ミンティアレース 前編
連日続くツキの護衛とありきたりな平凡な毎日。
それを幸せというのは自然なことなのだろう。
しかし、日々迫る日常と隔絶するかのようにそびえる非日常の境目での生活は苦労の連続だった。
昼と夜で繰り返される予定調和の毎日に次第に苦痛を感じ始めるのは普通のことのはずだが、レイルはそのことに一切の感情を持つことなく機械的に護衛をこなしていた。
3日に1回は襲ってくる刺客とそれを撃退、もしくは捕縛という行為は何度繰り返されたことか。
時にはツキに刺客の手が迫り、レイルの姿がツキの前に晒されそうになったこともあった。
そんなこんなをなんとか潜り抜け、一月というサイクルが過ぎてようやく学園というものにも慣れ始めた矢先、ホトギ家当主の呼び出しがかかる。
かくしてツキの護衛が終わったレイルは厚い雲で光すら届いていない白い花の咲く地にいた。
そこはレイルが始まりの場所であり過去を思い出す苦々しい地だ。
ここで拾われたのだなあと客観的に思い、時にはこの地から元の世界へ戻ることが出来るのではないかなど夢物語なことを思ったりしていたあの頃を思い出し目をつぶる。
現実から目をそらしているのは分かるが、ここにはどうしても来たくなかった。
その地においてレイルはシンと話を始める。既に目の前には左腕のない男が立っていた。
その白い花に囲まれて見える二人の顔に表情と呼ばれるものは一切存在しない。
「シン。前に送ったバッチの検証は済んだのか?」
「ああ。結果から言うとコレは偽物だ。どうやら、監視網を正面突破するために使っているようだ」
「監視網…天道学園に存在する侵入者撃退の固定結界か?確かに、アレは厄介だからな」
レイルの言葉にシンは否定の意を示した。
「いや、どうも天道学園の情報統御システムの防衛機能をごまかすのが目的のようだ」
「情報統御システム…個人情報と魔術理論の宝庫だったっけ。ツキの暗殺と一緒に情報のお持ち帰りでもしようってか」
「ふむ、残念ながらそのようだ。私の情報ではホウジョウ家がしきりに魔術の理論をかき集めているとある。他には魔道具をはじめ、レンティア=ハザードの作る機巧を集めているらしい」
「レンティアの機巧まで?それは何でだ?確かにあれらは魔術理論の応用発展でできたものだけど今の技術じゃ到底理解はできないし、複製なんかもってのほかだ。武器機巧にいたってはそれそのものが一つの魔術だから、分解もできないぞ」
「フム…レイル、今の九頭竜の状況は分かるか?」
いきなりの質問に少しの間ができた。
短時間に過ぎなかったがレイルは答えるタイミングを失い、代わりにシンが解答を言った。
「現在のホトギとホウジョウは共闘状態にある。上位家のトウジョウが着々と力を蓄えつつあるからだ。それに仕えるミツルギも厄介な存在で、おまけに九頭竜の裏をよく知っている。トウジョウ以外の上位家は最盛期を終えたとも言われていてな、今ではトウジョウが法律になりつつあるのだ。それを止めるには政治的な力か強大な力で押さえつけるしかないが今の我々にあるのは財力だけだ。そこで、ホウジョウは武器をかき集め戦力にしようとしているのだろう」
「おい、話が違うんじゃないか?九頭竜内での競争が熾烈になったからツキは狙われてるって話だろ」
「無論、今は抗争状態だ。どの上位家も吸収されるのを恐れて反発している。そのくせして、上位家としてあり続けるために才能のあるものたちを取り込もうとしている。その裏では他の家の才能を潰しているがな」
「…うわぉ、シンがもう俺にしか頼れないって言った意味が分かったよ。つまりは自分のところの護衛すらも信じられなくなったのか。ツキを狙っているんじゃないかって」
