地獄の王シリカ
「……はっ」
いつの間にか眠っていた。どうやら俺は知らぬ間に眠らされていたようだ。
正直あの後の記憶はほとんどない。でも『スパンッ』と切れ味の良い音が鳴ってから意識はすぐに途絶えなかったと思うから、発狂して手に負えなくなった俺を無理やり眠らせたのだろうか。
いや、そんなことよりも。
「ない、傷がない!?」
腹部に大穴を開けられたはずなのに、跡形もなくそれは塞がれていた。
それに、その他の傷もすべてが癒えている。
「どうですか、トノサマ。大丈夫ですか?」
急に頭上から声が聞こえてきた。
俺が真上を見ると、そこにはルナの顔が。
「あ、あぁ。大丈夫だけど……って、もしかしてこれ、膝枕!?」
「ええ、そうですよ?」
なるほど、やっぱりそうだったのか。
やけにぷにぷにしていて気持ちがいい……って、いやいやいや、ちょっと待て。
膝枕、だと!?
「はい、膝枕です。気持ちいいですか?」
「……っ」
焦った俺は――ガバッ。
すぐさま起き上がろうとした……のだが、ティグリスに取り押さえられてしまった。
「ダメよ真志さん。最低でもあと一〇分横になっていなさい。まだ完全に傷が癒えたわけではないのだから」
「え、そうなのか? でも全然痛みなんてないけれど」
「魔法とはそんなものよ。だからわたくしがダメと言ったらダメ。こう見えても治療系魔法はルナよりも得意なのだから。ちゃんと言うことを聞きなさい」
「わ、わかった」
とりあえずティグリスの言う通りにし、俺は再びルナの太ももに頭を預けることにした。
一緒に寝ている時とは違って、これはこれで凄くドキドキする。
「あ、そういえば真志さん。わたくしとの思い出はちゃんと記憶に戻っているかしら?」
「ティグリスとの思い出……あぁ、なるほどな。ティグリスとの思い出ってそういうことだったのか」
完全に思い出した。
ティグリスと初めて出会った、いや、むしろ遭遇したと表現した方がいいかもな。
その場所は地獄だったんだ。地獄でティグリスと遭遇したんだよ。
ちなみに地獄でティグリスと遭遇した時、俺たちの関係は……正義の味方がティグリスで、悪の一味が俺とルナ。まさにそんな関係だった。
というのも、俺自身が――
あ、あれ? どうしてそうなったんだっけ。
「どうやら夜の魔王についての記憶はまだ戻っていないようですね」
「残念ながらそのようね。昨日一緒に寝たけれど、彼は現れなかったし」
ルナが胸中を読み取って答えた言葉にティグリスが頷いた。
俺は不可解な単語を耳にしたため首を傾げる。
「夜の魔王って?」
いったい何者なんだそいつは。名前からして良いイメージが一つもないぞ。
すると、その疑問に対してルナがルーズリーフを見ながら、
「んー、これについては、トノサマが夜の魔王のことを思い出す、もしくは夜の魔王を復活させる方法が最後の項目にあたるのですが……どうしますか?」
「え、最後の項目って」
確かそれって一番ヤバいやつじゃなかったっけ?
と、嫌な予感をさせながら俺がルーズリーフを手に取ろうとしたところで、
「やっとみつけた。あんたたちこんなところにいたのね」
突然目の前の空間が歪んで、そこから少女の声が聞こえてきた。そして間もなく、ズズズと音が鳴って、徐々にその者の姿が露わになってきて。
少女……いや、違う。
幼女が現れた。
「真志、あんた今失礼なこと考えたわよね!」
「い、いや、そんなことないぞっ」
唐突に剣幕な眼差しを向けられたため、俺は慌てて首を横に振る。ま、まさかこの幼女にもルナと同等の能力が?
――いやいやいや、そんなことあり得るはずがない。俺の記憶が正しければ、他人の胸中を読み取ることができるのは世界でただ一人。ルナだけのはずだ。
「ええ、そうですよ。私以外にこの能力を持っている者はいませんね。お父様も持っていませんし」
ほら。ルナもこう言っていることだし、これは事実だろう。って、あれ? でもなんかおかしくないか? どうしてルナを創り出したお父様本人にそのような能力が備わっていなんだ?
――いや、そんな細かいことはどうでもいいか。それよりも、だ。目の前に現れた幼女が何者なのか、今はこれが重要な問題だ。
ジッと幼女の姿を見つめる。ちなみに俺の記憶には一切ないと思う。この幼女と出会ったのはこれが初めてのはず……でも向こうは俺の名前を呼んでいたよな? ってことは間違いなく俺も知っているはずだよな?
んー、もうちょっと思い出す努力をしてみようか。
まずこの幼女の姿。深紅の髪をツインテールに結っていて、身長が一四〇センチあるかどうか怪しいところ。外見だけで判断すると、どう見ても小学五年生以下だ。他に特徴があるとすれば背中の羽だろうか。蝙蝠のような漆黒の羽を生やしている。
幼女、幼女……ダメだ。やっぱり思い出せない。
「トノサマ。シリカさんは地獄の王ですよ」
思い出せない俺を見兼ねたのか、ルナが幼女の正体を教えてくれた。
へー、そうかそうか。地獄の王か……って、地獄の王!?
