初対戦は絵本の恐竜
さて、話をルリカと真彦、ちひろの方へ戻そう。
3人が宿をでてから約2時間。時刻はちょうど11時。
そろそろ一番高い所に昇りつめようとする太陽は、
今は真っ黒でぶ厚い雲に遮られて、その姿を確認することはできない。
それどころか、少し前からひどい雨も降り始めていた。
「何か…出てきそうですね。」
すっかりゲームモードとなったルリカは、
建物の影に厳しく目をこらしつつ、そう呟く。
たしかに見渡す限り、人影は全くない。
街並みは不気味な雰囲気を漂わせていた。
何か、がお化けか幽霊かだろうと思った真彦は、
ちひろと手を繋いでいない方で、ルリカを引き寄せる。
「大丈夫だ、俺にまかせろ。」
真彦までもすっかりプレイヤーモードとなり、
そんな、冷静になれば歯の浮くような台詞を言い放つ。
その時、完全にキャラに入り込んでいた真彦に、
ルリカの複雑な視線に気づくことはなかった。
「うおぁ!!」
突然、目の前に爆音と閃光が落ちる。
真っ白になった頭に、幼い頃の母親の台詞が浮かぶ。
《いい?真ちゃん。
雷は音と光の間隔が狭いほど近いから、
ほぼ同時に感じたときは、すぐに建物に入るのよ。》
考える前に足が動いていた。ちひろを抱きかかえ、走り出す。
音と光は、ほぼじゃない。完全なる同時だった。
だけど廃れてしまったのか、建物内にさえ人の気配は感じられなかった。
かっちりとしまった扉を悔し紛れに叩く。
その家が駄目なら、その隣の家。それが駄目なら、そのまた隣の家。
「勇者様!だめです、待ってください!!」
ルリカが後ろからそう叫んでくるが、構っているヒマはない。
俺は今、幼女を守るヒーローなのだから。
「真彦…!それは雷じゃない!」
ルリカからの突然の呼び捨てに思わず足が止まる。
立ち止まった視界の端にソイツはいた。
落雷地点から遠く遠くへ走っていたはずなのに、
なぜかそこは地面が焦げていた。
その焦げはあるものを中心にできていた。
─ナンダ、コレハ。
ねっとりと覆う粘膜。黒くて鋭い爪。
緑や黄色の硬い甲羅にがっちりと守られており。
まるで、幼児用絵本にでも出てきそうな恐竜の足だった。
恐る恐る上を見上げれば。
そこには期待を裏切らない、まさに絵本の恐竜の顔があった。
加えて、布製の絵本。
目は黒いボタン。色の境目には縫い目らしきものがある。
なんか…、可愛い。
気がつけば、空には雲一つ無かった。
真っ青な空に、緑の恐竜という鮮やかな色のコントラストは、
見ているだけで和やかな気持ちにさせた。
「がおー!」
その声さえ可愛くて。
「騙されないでください!!!」
だからどうしてルリカがそんなに焦っているのか理解不能。
こんなにかわいいのに。
ルリカのふるう剣を恐竜は
おもちゃとじゃれあっているかのように、軽々とよける。
しばらくの間、そのじゃれあいは続いていた。
被害の及ばないよう、少し離れた場所で見守る。
そうこうしている内にじゃれ合いは終わり、
ルリカが肩で息をしつつ、膝を地につけた。
まだまだ遊び足りない恐竜の目線は、新しいおもちゃを求め、
真彦へと移り変わる。
可愛いボタンの瞳も真っ直ぐ見つめられると、
とてつもない不快感が身体を走りぬけた。
そのボタンを時計回りに90度回し、そして戻したかと思うと、
口角をニィ…とあげた。
「勇者様!?逃げてください!! 恐竜、標的はこっちよ!」
ルリカの必死な声に従おうとしても、足が言うことをきかない。
あのボタンの目に見つめられていると、指先一本動かせない。
ルリカが最後の力を振り絞って恐竜の足に剣を振り下ろすよりも寸で早く、
恐竜はこっちに向かって猛進してきた。
声をあげることさえ出来ずに、大きな口が近づくのを冷静に感じていた。
「あ……、」
やっとのことで出せた一言も、恐竜の喉の奥へ消えてゆく。
「真彦おおおおお!!」
ルリカの声がくぐもって届いた。
恐竜の口の中は粘膜で覆われていて、居心地が悪い。
少しでもましな所を、と思うが、当然ながら舌の上は何処もベタベタ。
自分の口の中を、舌で探ってみる。歯と頬の隙間は比較的快適そうだ。
恐竜を刺激しないよう気をつけつつ、舌の中央から端に向かってそっと移動する。
そして、鋭い歯を跨ぐ。もし、今、歯が降りてきたら一溜まりもない。
飛び出しそうな心臓を手で抑える。
運良く、一番の難関を乗り越えた。いや、運良くはないか。
早かれ遅かれ、どうせ恐竜に喰べられるのだから。
だけど、いつまでたっても歯の降りてくる様子は無かった。
気が変わったのだろうか。それとも突然、同情心が?
不思議に思って、再び鋭い歯を跨ぎ、ネトネトの唇をこじ開けて外に出る。
たたた…っと、いつの間にか一人で逃げていたちひろが走り寄ってくる。
最大級の愛情を持って抱き留めようとしたが、その寸前で両手を使い、
全力で真彦の胸を突っぱねる。
その表情は、まるで汚物を見るよう。
悲しみにくれつつ、ふと自分の服を見ると、恐竜の唾液でベタベタになっていた。
吐き気と、ほんの少しの安心を抱きつつ、恐竜を振り返る。
ボタンのような目はまさに無機物で、
身体も片足を少しだけあげた不自然な状態で止まっている。
「おかしい。これは想定外だ。こんなことは初めてだ。一生の不覚だ。」
突然、その恐竜の腹が正方形にぱかりと開いたかと思うと、
一人の少女が出てきた。
艶やかな黒髪をポニーテールにし、銀縁の眼鏡をかけている。
血色の良い少し薄い唇と、ツンと尖った小さな鼻に、つり目気味の大きな瞳。
混乱の余り誰もが言葉を発せない中、
その少女はつかつかと歩いてきたかと思うと、
真彦の前で立ち止まって、こう言い放った。
「君こそが……私の王子様だ。」
何故、真彦がこんなにモテるのか。
…それは、ゲームの世界だからです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました(*´ω`*)