05-05.
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〈sideナオ〉
その日の夜10時を過ぎる頃、車で夏海を家まで送った。
「ナオ、送ってくれてありがとう。じゃあ……その……」
夏海が言葉を濁しているのは、どういう気持ちからなのだろう。
まだ聞けていない夏海の承諾。
一方的すぎるアプローチではスマートとは言えないだろう。
「ねぇ夏海……明後日、俺とデートしてくれる? 嫌なら嫌って言っていいよ?」
「別に……嫌じゃないわ」
夏海の返事にホッとする。
「本当? 俺のこと、好きとは違うって言ってたのに、デートしてくれるの?」
「じゃあしない」
急にツンとした態度を取る夏海。
プイッと顔を逸らされると、途端に焦りが募った。
「そ、そっか……余計なこと聞かなければよかったな。失敗」
それなら会ってもらうチャンスをもう一度作り直さないと……。
すると今度はあっという間に表情を緩めた夏海が綺麗に笑う。
「嘘よ。そんな悲しそうな顔をしないで」
「えっ、嘘? なんだ、そっか」
からかわれた? 夏海、大人の余裕?
それに対して笑顔を見るだけでドキドキしている自分。
余裕がなくて恥ずかしい。
「でもデートじゃなくて、一緒に出かけるだけよ」
夏海にズバッと線を引かれた。
これはつまり『私たちは友達よ』と言いたいのだろう。
……いやいや、一緒に出かけられるだけで大進歩だ。
「夏海、デート楽しみにしてるね」
「だからデートじゃないって」
「俺にとってはデートなんだ」
「……そう」
「夏海……好きだよ」
「急にこんなところで言わないで」
「こんなところって? 車の中で二人きりだよ?」
「だ、だからそれが……」
待っていてもそれ以上言葉が続いてこなくて、夏海は黙って俯いてしまった。
それが……何だろう。
シャイな夏海は、街灯の明かりでもわかるほど顔が赤い。
「何でもないわ。じゃあね」
そう言ってそそくさと車を降りようとする夏海の腕を、俺は思わず掴んだ。
「えっ……何?」
夏海に問われて困り果てる。
今言ってもどうにもならないとわかっているのに……。
「ごめん、何でもないよ。……夏海、おやすみ」
パッと手を放すと、夏海は不思議そうに俺を見つめる。
「そう? じゃあ、おやすみ。また明後日ね」
「うん」
夏海の口から聞けた『また明後日』という言葉。
次の約束がある。
今はそれだけで充分だ。
俺は夏海の後ろ姿を見送りながらハンドルに突っ伏して思う。
(あー……今日の夏海、日本で会った時以上にかわいかったな……)
日本で会った時は失恋の痛みで頭がいっぱいという様子だったが、その時と比べると目に力が戻っていた。
しかも一緒に出かけてもらえる。
連絡すらできなくて途方に暮れていた昨日までと比べたら、大きな前進。
ちょっと信じられない気持ちが大きい。
でも好きとは違うと言われたし、キスも拒まれたし、デートではないと言われた。
まだまだ道のりは遠そうだが……元よりそんなに簡単に『欲しいもの』が手に入るだなんて思っていない。
家に向かって車を走らせ、しばらく進むと信号で止まる。
俺は自分の右手を見つめる。
先ほど思わず夏海の腕を掴んでしまった。
掴んだと思った夏海の手は、日本で一度離れていってしまったから不安だったのだ。
でもそれだけではない。
夏海を帰したくなかったのだ。
「Oh…what should I do? I miss you already, Natsumi(あぁ……どうしよう。もう会いたいよ、夏海)」
知らなかった。
好きな人を見送るだけで、こんなにも胸が苦しくなるものなんだ。
ガレージに車を止めて家の中に入ると、部屋の中にはまだ夏海の香りが残っていた。
つい先ほどまでここにいたんだと今さら実感する。
遠くから見ている分にはただの好意だったのに、一度距離を縮めれば、そこからは飢餓感にも似た情熱へと変わった。