レイルの言葉にシンは何も答えない。どうやら図星のようだ。
「シン、自分の部下達も信じられないようじゃ生き残れはしないぞ。自分のとこの内情ぐらいしっかり管理しておけよ。ツキも大人になりつつあるんだし子離れしろ」
「そんなことは分かっている。子離れ以外は」
「えっとぉ…シン?」
レイルは聞き間違いの可能性もあると思い確認のために少しためらいがちながらもシンの考えを聞こうとした。だが、シンは
「子供とは重要なものだ。未来を担う大切な存在だぞ。人類は永劫として子供に継承させることで自分の証を残してきた。私のしていることもそれと変わりない。未来の礎として支える立場にある私たちは子供の恒久的な平和を願いつつも、一方で監視者としての責任が存在する。私たちの責務は…」
思ってもいなかった答えが返ってきた。子煩悩だということは分かっていたが理論武装を固めてまで自分を肯定し始めるシンに少しながら恐怖すら感じる。無表情で語るところがまた怖い。
「シン!分かった!分かったから。子離れはNGなんだってことは理解したよ。だから、いつものシンに戻ってくれ!」
「…必然児童の教育には…分かってくれたかレイル。私は嬉しいぞ。さて、本筋に戻ろう。確か…ホウジョウが武器を集めて戦力上昇を施している話はしたな。では、ホウジョウは戦力を上げてどうするか?これは最近になってようやく分かった。どうやらあいつらは戦争をする気のようだ」
「戦争?九頭竜内でか、都市を治めてる上位家同士が争うってかなり危険じゃないか?」
「なに簡単な話だ。あいつらは戦力不足のサイジョウとナンジョウに攻め込み吸収合併の話を持ちかけるようだな。圧倒的な戦力差を見せ付けて合意を取り付ける気だろう」
「…脅迫じゃないか。そんなにうまくいくもんじゃないだろ」
「衰退の道しか残されていないホウジョウはそこまで考えていないらしいな。今では金と力のみで知能が伴っていない…と、これ以上の接触は危険だな。また後日に話をしよう」
「了解。それでは寮に帰ることにしますよ」
用事もすんだから帰ろうと思い寮に帰ろうとするが不意にシンから声をかけられる。
「娘は…ツキはどうだった?」
シンの表情に憂いが伺える。
そのことを分かっていたがレイルはシンに振り向きはっきりとした口調で言った。
「…変わっったよな。以前からは想像できないよ。なにがあってあんな風になった?」
ツキを見たときからレイルが強く思っていた疑問をシンに問いただす。
シンは見る見るうちに暗い表情になりその姿はどこかしおらしかった。
いま風が吹けば飛んで行ってしまいそうな弱々しいその姿にレイルは時代の流れを感じた。
しかし、シンは立ち直り弱弱しい姿をすぐさま正すとはっきりとした口調でツキのことについて語りだした。
「原因は2つある。ひとつは俺で、もうひとつはお前だ」
「俺?」
「ああ…ツキはお前が死んだと聞かされた日から徐々に変わっていった。自分を閉ざし始めた。
お前が死んだと聞いてから私の前では泣きはしなかったが、裏ではかなり泣いていたようだ。
私が家に帰るたびに目を真っ赤にしていたよ。そして、俺はそんなツキに何もできなかった。
いや…気づかない振りをしていた。
ツキのことを支えてやらねばならなかったときに私は逃げてしまった。だから俺とお前」
「……」
何も言うことができない。
レイルが良かれ思いホトギ家から離れたがその行為は実質的にはツキに大きな負担を強いていたことに自分の浅はかな考えを呪った。しかし、過ぎてしまったものでもうすでに取り返しはつかない。
レイルは一層自分の存在をツキにばれて欲しく無いと思った。
どんな顔をして会えばいい?
