04-05.
「あのね、ナオ……私……」
ちょっと言うのが恥ずかしくてチラッとナオを見ると、全然知らない人みたいな格好をしたナオに複雑な気持ちを抱く。
そこで、整えられたサイドの髪の毛先を、ちょっとだけ摘まんでピョコッと跳ねさせた。
「この方がナオっぽいわね」
するとナオは、自分の髪を大胆にグシャグシャッと崩す。
「こうでいい?」
「あーもう、ボサボサじゃない……」
少しナオの髪を整えてあげると、ナオはふわりと微笑む。
「ありがとう」
えへへ、と笑うナオはまさにかわいい子犬ちゃんだ。
「私ね、ナオに……会いたかったの」
「本当? 俺も会いたかったよ。すごく会いたかった。夏海……好き」
「う、うん……ありがとう。私も……たぶん……好き……? ……なのかな。いや、違うか。ごめん、わからない」
「うっわー、ビッミョーーな返事だね」
「だって2日しか一緒に過ごしてないんだもん。ナオのことをほとんど知らないのに、そこまで答えを出すのは無理よ」
「じゃあ、これから知って?」
「……うん」
「夏海?」
「うん?」
「さっきの『たぶん好き』のあとの言葉は聞かなかったことにしてもいい?」
はて、聞かなかったことにしたらどうなるのだろう。
そう疑問を浮かべていると、ナオが美麗に微笑む。
「キスしていい?」
「はぁ!? あっ、あの、ちょっと待って」
「日本で一回したのに」
「あれはほぼ奇襲されたようなものじゃない」
そう言うと、ナオは目をぱちくりさせた。
「キスじゃなくてキシュー? キシューされたって何?」
「え?」
「キスの仲間?」
はい? むしろ『キスの仲間』って何なのよ。
「仲間とかじゃなくて……えっと……不意打ちされることよ」
「ん? フイウチされる……ってどういう意味だっけ? ごめんね」
ナオがかわいらしく苦笑いしながら私を見つめる。
「うん? えっと……」
そこでふと気づく。妙に言葉が通じない気がする。
そういえば日本にいる時も、『トリ』の意味がわかっていなかった感じだった……と思い出していると、背にするドアからコンコンッと震動が伝わる。
「ナオ、時間だ」
ドア越しに英語で男性の声がした。
「あー、タイムアウトだ。残念」
眉尻を下げたナオは、私を軽くハグする。
「続きは後でね。夏海、一緒に来て?」
再びナオに手を引かれて楽屋から出ると、通常、演奏者たちが出入りするのとは反対側の舞台袖に連れて行かれる。
「夏海はここで聴いてね?」
「ここで?」
「夏海のために弾くから、見えるところに終わるまでいて?」
私の両手を優しく握りながらニコニコと告げて、それから手を放したナオは、ネクタイもシャツの首元も弛んだまま、そして髪型も崩れたままステージ上へ出て行った。
ナオがピアノに向かってステージ上を歩いていくと、思わぬ側から登場したピアニストのその姿を見て、会場はざわめいた。
そんなことは全く気にしない様子のナオは、ピアノに近づくと、客席に向かって一礼して椅子に座る。
両手で乱れた髪をグイッと撫で付けると、その顔は一気にピアニストの顔へ。
そしてナオが椅子に座ったことで気付く。この場所はナオの顔がよく見える。おそらくナオからも同じように私の顔が見える。だからナオは「ここで聴いて」と言ったのだろう。
ナオが私に向かって微笑みを向けると、まもなくオーケストラの演奏が始まった。
その曲は冒頭のオーケストラの後に力強いピアノ、そしてオーケストラとの掛け合いを経て、独奏となる。
確かソフィアはナオが「リストの生まれ変わりと言われている」と話していた。
歌うように奏でられる自由気ままなテンポと、楽しささえ感じられる音の流れがとても華やかで、まるでナオを彷彿とさせるような曲だ。
眩しい世界にいるナオが紡ぐ、キラキラとした輝きを放つ美しい音。
そして引き締まったナオの表情。
楽屋でのかわいらしさとギャップが大きくて、余計にドキドキする。
「……かっこいい」
「ナオ、邪魔になるから蝶ネクタイにしろっていつも言ってるのに『幼く見えるから嫌だ』って言って聞かないんですよ」
「え?」
背後から英語で話す男性の声が聞こえて、振り向いて驚く。
この人がなぜここに……。
私の知っている人物だった。
「でも服装や髪が乱れているのが、案外セクシーさがあっていいですよね。今日はキレてるな~」
「あなたは……ブラウンさん?」
「お久しぶりです。ドクター・フジモト」
この人は以前、グランドピアノの屋根に頭を挟まれて運び込まれた男性患者だ。
「あなたがどうしてここに?」
「僕はピアノの調律師なんですよ」
音楽関係の仕事とは聞いていたが、詳細は知らなかった。
ブラウンさんは、私が前に勤めていた病院で診たことのある患者だ。
その5年ほど前にも一度、脳の病気で私の手術を受けたことのある人物だが、その時の病気は今は完治。
私が弘臣に呼ばれて日本に行く2週間ほど前に、ピアノの屋根に挟まれて頭蓋骨陥没の怪我を負い、再び来院して手術。
あまり嬉しくない再会をしたばかりだった。
「私は日本に行ってしまったので術後の経過を追えなかったのですが……その後順調でしたか? リハビリは?」
「ええ、ドクターのおかげで、もう問題ありません」
「そうですか。それならよかった」
「あの時は調律中にちょっとした事故があって……古いタイプのピアノだったので、止まらずに屋根がバターンと頭に倒れてきたんです。それであなたが前に勤めていた病院に運ばれました。こことは別のコンサート会場で、ナオが弾くピアノの調律中でした」
ナオが弾くピアノの調律中の怪我だったんだ……。何だか不思議な繋がりだ。
「まさか、ブラウンさんとナオが知り合いだったなんて、とても驚きました」
私がそう伝えると、ブラウンさんは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「え? 僕の入院中に何度も病院に来ていたじゃないですか」
今度は私が疑問を浮かべて首を傾げる。
「……誰がですか?」
「ナオが」
うん? ナオが病院に来ていた?
……はい?




