05-04.
「嘘……そんなに前から私のことを知ってたの!?」
「そうだよ。その時に夏海に会って、最初は『キレイな人だなぁ』くらいにしか思ってなかったんだけど、そのあと『クールな人』に変わった」
「クール?」
「うん。アルに会いに行こうとしたら、夏海が Patient(患者)と話してるのが聞こえたんだ。『こんなアジア人キュートガールのSurgery(手術)は嫌だ』って酷いことを言われてたよ」
そういえばそんなことを年配の男性患者に言われた気がする。でもその患者の症例に関しては、私が病院内で唯一経験があるという状況で、「経験のない医師の手術がよろしければ、どうぞそのようにご希望なさってください」と言い放ったのだった。
「あの時、とても悔しかったのよね……」
「そうだよね。Racism(人種差別)だったし、Gender discrimination(性差別)だった。それなのにビシッと言った夏海がクールで、そういうのに負けない強い女性。かっこいいドクター。それが夏海の最初のイメージ」
「そっか……」
「でもね、その後、夏海が俺の方に来たから慌てて隠れたんだ。そうしたら……夏海、泣いてたでしょ?」
私はグッと息を詰める。
誰もいないところで泣いたのに、まさか見られていたとは……。
「こっそり泣いて、またすぐ笑って仕事をしてた。だから、この人は苦しくても苦しいって言わない人なんだなって。強くて弱くて……ここで闘ってるんだなって思った。その時に夏海のことをAttractive woman(魅力的な女性)って思ったんだ。それからは、夏海のことをいつも見てたよ」
「そう……だったんだ……」
「アルが元気になると、夏海も嬉しそうに笑ってた。その頃かな。このドクターのことが好きだなって思ったんだ。だから、5年も前から好きだよ。……あ、でも夏海から見たら、5年なんてほんのちょっとか。20年よりたくさん短いね」
へへへ、とナオは笑う。
知らなかった。5年前から私のことをそんなふうに思ってくれていた人がいたなんて……。
そう思いつつも、素直に信じられない自分もいる。
「でも5年の間、ナオにほとんど会ってないでしょ? それなのに……」
それで『好き』と言われても、数多くいる『好き』の内の一人ということだろうかと思ってしまう。
「それを言うなら、夏海だって弘臣さんにそんなに会ってないのにずっと好きだったんでしょ? 同じだよ」
「……同……じ?」
もしも本当に……仮にも同じなら、会えなくてもたった一人だけを、ずっとずっと好きだったことになる。
ヘビー級より重くて、どっしりと動かない、石みたいな思いだ。
するとナオの言葉が続く。
「でもね、5年前の俺は、ちょっとプロっぽくなってきたかな、ぐらいだった。だから、かっこいいドクターの夏海と ill-matched(不釣り合い)。夏海の隣で、well matched(お似合い)なりたかった。なれたら会いに行こうって思ってた。だから5年経って病院でまた会えた時はビックリしたんだ。本当はアルが治ったら、夏海に話しかけるつもりだった。でも夏海、日本に帰っちゃった」
「あ、それは……仕事で日本に呼ばれたのよ」
「俺、それ知らなかったから……病院の人に『ドクター・フジモトは、日本に帰りました』って言われて、すごく困ったよ。夏海はもうアメリカには戻ってこないって思った」
そんなこととは露知らず、私は日本で仕事をしながら、長年の想い人への気持ちに終止符を打って鬱々と過ごしていたのだ。
「でも俺、ちょうど日本でツアーがあった。だけど夏海がいる場所知らない。どうしたら会えるんだろうって……でもあの日、駅で夏海に会えたんだ。会う運命の人には会えるものだよね」
あの日、私は足の向くまま母校にでも行ってみようかと、あの駅にたまたま向かっただけだった。
「偶然、会えたのね……」
そう私が呟くと、ナオはフフッと笑う。
「もう『偶然』なんて超えてると思わない?」
確かに、まるで関係が切れてもまた繋がる、不思議な巡り合わせのよう。
「俺には、『偶然』は Green light。背中を押してくれる。進んでいいよ、行きなさいって神様が言ってるみたいだ。だから……俺にとって、やっぱり夏海は『運命』なんだよ」
運命なんて信じない。
そう思っていたのに、ナオの言葉を聞くと信じてしまいたくなる。
「5年も前から知ってたなら……私たち、全然ふわふわした関係じゃなかったのね」
「えー、ふわふわだよ。だって夏海のこと、『Brain surgeon(脳外科医)のフジモトナツミ先生』くらいしか知らなかったからね」
「そんな状態で……す、好きになんてなるもの?」
「なったね」
ハハッとナオは軽く笑ってるけど……冗談でしょ?
