11-04.
そんな状態が2週にわたって続いたのち、夏海から電話がきた。
『ナオ、今度の日曜日は、ちょっと変わったリハビリをしようか? たまには楽しいリハビリもいいでしょ?』
ふふっと楽しげに笑う夏海の声がかわいくて、俺の胸がキュンと切ない音を立てる。
夏海が明るく笑っている。それだけで不安が吹き飛んでいく。
「楽しいって、どんなリハビリ?」
『前にナオがやりたいって言ってたことよ』
「ん? 何だろう?」
『うちで一緒にミルクレープを作らない?』
曇っていた気持ちが一気に喜びで満ちた。
付き合う前に話したことなのに、夏海は覚えていてくれたんだ。
「作りたい!」
『よかった。お菓子作りの道具はうちのほうがたくさんあるから、うちに来てくれる?」
「うん、行くよ」
『じゃあ、今度の日曜日は午前中から来てね。10時半頃がいいわ』
「わかったよ」
ようやく夏海にゆっくり会える。
電話を切ると、俺はピアノに向かう。曲が作れそうだ。
軽やかに飛び跳ねるようなリズミカルな曲。
心が躍って待ちきれない、ソワソワするような曲。
日曜、俺は夏海のマンションを訪れた。
会ったらすぐに夏海に謝って、それで抱きしめたい。
抱きしめてキスしてキスしてキスしまくる。
夏海の部屋の前のインターホンを鳴らすと、ドアはすぐに開いた。
「ナオ、おはよう」
「おはよう、夏海」
左腕で夏海を軽くハグして額に唇で触れた。
ちょっと照れた顔をする夏海がかわいい。
「入って」
「うん」
さぁ、今から夏海に謝罪し、抱きしめてじっくりとキスを、と思っていたのに、夏海は服の袖をグイッと捲って微笑む。
「さ、すぐに作り始めましょうか」
「あ……うん」
ちょっと残念。久々にゆっくり会える今日。もう少しトークして、甘いやり取りをしようと思っていたのに。
まぁ後からゆっくりでもいいか。
そそくさとキッチンへ向かう夏海は、手を洗いつつ俺に告げる。
「生地はもう焼いておいたから、続きからね」
「えー、もう焼いちゃったの?」
「うん。生地を焼く作業は面倒で時間がかかりすぎるから……あ、それに焼くだけだとリハビリにはならないから」
それを聞いた俺は、夏海に近づき、愛おしさを込めて頭を撫でた。
「面倒なことは先にやっておいてくれたってことだね。ありがとう、夏海。大好き」
そう伝えると、夏海は照れて俯いた。
「ナオのそういうところ、好きよ」
「え?」
「小さなことでもきちんと『ありがとう』って言ってくれる。それが嬉しい」
物凄く照れて、目を逸らしたままそう言う夏海がかわいい。
これは謝罪してイチャイチャするチャンス……と思ったら、夏海はハッと我に返った様子で「さ、急がなくちゃ」とさっさと冷蔵庫に向かってしまった。
「夏海……そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
ちょっと寂しくてそう聞くと、夏海はくるりとこちらを向いた。
「私がスイーツ好きなのを忘れたの? 早く食べたいのよ。だからさっさと作りましょう? 楽しみだわ」
うっとりするほど綺麗な笑顔を見せる夏海を見て思う。
ねぇ夏海、一体どうしちゃったの? なんか変だよ。声のトーンがいつもより僅かに上ずっている。俺とのトークもイチャイチャも、もしかしてわざと避けてる?
