10-05.
私はナオに連れられて、駅近くの公園に向かった。
「リハビリ、きちんと続けているの?」
隣にいるナオの顔を見上げると、元々シャープだった顎がさらにシャープになっていて、痩せた印象が見て取れた。それを見ているだけで胸がギュッと握られるように痛む。
「うん。病院をこっちに移しただけ」
「そう。右腕、調子はどう?」
「……本当のことを言わないとダメ?」
ナオはそう言って、今にも泣きそうな顔をする。そんなにも話したくないらしい。
でも逃がしてあげない。
「嘘つきは嫌いよ」
「あぁもう……わかったよ……」
するとナオは溜息をついて、渋々という様子で呟く。
「ずっと……『ゴキゲンナナメ』だよ」
そう言って、ナオは顔をしかめながら右手を見つめる。
ナオのそんな暗い顔は初めて見た。事故後から、私はその苦しみに何一つ寄り添えていなかったんだ……。
そして恐らく事故直後は全く動かなかったはずの右手が少しだけ動く様子が見て取れる。
「リハビリ、頑張っているのね」
リハビリは非常に辛いはずだ。痛いわりに、すぐに結果が出るものでもないのだから。
へへへ、と照れたように笑う顔も、知っているナオの顔より悲痛が滲み出て見える。
見ているだけで苦しくなるようなナオの表情。
でも私は、そこから目を背けてはいけないのだ。
「ナオがリハビリに来なくなって、弘臣も、担当医の森山先生もとても心配していたみたいよ。今も弘臣は気にして連絡をくれるわ」
そう伝えると、途端にナオは表情に不機嫌さを滲ませた。
「だからそれが……」
「何よ?」
「俺が事故に遭った時に頼ったのも弘臣さんで、夏海が俺に連絡くれたのも弘臣さんに言われたからで、今ここに居るのも弘臣さんに言われたからっていうことでしょ? 全然嬉しくないんだよ……」
「もしかしてナオ、手術を受ける時もそうだったけど……弘臣に妬いてる?」
私が目を瞬かせてそう聞くと、ナオはムッと口を尖らせた。
「悪い? 弘臣さんは夏海の気持ちを掴んで離さない人だ。それなのに、どうしてそんな人に頼らなくちゃいけないんだよ。夏海は全然俺の気持ちをわかってくれない……」
不満そうにブツブツと文句を言うナオを見ていると、私は堪えきれずに笑ってしまった。
確かにナオの気持ちを全然わかっていない。まさか怪我で大変な時まで妬いてくれていただなんて。
それに、本気で弘臣のことをライバル視しているだなんて思わなかった。
「ごめん。冗談だと思ってたわ」
「だから……本気だって言ったのに……」
「それにしたって今回はノーカウントにしてよ。私はナオの腕を治すことしか考えてなかったんだから」
「夏海のことでそんな余裕なんてどこにもないよ。あーもう……夏海は全然俺の気持ちをわかってくれない。どう伝えれば伝わるんだよ……」
頭を悩ませて俯くナオを見ていると、場違いな感情が湧き上がる。
(……どうしよう。すっごくかわいい)
こんなにヤキモチ焼きな人だったなんて……。
ここでクシャクシャと頭を撫でたら、どう考えても怒るのだろう。
するとナオがポツリと呟く。
「あの人、俺が必死にリハビリしてるところを、文句言いたそうな顔で腕をクロスしてじっと見るんだ」
文句を言いたそうなのは、たぶん弘臣の標準仕様だから誤解よ、なんて弘臣を庇うようなことを言えば、余計にナオの機嫌を損ないそうだ。
「それは私ができるだけナオの状況を教えてって、弘臣に頼んだのよ」
「だから、どうしてあの人に頼むんだ……。夏海があの人と話すのも嫌だし、情けない俺の姿なんてライバルに見せたくない……のに……――って、あぁもう! だからね、こういうことを言ってる今の俺って、なんて言うの? Narrow-minded(器が小さい)……Uhhh! I'm annoyed by my own uselessness.(あーー! 自分の不甲斐なさにイライラする)」
捲し立てるように発するナオは、絵に描いたようなむしゃくしゃ具合、とでも言おうか。いつも穏やかなナオが、見たこともないほどイライラしている。
そんな姿をようやく私に見せてくれている。
