今日も勇者は悪魔と恋をする
今日も授業が終わり、玄関はわらわらと帰途に就く生徒達を吐き出している。僕もその流れに混じり、校庭を横切ってゆっくりと校門の方へと歩いていた。
夏の間、空を覆うように茂っていた校舎の周りの木の葉っぱは、もうその姿をあらかた散らしてしまっており。それがやけに空を広く感じさせる。
校門の側では、明るい金色の髪をした少女が一人、今日も僕を待っていた。僕が小さく手を振ると、彼女も此方に気付いたようで、小走りで僕の側へと駆け寄ってくる。
「待った?」
待ってたの、知ってるけど。いかにも待ってました! みたいな彼女のそんな仕草が可愛らしくて、わざとらしく僕は聞いてしまう。
「待ったわよ。ユウヤと会っていない間、私はずっと待ち焦がれてるようなものなの。さ、今日は、どうする?」
彼女は拗ねたような顔をして見せたが、すぐに笑顔に戻って今日の予定を聞いてきた。
「お金も無いし、今日は僕の家。ゲームして、ニコ動でも見て、退屈になったらベッドの上でごろごろしながらだべってれば良いと思う。家の中ならあったかいし、経済的」
「ふぅん、いいわね。行きましょっか。ね、ね。何か面白い動画とか、あった?」
肩が触れ合いそうな距離で、横並び。僕の家へと歩き出す。
その彼女の背後で、ぴこぴこと。黒い尖った尻尾が、楽しそうに揺れていた。
そう、彼女。リオは人類種の敵たる、悪魔である。
僕は、彼女と恋愛をしていた。
彼女を、殺すために。
敵と言っても、彼女たちが直接人を傷つける訳ではない。ただ、人間の男性と恋をする。
彼女ら悪魔が敵とされたのは、彼女たちの出現による出生率低下、それに伴う人口減がそう遠くない内に深刻な問題と化すことに、各国の識者が気付いてからだ。彼女らは、人間との間に子を宿せないのである。
まだ、彼女たちが人間の敵に認定されたということは、一般には知らされていない。彼女たちは、既にあまりにもこの世界に、溶け込みすぎている。
それに、通常の手段で、彼女たちを傷付ける事は出来ないのだ。
悪魔の命を奪うためには、その悪魔を心の底から愛している必要がある。
“チャンネル”というのを合わせる必要があるのだそうだ。
悪魔に対しても、人間に対しても、秘密裏に。悪魔を愛し、殺すための存在……勇者の育成が開始された。
僕も、その一人だ。
なのに。リオはそんな事を知ってか知らずか、今は思い切り無防備に僕の肩にもたれ、すやすやと眠っていた。
僕は小さく苦笑しながら、リオを倒さないようにゆっくりとソファから立ち上がり、ベッドから毛布を一枚引っぺがして、そっと彼女の肩にかけてやる。
伏せられた睫毛の一本一本が見えるような距離まで顔を近づけても、彼女は目覚めない。
彼女の寝顔をじっと見つめながら、僕は考えてしまう。いざ、“その時”が訪れたら、僕は本当に彼女を殺すことが出来るだろうか?
今ですら、その無防備な寝顔を見つめるだけで胸の何処かを鷲掴みにされるような感情が励起させられるというのに。
なるべくなら、その時が訪れるまでに、リオともっともっと恋人らしいことがしたい。二人で休みを合わせて、旅行に行ったり。クリスマスには、二人で小さなケーキと鍋料理でも作って、コタツに向かい合わせで鍋をつつきあったり。いや、悪魔とクリスマスを祝う、なんてのは変だろうか。
なんと言っても、僕は本気で彼女に恋するのだ。今はただ、この時間を出来るだけ長く楽しんでやる。後の事なんて、後で考えればいい。
そう思うと、気が楽になった。
僕は小さく息を吐くと、少しだけ笑って、彼女から体を離した。とすん、と隣に腰掛け直す。
「何もしないのね、ユウヤ」
突然リオがポツリと呟いて、僕は思わずびくりと体を強張らせた。
「キスのひとつでもしてくれるのかと思ったわ。せっかく、目を閉じてドキドキしながら待ってたのに」
しかし薄目を開けてこちらを向いたリオは、ニヤニヤと笑いながらそんな事を言った。
僕の思っていたことが読まれたのか、なんて思ったが、そんなことは無いようで。僕は胸を撫で下ろす。
「寝てるリオにキスして、自分だけ楽しむなんて卑怯な真似は、僕はしないんだよ」
言って、一つ。
今度こそ本当に、彼女の唇にキスを落としてやった。体を寄せて、被せるように。唇を接触させるだけのキスにしては、ずいぶん長く、深い奴を。
リオが喉の奥を鳴らしながら、もぞもぞと毛布の中から腕を伸ばして、僕の体をぎゅっと抱き締めてくる。毛布越しに伝わってくる彼女の体温につられるように、僕の体の温度も上がってゆくのを自覚した。幸せな時間だ。
