第1“蕾桜”
みんなは夜桜が美しいと想ったことはないだろうか。オレはそんなことからっきしも想ったことはない。なぜなら、それは必ず春に咲き乱れ、名残惜しいまま散っていく。それはまるで人間の人生のようだ。オレが言うと説得力が無いが。
まったく、そんな臭いことを言いたい訳じゃないのだが。
オレが言いたいのは、毎年律儀に蕾を出し、咲いて、人間に見られて、散っていく桜なんかに嫌気がさしているんだ。なにが楽しくて短い命を咲かすのかわからん。
運命とやらに敷かれたレールの上をゆっくりと進んでいくアイツを理解することは出来ない。
こんな平凡な世界にいてもなんも面白くない。毎日同じような日々に飽き飽きした。
だから、だから、オレは自殺した。細かくは未遂だが。
ビルの上から飛び降りたはずだったんだが、風の影響で木に引っ掛かったらしく、今は病院の治療部屋に閉じ込められている。
ったく。あの桜の木さえなけりゃぁ。
毎日あの窓から見える、まだ蕾の桜の木がオレをバカにしてるようだ。
あぁ、早く死にてぇ。
ムカついて開いている窓を閉めようとしたら、窓の前の小学校高学年くらいの少女と目が合った。
顔は幼げな笑顔を溢れさせてやがって、長いだろう髪は2つに結んでいた。腕の中には赤い表紙の分厚い本があり、黄色いしおりがまだ読み始めなのか最初の方に挟んである。
チビに興味はなく、舌打ちしてドアを締めた。
スプリングで良く跳ねるベットに飛び乗り、大きく溜め息をついて時計を見た。十一時十六分。目覚まし丸時計はそこを指していた。
まだお昼まで長いな。もう一眠りしよう。
ゆっくりと目を閉じた。
「亀山くん!何時だと思ってるの!さっさと起きなさい!」
来たよ。毎朝来ては騒いでオレの眠りを妨げる新人看護師。
渋々目を開けて、ベット以外に何もない部屋で仁王立ちしてるそいつを見る。
「うっせぇな」
独り言のようにボソッと言い、起こした体を壁に寄り掛ける。
「起きろっつうならやることくれよ。外の風景ばかり見てろってか?鬱になっちまうよ」
皮肉っぽく言うとあの野郎は溜め息をついて、
「どんな手を使っても死のうとするアンタに、ペンだの、紙だの渡すわけないでしょうが。大人しく外の桜でも眺めてなさい」
舌打ちをする。それを聞いてアイツも舌打ちしやがった。
アイツも毎日のようにオレの所に来て、いつものように仕事をこなしていく。まったく詰まらなくないのか。
「ベット掃除するからどいてて」
溜め息をつき、ゆっくり足を地面に下ろし、ズボンのポケットに両手を入れ、窓辺に立った。特に宛があったわけではなかったが、他にやることもないから、しょうがなく外を見る。
一階にあるこの部屋から逃げ出そうと思えば簡単に出られる。だが、何故か逃げ出そうと思っても足が言うことを聞かなくなる。何かの魔法でもかけられたのだろうか。
いつも目の前にある桜の木が風で揺れる。それによって動いていなかった木漏れ日が無造作に動き回った。
その木漏れ日を浴びている、さっきの赤い表紙の本を持った少女が、芝に腰を下ろし、木にもたれ掛かってその本を読んでいた。
「なぁ、桃、アイツ誰だ?」
看護師の桃井、オレは桃と呼んでいるが、はベットを放置し、指の先の少女を眺めた。
返答は早かった。
「明日香ちゃん。知らないの?毎日あそこにいるのに?」
とだけ言い、またベットの掃除に入った。
知らねぇよ。
ポツリと言うと黄昏た感じになってしまった。その状況をおかしいと思ったのはオレだけだろう。
オレはそいつを眺めていた。特に動きもなく、ペラペラと本を読み進めているだけだった。
話し掛ければ聞こえるだろう。まぁ、話し掛ける気は更々ないが。
「掃除が終わったから寝てもいいわよ」
オレは適当な相づちを打ち、桃を見て、
「メシまだか?」
桃は呆れた表情で、
「アンタも毎日変わらないことばかり言うわね」
と言って部屋から出ていき、鍵を閉められた。
ふと時計を見ると十二時二十四分だった。
少女を見ると本に黄色いしおりを挟み、本を閉じて、来た道を戻っていく。
その時、また、目が合った。
風がイタズラに、少女の頭の天辺で2つに結ばれた長い髪を揺らす。綺麗な艶のある黒い髪だ。黒い瞳が放つ輝きはオレに向けられて、雲のような白い肌から浮かび上がる、桜の花のような淡い色の唇の両端が目と待ち合わせしていたかのように寄っていき、少女は微笑んだ。
オレはその眩しい笑顔を直視出来ず、目をそらした。心臓がバクバクうるさい。
自分の中から出てきそうだったモノが、過去によって引きずり落とされた。
オレは窓を勢いよく閉め、バタンと大きな音が鳴り響いた。
その音に食事を持って戻ってきた桃は驚き、オレを凝視した。
「うるさいわよ」
叱咤する声にオレはただ頷くだけだった。
「どうした?いつもの威勢の良さが無いじゃないか?桜見てて気持ち悪くなったか?」
なんとなくムカついたが、なんとなく言い返す気になれなかった。
そんなオレを見て心配そうに頭を傾げるのが気配でわかった。
溜め息をつき、行き場の無くなった視線をまた窓の外に向けた。そこにはもう少女の姿がなかった。




