覚悟と変化
「リリアさん、あのー…」
「あら、レイルさんしつこいですね…風術〈烈〉」
「え、ちょっ!?待ってくれ!」
リリアは足止めの魔術をレイルに放ちその場を去る。
レイルの周りには暴風が渦巻き、レイルの行動を著しく制限した。
風の暴風に阻まれレイルはリリアを視界に納めながら嘆息する。
「はぁ、怒ってるよ。どうしよ」
レイルはリリアに朝から声をかけていた。
すべては作戦に協力してもらうために。
しかし、リリアはレイルと極力合うのを避けていた。
声をかけられたら魔術などを行使してレイルから逃げるという手段をとっていた。
そんなこんなで、レイルはリリアと全く会話ができていなかった。
学園の至る所で何回もリリアに声をかけている所を生徒に見られ、今ではリリアにレイルが振られたなどという噂まで立っている。
「…少し強行作戦で行こうかな」
レイルは胸のうちに秘めていた少し強引な作戦の実行を開始することにした。
(すまないね、リリアちゃん。時間が無いのでね)
レイルはまずツキの名前を使いリリアを人気のない教室へおびき寄せた。
「ツキ様、どのようなご用件でしょうか?」
「リリアちゃん、ごめんね」
「えっ?」
〈フゾク〉を使い教室の中に風術〈烈〉を張り巡らせた。
暴風が教室の内側で渦を巻く。壁に風が触れるたびに教室に擦り傷ができていく。
風術でリリアの動きを封じたレイルは、姿を隠していた〈クサビ〉のステルスを解いた。
暴風の中に2人だけの状態。邪魔する者は皆無。交渉の条件は整った。
そして、脅しとも取れるレイルの交渉が始まる。
「こうしないと君逃げちゃうでしょ?」
突然の魔術に少し戸惑っていた様子のリリアだがレイルの姿を見た瞬間に冷静を取り戻した。レイルの目的は言うまでもなく理解した。
「少し強引ですね。女の子を誘うときはもっとお手柔らかにしなくてはいけませんよ」
「忠告ありがとう。これから注意します。さてリリアちゃん、君に…」
「嫌です」
「…」
レイルが本題を言う前に拒否の反応を見せたリリア。レイルは精神的に挫けそうになった。
(こ、ここは理由を聞いてみるべきか?それとも何とか説得すべきか?…どうすればいいんだ?)
リリアの拒否の理由が分からずレイルは頭を悩ませた。
(クッ、こういうことは大の苦手なんだよ! 相手の説得と駆け引きだけはこっちの世界に来てもいまだに改善してないし!)
レイルには相手の感情の理解や説得、または心理的に追い詰める駆け引きなどが苦手だった。常に楽観的に過ごしていくレイルは刹那の流れに身を任せ生きていくうちにすべての物事に関してどこか受身なところがあった。興味があればとことん突き詰めていく時もあるがそんなことはめったに無い。
そこで、リリアの怒っている手がかりを見つけるために表情を見るが、リリアはただレイルの顔を真剣な眼差しでまっすぐ見ていた。
その瞳を見たレイルは冷や水をかけられたかのような感覚に襲われた。
交渉がどうの苦手がどうのという気持ちはレイルの内側から一気に消え失せる。
そんな状態ではリリアの気持ちなど一生かけても分からないと無意識のうちに理解した結果だった。
(あの覚悟を潜ませた瞳…旅の途中で会った兄弟の時の瞳と同じだ。よほどツキは良い人たちと巡り合えたんだな。友達のためにこんな目になる奴はそうはいない)
そんなリリアの瞳が無言で問いかける。
――あなたに覚悟はあるのか?
それにレイルは答えられない。
ただの一度も動けない。
できるのは自分に問いかけるだけ。
(ああ、これほどの覚悟…俺にはあるのか?)
――覚悟はあるのか?死ぬ覚悟ではなく、ツキの隣に居続ける覚悟はあるのか?
沈黙するしかない。本当にリリアがそう思っているのかは分からないがレイルにはそう感じられた。覚悟という言葉が重くのしかかる。
体は金縛りのような錯覚にとらわれた。
しかし、レイルは感じた。
ツキが幸せな環境で過ごせていることへの喜びと、ツキを取り巻く多様な友人達の存在への敬意を。そして、そんな環境にツキを少しでも長く居させたいとも。
レイルはそのことのためなら自分のどんな将来でも犠牲にしようと思っていた。
しかし、今考えてみるとその考えの中には覚悟など無いとレイルは気付かされる。
覚悟をすり替えて本当の問題を直視せず、偽りの仮面で自分を隠す。
相手を騙し自分を殺し、そして幸せなどは無いと思いこむ。
思い返せばレイルの一生に真っ向勝負というものは無かった。
ただ相手の裏をかき、自身を戒め、こじつけで自分を納得させる。
敵わないと思えば引き返し、叶わないと思えば身を引く。
希望にすがり手を伸ばすが、掴んだものに形は無い。
あるのは希望の残滓の虚しさだけ。
――今回もまた捨てるのか?
