恥ずかしいといわれても諦めない
唯奈と二人っきりで出かけて、水族館やらその他の場所をいろいろと回って――
現在時刻は午後二時前。
そろそろ、か。
シリカの予知夢では今日の午後二時にやつが現れる。良くない出来事が起こる前に何とかしたいのだが。
チラリと上方を見て、ルナに胸中で話しかける。
どうだ、ルナ。やつは来たか?
「…………」
無言のまま首をふるふると横に振るルナ。ということはまだ来ていないようだ。
一応この付近にもティグリスが検知魔法を張り巡らせているため、もしやつがここら一帯に現れればすぐにわかるはず。やつが現れた場合はルナが俺にそのことを知らせてくれるだろう。
「おにいちゃん。ちょっと手洗いに行きたいんだけど」
「ん? あぁ、行ってこいよ」
そのことを考えていたため、何気なしに返事をして……って、しまった。唯奈を一人にするのは危険じゃねえか。
すぐさまルナに『隠ぺい魔法を使ったままでいいから唯奈の近くへ行ってくれ』とお願いし、ルナを向かわせる。
ふぅ、これで一応は危険を回避したかな。
と、そんなことを思いながら唯奈を待っていると。
「…………」
あ、あれ?
身体が、勝手に動き出しやがった!?
首をぐるぐる回したり、指を鳴らしたりして、まるで体のなじみ具合を確かめているかのように俺の身体が勝手に動く。
お、おいおいおいおい。
う、嘘だろ?
まさか……俺に取り憑いただと!?
『そうだよ、君に取り憑かせてもらったから』
『――ッ。だ、誰だよ、お前……』
『初めまして。ぼくの名前は……すまない、忘れてしまったようだ。なにせ亡霊になって何十年も過ごしたからね。さて、単刀直入に言わせてもらうが、今日からしばらくの間、君の身体を使わせてもらうから』
『じょ、冗談じゃねえよ! ていうかお前やっぱり……』
『うん、君の思っている通りだよ。ぼくは亡霊。地獄からやってきた亡霊。わざわざこのタイミングを狙ってやってきたのはわかるよね?』
『――っ。ま、まさかお前……俺らの行動をすべて把握していて……』
『その通りだよ。君たち天使の行動はきちんと把握していたからね。でも、地獄の王のことは予想外だったなあ。まさか今日この時間にやってくることを彼女が知っているとは思わなかったよ。でも残念でした。君たちはやっぱりまぬけだね』
『くっ……』
なんてこった。
全部見透かされていたのか。ということはもしや、
『じゃあ、俺の身体を狙ったということは……』
『もちろん知っているよ。君の身体に取り憑くのが一番安全だということをね。だってそうなんだろう? もし君の身体に取り憑いたぼくを消滅させようとしたら、君自身の魂も消滅しかねないんだろう?』
『……ちっ』
やっぱり知っていやがったか。
俺の場合はもともと天国から来た魂がこの身体に混ざっている。だからルナがその手の魔法を扱うと、本来あるべき魂じゃないものと判断されて、こいつ諸とも俺の魂も消滅されてしまう可能性がかなり高い。
どうする。どうすればいいんだ。
『さてと、じゃあ早速こっちへ来た目的を果たさせてもらおうかな』
俺に心で話しかけながら立ち上がる亡霊、もとい俺の身体。
『お前はいったい何をするつもりだ』
『そんなの決まっているじゃないか。一つはぼくを自殺へ追いつめたやつらに復讐するため、そしてもう一つが』
そこで一息置き、
『君の妹を殺すことだ』
『ど、どうして唯奈に関係があるんだよ!』
『うん? そんなの決まっているじゃないか。君の妹を殺して、ぼくを誤って地獄へ落としたことを……天使たちに、天使たちに後悔させてやるんだよッ』
いきなり亡霊の迫力が増した。相当、相当地獄へ落とされたことを憎んでいるらしい。
『ぼくを誤って地獄へ落とさなかったらこんなことにはならなかった。そういう風に後悔させてやるんだッ。ぼくがどれだけ、どれだけ地獄で辛い目にあってきたのか思い知らせてやるんだッ』
『くっ。だからってそれはあまりにも』
『理不尽さ。理不尽だってことはわかっているさ。でもね、君も思わないかい? この世界は理不尽で満ち溢れていると』
『理不尽で満ち溢れている、だって?』
『そうだ、そうだよ! 理不尽で溢れているんだ!』
そして、一度動悸を収めるかのように一呼吸置き、
『少し昔の話をすると、ぼくは生前リストラされたんだ。普通に働いて、何も悪いことをしなかったのにリストラされたんだ。毎日毎日上司の尻拭いをさせられ、一生懸命働いてきたのにリストラされたんだ!』
