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漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第十楽章 逃げない、逃がさない

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10-06.


「ナオはピアノと必死に向き合う、すごくかっこいい人よ。それにね、ナオは歴としたピアニストよ。怪我をして休んでるだけ」


振り向いて笑みを零したナオの目は、寂しさを色濃く滲ませていた。


「ピアニスト……か。俺はきっとピアノの神様に嫌われたんだよ。だからきっと、もうピアニストには戻れない運命なんじゃないかな」


自分の右手を見つめながら顔を歪めるナオを見て、私は悲しみと怒りの二つの感情が同時に込み上げた。


「何が運命よ! あんなにもピアノに気持ちを向けられるんだもの。嫌われる理由なんてどこにもない! もしも……万が一そうなら、『神様のくせに、どれだけ見る目ないのよ!』って私が文句を言ってあげる!」

「夏海……」

「ナオは子供を救った素晴らしいヒーローよ。だから怪我を治してまた弾くの。ピアニストとして、これからも素敵な演奏をたくさんの人に届けるの。今は前みたいに弾けなくても……ッ、また弾けるようになるわ!」


怒りなのか悲しみなのか励ましなのか、よくわからないものでぐちゃぐちゃになって告げると、ナオは乾いた笑みを浮かべた。


「でも全然ピアノを弾けないんだよ? これからも弾けるようになるかなんてわからない」

「大丈夫よ……私が必ず治してみせるから」


そう告げると、ナオは目を見開く。


「えっ? 夏海……が?」


ナオが困惑するのも無理はない。私の状況を何も伝えていないのだから。

私は涙を拭うと、ナオの元へツカツカと歩み寄る。そしてナオの服をギュッと握る。

あなたを囲い込んで、もう絶対逃がしてあげない。そんな私の決意を込めてナオを見つめる。


「私ね、リハビリのことは元々仕事上知る必要があったから、それなりに勉強済みなの。それで少し前にピアニストの怪我に詳しい人に話を聞いたり、右腕をどう治していくのがいいのか専門医と話したりしたわ。これからナオの現状に合ったナオ専用のリハビリメニューをきっちり組む。私が毎日ナオのリハビリをサポートするわ」


目を丸くするナオに、私はフンッと得意げな顔を作って見せた。


「言ったでしょ? 私の愛情、ヘビー級より重いの」


そう言うと、ナオは何かをグッと堪えるような表情をして苦笑いを浮かべる。


「愛情って……変な言い方しないでよ。I might misunderstand(勘違いしそうだ)。それに毎日って……俺、今アメリカには戻れないよ?」

「戻らなくていいわ。日本でリハビリするの」

「えっ?」

「私の母校の大学附属病院で。そこのリハビリテーションセンターに通ってリハビリをするのよ」


きょとんとするナオ。

さあ、ナオの壁を壊そう。


「そこにはほかの病院ではあまり見ないような最新型の治療機器やリハビリ機器が揃っててね、痛みが少なくて、かつデータを元に超効率的に治療やリハビリができる場所なの。在宅でのリハビリだけだと、できることも限られてるはずだわ。センターに通った方が回復も復帰も、少しぐらいは早められるかもしれない。もちろん、プライバシーにも配慮できるようになっているから安心して?」


それでも変わらずきょとんとしたままのナオに、続けて告げた。


「私、最近帰国して、そこに勤め始めたのよ。今のところはまだ非常勤だけど」

「…Say what?(……何だって?)」


ナオが目を丸くしているのが見える。

ナオの壁をもっと壊そう。それで私の元へとドボンと落とす。

愛情まみれのグズグズの沼へ、ナオを落とす。


「だから……私、日本に帰ってきて、母校の大学病院に勤め始めたの」

「えっ、待ってよ! アメリカの病院は?」

「辞めたわ」

「えっ、辞めたの!?」

「そうよ。ああ、大丈夫。きちんとキリのいいところまで終わらせてから辞めたわ」

「そういう……ことじゃなくて……」

「母校から指導医の打診が来ていたんだけど、ずっとどうしようか迷ってたの。でも決めたわ。日本で脳外の指導医を務めながら、リハビリテーション科専門医になろうと思って勉強を始めたの」


私はナオを探す中で、自分のセカンドキャリアについても考えを固めた。そしてアメリカでの仕事にキリをつけて、日本に帰ってきたのだ。

するとナオは眉根を寄せる。


「道はほかにたくさんあったはずだよね? リハビリのドクターになることを決めたのは、俺のせいじゃないの?」

「私を侮らないで。そうやって決めたら脳外科医になった時と同じだわ。ナオの『せい』じゃない。きちんと自分の希望する道に進み始めただけのことよ。勇気のいることだったけど、こんなに早く決断できたのはナオの『おかげ』なの。だからナオが日本にいる限り、ずっとそばでサポートできるわ」