――だめだったからと諦めるのか?
頭の中で声がする。
もう1人のレイルの声。
本音とも言える幻聴。
――フェリルを置いてきた時のようにするのか?
――恋人を捨ててこの世界に来たお前の
――世界を救ったと自己満足で終わったあの時のように
――それに、4年前に覚悟はあったか?
――ホトギ家を捨てたお前の
――迷惑をかけないその理由で悲しめたツキのように
――そして、お前が正体を隠すのは何故だ?
――ただ広がる罪悪感の
――不安を拭う材料に使うためではないのか
すべては正しい。
それらは人間としての自我の防衛反応だが、それすらも何かを捨てる理由になりうる。
(フェリルを置いてきた俺は自分に無理やりな納得をさせるしかなかった)
――そのときの俺には逃避しかなかった。
(4年前にホトギ家から去った時も俺の中には迷惑をかけないようにしようという気持ちしかなかった)
――そのときの俺の中には覚悟は無かった。
(自分を隠すためには素顔を隠す仮面を使うしかなかった)
――そのときの俺に罪悪感など無かった。
この考えを踏まえてレイルは自分に結論を出した。
逃げ口実に追われ続けた男の最後に出した自分の主張。
人生のすべての否定と同義のその言葉。
(俺はただ安易な道に逃げていただけだったんだな。ツキを悲しませないよう努力もせず、シンの気持ちも考えていなかった)
――そう俺は、馬鹿だった。
レイルは顔を上げた。意識は変わり新しい世界が広がる。
(これから先に諦めはない。誰が捨てるものか。拾える命はすべて拾ってやる。俺の命も含めたすべての命を。来るべき未来に覚悟をもって過去のすべてを捧げよう)
覚悟は決まった。リリアの瞳に怯むこともすでにない。
レイルはリリアを見た。
「どうしましたレイルさん?なんだか晴れ晴れとした顔になりましたね」
「ははは。自分が馬鹿だって少し気付かされただけだよ」
今なら笑って話せる。覚悟はレイルを徐々に変えていった。
小さな変化から始まるレイルの成長。生まれ変わりともいえる精神の深化。
今までの人生では歩まなかった道をレイルは歩き始める。
「リリア、お前に頼みがある」
唐突に出される言葉。そして、今までとは違う雰囲気になったレイルに少し緩んでいたリリアの表情はすぐに真剣になる。
「俺と一緒にツキの救出を手伝ってくれ」
「どっちのあなたの頼みですか?」
「…それは」
少しの間が開き両者の緊張は高まる。
この言葉の意味をレイルは理解していた。
レン=ホトギとしてツキの隣に居ることを選ぶのか。
それともレイルとして存在を隠したまま一生を過ごすのか。
ひどく時間間隔が遅く感じる中レイルはゆっくりと口を開けた。
当然の答えをレイルは選び取る。自分に持たせた覚悟に従って。
「レン=ホトギとしてだ。レイルという個人ではなくホトギ家の亡霊として。だから、お前に頼む。いや、命令しよう。リリア、ツキの救出に協力せよ」
その口調は普段の様なものではなく一種の厳しさを持っていた。
それは、当主としてレイルとして亡霊として友達として人として…リリアはその言葉に顔情を変えずに言った。
「それは、あなたがホトギ家と認めるのですね」
「そうだ」
「シン様の息子ともですか?」
「そうだ」
「あなたはホトギ家との関係を全面的に認めるんですね?」
「ああ」
「分かりました…私、リリア=ブラッドはあなたの計画の全てのおいて協力しましょう」
リリアはレイルに協力を約束した。
もし、レイルがレイルのままでツキを助けろというのならリリアは協力などはしなかっただろう。
ツキの幸せを望むリリアはレンの存在がツキの幸福には不可欠だと分かっていた。
だからこそ、レイルの立場を明確にさせたのだった。
ツキのための行為だったが上手くいったとリリアは思った。
しかし、リリアは知らない。その行為がレイルにどのような変化をもたらしたのかを。
先の未来に訪れるであろう出来事にどのような影響をもたらしたのかを。