急に自分の過去話を始めやがった。
俺は無言のまま、仕方なしにそれを聞いてやる。
『それにリストラされて、変な噂もされるようになった。近所に住んでいる人たちに変な目で見られるようになった。それでも一生懸命バイトして、バイトして生活していったのに……! 最後には仲間だと思っていたやつらに裏切られ、いろいろな虐めにあって莫大な借金を背負わされた! これを理不尽と言わず何という!』
『た、確かに……それは』
酷いと思う。何も悪いことをしていないのに、そうなってしまったのは酷いと思う。
俺はこの亡霊じゃないから詳しいことは知らない。でも話を聞く限りでは、俺はそう感じた。
『それにだ! そんな人生を送ったにもかかわらずだ! やつらは、天使たちはぼくを地獄へ落としやがったんだ! しかも、手違いだぞ、手違い! ぼくが何か罪を犯したのならまだしも……そんなことを一切していないのに、手違いで地獄へ落とされたんだ!』
『……そうか』
それは俺にもわかる。
だって俺もこいつと同じだったから。
本来天国へ行くはずだったのに誤って地獄へ落とされた。それを知った時は相当ショックを受けたさ。
『それでどうなったと思う? ぼくは逃げ切ることができなくて亡霊に喰われたんだ! そしてぼくは亡霊になって……醜い姿のまま、何も食べることもできないまま、悪魔たちに狩られることもないまま、苦しい思いをしながらずっと……何年も何年も過ごしてきたんだ!』
『確かにそれは辛いかもしれない。でも、でもそうやって自分が理不尽にあったからって……やり返すのは間違っていると思う』
『うるさいッ。君は何とでも言えばいいさ! ぼくの気持ちなんてわかるはずない! それにこれはただやり返すだけじゃない。天使共に思い知らせてやるんだ。これ以上謝って地獄へ落とさないと誓わせてやるんだ! だからそのためにも犠牲は必須。ふふ、ふふふふふ。くははははッ。今からその気持ちを味わわせてあげるよ、理不尽っていうものを』
『お、おい。まさか……』
『その通りだよ。今から君の妹をこの手で殺す。君は何もできないまま……妹が死んでいくのを、この世の理不尽っていうのを感じ取ればいいさ』
そしてそのまま俺の身体を勝手に操り――
唯奈がまだ帰ってこないのをいいことに、近場にある百貨店に入り、刃物を購入。
きちんと金を払うあたりはちゃんとしているんだななんて思って……って、そんな場合じゃねえよ! 何とか、何とかしないと。
このまま進むと大変なことが起きてしまう。それもシリカが宣言した通りの出来事が。
くっ、ルナとティグリスが俺の異変に気づいてくれればいいのだが――
待っていられない。だってあの時シリカはああ言ったんだ。
あんた、このまま進めば妹を自分の手で殺すことになるわ、と。
つまり、このまま俺が何もせずにルナかティグリスのどちらかが気付いてくれるのを待っていたらそうなってしまうということだ。
どうにかして、俺が止めなければ。こいつを止めるにはどうしたら――
あっ。そうだ、ダメかもしれないけど試してみるか。何もしないよりはマシだ。
俺は意を決して亡霊に話しかける。
『なぁ、お前はプライバシーを侵害されたことはあるか?』
『――は? いきなり何を言い出すんだい、君は』
『お前は他人に心を勝手に読まれてプライバシーを侵害されたことはあるのか、って聞いているんだ』
『他人に心を読まれる? 何言ってるんだい、そんなのあり得るわけないじゃないか』
『だろ? そう思うだろ? でも実際はそうじゃないんだ』
『……何が言いたいんだ、君は』
『俺もお前と同じだと言いたいんだ。俺も数多くの理不尽を体験してきたってな』
『何を言っているんだ。君は僕と違って天国へ行ったから幸せな生活を送って』
『違う! 俺が簡単に天国へ行ったと思っているのか? 今の幸せな生活を簡単に手に入れたと思っているのか? 違う! 全然違う! 俺は簡単に天国へなんて行ってねえ。お前と一緒で俺も誤って地獄へ落とされたんだよ!』
『なんだって?』
『俺もお前と同じで誤って地獄へ落とされた。そこで数多くの亡霊に襲われたさ。でも、でもな。俺は逃げ続け、ある堕天使に出会ったんだ』
『ある堕天使?』
『そうだ。その堕天使っていうのがルナのことだ。俺は地獄でルナと出会って……助かったと思った。ルナも天使に戻るために誤って落とされた人間を助けているって言っていたからな。でもな、そう簡単にはいかなかった。俺はお前みたいに亡霊になったわけじゃないからそういう苦しみは知らないけど、俺は俺でいろんな理不尽に出会ってきたんだ』
