12-05.
まさか楽屋で言っていた『ッ』が2番目に来る4文字の『したい』ことが、『ケッコン』のことだとは……。
邪な心で大いなる誤解をしていた。
「夏海、何のことだと思ってたの?」
「えっ……いや……違っ……」
違わないけれど、否定しないと居たたまれない。
失態に顔を覆う私を見て、ナオが察したようにクスッと笑う。
「リハビリ中、夏海は俺のドクターだったからね。それに、夏海が前に『Japanese styleか、それ以下でOK』って言ってた。だから俺、結婚するまで我慢って思ってたんだ」
Japanese style。日本式。
確かに言ったけれど……それにしたってずいぶん古風だ。
でもそれがナオなりの、私への誠意ということなのだろう。
私の何気ない言葉をきちんと覚えてくれていて、そして大切にされている感覚。
胸の奥から喜びが込み上げる。
「それで夏海、返事は?」
「え、えっと……びっくりして……」
「もうずっと前に言ったはずだよ。『一緒にいる運命』って。『お嫁さんに』っていうのも何度も言った」
それは確かにそうだけど……私にはどうしても気になることがあるのだ。
「でも、ナオはアメリカに戻るでしょう?」
「ん?」
「そうなったら、結婚しても離れて暮らすことになるわ。それだと……」
離れる寂しさと不安が邪魔をして、頷くことができずにいる。
するとナオはクスッと笑った。
「それが返事をもらえない理由なら、大丈夫だよ、夏海。問題なし」
「えっ?」
「俺は夏海から離れない。離れられない。ツアー中に夏海に会いに帰ったこと、忘れたの?」
「それは忘れてないけど……」
「俺にとって、帰る場所は夏海がいる場所。ねぇ、いい加減に運命だって諦めて、俺のお嫁さんになって?」
「そんな諦めるだなんて……」
「俺のこと嫌い?」
「ううん……す、好き」
「もうお見合いするよりも一緒に過ごしたんだから充分だよ。結局、俺は夏海のことが好きで好きで堪らない。夏海はただ一人の My Ms. Right(俺の理想の人)なんだ」
そう言って、ナオは、まるで童話に出てくる王子様のように私の左手をとり、愛おしげに薬指にキスを贈ってくれた。
「My sweet honey、おとなしく俺と結婚して?」
胸がキュンッと甲高い音を響かせ、私は胸を押さえる。
ナオの唇が触れた左手は、全身の熱を集めたかのように高ぶって脈を打ち、私は心を焦がす。
どんどん畳みかけてくるナオに、もう降参状態の自分がいる。
見た目はキリッとしたスーツ姿のピアニスト・小鳥遊尚哉。
でもニコッと笑みを見せるその穏やかな顔は、私だけに向けられるナオの顔。
かわいくてかっこよくて、優しいようで強引で、私の心を惹き付けて翻弄する、そんなナオが愛おしい。
「そうね……私はあなたに、あなたがずっと望んできた『本当に欲しいもの』をあげたいわ」
「えっ?」
私は笑みを向けると、ナオの想いを受け取るように花束を両腕に包んだ。
「尚哉、お願い。ずっと、ずーーっと未来まで一緒にいて? 私たちは運命だから……もう離れられないわ」
「夏海……」
「だから……はい、よろしくお願いします」
「……えっ、ホントに!?」
「うん」
「ありがとう、夏海ー!」
立ち上がってギューッと抱きしめるナオの腕は力強くて苦しいくらいで、その苦しさにすら幸せを感じる。
今を、この瞬間を、私は目に、耳に、心に焼き付ける。
私にこんな心満たされる日がやってくるなんて思ってもみなかった。
「お礼を言いたいのは私よ。ありがとう、ナオ。私、すごく幸せ」
「これからだよ。これからもっと幸せにするから」
「うん。私も……ナオを幸せにするから」
あなたの望む『永遠に続く愛』を、あなたに。
そして二人で、一緒に、もっともっと幸せになるんだ。
客席からはアンコールの拍手が鳴り響き、舞台袖では私たちを祝福する拍手が巻き起こっていた。
「会場中からお祝いされているみたいだね」
「……恥ずかしいわ」
「ねえ夏海、これからも夏海の重い愛を、俺だけに向けて?」
「本当にいいの? 狙われたら最後。しつこくてうざったいわよ?」
その言葉に、ナオもフッと笑う。
「うん。受けて立つよ」
「……勝負するわけではないのだけど」
「あれ? 違った? ……おかしいな。かっこよく言ったつもりだったんだけど」
「それなら、これからは私がたくさん正しい日本語を教えてあげるわ」
「えー……それだと、また夏海が『先生』になっちゃうから嫌だよ。『ドクター』でも『日本語の先生』でもなくて――」
「わかってる。『お嫁さん』に……あなたのただ一人のパートナーになればいいんでしょ?」
私が照れながらもそう伝えると、ナオはパッと顔を綻ばせた。
「うん、そうだよ。夏海、これからは俺だけのパートナーとしてよろしくね」
「ええ」
するとブラウンさんから声がかかった。
「いい雰囲気のところ悪いが……ナオ、アンコールにきちんと応えてこい」
「うん、わかってるよ」
額にチュッとキスをしてくれたナオが、ステージに足を向ける。
「あっ、ナオ、ちょっと待って。ネクタイが少し緩んでる」
「そっか。ありがとう」
「……できた。いいわよ。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい、か。もうWife(妻)みたいだね」
「えっ……」
「いってきます。My sweet wife」
「うっ、うん……」
My sweet wife――最愛の妻。
ナオの背中を見送ってすぐ、私は堪えきれずに手で顔を覆った。
「ワ……ワイフ……」
甘い蜂蜜ちゃんとかMy sweet honeyとか言われた時より強烈だった。
これから、何度この背中を見送り、そして何度迎え入れるのだろう。
それがいつまでも続くことを願ってやまない。
(運命なんて信じるのはやめたはずだったのに……)
光を宿した私たちの手は、時にどちらかが光を見失っても、支え合い、想い合い、互いに導き合う。
幸せな日々を、そして苦しかった日々をも糧に、手を取り合う私たちの道はどこまでも続く。
信じてなくたってまた巡り会う。
会うべき時には巡り会う。
抗ったって巡り会う。
私たちは、離れられない運命。
だからもう、ずっとこの人のそばにいよう。
ステージへ見送り、そしてステージを下りるこの愛しい人を何度も迎え、そして抱きしめ合いたい。
「ただいま、夏海」
「おかえり、尚哉。あなたを待っていたわ」
永遠に、あなたと……。
〈漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~ END〉
夏海とナオを最後まで見守っていただき、ありがとうございました(*ˊᗜˋ*)/Thanks!