「こんな小さな子が?」
「あんた相変わらず失礼なことを言うわね。っていうかその反応……やっぱりまだ記憶が戻っていないみたいね」
どうやら地獄の王らしい幼女が俺に文句を言った後、何やら勝手に理解したらしく、ふむふむと頷いている。
その様子を見たルナが首を傾げた。
「シリカさん、どうしてそれを知っているんですか?」
「あたしは地獄の王よ? それくらいわかるわよ」
ルナの問いに堂々とふんぞり返る幼女、もとい地獄の王、シリカ。……ん? シリカ? なんかどっかで聞いたことがあるような……あっ!
あのルーズリーフの! 女体化するだの訳のわからんことを書いてたやつに出てきた名前だ! てことはあれか。俺はこいつに女体化させられたことがあるのか。
うお……なんか想像したら鳥肌が立ってきたぞ。
俺の胸中などお構いなしにティグリスが地獄の王に訝しげな視線を向ける。
「地獄の王がわざわざこんなところへやってくるなんて、わたくしたちに何か用かしら?」
「あら、ティグリス久しぶりね。やっぱりあんたがいると話が早く進むからいいわ」
「いいから質問に答えて。いったい何をしに来たのかしら?」
「はあ、あんたも相変わらずねえ。少しは挨拶くらいしてもいいじゃない」
「そんなもの必要ないわ。いいから質問に答えて」
「はぁ、仕方ないわね」
ティグリスのしつこい問いに地獄の王はため息をついた。そして――
「あたしはあんたたちを殺しにきたの」
さらっと躊躇いもなく、物騒なことを言ってきやがった。
『――え?』
唐突な殺害宣言に俺たちは呆けてしまう。この中でも一番地獄の王と親しみのありそうなルナが信じられないといった顔をした。
「シ、シリカさん。ど、どうしてそんなことを……?」
「理由? そんなもの必要ないじゃない。あたしが殺したいからただ殺すだけよ」
「こ、殺すって――」
「お前そんな理不尽が許されるとでも思っているのか!?」
見ていられなくなった俺はルナの言葉を遮って文句を言った。いくらこいつが地獄の王だとしてもそんなことが許されるわけがない。こんなに軽々しく人を殺すだなんて言っていいはずがない。命を軽々しく扱うんじゃねえよ。
すると地獄の王はふんと鼻で笑いやがった。
「バカねえあんた。許されるわよ、許されるに決まっているじゃない。何せあたしは地獄の王よ? あたしといい勝負をするのは天国の王だけ。それに地獄の王と天国の王は殺り合うことが禁止されている。したがって誰もあたしを裁けない。裁ける者なんて存在しない。だから」
そう言って一呼吸し、
「殺したくなったから、あんたたちを……こ・ろ・す・の」
『――ッ』
ゾクリとした。背筋が凍るとはこのことだろうか。
人を恐怖のどん底に突き落とすほどの恐ろしい笑みを作り、あからさまな殺気を放ってくる地獄の王に、俺たち三人は完全に飲み込まれてしまった。指先一つ動かすことができない。まるで金縛りにでもあっているかのようだ。
「ふーん、怖くて怖くて動けないんだ。じゃあ好きなようにさせてもらうから」
地獄の王が満足そうに頷いた後、何やら詠唱をし始める。
それを動けずに俺たちが見ていると、
「ぅ……お?」
急に俺の身体が宙に浮きあがったのだ。そして――バシンッ。
一本の木に投げつけられた。ものすごい衝撃が俺の背中を襲う。
一瞬にして息が詰まる。呼吸ができなくなる。
「あんたはそこで黙って見てなさい」
地獄の王がそう言った後、さらに何かの呪文を唱え――ジャラ、グルグルグル。
鉄の鎖をどこからともなく出現させ、俺の身体を木に縛りつけてきやがった。しまった。完全に身動きを封じられてしまった。手も足も……動かせない!
「ト、トノサマ!」
「真志さん!」
ようやく我に返ったルナとティグリスが戦闘体勢を取る。ルナはまだ動揺を隠せないようだが、ティグリスは完全に地獄の王を敵視している。
「どういうつもりよ地獄の王! 本当にわたくしたちを」
「ええ、殺すに決まってるじゃない。一人一人じっくりと、ね」
「……ッ。ルナ、迷っている暇はないわ。いつも通りの戦い方で行くわよ」
「で、でも……」
「躊躇っている暇なんてないわ! あなたさっきの見ていなかったの!? 真志さんが今どういう状況だと思っているの!?」
「……ッ。わかりました。ティグリス、援護は任せます」
「ええ、任せなさい。二人で何とかするしかないわね」
漸く危機的状況を認めたらしくルナが漆黒の大鎌を召喚させて地獄の王を見据える。ルナの斜め後ろにはティグリスが羽を広げて飛び上り、水色の杖を構えている。
その二人の姿勢を見た地獄の王が不敵に笑った。
「へー、ようやく戦う気になってくれたのね。いい、いいわよ、その殺気。最高。ゾクゾクするわ。でも……あたしに勝とうなんざ一〇〇年早いわ!」
一気に黒いオーラを纏った地獄の王が飛び上った。