しかし同時に、僕はある種の絶望感を覚えていた。
――無理だ。“その時”は、すぐに来てしまう。
浮かんでしまった想像を振り払うように、ぎゅっと、ぎゅっと。僕は強く彼女を抱き返した。
“その時”は、一週間と経たずにやってきた。
特別な何かがあったわけじゃない。いつもみたいに、デートをして、くだらない話をして、帰ったらメールをして。それだけなのに、リオのことが好きで、好きで堪らなくなってゆく。
そして、今日の朝。はっきりと言い表すことは出来ないが、これが報せだろう、という確信めいた感覚があった。
リオと、やりたい事。そもそも、そんな未来への願いを持ってしまったことが、この時がやってくるのを早める原因だったのかもしれない。
今僕は、独り校舎の裏側に立っている。今日は休日で、学校には誰も居ない。僕と、今から来る、一人を除いては。リオと、待ち合わせをしているのだ。
待つ間、なんとなく空を見上げてみた。曇り空。冷えた鉄の表面のような、寒々しくて、暗い色。いかにも雪でも降り出してきそうだが、まだ初雪の季節には少しだけ早いだろうか。
クリスマスの、鍋パーティ。あれは諦めなくちゃいけないな。初詣も、一緒に行きたかった。それで、お参りするリオに、悪魔のクセに、なんて言って、からかって、やるん、だ。
……いつの間にか、見上げた空は滲んでいた。よかった、上を向いていて。
僕は、素手で目を拭い、涙声になっていないのを確認してから、視線を前に戻した。まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、彼女はやってきた。
「今日は私の方が待たせちゃったみたいね。ふふ、どうしたの、こんな所に呼び出して。告白なら、一度で十分よ?」
悪戯っぽく笑う彼女。
あぁ、「指輪を渡すつもりだったんだよ」なんて戯れで返して、二人して笑いながら赤面していれば、なんて幸せだろうに。
僕は無言で、肩にかけていた手提げ鞄を落とす。僕の握り締めている短剣が、これで彼女の視界にも露になったはずだ。不思議そうな顔をしているリオ。
何も判っていない今のうちに、一刺しすればいいのだ。どうせ今もどこかで、僕と同じように任を受けた勇者たちが人類の敵たる悪魔たちを殺している。
このか弱い無抵抗な生き物を一刺しすれば、人類全体が救われ、僕は今度こそ普通の恋愛が出来る。
人間の恋人を作って、その恋人に何の苦悩もなく、愛してる、と囁く事が。
そんなことが。
「出来る………………もんか!!」
止めたはずの涙が、ぼろぼろと溢れてくる。
足から力が抜けて、地面に膝を付いてしまう。
短剣を地面に落とし、僕は声を上げて泣いた。
不意に、体が柔らかい感覚に包まれる。何も言えず、泣く事しか出来ない僕を、リオが優しく抱きしめてくれていた。
「……大丈夫よ。もう、何も、心配しなくていい。本当に……心配する必要なんて、無い、から」
僕はゆっくりと、体を離す。やっぱりだ。声が震えていると思ったら、彼女も泣いてる。僕より酷いんじゃないかって言うぐらい。馬鹿だなぁ。
「ごめん……ごめん、ごめん、ね。ユウヤ……ユウヤ、ぁ……っ」
僕は仰向けに地面に倒れた。胸に、リオの突き立てた短剣が刺さったまま。
……つまりは、彼女も同じだったのだ。
勇者を討つために、僕を心の底から愛してくれた、悪魔。
「……謝んなくていいよ、リオ。僕は……感謝してる。一緒にいる間、いつも幸せで、楽しくて。……最高の恋人で、居てくれて。本当に、ありがとう」
僕は声を振り絞る。リオが泣いているのなら、慰めなくちゃ。だって僕は……今だってまだ、リオのことを、愛しているんだから。
ゆっくりと温度の抜けていく指先に、ふと温かな感触があった。
暗い視界に映るのは、取り落としたはずの僕の短剣。リオが、それごと僕の手を、両手で握りしめていた。
「……ばか。一人になんて、させてあげないわよ」
愛の証は、容易く彼女の胸へと吸い込まれた。
僕の腕を伝って流れ落ちてくる、一筋の熱い温度。
それが、恐らく僕が最後に感じたものだった。
こうして計画通りに、ひっそりと。人類の敵は、倒された。
今日もどこかで、勇者と悪魔は恋をしている。
初投稿になります。
主人公への感情移入を、なるべく短い文章で成し遂げてやろう!という作品。
そのために色々工夫していたり。
読んで、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。