『…………』
無言で俺の言葉に耳を傾ける亡霊。よし、いい調子だ。
『まず一つがルナの能力だ。あいつには他人の胸中を読み取るというあまりにも危険な能力が備わっていたんだ。それで俺は毎日毎日考えていることを読まれてプライバシーの侵害を受けてきた。それだけじゃない。理不尽と言えば他にもたくさんある。地獄で生活している間に亡霊や悪魔に理由もなく何度も襲われるし、ルナのうっかりで天使にも殺されかけた。それに』
その後何度も何度も理不尽に出会ってきたことを話してやった。天国での生活も含めて。
本当に今思えば、こいつの言う通りこの世界は理不尽で溢れているかもしれない。
この亡霊のように大変な思いをしたかどうかは別として、俺は俺なりにこれらの理不尽と向き合ってきた。
だから――
『だから何だというんだい。君がいくら理不尽にあってきたと言ってもぼくは止めない。きちんと天使に仕返しをして、ぼくを自殺へと追い込んだやつらを後悔させてやるんだ』
『……くっ』
やっぱり無理だったか。
俺の説得じゃあこんなものか。
でも――
諦めたらそこで終わり。シリカの言う通りになってしまう。
『そうか……じゃあ好きにすればいいさ。でもな、俺も簡単に諦めるつもりはない。本当はこんなことしたくなかったけど……そう言ってられないからな』
『何をするつもりだい?』
『…………』
そこから俺は無言のまま、自分の奥に眠るやつ、夜の魔王にただひたすらに訴えかける。
諦めない。
俺は絶対に諦めない!
今までも……これからも。
たとえそれが他人に頼るという恥ずかしい行為であったとしても。それで唯奈の命が助かるのなら――
おい、お前ならなんとかできるんだろ。夜の魔王!
(…………)
おい夜の魔王。返事しやがれ!
(……なんだ、うるさいやつだな)
お前の力を借りたい。今俺の身体に取り憑いているやつをどうにかしてほしい。
(それは面倒だな。自分でどうにかしろ)
できないからこうして頼んでいるんだ。頼む、頼むから。
(ならば一つ訊こう)
なんだよ、早くしてくれよ。
こうやって話しているうちに時は進んでいる。今、目の前には唯奈がいる。そしてルナが空中から俺たち二人のことを眺めている。ルナもティグリスも全然気が付いていないようだ。検知魔法を張り巡らせたとはいえ、この亡霊はうまく包囲網をすり抜けてきたらしい。
俺を操っている亡霊が適当に何か言ってこの場から、人の多い場所から抜け出そうとしている。もし抜け出してしまったら、アウトだ。それまでにどうにかしなければならないのだが。
(…………)
黙ってないで早く言ってくれ。こっちには時間がないんだ。
(ほう、それが人にものを頼む態度か?)
……っ、すまない。お願いだから妹を守ってほしい。それで訊きたいことっていうのは?
(ふむ。あの娘は唯奈といったよな?)
あぁ、そうだ。
(妹といったよな?)
そうだよ、妹だよ。だから何が言いたいんだ。
(単刀直入に言おう。食べてもいいか?)
……ッ。ば、ばか! 唯奈は妹だと言って――
(そうか。ならば交渉決裂だな。俺はしばらく眠るとしよう)
ちょ、待てよ。おい、夜の魔王!
(…………)
返事しやがれこの野郎!
(…………)
叫んでも無言を貫き通す夜の魔王。はぁ、仕様がない。ここはこうするしかないか。
夜の魔王、聞いてくれ。条件を変えてもいいか?
(……その条件次第ならば、聞いてやらんこともない)
先に言っておくが、唯奈はダメだ。絶対にダメ。
でも――
(なんだ、早く言ったらどうだ。時間がないのだろう?)
……っ。
確かに時間がない。今は人通りの多い所を唯奈と共に歩いているが、もう少ししたら人気のいない場所へ抜ける道がある。そこへ入られたら終わりだ。
これは唯奈の命が掛かっているんだ。背に腹は代えられん。
夜の魔王よ。
(なんだ?)
もし唯奈を守ってくれたのなら……今日だけ解禁してやる。
あの約束を無かったことにしてやる。
(ほう、本当にいいのだな?)
うっ。あ、あぁ。構わない。今日だけは好きにすればいい。
でも、明日からはダメだからな。
(まぁ、いいだろう。今の言葉きちんと記憶したからな。明日の朝、俺に文句を言うんじゃないぞ)
わ、わかってるよ。
(そうか、ならば代われ。すぐに何とかしてやろう)
……頼んだぞ。




