11-05.
戻ってきた夏海は俺を見て目を泳がせると、手早くオレンジを切ってフルーツのカットを終える。
「お待たせ。次は、もう少しダイナミックに腕を使う『リハビリ』をしてもらうわよ」
へーえ。あくまでもリハビリなんだね。何か変だけど。
「何をすればいい?」
「Whipped cream (ホイップクリーム)を作ってもらうわ。グランマルニエをちょっとだけ入れて大人の味にしましょうか」
夏海が氷水で冷やしたボウルに生クリームとグラニュー糖を入れ、小さなボトルの蓋を開けると、フワッとオレンジが香る。胸のモヤモヤを少しだけ癒やしてくれるような爽やかな香りだ。
「It′s very aromatic(凄く香しいね)」
「そうね。私、オレンジの香りが大好きなの」
フフフッと頬を弛める夏海がかわいい。
「さぁ、ナオの出番よ。8分立て……Beat just until the cream reaches soft peaks(柔らかい角が立つくらいまで生クリームを泡立てて)」
「Roger that(了解)」
左手でボウルを抑えながら、右手でホイッパーを素早く動かす。
「じゃあ、そのまま続けてね」
そう言って夏海はキッチンを離れた。
俺はホイッパーを片手に、夏海の行方を目で追う。スマホを手にして、リビングの端で電話をかけている様子。誰かとコソコソ話して楽しげに笑っていた。
俺が見つめていると、ふと夏海と目が合った。その瞬間、夏海はリビングを出て廊下に逃げるように移動していった。
(へーえ。俺に聞かれたくない話ってことだ。俺といる時に誰と楽しそうに話してるの? 男? さっきの『セト』? だったら気に食わないな)
胸の真ん中から沸々と苛立ちが湧き上がるのを感じて、それをホイッパーにぶつけた。
「右腕、大丈夫?」
電話を終えて戻ってきた夏海が心配そうに覗き込む。
「平気だよ」
「無理しないでね」
「うん」
そう言いつつ、少々右腕が痛み、疲労もしている。イライラをぶつけたせいだけど。おかげで確かにちょっと『リハビリ』になった感覚だ。
生クリームを泡立て終えると、夏海は大きめのプレートに生地を一枚乗せた。
「次の『リハビリ』よ。生地を重ねていきましょう」
「これがベース? 結構大きいね」
「そう? さぁ、急いで生クリームを塗っていきましょう」
別に急がなくてもいいと思うんだけど。
直径20センチくらいの大きさの生地は、15段積み上げるとなかなか迫力ある仕上がりになりそうだ。
夏海は生地の上にふわっと生クリームを乗せると、パレットナイフを手にする。
「パレットナイフはFix(固定)でいいわ。それで、お皿をくるくる回して塗り広げるの。薄く平らに、手早く塗り広げるのがコツよ。ナオもやってみる?」
「……やってみる」
俺は右手にパレットナイフを持って生クリームを塗っていく。
ところで、夏海は電話の後から結構ソワソワしている様子で気付いていないようだけれど……これ、全然右手のリハビリになってないよ? だって、右手に持つパレットナイフは『Fix(固定)』なんでしょ?
「次はフルーツを乗せましょう」
スライスしたイチゴを乗せて、その上に生地をかぶせる。
「またさっきと同じ要領でクリームを薄く塗るの。あとは違うフルーツを乗せて、生地を置いて、クリームを薄く塗るっていう繰り返しよ」
交代でクリームを塗って、二人でフルーツを乗せて、たわいもない話をしながら、時にはキスを迫って夏海を困らせて、一緒にどんどん作業を進めていった。
夏海が楽しげに笑っているのを見て嬉しく思いつつも、心の奥の方のモヤモヤは晴れないままだった。
「さすがにフルーツを挟んで15段だと高すぎるわね。ここまでにしましょうか」
作業は12段でストップ。
夏海がクスッと笑うとおり、ずいぶん高さがあって豪華なミルクレープだ。
「美味しそうだね。夏海、早く食べよう?」
「待って、まだよ。あとは、周りとトップに生クリームを塗って、トップを生クリームでデコレーションして、イチゴとミントの葉で飾りましょう」
スイーツが好きだから早く食べたいって急いでいたわりに、しっかり作り込むらしい。
夏海が生クリームを塗っているのを眺めていると、近くに置いてあった夏海のスマホが鳴る。夏海は「あっ」と画面を慌てて手で隠して電話に出た。また廊下に出て、ヒソヒソと話をしている様子だ。
でも俺には見えていた。
