表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第九楽章 弱み

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/82

09-08.


ナオがそんな状態だったなんて……。

何も知らずにいた自分への失望と苛立ちが、私の胸に激しく渦巻く。


「そう……でしたか……」

『悪く思わないでくれ。あなたに情けない姿を見られたくなくて、ナオなりに必死だっただけだ』

「はい……」

『リハビリって、すぐに効果が出るものでもないだろう? だけどナオは早くピアノの世界に戻りたかったんだ。あなたが好きだと言ったピアノを取り戻すためにね」

「――ッ……私……」

『ああ。だから最初は苦しみながらも、歯を食いしばって必死にリハビリをやっていたんだ。それなのになかなか右手が動くようにならなくて、とても焦っていた。すっかり元通りに戻すのは難しいと聞いてからは、もう元のようにピアノは弾けないんだって……諦めたくなる気持ちと懸命に闘って、リハビリを続けていたよ』

「そう……ですか」

『事故の後2週間ぐらいは、頭をぶつけた影響でしばらく耳鳴りも酷かったみたいで、眠りが浅くてね……悪夢ばかりを見ると言っていた。右手が一生動かなくなる夢でうなされるから、眠るのが怖いって言って震えていたよ。顔色も悪くて、どんどん痩せていった。そんな姿をあなたには見られたくなかったんだ。今は……どうだろうな。眠れているといいんだが……』


視界がグラッと歪んで暗くなる。

魘され、震えていたナオを思うだけで胸が張り裂けそうだ。

私は今まで何をしていたのだろう。

会いに行きもせず、ナオから直接聞こえてくる言葉だけを真に受けて、ナオの本心を見抜けなかった。

呑気で馬鹿な私……。


『夏海には、コンサートでクールにカムバックする俺を見せたいからだよ』


1ヶ月前、ナオはどんな気持ちでこの言葉を口にしていたのだろう。相当無理をして言っていたのではないだろうか。

何がナオは『前向き』だ。何が『リハビリが順調だということ』だ。何が『ナオの明るさ』だ。

思わぬところで大怪我をして、ナオにとって体の一部のようなピアノが急に弾けなくなって、それで平気なわけがないのに……。

ピアノという光のない世界に突然立たされたナオは、どんなに苦しかっただろう。

心を抉られ、光を見失い、息をすることすら苦しかったに違いない。

脳外科医としての輝きを失った私の手のように、ナオの手も今、輝きを失って――

……そう考えて、私は首を横に振る。

違う。ナオはまだ輝きを失ってはいない。

純真にピアノに向き合ってきた人だから。

今はただ曇り空なだけだ。

だったら私の手でも……私の光を失った手でも、ナオの手に光を導くことができるだろうか。


(違うわ。できるかどうかじゃない。やらなくちゃ。ナオから光を失わせはしない。私が、必ず導いてみせる)


「あの、ナオの居場所がわからないのですが、何か知りませんか? 本人は教えてくれなくて……」

『あー……家庭の事情があるらしくて、僕も知らされていない。僕は仕事の事情でアメリカに戻ることになって……ナオを残して日本を発つのは心配だったんだけど、ナオが “家に帰るからいい” って言ったんだ』

「家?」

『そう。入れ替わりでナオの母親が来たようだ。だから今は母親の方の家に戻っているんじゃないのかな』

「そうですか……。私、ナオの家のことも家族のことも全然わからないんです。私って本当に……何してるんだろう」


苦しさを隠して自虐を含んでそう呟くと、ブラウンさんがフッと笑う。


『ドクター、あなたはスタート地点に立ったばかりだろう? これからだ』

「はい……すみません」


苦さでいっぱいの後悔を噛みしめる。

これが今の自分の立場だと、言い聞かせるように。


「あの、ナオの家のことで何かわかることはありませんか?」

『うーん……父親の方は少し聞いてるけど、母親の方はな……。あぁでも、そういえば随分前だけど、ナオが変わった楽器の話をしていたな』

「変わった楽器?」

『ああ。家にある楽器が楽しいって話していて……何だったかな。俺は聞いたことのない名前だった。オーボエみたいな古い楽器らしくて……ヒ……ヒティリカ? ちょっと違う気がする。名前は忘れたけど、とにかくそれの音も魅力的なんだって話していたことがあるよ』


オーボエも名前を知ってる程度で詳しくはわからないが……ヒティリカ? 何それ……。


「えっと……そもそもナオの家って、日本なのでしょうか?」

『あー……わからないけど、たぶん日本じゃないかな。母親の再婚相手は日本人だって言ってたし、日本に仕事に行くとフラッと数日どこかへ出かけてたからね』

「そう……ですか」

『一応、うちで所有する家のどこかに、ナオが戻ってないか探してみるよ』

「はい、よろしくお願いします」


僅かな手がかりを得て、ブラウンさんとの電話を切った。


「ナオの……お母さんがいる家」


日本……だよね? 

弘臣の病院の紹介状を持っているということは、日本国内の病院に移った可能性が高い。

でも紹介状を使わない可能性も考えると……全くどこだかわからない。

どこかにあるナオの母親がいる家。ナオはそこにいるのだろうか。

ブラウンさんが言うように、まだナオの右手には麻痺が残っている状態。一人で生活するのは難しく、アメリカに戻って一人で生活しているとは考えにくい。

手がかりは、オーボエみたいな古い楽器がある、たぶん日本国内の家。

……これでナオを探し出せたら奇跡だわ。

もう少し情報がほしい。


「……あ、そうだ」


私はミキさんに連絡を取ることにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