04-04.
40分ほど経ってこの曲が終わると、一旦休憩時間となった。
演奏の余韻を引きずるように辺りがざわめく中、暗かったホール内の明かりが灯される。
「ドクター、大丈夫ですか?」
ソフィアが微笑みながら優しく声をかけてくれた。
「あ……うん、平気」
我に返ると『あなたの目に映るのは自分でありたい』だなんて何とも大胆なことを考えたものだ。
雰囲気に流された自分が恥ずかしくなってきた。
するとアレンが心配そうに私を見つめる。
「どうかしたんですか? ……あれ? もしかして泣――」
私の頬に向かって差し伸べられたアレンの手が、別の手に掴まれて遮られる。
そして人影が目の前を覆い、そろりと見上げた私は、あんぐりと口を開けてその人物を見つめた。
「申し訳ありませんが、彼女を連れていきます」
アレンに冷ややかな口調の英語でそう告げたのは、つい先ほどまでステージ上にいたナオだ。
「連れて行くって、一体どこへ――」
「彼女は私の知り合いですから、ご心配なく」
周りから歓喜の悲鳴が上がる中、私はナオに手を取られてグイッと引っ張られた。
「夏海、こっち来て」
「えっ、待って! コンサートはまだ終わってないでしょ!?」
日本で見た柔らかな表情のナオの様子とは違っていて、硬い表情でナオは私の手を引く。
何も答えてくれず、仕方がなしに黙ってついて行くことにした。
後ろを振り返ってみると、アレンは唖然とした様子で見つめ、ソフィアは微笑ましいものを見るかのようにこちらに手を振っているのが見えた。
「ナオ、待って。どこまで行くの?」
手を引かれたままステージ裏に入って廊下を歩いていくと、ナオはドアを開けて個室に入る。楽屋だろうか。
そしてバタンとドアが閉まった途端、私はナオと入口ドアとの間に挟まれた。
「夏海、どうしてここにいたの? 会いに来てくれた?」
「ち、違っ……たまたま来ただけよ」
「なんだ……」
ナオは俯いて溜息をつく。
そしてネクタイをグイッと弛めて首元のシャツのボタンをいくつか外すと、少しだけ悔しさを滲ませた表情で私を見つめる。
「夏海? 早く返事をして? 時間がない」
知ってるナオの声より静かな低い声。
間近でじっと見下ろされると途端に心臓が大音量を奏でるようにドキドキと鳴った。
だって今夜のナオはどう見てもかっこいい。
見るからに大人の男。
ともすれば黄色い悲鳴の上がりそうな喉をグッと堪えるように、私はゴクリと唾を飲み込んで口を開く。
「な、なな何の返事よ……」
口から心臓が飛び出そう。
逃げたいのに、背後はドア、前方はナオ、右側はナオの左腕に道を塞がれている。
それなら左に逃げようかしら、と僅かに体を左に動かした途端、ナオの右手がドアにトンッとつけられて行く手を阻まれた。
まるで私は逃げ場を失った獲物のように、背後のドアにへばり付く。
「だから、俺と恋愛して? 日本ではこうやって『告白』してから恋人になるんでしょ?」
日本では、って……日本人のナオに言われると何か不思議な感じだ。
「それはそうだけど……」
「きちんと会えたよ? だから俺を受け入れて?」
切なげに見つめるその目は、先ほどの曲を弾いていた時のままだ。
かっこよくて大人っぽくて色っぽくて……。
でも知っているナオとは違うことに、酷く混乱する自分がいた。
「ナオ、待って。あのね――」
するとナオは右手で私の左手を取り、キュッと握って告げる。
「夏海のことが好きで好きで堪らないから、お願いだから俺の恋人になって?」
ナオの真っ直ぐな言葉に、私は呆気にとられて目を見開く。
「……え? な、何……言って――」
「だから、夏海のこと大好きなんだ。あの時は、夏海が『失恋』だったから、今言ってもダメだって思って、夏海に俺のインパクトを残すことだけを考えてた。次に会えたら必ず言おうって。でもちゃんと言わなくて…… Regret(後悔)だった。だからもう迷わないよ。もう一回言う? 好きだよ、夏海」
「ちょ、ちょっと待って」
