第3“拒絶”
『明日香ちゃんには絶対に喋りかけたり近付いたりして欲しくない。それだけよ』
その言葉が頭から離れない。寝てもあの時のことを思い出して叫びながら目を覚ます。
死にてぇ、死にてぇ。どうせもう使用済みのティッシュなんだ。早く殺してくれ。
ふと時計を見ると、五時五十分を差していた。日も昇り始め、何分寝ただろうか? と頭の中で数えるだけで、天井をぼんやりと眺めていた。
これ以上は眠れそうにないので起き上がり、スリッパをベットの下から取り出し履く。立ち上がってもやることも無いので、取り合えず何年も見てなかった朝日を眺めるために窓辺に立ち、いつものように窓を開けた。
驚愕した。もやがかった風景に、隙間から朝日が差す。その朝日で桜の木は不思議に光る。その木の下に少女が座って赤い表紙の本を読んでいる。まるで、桜の木の妖精がそこにいるような……。
驚愕した? いや違う。驚いたのは確かだが、それより見とれた方が強い。
「なんであんなにけなげにひかっているのだろう」
少女の声が聞こえた。
「しずかにながれてるかわはどうしてひかっているのだろう」
か弱くて、今にも聞こえなくなりそうな黄色い声。オレはひとつ残らず聞こうと耳をすます。
「かわにうつっているわたしはどうしてこんなにきたないのだろう。なんでかわにうつっているわたしはないているのだろう。なみだがでてくるめはなんでかわのようにすんでいないんだろう。たのしかったのに。わらっていたのに。わたしはう……」
少女はなにかを思い出したかのように立ち上がりこちらに向かってきた。
「あなただれ?」
澄んだ瞳が向けられた。心臓が激しく鼓動を打つ。
『明日香ちゃんには絶対に喋りかけたり近付いたりして欲しくない。それだけよ』
頭に響き渡る桃の言葉。しかし、いややっぱり、
「亀山、亀山だよ」
自然な笑みを返し、返せたかわからないが、それと同時に罪悪感が身体中を染めた。
「ねぇ、かめやまおにいちゃん、あそぼ、」
無邪気な笑顔。オレは小さく頷く。
窓から無理矢理出る。久し振りに外に出た。湿っている空気がひんやりとしていて、肌に触れる度に鳥肌が立つ。
少女はオレの手を取った。
「かめやまおにいちゃん。あれなんていうの?」
少女が指差すのは、いつもオレを見下してきやがるあの桜の木だった。
「桜っつうんだよ。さくら」
少女はさくらと何回か言い返す。
風がふく。桜の木が意味深に揺れる。太陽が顔を完全に出す。鳥が鳴き始める。
「おなかすいた。おへやもどる」
少女はそう言うと走って向こうにいってしまった。
これが始まりだったんだ。やったことが間違っているとは言い難い。なぜかって? なんとなく。ただ、あいつは、人間が宇宙にあがるように、サナギが蝶になるように、子供が大人になるように、確実にオレの気持ちの中に希望を落としていきやがった。真っ白な希望だ。真っ黒のオレに。
オレはずっと窓から外を眺めていた。ただぼんやりと、桜の木の根元あたり。
「亀山くん? どうした?」
空から聞こえてくる声がオレを現実に引き降ろした。舌打ちを打ち、大きく溜め息をついて振り返る。
「何でもねぇよ」
何でもねぇよ、なんでもねぇ。自分に言い聞かすように呟いた。ベットに戻ろうとするオレを心配そうに見つめる桃。ベットに座り、ムカつくその顔を睨み付ける。
「別にいいのよ」
オレから目をはずす桃。
「なにかあったら遠慮なく言ってね」
そのあとすぐに笑顔で返し、食事を机の上に置いて出ていった。
なんか、泣いてるような気がしたが。まさか、あの桃が……。きっと花粉症だよ。
オレはゆっくりと味気無いスープを口に運んだ。今日は一段と不味く感じられた。むしろ悪意が感じられる。
食べ終わり、なにもすることなく、また少女がいないかと思って窓辺に立った。
まぁ当たり前だが、都合良くいくわけないか。
窓を開けた。暖かくなってきた風が頬を撫でる。
溜め息をついて窓を閉めようとした。
明日香が目の前にいて、幼げに笑っていた。すぐ近くに。
「やぁ」
オレは片手をあげて笑顔で挨拶をする。がそんなオレを見ないで、明日香は2つに結んだら髪を揺らしながら、桜の木の下に向かって走っていった。
なんか虚無感。裏切られた気分だ。何にとは言わんが。
やる気が失せ、ベットに飛び乗った。
その時、不意に騒音のような甲高い音が頭の上で鳴り響く。オレは思わず飛び上がり、それを見た。
時計だ。目覚ましタイマーが鳴ったみたいだ。なんで十一時十六分にセットしてあるんだ?
まじまじと時計を見つめるていると、桃が慌てて部屋に入ってきた。
「どうしたの!?」
いつになくあらげた、明らかに心配の声色で叫ぶ桃。オレは桃を白い目で見てやる。
「ピンピン……してるわね……。まったく、ナースコール押すから」
ナースコール? そういえば尻の辺りに違和感が。手で確かめてみると間違いなくナースコールだった。
だが、
「ナースコールなら毎日押してる気がするが?」
間違っちゃない。トイレに行くにはこいつ経由で行く他にないからな。
桃の顔がみるみる赤くなっていく。
「う、うるさいわね! 用事ないならさっさと出ていくわよ!」
「それ逆ギレって言うんだぜ」
「知らないわよ!」
桃が出ていこうとするところを、わざわざ止める。
「なによ!」
「これ、かたせよ」
食器のトレーを指差して嫌味に笑う。
「わかったわよ! ほら、寄越しなさいよ!」
ぶんどるようにトレーを持ってかれた。
部屋に静寂が戻ってきた。することねぇな。持ってた時計をほっぽり、大の字になって天井を見上げた。
白かった。白い天井を見つめた。すると、影が見え始めた。興味本意でそれがなにかを想像し始めた。
次第に影が色づいていき、
「やめろ! やめろ! やめろ!」
オレはなにもない天井に向かって近くにあった目覚まし時計を投げる。
「やめろよ! 来るなよ!」
逃げるように四つん這いになり、震える腕で、オレはナースコールを押した。
なにも見ないように枕に顔を埋め込む。しかし、そこにも、その影が現れる。
オレは飛び上がりベットから離れた。するといつも寄りかかっている壁からその影が浮かび上がり、ゆっくりとこっちに近づいてくる。
「来るな、来るな、来るな、来るな、来るな! 来るな! 来るなぁ!!」
ドアに張り付き、ドアノブを回して開けようとするが、開かない。
「開けてくれ! 開けてくれ!」
力一杯ドアを叩く。何度も。何度も。
ふと、オレの肩に触れる冷たいもの。血の気が引く。
「やめろ……やめてくれ……」
うずくまった。耳をふさいだ。目をつむった。
「たのしかったのに、わらっていたのに、」