画面に表示された電話の相手の名前。
名字の漢字は読めなかったが、名前が『星斗』となっていたのだ。
あれはきっと男の名前。
『せいと』……いや、もしかしたら『せと』と読めるのかもしれない。
夏海がセトと呼んでいた、頼りになり、高級品をたくさん贈る人物な上、夏海の『大好き』をもらえる男。そいつと電話で楽しそうに話している……。
そう考えた瞬間、俺の内からどす黒い獰猛な感情が湧き起こり、それは抑えきれないほどに膨れ上がった。
しばらくして戻ってきた夏海は少し不自然に笑って、何事もなかったかのようにパレットナイフで再びクリームを塗り始めた。
「夏海?」
後ろから夏海にギュッと抱きつくと、表面に滑らかに塗っていた生クリームが、波立つように逆立った。
「あっ! ちょっと、急に何するのよ! 危なかった……せっかく作ったのにケーキが台無しになるところだったわ」
ケーキしか見ていない夏海に余計に苛立って、俺は夏海をさらに強く抱きしめた。
聞くのは勇気がいるけど、もう黙っているのが難しい。
なるべく優しく、落ち着いて聞くんだ……。
「ねぇ夏海……リハビリの勉強会って本当のこと?」
すると夏海はピクリと肩を揺らす。
「……え? な、何? 急にどうしたの?」
その反応で簡単に分かった。
やっぱり嘘だ。あぁ……この苛立ちは抑えられそうもない。
俺の口調は静かながらも、発する言葉はいつになく余裕のないものとなっていった。
「聞いてるのは俺のほうだよ。水曜の夜と日曜の昼間、本当に勉強会に行ってたの? 別の人と会ってたんじゃないの?」
すると夏海は目を逸らして黙り込む。
そんな夏海を見ると余計に苛立ちが高まり、それは衝動につながり――
「キャッ……」
夏海をぐるりと俺の方に向けてキッチンカウンターに押し付けながら無理矢理唇を奪うと、パレットナイフが床に落ちてガシャンと音を立てる。
最早答えなんて聞きたくなくて、左手で夏海の頭の後ろを押さえて、食らいつくようにキスで口を塞いだ。
「んっ!? んんっ!」
何か言いたげに、俺の胸をドンドンと叩く夏海。
お構いなしにキスを続けていると、次第に抵抗がやむ。
口の中を蹂躙するかのように舌を這わせ、夏海の着ているセーターの裾から右手をそっと忍び込ませて素肌に触れると、夏海の体がフルッと身震いした。
こういう時、卑怯な自分がいる。
リハビリ中の右手を使えば、夏海は乱暴には振り払えない。だからあえて右手を使うのだ。
唇を離すと、夏海の口からはハァッと熱い息が漏れ、とろけた目には涙が滲んでいた。
「ナオ……?」
「夏海? 嘘はダメだよ。どうして嘘をついたの?」
「……」
「俺に言えないようなことをしてるの?」
「……」
答えない夏海に罰を与えるように、素肌に滑らせている右手を、ウエストから胸の膨らみの際までツーっと上らせた。
小さく艶っぽい声を出して身を震わせる夏海は、チラリと目を合わせてすぐに逸らした。
ああ、答えは歴然だ。
「言えないことなんだ? ほかの男とでも会ってた?」
「そ、それは……っ……」
「ダメだよ夏海。今の俺、こんなだけど……ごめんね。ほかの人のところへは行かせない。離してあげないよ」
「あっ、ナオ……違うの」
「違うって何? あまり聞きたくないから、これだけ答えて? 夏海は誰が好きなの?」
「えっ? ナオ……尚哉が好き」
「本当?」
「うん」
「じゃあ本当なら、夏海からキスして?」
すると夏海は気まずそうに目を逸らす。
「……え? ……あ、あの……でもね」
「嫌なの?」
そう聞くと、夏海は何度も首を横に振った。
「違うの。で、でもね……」
チラリと余所見をする夏海に一気に不満が募る。
「どこを見てるの? 俺だけ見てよ」
「ナオ、あのね、待って」
「キスしてくれたら待つよ」
俺が引かない態度で詰め寄り、夏海が涙目のまま困惑して黙っていること約十秒。
突然、玄関のドアがガチャッと開いて、複数の人物の足音が聞こえてくる。
そして俺の背後から、空気に全くそぐわない明るい声と大きな音が響いた。
「イエーーーーイ! ハッピーバース……デー……ナ…………オ……」
パーンと派手な音が1発、パンパンッとかわいらしい音が2発、乾いた音が鳴ると同時にキラキラしたテープが一帯に舞い散る。
俺の目は、3段重ねのケーキの着ぐるみを着たタカノに釘付け。
そしてその場はシーンと静まり返った。