理由を尋ねられれば弱い心がこう答えるだろうとレイルは思った。
自分の合わせ鏡のようなその答えに自分の精神的弱さを再確認したレイルだった。
「しかし、そのときまではツキはまだ以前のツキだった」
「…心を閉ざしているのに?」
「ああ、まだそのときまではまだ他人のことを信頼していた。しかし、九頭竜上位4家の勢力争いが激しくなってからツキは狙われるようになった。その才能のせいでな。そして、暗殺者が刺客として送り込まれて殺されそうになってからあの子は今のように変わった。自分が信用した者の前では以前のツキだが、信用がない者には冷たい。いまでは私も信用されていない…」
はははと乾いた声を出すシンだったがその瞳は精彩を欠いていた。
瞳の奥にどうしようもなく娘を思う父親を見たレイルは謝罪すべきと思う気持ちでいっぱいだった。
「そうだったのか…すまないシン」
「お前が謝らなくてもいい。すべては私の不甲斐なさが原因だ。さあ、もう行くといい…できればツキと仲良くなって欲しい。願わくは以前のように…いや、聞かなかったことにしてくれ」
その望みは叶わない。
レイルとシンの間では共通の答えが出ていたが、理想を見ようと二人はその答えに蓋をした。
永遠に叶わないことはない。努力すればきっと…
現実から逃げるような考えだったが2人にとってはこれこそが自分にとっての納得のできる格好の理由であった。
「…わかった。努力はする」
シンにそう言い。レイルはその場を去っていった。
理想で隠して見なかった現実に引き戻され、その後姿にどうしようもなく変わらない世界を受け入れた。
次の日、レイルはツキの周りの人間関係について調べて回った。授業はすべて欠席。
天道学園にてレイルは魔術面において最下位の成績を持つ。
学園のワースト記録に入っており本来なら授業などの欠席はできない状況であった。
主に学園は主に実力主義である。
魔術理論などができても大していい成績にはならない。
重視されるのは魔術の威力、性質そして個人の強さである。
レイルはこれらの点においても著しく劣っている。
なぜなら、レイル単体にはこれといった魔術はない。
電流を発生させるのは体の中にあるナノマシンの副産物であり魔術ではない。
個人としての強さを考えてもレイルは周りより身体能力が高いだけなのである。
学園が昼休みに入った頃、レイルはツキのひととおりの人間関係を調べ終わっていた。
レイルはテーブルに座り資料を読みながら昼食を食堂で食べている。そこに一人の男がやって来た。
「おい、お前がレイル=スコールか?」
「ん?ああ」
男に振り向かずレイルは資料を読みながら返事をする。
男はその態度になんら感情を動かすことなく会話を続けた。
「俺はガイア=クライシスだ。お前にユーリ先生からこれを預かっている」
ガリアと名乗った男はそういいテーブルに長方形の金属をおいた。レイルはそれをすこし見て
「何それ?」
「魔力で発動する携帯型の通信機だ。最新式だぞ」
「魔力?」
「魔力だ」
「…仕方ないか」
麒麟機巧を人前で使うことを出来るなら避けたいと思っていたレイルだったが制服の腰につけている金色の手袋を右手に嵌め仕方なく魔力を流す。
「不参・薄離複合機巧〈パンドラ〉…起動」
――不参・薄離複合機巧〈パンドラ〉。それは人工魔力出力機。魔力を含む魔石ケルディムを原料とし電気を流すことで魔力を生み出す――
魔力で通信機を難なく起動。
すると金属の表面に文字が浮き出てきた。
何が書いてあると興味なさげに読んだレイルだったが、そこに書かれていることをレイルは理解ができなかった。
『3日後に行われる魔術振り分け試験のミンティアレースの的としてあなたが選ばれました。ミンティアレースの的といわれても外部者のあなたでは分かりませんので通信機の情報記録システムに詳しい情報を記しておきます。よく読んでおいてください。ユーリより』
「…なにこれ?」
全く意味が分からない。レイルの現在の心情はまさにこの一言だった。
レイルは通信機の伝言の詳細をガイアに聞こうと通信機をガイアに渡した。
ガイアはそれをしばらく読んだがしばらくすると
「ナニィ!何故、何故だああああああ!」
簡単に言うと絶叫していた。
「それなんなの?」
レイルは絶叫を華麗に無視しガイアに聞く。
しかし、ガイアの状態は説明するものとしては相応しくないほどに乱れていた。
「お前!これはだ!これはだな!」
「おい、落ち着け」
動揺と羨望・嫉妬の念が混じった目で説明を始めようとするガイア。
