07-01.
二人で出掛けた日から一週間ほど経った頃、『ナオのピアノが聴きたい』という私の願いを叶えるべく、ナオが家に招待してくれた。
(ずいぶん早く着いてしまったわ……)
約束より30分近く早くブラウン氏の自宅前に到着。
家にいてもソワソワして落ち着かず、早く出発した結果だ。
さすがに訪問するには早すぎて、門の前で立ち尽くす。
すると、門の向こうからピアノの音が聞こえてきた。
まん丸い粒子がふわふわ舞うみたいな優しい音がする。
聴き入ってしまうほど美しい音色は、小鳥遊尚哉というピアニストの素晴らしさなのだろう。
それにしても、聞こえてくるこの曲は何という曲だろうか。
キラキラと輝くような眩しさを感じる旋律。
澄んだ青空のように大らかな音の流れが、気持ちを穏やかにしてくれるのを感じる。
邪魔をしたくなくて、そして最後まで聴いてみたくて、私は曲が終わるのを待ってから門を越えた。
「夏海、ようこそ。中に入って」
「おじゃまします」
「早かったね」
「うん。ねぇナオ、さっきの曲、すごく素敵ね」
「……聴いてたんだ」
「うん。外にいたら聞こえてきたわ」
「ドア閉めればよかったな」
「聞かれたくない曲だったの? 大丈夫、秘密にするわ」
そう言うと、ナオは困ったような笑みを浮かべる。
「平気だよ。……今のはね、オリジナルの曲なんだ。最近作って、まだ途中」
「へーえー、曲も作るのね」
「うん。勝手に湧いてくるから作るしかないよね」
何だか言ってることが天才っぽい。いや、有名なピアニストなんだから天才なんだと思う。
こうやって会っていると、ゆるふわでそういう感覚を忘れるけど。
「眩しい情景が浮かぶような綺麗な曲ね。曲のタイトルは決まってるの?」
「……秘密」
相変わらず困ったような顔をしているナオ。
何がそんなに困るのか不明だ。
「そう。完成したらまた聴かせてね? ねえナオ、今日ブラウンさんはいないの?」
部屋の中を見回してもブラウンさんの姿は見えない。
「うん。アルは別のところで仕事」
ということは、ナオと二人きり。ちょっとドキドキしてきた。
「そ、そう……」
「夏海は甘いカフェオレでいいよね? シュガーと蜂蜜なら、蜂蜜かな?」
ほぼ断定的な問い。まるで確信があるかのようだ。
「わ、私は……ブラックで……」
「夏海は、甘くてミルクが入ったコーヒーが好きでしょ?」
なぜそれを。そんな素振りは見せていないはずなんだけど……。
困惑して黙っていると、察したようにナオが話し始めた。
「日本で会った時、夏海のホテルの部屋で冷蔵庫を開けたんだ。水を渡した時。水と……何とかの甘さの生クリーム何とかって書いてあるカフェオレがあった」
『くつろぐ甘さの生クリーム仕立て』が正解だ。好みがバレてる。
そしてナオは続けて告げる。
「あとは、ハニーミルクティーがたくさん入ってたね」
「うっ……」
「夏海、本当はどんなのが好きなの? ブラックは好きじゃないでしょ?」
無理してブラックを飲んでたことがバレている上、子供みたいに甘い飲み物が好きなこともバレてる……よね。
ナオってフワフワしてるように見えて、案外鋭い。
私はひとつ溜息をついて、観念して本音で答えることにした。
「……本当は甘いのが好き」
「何が一番好きなの?」
甘党がバレてしまったせいもあるけれど、そもそもナオには隠さなくてもいいような気がする。どうしてだろう。
「あ、あのね……ハニーミルクティーが一番好きなの」
「へーえー。……夏海、ヨシヨシしていい?」
「嫌よ」
「だって夏海がかわいすぎる。何かしたい。どこか触りたい」
「どこか触りたいって……ちょっと変質者っぽいんだけど」
「ヘンシツシャッポイ?」
「変態……Pervert」
「No! 違うよ、俺違う! 愛だよ! 夏海のことが好きな気持ち。夏海がかわいい、大好きっていう気持ち!」
よくもまぁツラツラと愛とか好きとか大好きとか出てくるものだわ。
かぁるく出てくる言葉は信憑性が欠ける。
そしてテーブルに置かれた二つのマグカップを見て首を傾げる。
一つは私の分でカフェオレのベージュ色。
もう一つは……ブラックだ。
「ナオはブラックが好きなの?」
「うん」
「じゃあ、公園に行った時はどうしてカフェオレにしたの?」
聞かなくても何となく答えが予想できるけど……。
するとナオはフフッと悪戯な笑みを浮かべる。
「別に。何となくそういう気分だっただけだよ。たまに飲みたくなるんだ」
ナオの嘘つき。
でも……嫌な嘘じゃない。優しい嘘だ。
「ナオって、フワフワ~っとしてるようで、案外、頭の切れるタイプなのね」
「ん? 頭切るのは夏海でしょ? 俺、無理」
ダメだわ笑っちゃう。
ナオという人はちょっと軽いけど気遣いのできる優しい人。
そして……日本語があともう一歩惜しい人だ。