すると困惑した表情で少しの間黙って、ナオはまた苦笑いを浮かべた。


「ありがとう。さすが夏海は Excellent doctor(優れた医師)だ。怪我をした『友達』を放っておけないんだね。でもそういうのはもう――」

「違うわ! ナオは友達じゃない。私の特別な人よ」


ハッキリそう告げると、ナオは目を見開く。


「……ねえ、なんか変なふうに聞こえるよ。俺、日本語苦手だから、さっきから何回か変に聞こえて、misunderstand――」

「勘違いじゃないわ。私にとって、ナオは特別な人なの」


再度伝えても、未だナオの表情には困惑の色が根付いている。

まだだ。

もっともっと、壁を壊さなくちゃ。


「聞いてる? ナオは私の特別な――」

「ダメだよ! そんなのおかしいよ、夏海。話聞いてなかった? 今の俺には何もない。I don't need your pity!(同情は要らない!)」

「同情なんかじゃないわ! だいたい、何もないって……何よ……ッ……。ナオ自身がいるじゃない。ちゃんとあなたはそこにいるわ」

「……俺……自身?」

「そうよ! 私は『ピアニストの小鳥遊尚哉』を見てるわけじゃない! あなた自身を見ているの。あなた自身が私にとって特別……なのに……」


もっとビシッとかっこよく言いたいのに、気がつけば涙が零れ落ち、声は震える。

それでも私は願う。

私のところへ落ちてきてほしい、と。


「夏海……何言ってるの? そんなの嘘だよ」


ナオの表情は、未だ訝しげなまま。

かつて自分がナオの言葉を聞き流して蔑ろにしていたことを今さら悔やむ。

伝わらないってこんなに苦しいんだ。こんなふうにナオを苦しめていたんだ。


「冗談でこんなことを言うわけがないでしょ」

「だって俺、ペットみたいな男だよ? ううん、本当に何もできないから、それですらないかも」

「ナオはピアニストよ! 私が……ッ……私がちゃんと……治してみせるから……だから……ッ……」


もっと、もっともっと、ナオが逃げられないように、安心して私のところに落ちて来られるように、上手にナオを導きたいのに……。

伝わらない悔しさと悲しみでコントロールを失った私の口は、貧弱な声で告げる。


「ナオ……好き……」

「えっ?」

「あなたのことが……好き……なの……」

「……」

「ナオのことが好きで好きで堪らないから……ッ、お願いだから私の恋人に……なって?」


涙でグズグズのボロボロ。なんてかっこ悪いのだろう。

それでも私は、どうかナオに伝わってほしいと言葉を紡ぐ。


「ナオ……あなたのそばにいさせて? あなたの一番そばで……あなたを支えたいの。……好き……ッ、尚弥……」


泣きながら呼んだ名前は情けないくらいに震え、空気に溶けそうなほどふにゃふにゃな声だった。

それでもどうか私の元へ落ちてきてほしいと願う。

どっぷりと私の沼に浸かるあなたを、私は全身くまなく包み込むから……。


「尚……弥……ッ……」


どうか落ちてきて……お願い……お願い……お願い……。


すると――


「夏海」


ピアノの音と同じくらい真ん丸な声で名前を呼ばれてすぐ、私はナオの胸元に引き寄せられた。

私の頬はコツンとナオの胸にぶつかって、そこからナオの体温を感じる。


「ナオ……?」

「Look at me. Call me by my first name(こっちを見て。ちゃんと名前で呼んで)」

「……尚哉」


怖ず怖ずとナオを見上げ、照れながらそう呼ぶと、ナオが目を潤ませながらも柔らかな笑みを浮かべる。


「うん、夏海」


久しぶりに見る、ナオのふわりとした笑顔。

もしかして……伝わった?


「尚……哉?」

「何?」

「私……ね……ッ、ずっと尚哉に会いたかったの。だから今……会えてすごく嬉しい」


するとナオが私の頬に伝う涙を優しく拭って微笑む。


「うん。本当はね、俺も夏海にすごく会いたかったんだよ」


その言葉にハッとした。ずっと『会いたくない』と言っていたナオから『会いたかった』という言葉が聞けた。

やっと……やっと伝わったんだ。


「もう……ッ! お願いだから……黙っていなくなったりしないで!」


泣きじゃくってボロボロな私は、ナオにしか見せない特別。弱くて泣き虫な私の本当の姿だ。


「ごめんね、夏海」

「ずっと怖かったの……。会えなくて寂しかったの。もう私を一人にしないで……。どこにもいかないで……」

「うん、ごめん。そばにいる」

「尚弥、いっぱい……ギュッてして」


そう伝えた途端、ナオの腕に力がこもる。力の弱い右腕の分も、左腕で力強く抱きしめてくれた。


「夏海、好きだよ」

「私も好き……尚弥」


あなたの強さも弱さも、全部、好き。


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― 新着の感想 ―
やっと想いが通じ合ったーー( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`) 良かったーー⸜(*˙꒳˙*)⸝ 夏海さんの告白にうるうる涙腺崩壊です(இдஇ; ) ナオ、夏海さんが側にいてくれたら最強だね! きっとまたピアニ…
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