周りの生徒もすこし引いている。レイルはガイアを何とか落ち着かせ説明を受ける。
「いいか?ミンティアレースというのは振り分け試験なんだ。振り分け試験とはその成績で魔術のランクを決める試験のことだ。ミンティアレースは学年で行われる試験でランダムで的をきめる。的になったやつは追跡者から逃げなければならない。なぜなら、的のやつは逃げることが振り分け試験の結果につながるからな。制限時間内に的を捕まえた追跡者は魔術試験でリードすることができる。うちの学園は実力主義だからな。でも、的が制限時間内逃げ切れば的が魔術試験でリードできるんだ」
「的と追跡者のグループ戦ってことか?」
「いや、基本は個人だ。グループを組むやつらもいるがそれでは手に入るポイントが減少する。これは的でも追跡者でも同じだ」
「なんでもありか?」
「捕まえる手段、逃げる手段に決まったものはない。多少強引な手でも認められる」
「的と追跡者のどっちが多い?」
「多いのは追跡者だ。的は毎年各クラスから2名ずつ出ている」
「じゃあ、うちのクラスのもう一人の的は誰だ?」
これは面倒なことになったと思いつつもどこかやる気を見せるレイル。
授業などをサボったりしてこのままではまずいと思っていたところにポイントを獲得できるレースが現れたことは学園に居残り続けなければならないレイルにとっては天の助けだった。
そこでもう1人の的の存在をどうしても知っておきたいレイルはガイアに聞いてみたのだがレイルは思ってもいなかった返答を返された。
「目の前にいる」
「へっ?お前?」
なるほど確かに体つきは悪くない。そう思ったレイルだがどうしても知的そうには見えなかった。
外見上判断では多分こいつはただ正直に的として逃げるだろうそうレイルは判断した。
「そうだ。だからこの通信機を渡すのに俺が選ばれたんだろ」
「的の情報はまだほかの人に公開されていないのか?」
「ああ。公開はされていない。しかし、自分で調べて的を見つける輩もいる。情報は武器だからな」
「もう戦いは始まっているのか」
レイルはミンティアレースの事を聞いて勝利のための方程式を組み立て始めた。
(まずいな…仮に俺が的だということがバレたら能力のこととか洗いざらい調べられるだろう。それでは不利だ。なら、ここでこいつと組んだほうがいい)
レイルは一つの結論を出した。
すぐさまこの結論と方程式の前提である目の前のガイアにレイルは一つのことを提案する。
「なあ、俺と組まないか?」
こいつなら簡単にはいと返事をするだろう。
そう思っていた。
しかし返答はそんな考えとは180度違ったものであった。
「何を言っているのだ?聞いてなかったのか?組むとポイントが減る。誰が組むか」
予想と食い違ったことに若干焦ったがすぐさま落ち着いた。
どうやってでも組んでもらうぞと覚悟を決め簡単な脅迫をレイルは始めた。
「お前が的だということ誰かに言うぞ?」
「いいのか?お前ものことも言うぞ?」
「俺もともと落ちこぼれですから、ポイントとかあんまり興味ないです。どこぞの優等生とは出来が違うんでね」
「くっ!このやろう!」
「暴力に訴えるなら、君のこと調べ上げて的の情報と一緒に添付しちゃうかもな~」
レイルはおどけた口調だったがその目は真剣そのものだった。そんなレイルにガイアは気負けした。
「ぐっ!クゥ!……分かった。組もう」
(フッ…勝った。これで、裏でこいつの情報を流せば…ククク)
簡単に堕ちたなと思いつつもガイアと組むことになったレイルは頭で自分の生き残る算段を立て始める。
そのときガイアの頭の中では
(チッ!くそ!この野郎…いやまてよ?こいつと組んで裏でこいつの情報を流せば…いける!後はこいつと組んだことがばれなければ!俺は生き残れる!)
互いは互いに相手を落としいれようと画策していた。
レイルは
(このまま、こいつと行動をともにしつつ得意な術式系統と基本能力の情報をいただこう。追跡者は食いつく筈!)
と考え、ガイアは
(とにかく、行動をともにしてこいつを監視する。弱点などを発見したら追跡者にそれとなく渡せば…)
と考える。そして、
((俺は勝てる!))
2人の中で共通の未来が浮かび上がった。
勝利の方程式は完成した。
二人は互いのことを疑いもせずに心の中で高笑いしていた。
「よろしく。レイル=スコールだ。レイルと呼んでくれ」
「ガイア=クライシスだ。こちらこそ頼むぞ」
笑顔で握手を交わす。
その握手にさようならという意味が込められていることも知らないまま、そして互いは互いに相手を貶めるとも知らずに…。