自分の鋭さに嫌気がさすくらいだ。
「夏海、何かこの後に急ぎの用事でもあるの?」
「ないわよ。早く食べたいだけって言ったでしょ? それに……ほら、ミルクレープ、たくさん積み上げたいから時間がかかるのよ。だから早くしないと……お昼過ぎちゃったら困るでしょ?」
俺は昼を過ぎても困らないけど。積み上げるのってそんなに大変なのだろうか。
「たくさん積み上げるの?」
「あー、うん。でも、いくらミルクレープが『千枚のクレープ』っていう意味だとしても、さすがに千枚は焼いてないわよ?」
「焼いてたらびっくりだよ。それで何枚焼いたの?」
「15枚」
うん、やっぱり。15枚ならそこまで時間はかからないはずだ。
ちょっとソワソワして様子のおかしい夏海が気になりつつ、俺も手を洗う。
心の中が妙にざわめいていた。
「じゃあ、作りましょう」
「うん」
まずはフルーツを切る。
あまりナイフを使うことに慣れていない俺は、比較的簡単なイチゴとキウイを担当。切るのが難しいというオレンジは、夏海が担当することになった。
「夏海、どうやって切ればいい?」
「イチゴはヘタを取って薄切り。一個やってみるわね」
夏海はペティナイフを器用に使ってイチゴのヘタをクルクルと回して取り、薄くスライスする。
「すごいね、夏海。上手」
「これぐらいで大袈裟ね。ちょっと練習すれば誰でもできるわよ。ナオ、手を切らないようにね。……そう、これは右手を細かく動かすリハビリよ」
取って付けたように『リハビリ』という夏海は、やっぱりちょっと変だ。
訝しみつつも一つ目のイチゴを手に取る。
「やってみるね」
確か夏海はイチゴを回転させてヘタを取っていた。そう思い出して、ぐるりんとイチゴを回して真似をしてみる。
「ナオ、ダイナミックすぎてハラハラするわ。危なっかしい」
「そう?」
夏海の言葉どおり、イチゴのヘタは本体から離れた途端、ピョンッと俺に向かって跳ね飛んだ。
「飛んできたよ」
ちょっと楽しくなってハハッと笑ったが、夏海は気が気でない様子だ。
「ナオ……それだと指を切っちゃうわ。持ち方を変えて? 左手はもっとこっち」
夏海はナイフの持ち方を直してくれつつ、「もう、危ないんだから」と言って、眉根を寄せる。
その心配は、はたして恋人に向けるものなのだろうか。
もしかしたら医師として患者が心配なだけなのでは、と不安が過る。
「次はキウイを切ってね。両端を取り除いて皮をむいて薄く輪切りにするの」
「……またやって見せて?」
「わかった。キウイのこっち端は鋭い棘みたいのがあるから切り落とさずに――」
夏海はキウイを手にして両端を取り除くと、一周皮をむいて見せてくれた。スルスルと薄く皮がむけていくのは見事だ。
俺も真似してやってみる。最初は皮の厚さが不均等でガタガタ。でもキウイが3周する頃には上手くむけるようになった。
「うん、上手。ナオ、覚えが早いわね」
夏海が嬉しそうで何よりだ。
ただ、イチゴを切るのもキウイの皮をむいて切るのも、リハビリと言うには今の俺には簡単すぎる。
しかも、主に動かすのは左手だったのだが、これは夏海の計算通りなのだろうか。
「今日はEasy(楽ちん)な『リハビリ』だね」
「そ、そう?」
その時、夏海のスマホが離れたところで着信を知らせる。
俺に「ちょっと待ってて」と告げた夏海は、急いでスマホを取りに向かって廊下で電話に出る。
でも夏海が閉めたはずのドアは完全には閉まっておらず、聞くつもりはなくても会話が聞こえてきた。
「……あ、うん、ありがとう。助かったわ。でもあんなに高級なものをたくさんもらって良かったの?」
『――、――』
「ううん、すっごく嬉しい。さすが頼りになるわ」
『――、――』
「やぁぁん、セト! 大好きよ! 近々会いに行くからね」
そんな会話を聞いて、電話の相手『セト』とは誰だ、という疑念が浮かぶ。何を言っていたかはわからないが、相手は声が低かったから男だろう。
夏海の最後の方の声は、甘えたようにかわいらしいものだった。
日本には『瀬戸』という名字があることを知っている。でもそれとはイントネーションが違って聞こえた。
何にせよその『セト』は、俺と違って頼りになり、夏海に高級品をたくさん贈る人物らしい。
怒りが沸々と込み上げ、体内に熱がこもる。
俺だって夏海に贈り物をしたいのに、「そんなことよりリハビリよ!」と言われて贈る権利をもらえなかったのに、なぜセトというやつは許されているんだ……。
そして何より、夏海の『大好き』をもらえる腹立たしい人物。
度々電話をしていたのはそいつか? 勉強会と偽って、そいつと会っていたのか?
俺の頭の中は、疑念と不安と嫉妬で溢れ返っていく。




