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漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第六楽章 真綿のような人

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06-02.


しばらく歩くと、細長いパンで具材を挟む『サブマリンサンドイッチ』が人気のカフェに到着した。


「For here(店内で食べる)か、To go (テイクアウト)で公園……夏海はどっちがいい?」

「うーん……天気もいいし、公園かな。ナオは?」

「俺も公園がいいな。夏海と二人きりになってイチャイチャできそうだからね」

「……やっぱり For here――」

「To go で決まりだね。何食べようかな」


なるほど、案外強引なタイプらしい。


「ナオはもしかして、羊の皮を被った狼……A wolf in sheep's clothing? 見た目は優しそうだけど、中身は結構強くて男っぽい感じ」


そう言っているそばから、人とぶつかりそうになった私を、ナオが肩を引き寄せて守ってくれる。

まさにこういうところだ。

するとナオは、私をじっと見つめて意味深に笑った。


「へー、前よりは夏海に男だって思われてるのかな。嬉しい」

「そっ、そういう意味では……」

「じゃあ夏海は『狼の皮を被った羊』かな?」

「え?」

「5枚ぐらい被ってるうちの3枚ぐらいを取ったら、夏海は俺にもっと甘えてくれる?」

「……甘えないわよ!」


ツンと顔を背ける私を、ナオはクスクス笑う。

でも確かに素の私は羊で、狼みたいに立派な牙も爪も持ち合わせていないのに、ずっと必死に狼の皮を被って戦ってきた。

羊に戻った私は、一体どこへ向かえばいいのだろう。

途方に暮れてメェメェ泣くばかりの私。

居場所に困って結局狼の皮を被っているけれど、もう戦う意欲なんてない。

それなのにそこにいる意味は? 

私は何のためにそこに立っているの? 

迷いだらけの心には次第に靄がかかり、先なんて見えなく――


「夏海はパンのサイズ、12インチ食べる?」

「……へっ?」


ナオが隣にいるのに考え込んでしまった……。

気を取り直してナオの言葉を反芻する。

12インチ。

12……インチ? 

そう言われてぼんやりとサイズ見本を見ると、30cm以上もある物凄く長いパンが目に映る。


「あっ、あんな大きいの、食べ切れるわけがないでしょ!?」

「うん、知ってる」


あははははは、とナオは楽しげに笑う。

手はキュッと握ったままだ。

まるで「俺がそばにいるよ」と言ってくれているみたい。

冗談を言ってくれるのも、手を握ってくれるのも、きっとナオの優しさ。

この人は、優しさも、強さも、かわいらしさも、男らしさも、全部持っている人らしい。


「……ごめんね。ありがとう」


呟くようにそう伝えたら、ナオは小さな笑みを零してキュッと手に力を込めた。


「ぜーんぜん。いいよ」



公園に到着すると、ベンチに並んで座り、テイクアウトしたサンドを手に取る。

私は6インチサイズのターキーハム&アボカドのサンドとブラックコーヒーだ。

一方のナオは――


「ナオって……よく食べるのね」


巨大な12インチのローストビーフサンドを手にしている。


「うん。食べても太らない」


代謝がいいのか、まだまだ若いからなのか、実に羨ましい言葉だ。

ガブガブと勢いよく食べ始めたナオは、口にソースを付けている。

少年みたいでかわいらしくて、クスッと笑みが零れる。


「ソース、口の周りにたくさん付いてるわ」

「こういうのを食べると、どうしても付くと思わない? 夏海は付かないの?」

「付くけど、すぐ拭く。一応レディなのよ」

「一応でも何でもなくレディだよ。……じゃあ、俺の前では拭かなくていいよ。面倒でしょ? ガブガブ~っと美味しく食べて、最後に拭けばいい」

「……ちょっと恥ずかしいわ」

「いいよ。どうせ夏海はかわいいから」


かっ、かわいい!? 

ナオには何度か『かわいい』と言われたけど、5歳も年上の女がかわいく見えるって、どういう感覚なのだろう。

それに、ふわふわした美青年のナオの方がよっぽどかわいい。

そんなナオは、ソースが口に付くことなんて気にもとめず、「Mmm! Delicious!(うーん、おいしい!)」なんて言いながら、ガブガブとサンドを豪快に口に運ぶ。

