10-07.
「尚哉……もう止まらなくていい?」
「ん? 何?」
「あのね……これ以上先に進むと、私の重~い愛情、返品不可になるわよ? あなたが私を嫌っても、私はずっとずっと重いままよ? それでいい?」
鼻をすすりながら漬物石の本領発揮を事前告知すると、ナオはフッと笑う。
「たぶんね、全然重くないと思うよ。俺の方が重いから」
「……え?」
「I got you under my skin(あなたの骨の髄まで愛し尽くすよ)」
私は目をぱちくり。英語の愛情表現に慣れていなくて、理解するのに少し時間がかかったけれど……何だかとてつもないことを言われた気がする。
ブワッと顔が熱を持つのを感じて目を逸らすと、フッと笑ったナオの言葉が続いた。
「いいの? 俺の恋人になったら、リップサービスと違う本気の言葉、毎日何回もだよ? 夏海いつも嫌そうな顔する。苦手なんでしょ?」
リップサービスと違う本気の言葉って、どんなものかしら? 『好き好き』言うやつかしら?
「……う、うん。でも人前でなければ……たぶん嬉しい」
「無理。きっと人前でも言うよ。そういうの何て言うんだっけ……ダダダ・モーレ?」
何かちょっと余分だし、イタリア語みたいだわ。『ダダ漏れ』ってことね?
えっ、人前でもダダ漏れなの? それは恥ずかしいわ……。
恥ずかしい……けど――
「わかった。なるべく受け入れるわ」
アメリカナイズされたナオもナオなのだ。
そう思って覚悟を決めると、ナオの言葉が続く。
「それにね、夏海のイメージで曲をたくさん作ってる。前に言ったオリジナルの曲、タイトルは『I long for the summer sky』なんだよ。引いた? 怒る?」
ブラウンさんの家や、雅楽川家の門の前でも聴いたあの曲。日本で会った時に私の名前の漢字を知り、そこからイメージして曲を作ったらしい。
『夏空に焦がれて』――夏空の広がりや色彩、そして光の美しさに、海が焦がれて待ち続けるというイメージだと、ナオは説明してくれた。
あんなにも煌めくような綺麗な曲が私のイメージだなんて……。
引くとか怒るとかではなくて、恐れ多くて恥ずかしい。
でもこれも、リップサービスではなくナオの本音なのだろう。
ボボボッと顔に熱が集まるのを感じる。
「全然引かないし怒らない。嬉しい……」
そう伝えると、ナオの瞳がキラキラと潤む。
「夏海はね……You're always emotionally supportive(ずっと心の支えだったんだ)。5年前だって、今だってね。夏海の前にまたきちんと立てるように。そう思ったら頑張れる。リハビリも、何回もやめたくなったけど……夏海のことを考えた。まだ上手く弾けないけど、あの曲を弾いて、かわいい夏海のことをたくさん思い出してた。夏海は俺に元気をくれるんだ」
ナオが曲の中にイメージした姿は、きっと今の私になんてほど遠いほど美しいのだろう。
いつも元気をもらっているのは私の方だ。
それでもナオの言葉は嬉しかった。
こんなにも私を思ってくれるナオが、愛おしくて堪らない。
「ナオのピアノはね、いつも私を幸せな気持ちにするのよ。昨日も……私にとっては素敵な音色だったわ」
「昨日?」
「うん。神社で聞こえてきた」
そう言ったらナオはちょっとビックリした顔をして、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そっか……今の俺のピアノでも、夏海を幸せな気持ちにできるんだね」
「そうよ。だから、あなたはいつだってピアニストなのよ」
「夏海はすごい人だね。俺をそうやって助けてくれる」
「愛情が重いだけよ」
「俺、愛情の重い人、すっごく好きだよ。ウェルカムだよ。でも本当に……夏海はこんな俺でいいの?」
私は不安そうなナオの左手を取ってキュッと握った。
「ナオが……尚哉がいい。私が辛い時は尚哉が支えてくれた。だから今度は私が尚哉を支える。私が落ち込んでる時、尚哉が元気をくれた。だから今度は私が尚哉に元気をあげる」