喜んではいけないのだろうけれど、頬が緩んでしまいそうだ。
「ごめんね」
「どうせ俺は子どもみたいだよ。こういうところも夏海に見られたくなかったんだ。嫌われる方に向かってHeadlong(真っ逆さま)だよ。だから帰りたいって言ったのに……」
英語混じりなのがまた必死な感じがして――
「ナオってかわいいのね」
思わずそう声を漏らすと、ナオは不機嫌そうにキュッと眉根を寄せた。
「ほら! そうやって子どもみたいに思うでしょ? だから会いたくなかったし話したくなかったんだよ。弘臣さんって何なの? パーフェクトなスーパーマン? Good-looking(見た目がいい)、Gorgeous (オーラがある)、 Good doctor(名医)……夏海が20年も好きでいるのがわかる……って思えるのが、もう本当に嫌なんだよ。右手動かなくてピアノ弾けないし、子どもみたいだし……どう考えても俺はLoser(負け犬)だ」
ただでさえ怪我で落ち込み、さらには実物の弘臣を前にして、すっかり劣等感を抱いてしまった様子。
弘臣とは別の意味で、私にはこういうナオも充分魅力的なのに。
「そんなことはないわよ」
「あるよ。それに俺……『働かない男』だから」
「……え?」
「だって夏海、最初に日本で会った時『働かないペットみたいな男なんて興味ない』って言ってたでしょ? 本当に今の俺はそうだからね。せっかく2年先までいっぱいになってたピアノの仕事も、全部キャンセルになった。Exclusive contract(専属契約)も、なしになった。ピアノも仕事も……全部なくなったんだ。だから今、俺には何もない。……夏海の前にいるのが恥ずかしい」
今にも泣き出しそうな顔で俯くナオを見ていると、胸が張り裂けそうなほど痛い。
過去に発した私の言葉が、今のナオを深く傷つけた。
そして会わない間にナオはたくさんのものを失い、冷たい現実が容赦なく襲いかかったんだ……。
「ナオ……」
「夏海は俺のピアノの音が好きだって言ってくれたでしょ? 一つだけ夏海に『好き』って言ってもらえたのに……その音が、今は出ないんだ。ピアノと俺が……We don't Melt and mix together(溶け合って一体にならない)……すごく離れてるみたい。ピアノに話しかけても返事をくれない。俺が下手だからピアノが怒ってるのかな。手も動かないし、前みたいな音が出ない。自分の出してる音が自分の音じゃないみたい。すごく気持ち悪いんだ。今の俺のピアノは、全然夏海の好きな音じゃない」
ナオの好意に対して私がはっきりとした態度を示したのは、唯一『ナオのピアノが好き』だけだったことを今さら嘆く。
意地を張って伝えなかったことで、今のナオを余計に苦しめているのかもしれない。
「ねぇ夏海、わかってよ。今の俺は、5年前よりもっと夏海にill-matched(不釣り合い)なんだ。嫌われる前にすぐにここから消えたい。こんなどうしようもない俺は忘れてほしい。次に会う時には、もっと何かできるぐらいに手が……動くように……なって――ッ……ねぇもういいでしょ? ちゃんと話したよ。帰るね」
「あ……」
苦しげに顔を歪めたナオは、私に背を向けて歩き始めた。
不釣り合い? 私がナオを嫌う? どうしようもない?
これまできちんと伝えずにいた自分に腹が立って仕方がない。
私はグッと手を握りしめてナオの背中を見つめる。
その背中は私に嫌われまいとする強固な壁。
でも私はそれを壊しに来たんだ。
「待って、ナオ!」
私の呼びかけに、ナオがピクリと肩を揺らして足を止める。
きっといきなり壁を壊しにかかってもダメだ。
じっくり、じっくりと、周りから攻めて……そう、ナオが私にしたように、徐々に周りを囲って逃げられなくしてから、一点を突く。
そして壁が崩れた瞬間、ドボンと蜂蜜沼に落とすんだ。
序盤で『ヒモ』としていた言葉を『ペット』に変更しました。
『ヒモ』は放送禁止用語と知ったもので、そういう言葉は避けておこうかなと∑(・o・; )
変更前にご覧いただいた方、申し訳ありません。