それにしても随分美味しそうに食べている。

それなら私も真似してみようかな。

私もガブッとサンドにかぶりつく。

するとプニュッとはみ出たソースが口元に付いたのがわかる。

これを気にせず付けたままでいいらしい。

もう一口食べる。

ガブッ。

なるほど。ちまちま食べると、パンだけとか具だけとか、単品で食べてるみたいになりがちだが、ガブッとかぶりつくと、口の中でマリアージュ。

うんうん、すごく美味しい。

思わず「最高」と言葉が漏れて笑みが零れる。

するとふと、隣にいるナオが顔を背けて肩を震わせていることに気づく。

私は恥ずかしくなって慌てて口元をペーパーで拭った。


「えっ、何? 笑ってる?」

「違うよ。だって、想像してたよりも夏海がかわいくて……」


大口開けてソースを口に付けて食べてる女がかわいいって……冗談よね。

でもナオの耳がしっかりと赤い。

……ナオの趣味って理解しがたいわ。


サンドを口に運びつつ、私はブラックコーヒーを口に含む。

その苦さに、思わず表情を歪めた。


大の甘党である私。

でも長年の想い人・弘臣がブラックを好んでいたこともあって、同じ物を飲みたくて無理矢理飲むようになった。

それに年齢・職業相応にキリッとした印象でいたいことからも、人前ではブラックコーヒーを飲む、という何とも涙ぐましくも強がりなことを続けている。

いい大人が甘~い飲み物を好むなんて恥ずかしくて言えないのだ。

それにしても……これは苦い。

エスプレッソのよう。

すると――


「うわ、このカフェオレ、すごく甘いな。どうしよう」


ナオがそう言って眉尻を下げる。


「えっ、飲めないくらい甘いの?」

「うん」


苦かったり甘かったり、なかなか癖のある味のコーヒーショップだったのだろうか。


「それなら……ナオはブラック飲める?」

「あー、うん。たぶん飲める」


そっか。それなら提案してもいいわよね?


「ブラックで良ければ交換する? 口付けちゃったけど」

「夏海はカフェオレでいいの?」

「うん、私は平気。……でもブラック、結構苦いよ?」

「いいよ。俺、苦いのはどこまでもいける派」


何だその派閥は。

それなら最初からブラックにすればいいのに。

まあいいか、とコーヒーを交換。

早速、ナオから受け取ったカフェオレを口に含む。


「……美味しい」

「それなら夏海がそれを飲んで」

「うん」


そもそも、そんなに甘くないように思うのだけれど……。

ニコニコと満足そうに笑うナオがちょっと不思議だ。

疑問に思いつつ、再び私はカフェオレを口に含む。

ふふ、美味しくて幸せ。

頬が緩んだ。


「ダメ。俺、死にそう……」


そう言って顔を覆うナオ。


「えっ、やっぱりブラック苦い?」

「違うよ。I'm captivated by you(心を鷲掴みにされているんだ)」


ナオの耳は真っ赤。

どこがどうなってそうなったのか……いまいち理解できない。



「今日は天気がよくてよかったわね」


公園のベンチに座りながらグイーッと空に向かって伸びをすると、目を瞑っていても太陽の光が眩しく感じられる。

日光浴には最適だ。


「夏海は、太陽がよく似合うよね」

「そう?」

「もう少し暑くなったら一緒にビーチへ行こうか」

「ビーチ! 行きたい!」

「夏海は……海が好きなの?」

「うん、大好き!」


気分が急上昇。

潮風のにおいも、波音も、肌に触れる水の感触も大好き。

実家も海が近かったから、しょっちゅう泳いで遊んでいたのだ。


「そっか……海……好きなんだ……」


そう呟いて手で顔を覆うナオは一体どうしたのだろう。


「何?」

「……俺、海」


ダメだ、何を言ってるのかさっぱりわからない。

するとナオがハッと顔を上げる。


「夏海は、水着セクシーなやつ?」


ナオは目を輝かせているけれど……私は気分が急降下。

10代・20代女子じゃないんだから。


「ラッシュガードのパーカーとハーフパンツを用意しておくわ」

「嘘でしょ? もっと気合い入れようよ」

「じゃあ、ナオも気合いを入れてビキニ型の水着にする?」

「しないよ。嫌だ」

「じゃあ私だって嫌よ」

「えー、残念。じゃあ、夏海の肌を見るのは……もっと先まで我慢か」

「え?」

「うわっ、考えたら……どうしよう。ドキドキしてきた」

「ちょ、ちょっと! 勝手な想像をしないで!」


何をどう想像したのだろう。

あまりにも美化されているなら、実物の自分がいたたまれない。

勘弁してほしい……。


「そうだ。American style(アメリカ式)で恋人になる前に体の相性チェックするのも、俺はOKだよ。試したくなったら言ってね?」


おおよそそんな話をしてるようには見えない、かわいらしい笑みを向けるナオに、本日何度目かわからない『ドキッと』を体験。

かわいい顔をしているわりにオスっぽくて、心臓がバクバク……いや、そんなわけはない。呆れて物が言えない、の間違いだ。


(ほんっっとにこの人、軽っ!)


何が『OKだよ』だ。試したくなんてならない。

落ち着け……大人なんだから、いちいちそんなことに過剰反応してはダメだ。ナオの思うつぼ。

動揺を隠すべく、咳払いをしてから平気を装ってナオに告げる。


「遠慮するわ。Japanese style(日本式)か、それ以下でOKよ」

「そっか。じゃあ、相性チェックなしで夏海を口説かないとだね。どうしたら恋人かお嫁さんになってくれるかなー。夏海、早くお嫁に来てほしいな」


出た、嫁。

そして「うーん」と考え込むナオは真剣だ。

結構冷たくあしらってる気がするのに、ナオという人はどこまでも折れない。

突き抜けて根明なのか、果てしなく根性があるのか、落ち込むということとは無縁に思える。


「……付き合ってもいないし、嫁にも行かない」

「夏海はなかなか手強い人だね。そうだ、手強い夏海のために、イイ場所へ案内しよう」

「どこ?」

「着いてからのお楽しみ。さあ行こう」


ナオに手を引かれて歩き始めた。


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