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漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第六楽章 真綿のような人

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06-03.


向かったのは公園内にある丘。

ナオに連れられ、木々に囲まれた階段を息を切らしながら上り進む。


「夏海、大丈夫? 抱っこする?」

「嫌に決まってるでしょ!」

「なんだ、残念」


余裕綽々という様子で前を行くナオ。

ピアニストというと座っている時間が長いイメージだけど……。


「ねえ、ナオって体鍛えて……体のトレーニングをしているの?」

「うん、する。俺は Core stability(体幹の安定性)大事。ピアノ弾きやすい」

「そう……」

「夏海はしない?」


そう言って、ナオは息を切らす私を見てクスッと笑う。

なんか悔しい……。


「鍛えてはいるけど……これだけ階段が続くと……あぁもう……足が棒になりそうだわ」


足を止めてそう言うと、ナオは不思議そうに私を見つめる。


「え? アシ……ガボー?」


変なところで切らないでほしい。


「足がすごく疲れた時に使う言葉。『足が棒になる』っていうの」

「ふぅん。アシガボーニナル?」

「そうよ。ちなみに『膝が笑う』っていう言葉もあるわよ」

「え? 膝ワッハッハ?」


予想通りのナオの反応に、思わずクスッと笑いが零れた。


「足が疲れた状態で坂道とか階段を下ると、足がガクガクすることがあるでしょ? あれのことを言うのよ」


するとナオは上ってきた階段を数段下る。


「俺の膝、笑ってない」

「そう、元気でいいわね」

「笑ってない時はなんて言うんだろう? 笑うの反対だから、怒る? 夏海! 俺の膝、怒ってるよ。グツグツ」

「そんな言葉はないわよ」

「じゃあ、足がガクガクしない時は何て言うの?」

「え? そ、それは……膝が……疲れていないって言うわよ」

「普通でつまんない」


悪かったわね。

どうしてかしら。私がダメ出しされた気分だわ。


「ねえ夏海、いっぱい笑うことは日本語で何て言うの?」

「いっぱい笑うこと? 『大笑い』かな。『大きい笑い』って書くのよ」


するとナオがクスッと笑う。


「じゃあ、夏海の膝は大笑いだ。なんか楽しそうでいいね」


そんな言葉もないし、膝も楽しくないわ。単なるクタクタよ。

心の中でぼやきつつ、楽しげなナオを見てクスッと笑った。

本当にナオといると元気が出るわ。


『ナオ語録』に笑っているうちに少し足が休まり、再び上り進むと次第に視界が開けてきた。


「わぁ、綺麗……いい景色ね」


眼下に広がる街並みに目を奪われる。

そして足の疲れなんて吹き飛ぶほどの心地よい風に包まれ、私はスーッと息を吸い込んだ。

清々しい木の香りがして、そのいい香りに感嘆の息が溢れた。


「俺、ここが好きで、リフレッシュでよく来るんだ」


確かに、心地よい景色に癒やされれば、大いにリフレッシュできそうだ。


「ねー、ナオ! 向こうに海が見える! 綺麗ね」


指し示す街並みの向こうに、日の光を反射してキラキラ輝く海面が見える。

嬉しさを共有したくてナオを見ると、ナオは私を見つめて優しく微笑んでいた。

今日は何度かナオのこういう表情を見ている。

まるで心から愛しい人に向けるかのような、穏やかで温かな微笑み。


「うん。あのもう少し先にビーチがあるよ」


ナオの言葉にハッと我に返って目を逸らす。


「そ、そうなんだ」

「……どうかした?」


違う。きっとこの人は、ただみんなに優しいだけだ。

その優しさに包まれて、この一時だけは存分に楽しむ。

それだけ。


「何でもないわ。海に行くのがすごく楽しみだなって思って。あー、待ち遠しい。楽しみね」


風になびく髪を耳に掛けていると、ナオがフフッと笑う。


「恋人として海に行きたいな」

「友達として、だと思うわ」

「早く Hubby(夫)になりたいな」


ナオはそう言ってニコニコ笑ってるけど……無理よ。

だって私の心には、20年積み重ねた弘臣への思いがまだある。

それに、それ以上に無理だと思えることがある。

ナオの軽さに対して、私の恋心はそんなにかわいいものじゃない。

大学時代の友人には、弘臣への愛情を「漬物石みたい」と揶揄されたことがある。

ナオだって、一度(ひとたび)そんな気持ちを向けられれば、重いと言って私から離れていくのだろう。

だから浅い関係で今を楽しむ。それだけで充分だ。



「あら、もしかしてナオじゃない?」


急に横から女性二人組に英語で話しかけられた。

一人はヨーロッパ系、もう一人はラテン系の女性で、二人とも恐らく20代後半か30代前半くらいだと思われる。

二人ともどこかのお嬢様みたいにエレガントで、服装も大人っぽくて色っぽい。


「よく俺だってわかったね」

「ナオは目立つもの。オリヴィアが最初に気付いたのよ」


二人の内のヨーロッパ系の女性が、隣にいるラテン系の女性・オリヴィアを指してそう告げる。

目立つ。私も同感だわ。変装しても隠せていないのよ。


「ナオ、昨日はお疲れ様。情熱的でとてもいい演奏だったわよ」


ヨーロッパ系の女性がナオにそう言って、風になびく髪をエレガントな仕草で耳にかける。

外国の女性が日本人女性よりずっと大人っぽく見えるのは、仕草のせいではないだろうかと常々思う。

私よりもずっと色っぽい。

きっと10歳くらい年下なはずなのに。


「エミリーも素晴らしいサポートだったよ」

「ありがとう。ナオにそう言ってもらえると嬉しいわ。今日はオリヴィアと来週演奏する曲のことで相談して、その後リフレッシュのためにここに来たのよ」

「そう」

「よかったら、ナオにも意見が聞きたいわ。近いうちに時間取れないかしら?」

「忙しい」

「まぁ……それなら仕方ないわね。そうだ、オリヴィアがね、ピアノのテンポが変化する部分で気になってるところがあるみたいで――」


話を聞く限り、同じオーケストラの仲間だろうか。

まだ話は続きそうで、女性二人が時折、煩わしそうな目を私に向ける。

何だか居心地が悪い。

それに何だか胸の中がモヤモヤする。


(少し離れていたほうがいいかな……)


そう思ってこっそり距離を取ろうとした瞬間、ナオにギュッと手を握られた。

そしてナオは私を見て、日本語で堂々と告げる。


「すぐ終わるから、そばにいて。少しも夏海と離れたくない」


すぐ終わるだなんて日本語がわかる人だったら失礼よ? と諭したいのに、ナオに握られた手が熱を持つ。


(少しも離れたくないって……何てことを言うのよ……)


私は赤面した顔を、ナオの背中に隠れて必死に冷ますのだった。


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