俺は防音室に入ってドアを閉め、ピアノの椅子に座る。
そして鍵盤蓋を開けると、とりとめもなく指を動かしていく。
俺が15歳の時に両親が離婚。
大手企業の社長である父は後継ぎとなる俺の兄を連れ、元女優で芸事に造詣の深い母は俺を連れて行くことに。
こうして俺は、実父とも実兄とも離れることとなる。
そして俺が16歳の時に母は再婚を決め、新しい父と新しい兄ができた。
それは俺にとって実父や実兄との本当の別離を意味するようで、とても受け入れ難いことだった。
そして18歳になった頃も、燻ぶるようにモヤモヤしたものをずっと抱え続けていたのだった。
俺はアルとその頃に交わした会話を思い出していた。
――……
「アルは、『永遠の愛』なんて本当に存在すると思う?」
呟くように問うと、アルはちょっとびっくりしたような顔をした後、ゆったりと微笑んだ。
「そうだな……俺は『そうでありたい』と思っているよ」
アルは1年ほど前に妻を病気で亡くしていた。
だからその言葉には計り知れない重さを感じる。
「アル……俺の母親、離婚して1年後に再婚したんだ」
「そうか」
「その時に『あなたも心から愛せる人を探すのよ』って言われた」
「ふぅん」
「『あなたも』ということは、母さんは再婚した人のことを心から愛してるってことなんだろうなって思った」
「そうだろうな」
「『真実の愛』を見つけたってやつかな。でも……それを喜べなかった俺は子供かな」
するとアルは、察したように俺に微笑みをむける。
「喜んでやれなくて後悔してるのか?」
「……後悔……なのかな。わからない」
俯く俺を見て、アルはガシガシと俺の頭を撫でる。
「ナオ、いいぞ。溜めてることがあるなら言ってみろ」
「え?」
「ずっとモヤモヤしているんだろう? 閉じ込めてないで全部言葉にして出してみろ。それで、いいことも悪いことも全部認めてやれば、ちょっとはスッキリするぞ」
いいことも悪いことも認める?
いまいち疑問ながらも、モヤモヤしたものが消化不良を起こしたみたいに何年も心に燻ぶっていることは確かだった。
アルに「さぁ、言ってみろ」と促され、俺はポツリと口を開いた。
「間違えてるかもしれないけど言ってもいいの?」
「まだ未熟者のガキなんだから、俺の前でくらい、いくらでも間違えたらいい」
子供扱いするアルの言葉に不満を抱きつつも、俺は決心して話し始めた。
「俺ね、母さんが再婚を決めた時、離婚した父さんのことはもうどうでもいいのかな、って……心から愛してなかったのかなって思ったんだ」
「そうか」
「母さんに『再婚相手の籍に入ってほしい』って言われて、再婚相手には『きちんと家族になろう』って言われて……その人、すごくいい人なんだ。だからそうしたよ。……でも、それで父さんや兄さんとは本当に離れ離れの関係になった」
「……うん」
「『あなたも心から愛せる人を探すのよ』って母さんは言ったけれど……俺にとっては父さんも母さんも兄さんも心から愛している人なんだ。だから別の『心から愛せる人』なんて探す必要はないんだ。それなのに……大切な家族だったのに引き離されて、それで俺は別の人を探して愛せって……母さんは勝手だよ。そんなに簡単に割り切れない」
「……そうだな」
「でも元の家族に戻りたいのは俺だけだ。寂しいのも虚しいのも俺だけ。みんなは大人で、俺だけ……っ……俺だけがいつまでも子供で……」
「……」
「16歳の時に理解できなくて……その時よりは大人になったはずなのに、18歳になった今でも、やっぱりよくわからない。俺だけが置いて行かれたままだ。俺にとっては心から愛する家族だったのに……俺の気持ちは……どこに行けば――ッ……」
話しているうちに喉がキュッと締まり、燻っていた思いが鳩尾から喉にかけて込み上げてくる。
気がつけば、頬に涙が伝っていた。
アルはただ背中を優しく撫でてくれた。