「好きだよ……好き、夏海。大好き」
そんなに『好き』を量産されると、恥ずかしい上に冗談かと思いたくなるが……ナオの顔を見ると、見ている私まで胸が痛くなるような顔をしていた。
「ナオ……そんな泣きそうな顔をしないで?」
『好き』と伝えてくれるわりに、ナオの顔はまるで『結果がわかっている』かのような表情だ。
すると瞳を揺らすナオは気まずそうに目を逸らした。
「だって、俺……夏海に電話でフラれてる。嫌いって言われた……」
確かに言った。
でもそのことでナオがここまで傷ついた顔をするなんて思わなかった。
「酷いことを言ってごめんね。あの時は自分のことで精一杯で……ナオもどういうつもりで言ってるのかわからなかったから……。それに私はアメリカに戻るし、ナオは日本にいるわけだし、会えるわけがないって思ってた。『もしも会えたら』なんて信じられなかったの」
「でも会えたよ? 今は信じられる?」
確かに会えたけれど、それで信じられるかと言われると……さすがに難しい。
「だって……偶然、でしょ?」
そう言うと、ナオはハァッと溜息をついた。物凄くがっかりしたような顔だ。
偶然でなければ何だというのだろう。
必然? それとも……運命?
たった一回のことでそんなふうに思うなんて無理だ。
「会えない間に俺への気持ちが少し変わっていてほしかったけど……無理だったかな」
ううん、変わった。ナオの言う通りだった。
でも進行方向を変えることには大きな勇気が伴うのだ。
勢いだけで進めるほど、もうフットワークは軽くない。そして痛みにも強くない。
第一、相変わらずナオの気持ちがよくわからない。
なぜそんなにも運命的なものとして捉えられているのだろうか。
「俺ね、あの時電話で夏海に言われたこと、ずっと考えてたんだ。『嫌い』って言われて最初はショックだったよ。でも夏海が言ったのは嫌ってる言葉じゃないような気がして……だけど夏海が言ったのは『嫌い』だったから、よくわからなくなったんだ。本当の気持ちをずっと聞きたかった」
本当は……優しいところも、かわいく笑うところも、打っても響かない明るさも、私まで巻き込んでピアノを弾くところも、私の暗くて重い過去の話なんかを一生懸命聞いてくれるところも……全部ナオを好きだと思う部分だった。
「……うん、そうね。ごめんね」
そう返事をすると、ナオがさらに距離を詰める。
鼻先が触れそうな距離にドキドキして堪らない。
「ねえ夏海、今の『うん』は何?」
「……えっ?」
「もしかして、あの言葉は『嫌いじゃない』っていう意味で正解なの?」
「いや、あの、それは……まぁ、そうではあるんだけど……」
「そうなの? 『嫌いじゃない』は『好き』ってこと? OKってこと?」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
「俺と付き合ってくれるの?」
知らなかった。ナオってこんなにガツガツ来るタイプなのね。案外肉食系?
「そ、そこまでの意味を含んだ返事ではなくて……」
「なんだ、違うんだ。One way(一方通行)かぁ……」
しょんぼりと項垂れるナオは、急に子犬のようにかわいらしく見える。
「ナオ……なのね」
「ん?」
「さっきまでナオじゃないみたいだったから」
「えっ? あー……ごめんね。俺、Performance(演奏)のあとで、Hyper (ハイテンション)。夏海にも会えたから、So Hyper(超ハイテンション)」
Hyper というより、押しが強い狩猟犬のようだったけど。
「そ、そういうものなのね」
「うん。でも、俺は俺だよ?」
ふわりと微笑んだナオは、ようやく私の知っているナオの顔をしていた。
それにしても……時折混じる発音のいい英語は何なのだろう。
夏海の片思いの相手・弘臣がメインキャラのお話も公開を始めました。
そちらも合わせて、応援をよろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ♡