「夏海……」
するとナオの左手が私の頬に触れる。
じっと見つめるナオの視線に、私の心臓がドキリと跳ねる。
「夏海……キスしていい?」
ドキン、ドキン、ドキン。
拍動がどんどん早まる。
うん……して……ほし――
「ダッ、ダメよ! ここではダメ!」
「えー、どうして?」
「どうしてもこうしても……ここ、公園のド真ん中」
周りに目を向けると、ちょっと離れたところで子供たちがじっとこちらを見ている。そして私たちのすぐそばを、チリンチリーンとベルを鳴らす自転車が通り過ぎた。
私とナオは顔を見合わせ、クスッと笑う。
「アメリカならOKだよね」
「……そうかもね。でもここは日本だもの。ダメよ」
するとナオは企んだような顔で笑う。
「さっき『ここではダメ』って言った。じゃあ場所を変えればいいってことだ?」
そう言われると、急に恥ずかしくなって手で顔を覆った。
「揚げ足を取るようなこと言わないで!」
「……アゲ足? 足を揚げるの? からあげ?」
「もうっ、違うわよ! からかわないでってこと」
「よくわかんないけど……夏海、こっち来て」
手を引かれて公園内を駆けていき、人目に付きにくい木陰に入る。
真っ赤に色づくモミジの木の下で、ナオに両腕で囲うように包まれながら、お互いの額をコツンと合わせた。
ナオとの距離が近くてドキドキする。
「ねぇ夏海……ここでなら、キスしてもいい?」
いいって答えたら、すぐにキスされるのかな、なんて思うとドキドキが高まりすぎて話を逸らしたくなった。
「ナオ……右腕まだ痛い?」
「どうでもいい」
「どうでもよくはないわ」
「今は、どうでもいいよ」
「『今は』ってことは、痛いのよね? そうでしょ?」
「Zip your lips(お口チャックして)」
思わず口をキュッと閉じると、ナオの唇がふんわりと愛おしむように触れる。
うっとりするほど優しくて、足元がフワフワする。
「ナオ……」
「夏海、もっとたくさんしよう?」
額をくっつけて色っぽく見つめるナオに、私はノックダウン寸前。
ナオの蜂蜜沼が、私を甘く誘う。
「えっ……ダ、ダメに決まってるじゃない。こんな外でなんて……ダメよ」
でも素直に「うん、たくさんして?」と言えない大人ぶった私は、必死に抵抗を試みる。
だからそんな私を丸ごと包んでくれるぐらい、愛情深くて強引な、ナオみたいな人がちょうどいい。
「無理。My sweet honey、おとなしく俺とキスして?」
「そっ……その呼び方恥ずかし――」
言葉を遮るように、ナオの唇がリップ音を立てて私の唇に触れる。
笑顔を封印して熱っぽい瞳を向けるナオを見ていると、私の理性だか根性だかわからない何かは、蜂蜜みたいにドロリととろけて取り払われていく。そうなればもう私の形なんてなくなって、蜂蜜沼に溶けるみたいにどっぷりと身を委ねる。
私はナオをうっとりと見つめたまま、ナオの首に腕を回して抱きついた。
「尚哉、I'm yours(私はあなたのものよ)」
私の小さな声を拾ったナオは、クシャッと崩した顔を赤く染める。
「I never thought I'd hear you say that. You drive me crazy…(あなたにそんなことを言われる日が来るとは思わなかったよ。好きすぎて頭がおかしくなりそうだ……)」
ナオは私の頭の後ろを押さえて唇を重ねる。
「夏海、You’ll always be mine(あなたはずっと俺のものだ)」
それから私たちは繰り返し繰り返しキスを交わした。
互いの存在を、熱を確かめるように。
溢れ出す気持ちを、一つも漏らすことなく伝えるかのように。
唇が離れて互いにハァッと熱い吐息を零すと、私たちは強く強く抱きしめ合った。
「尚哉……」
「夏海……もう離さないよ」
手の届くところに、大切に想う人がいる。
当たり前ではないこの現実。
遠回りしたからこそ、決して離れないと誓い合う。
「うん……私も離さない」




