」
俺の確認の言葉に対して二人は頷く。
「わかってますよ、トノサマ」
「心配する必要はないわ。きちんとルナと一緒に言うセリフを決めてきたもの」
どうやらティグリスは出発する前に言っていた通り、きちんと俺の妹になんて説明するのか決めてきたらしい。
「そうか。俺はお前たちのことを信用しているからな? 俺がいいぞって言ったら顔を出すんだ。よし、じゃあ行くぞ」
俺は覚悟を決め、緊張しながらも玄関の鍵を開ける。……はぁ、極秘の任務や泥棒でもなんでもないのに、なんで我が家へ入るだけのことでこんなに緊張しなきゃならんのだ。
そんなことを思いながらゆっくりとドアノブを回す。と、その時――
パチッ。
急に玄関の照明が点いた。な、なんだ? もしかして唯奈のやつが――
あぁ、いるよ目の前に。腕を組んで、怒りを露わにして。
「おにいちゃん。一体どこへ行ってたの!? 電話かけても繋がんないし、メール送っても全然返信してこないし……もう、ほんとに心配したんだよ!?」
「わ、悪い悪い。ちょっといろいろあってな。こんな遅い時間に帰ってくることになってすまない」
「おにいちゃんのばか。ゆいなずっと夕飯食べずに待ってたんだから……ね?」
ここで唯奈の視線が俺から外れ、少し右側へと動いた。何か嫌な予感がするんだけど。
「へー、これがトノサマの妹さんですか。なかなか可愛いじゃありませんか」
「そうね。それに自分のことを『ゆいな』なんて言うあたりも可愛らしいわ。何歳なのかしら」
予想通りルナとティグリスが姿を現していた。俺はすぐさま二人に険悪な視線を向ける。
「お、おいお前ら!」
ばか! まだ出てきていいなんて言ってないぞ!
「まぁまぁトノサマ。そんな細かいことは気にしないでください。初めまして、唯奈さん。私はルナといいます」
「初めまして。わたくしはティグリスよ」
「え、えっと……はじめ、まして?」
いきなりのことにきょとんとしている唯奈。そりゃそうだろう。いきなり兄が日本人とは思えない少女二人を連れてきたのだから。しかも事情を知らない人間からすると、どう見ても二人とも天使のコスプレをしているようにしか見えない。
まぁ、羽を隠すことができないらしいからどうしようもないんだけど。
「おにいちゃん。この人たちは?」
案の定唯奈が俺に訝しげな視線を向けた。マズイ。この状況は想定していなかった。俺は一体なんて答えれば――
「トノサマの正妻です」
「真志さんの愛人よ」
「……ッ!? な、ななな、何言ってんだお前ら!」
いきなり爆弾発言しやがった!?
くっ、なんてこった。ほら、見ろよ唯奈の顔を! 動揺しまくってるじゃねえか!
「せい、さい……あいじん?」
唯奈の途切れ途切れの言葉にルナとティグリスが順に頷く。
「そうです。私はトノサマの正妻。いわゆる契約者、パートナーというやつです」
「愛人っていうのはね……ふふっ、あなたにはまだ早いかもしれないわね」
「ちょっと待てよお前ら! 誤解されるだろ!?」
「誤解なんかじゃないですよ。これは事実です」
「事実!? どこがだよ!?」
いつ俺がルナの夫になったんだよ! 全く記憶にねえよ!
「記憶にないなんて……ひどいですトノサマ。あの時はあんなに、あんなに私を求めてきましたのに」
「な、なんだって!?」
確かに俺はルナと過ごした日々のことを忘れてしまっている。それは事実、事実だ。
ていうか、俺……いったい天国で何してたんだ!? ほんと、なに。そんないやらしいことをやってたっていうのか!?
「それはもう……毎晩のように、あんなことやこんなことをやってたんですよ?」
「じょ、冗談だろ!? なぁティグリス、これはルナの冗談だよな!?」
「んー、何とも言えないわね。九割五分くらいは合っているかしら」
「ほとんとじゃねえか!」
信じられない、信じられない。
俺は自分自身が信じられない!
「あ、あのー」
と、ここで唯奈が困ったような声を上げた。
その声を聞いたルナとティグリスが唯奈の方を向く。
「なんですか、唯奈さん」
「なにかしら?」
「お、お二人はその……おにいちゃんの彼女さんとか……そんな感じでいいんですよね?」
「なっ!?」
ほ、ほら。完全に誤解されたじゃねえか! 二人とも俺の彼女扱いになっていやがる。どうしてくれるんだよ!
「ええ、そんなふうに思ってくれたら結構よ」
「私の場合はもっと親密ですけど」
俺の胸中を無視して続ける二人。
「だ、だからお前ら」
「そうですか。わかりました。とりあえず上ってください。お茶、用意しますよ」
俺が文句を言おうとしたら唯奈が割り込み、二人を家へ招こうとする。それに対してルナが頭を下げ、ティグリスが満足そうに頷いた。
「わざわざありがとうございます。トノサマはいい妹さんを持っていますね」
「なかなか物分かりの良い妹さんよね。それと……唯奈ちゃん、でいいかしら?」
「は、はい。どうぞお好きなように呼んでください」
「そう、ありがとう。あとわたくしたちに敬語は使わなくて結構よ。いつもの言葉使いで構わないわ」
「い、いえ。ですが……」
「いいのよ。これからしばらくお世話になるのだから。それに堅苦しい感じは疲れるから嫌なのよ」
「そうですか、それでは……って、え? これから、しばらく、お世話に、なる?」
唯奈が自分の勘違いではないのかと確認するかのように繰り返した。が、残念ながらそうなんだよ唯奈。ルナもティグリスもこれからしばらくうちに住むことになっているんだ。
俺が胸中でため息をついていると、ティグリスが頷いた。
「ええ。この後そのことについてお話しするわ。それじゃあ上がらせてもらうわね」
「は、はい」
唯奈が不安そうに頷くと、俺たちは靴を脱いで居間へと向かった。