05-03.
「ねえ夏海、ほかに知りたいことは?」
私は心の中で自分に鞭を打ち、姿勢を正した。
「その……日本で顔を隠していたのはプロだから?」
「うーん……LabelのExclusive contract(専属契約)で……タカノたちに急に誘われて……顔を隠してジャズ弾くならいいかって思ったんだ」
被り物の理由は、醜形恐怖症でも対人恐怖症でもなかったわけだ。
この緩く笑っている子犬ちゃんに、そんな契約があるなんて……。
そしてそれを聞いて日本での出来事を思い出せば、呆れる気持ちも湧いてくる。
「あなたね……プロのピアニストなら私のことなんて抱えたりしないで、もっと手も腕も大事にしなさいよ」
「えー? 怪我してる人より手や腕が大事っておかしいでしょ? 俺、そんなゲス野郎やだ」
どこでそんな『ゲス野郎』なんていう日本語を覚えてきたのだろう。
笑いそうになりながら、続けてナオに告げる。
「それで、どこが『ダメダメグダグダ』なのよ。プロのピアニストとして立派にやってるじゃない」
「あの時、Deadline(締め切り)すぐだったんだ。オリジナルの曲作りが進んでなかったんだよ。もうできたけどね」
なるほど、どう考えても『やる気のないタイプの社会人』ではなかったということだ。
そしてピアノを弾くだけではなく、曲も作るような果てしない才能の持ち主。
そんなナオが……私を知っていた?
「ブラウンさんに聞いたわ。ブラウンさんが怪我をした時、ナオも病院に来てたの?」
「うん。アルのことが心配だったから。仕事の時は仕事に行って、ほかはずっといたよ」
「私、全然覚えてないんだけど」
「やっぱりそうなんだ。でも Hello(挨拶)何回もしたよ」
「えっ、そうなの!? ごめんね、全く記憶にないわ」
「謝ることないよ。だって俺、Labelから『スキャンダルは困る』って言われてたから、いつも Disguise(変装)してた」
変装? まさか――
「被り物……の人なんて見た覚えはないけど……?」
「えー、そんな変な人、病院じゃアウトでしょ」
「……駅でも充分アウトだと思うわ」
私がそう言うと、ナオはさも不思議そうな顔をする。
「えっ、日本ではセーフなんじゃないの? タカノが、日本には『被り物文化』という素晴らしい文化があるから、日本人は喜ぶ、って言ってたよ」
へー、私がアメリカにいる間に日本にそんな文化ができたんだー。
私は思わずクスッと笑う。
「もうっ、そんなのないわよ」
「えーっ、そうなの? 俺、タカノにダマされた? みんなも言ってくれればいいのに」
そう言ってフフッと笑うナオは大らかで楽しげだ。
日本でも仲よさそうに会話を交わしていたから、彼らとはとてもいい友人関係なのだろう。
「それで、病院ではどういう格好を? 確か、複数の男性が交代でそばにいてお世話していたような感覚なのよね……。その中にナオがいたのかしら?」
そう聞くと、ナオがフフッと楽しそうに笑う。
「全部俺かも」
「まさか」
「だって、アルのお世話してたの俺だけだよ」
ああもう、意味がわからないわ……。
病室に行くとブラウンさんのそばに男性がいて、確かに挨拶くらいは交わしていたことを思い出す。
それが全部ナオだったなんて……。
「えっ、つまりナオって日本で会った時、私のことをすでに知っていたの?」
「うん。言わなくてごめんね」
そこでハッとする。
ちょっと待って……つまり医師であることも知っていたわけで、職業をごまかそうとして必死に『オペラを見に行かなくちゃ』とか言ったのも、バレていたということ?
もしかして心の中で笑っていたのだろうか。
そう考えると物凄く恥ずかしい上に、ちょっと腹が立つ。
「私のことを知ってるなら、早くそう言ってよ!」
「夏海が隠したいみたいだから言えなくなっちゃったんだ。どうして夏海が隠してるのか、最初は不思議だったよ。でも、正義の味方は正体を隠すものだよね。夏海は俺にとって、大事な人を助けてくれたSuperwomanだからね」
いや、スーパーウーマンなんていうかっこいいものではなくて、ただ医師の仕事をしただけだ。
……あれ? でも正義の味方って――
「……プリティア」
「うん。だから夏海はプリティアのお面にしたんだよ。タカノに教えてもらって、Daughter(娘)にお面もらったんだ。夏海にぴったりでしょ?」
あのお面にそんな意味があったなんて思いも寄らなかった。
「最初に駅で夏海を見つけた時はびっくりしたよ。あんなところで会えると思ってなかったからね。アルのこと『ありがとう』って言いたかったんだけど……近づいたら、ぶつかっちゃった」
「えっ、待って。あれって偶然ぶつかったんじゃないの?」
「違うよ。駅で夏海を見つけて、話しかけたくて近くに行ったんだ。でも馬でちょっと見えにくくて、急にこっちを向いた夏海とぶつかったんだ。失敗」
そう言って、へへっと笑うナオは……困ったことにかわいい。
思わずこっちまで一緒に顔が緩む。
「そうだったんだ。じゃあ、あの駅で会った日じゃなくて、ブラウンさんが怪我した時にはもう知り合いだったってことなのね」
不思議な関係、と私がクスクス笑っていると、ナオが首を横に振る。
「違うよ。俺が夏海を知ったのはもっと前。5年ぐらい前に、アルが最初に頭悪くなった時だよ」
ニコッと笑うナオ。
『頭悪くなった』という言い方はどうかと思うから『脳の病気』と言ってほしい……とぼんやり思いながら、私は目をぱちくりさせて固まる。
ナオは今、なんて言った?
そうだ――
(ご、5年前!?)