「年もわからないような相手を好きになるとか信じられないんだけど。仮に私が50歳だったらどうしてたのよ」
「うーん……夏海なら何歳でもいい。大人になれば、少しぐらい年が離れてたって関係ないし、俺にとってはどうでもいいことだよ」
へへっとナオは穏やかに笑う。
おおらかというか直感タイプというか……珍しくて意味不明な部分が多い。
芸術家ってみんなこんな感じなのかしら? 理解不能だわ。
するとナオがニコッと微笑む。
「I′m into you, Natsumi(俺、夏海に夢中なんだ)」
ド直球が飛んできて、顔がボボッと熱くなる。
さすがアメリカナイズされているだけあるわ……。
「俺からも質問。夏海は弘臣さんのこと『まだ好き』なの? それとも『もう好きじゃない』になった?」
「……そんなに簡単に変わらないわ」
「じゃあ、弘臣さんは俺のライバルってことだ。夏海の気持ちが100%俺に向くまではライバルだよ」
100%弘臣以外の人に気持ちが向くなんてあり得るのだろうか。
20年も好きだった人に対しての気持ちが0%になるなんて……。
「せめて80%……ううん、70%くらいじゃダメなもの?」
「俺は欲張りなんだ。全然ダメ」
「そう。じゃあ……頑張って」
立場的に応援するのも変な話だが、そうとしか言えなかった。
するとナオが目を輝かせて私を見る。
「頑張っていいの!?」
「え?」
「夏海の気持ちが俺に100%向くように頑張っていいってことでしょ? 嫌だって言われなくて嬉しい」
「そんなことで喜ぶの?」
「うん。チャンスをもらえるのが嬉しいよ」
ニコッと笑うこの人は、無邪気で明るくて……軽くていまいち冗談っぽくしか聞こえない。
ただ、それに救われている部分も大きい。
この前向きさで、こっちまで気持ちが明るくなりそうだ。
「ナオといると、元気が出るわ」
「本当? じゃあ一緒にいよう? そうだ、夏海のお休みはいつ?」
「うーん……今月は2日後と、その1週間後は休みが決まってる」
「そっか。じゃあ2日後……俺とデートしよう!」
断らせないとばかりに勢いよく言うわりに、ナオの表情がちょっと不安そうに見えるのは何なのだろう。
「どこに行って何するの?」
「そうだなぁ……夏海は何か、ある?」
「行きたいところは別にないけど……したいこと。ナオのピアノが聴きたい」
「何そのかわいい答え。俺、キュンした」
キュンした、って何よ。
あなたこそかわいいわ、と言いたい。
「私ね、ナオのピアノの音、大好きなの」
「――夏海?」
ソファーの隣にいたナオが、急に男っぽい顔で距離を詰めてきてドキッとする。
「な、何よ」
「キス……していい?」
そう言って間近で顎をクイッと持ち上げられると、否応なしにドキドキが高まる。
……いや、だからキス魔かって。
もしかしてこの人、キス慣れしてる? キス好き? 誰にでもキスしたがるタイプなのかしら。
だとしたら軽い人確定。
私は慌ててナオを押し返した。
「だ、だからダメだって! そういうのはちゃんと好きな人としたいの!」
「じゃあ俺のこと、好きって言って?」
「まだ! まだ違う」
「えー。さっきは『たぶん好き』まで言ってくれたのに……」
我ながらよくそんなことを軽く言えたものだ。
自分で自分の言動に驚く。
落ち着いて考えてみれば、再会の喜びに感極まったドキドキと、恋心のドキドキとを勘違いしただけではないかと思える。
「だって、まだナオのこと2日間しか知らないもの」
「もう3日だよ」
「そうだけど、そんなに変わらない」
キッパリそう言うと、ナオは溜息をついてソファーに沈む。
「残念。夏海が好きなのは俺のピアノの音だけか……。じゃあ、もしちゃんと俺のことを好きになってくれたら、『尚哉』って呼んでよ。そうしたら、キスしていいサインだと思うことにする」
「……呼ばない」
「よし、決まり。うわ、楽しみだな。夏海のそのセクシーな声で『尚哉』って呼ばれたい」
「だから呼ばないわよ」
「デート楽しみだな」
「人の話聞いてる?」
「ニホンゴムズカシクテ、ワカラナイヨ」
とぼけてかわいらしく首を捻るナオを見て、私は思わずクスッと笑う。
何だか既にナオのペースに乗せられてる気がするんだけど……。
でも心の奥底ではそれを嫌だとは思っていない自分がいるのを確かに感じていた。




