03-08.
飛行機に乗る前に電源を切ろうとスマホを取り出す。
特に何も通知の来ていない画面を見て、寂しく思う自分がいる。
そんな自分にも、そしてナオにも腹が立った。
『俺はね、ナツミのことを探って会いに行くようなことは、しないようにしようと思ってる』
じゃあ、どうやって会えるっていうの?
無理ね。もう二度と会えないわ。
『だからもしもまた会えたら……その時はそういう運命だから、おとなしく俺と恋愛してって言ってるんだ。それで……俺と一緒に進むことを考えて?』
『もしも』って何?
どうしてそういう思わせぶりな態度を取るのだろう。
『もしもまた会えたら』なんて言っている時点で、本気ではないのだ。
本気なら、次に会う日を決めたり『必ず会いに行く』と言うのが普通だ。
偶然出会った年上の女を気ままにからかって、楽しく遊んで「はい、さようなら」と言うのも不興を買いそうだから、飛ぶ鳥跡を濁さずという感覚で素敵な演出をしてくれたに過ぎないのだろう。
そんな女ったらしの遊び人を相手に、真面目に考える方が馬鹿らしい。
そうだ、そうに決まってる。
私には未だ忘れられない想い人がいるのだから、あんな人はどうでもいい。
……そう思うのに、昨夜からいつまでもモヤモヤしている自分は何なのだろう。
(かき乱すのはやめてよ……)
次第に心に募っていくのは怒り。
いい加減に嫌になってきた。
全ては言葉巧みに近づいて、嵐のように去っていったナオのせいだ。
(よーし、ハッキリさせてスッキリすればいいのよ)
私はナオに電話をかけることにした。
出なければメッセージで文句を散々送って、それでお終い。
何なら飛行機に乗るからそのまま電源を切って、後は無視。そうしよう。
『ナオ』と表示されたスマホの画面をムッとしながら見つめる。
5秒以内に出なかったらメッセージに切り替えてやるんだから。
そう思って、怒りを込めつつ画面の通話マークをタンッと弾くようにタップした。
その瞬間――
『夏海?』
コール音なんて鳴ってもいないのに、ナオの声がスマホのスピーカーから響く。
(……え?)
頭が真っ白になった。
(……待って。今、コール音鳴った? 鳴る前に出るってどういうこと?)
困惑していると、ナオの声が電話越しに聞こえてくる。
『夏海? 聞こえてる? ちょうど今、おはようってメッセージを送ろうとしてたんだ。そうしたら電話が来てびっくりした』
何それ。同じタイミングで偶然にも私に連絡しようとしてたってこと?
ドキドキと高鳴る鼓動は、まるでそんな偶然を喜んでいるかのよう。
……いいや、私はただ文句を言うためだけにかけたのよ。
『おーい、夏海、聞いてる? ……甘い蜂蜜ちゃん?』
「だから変な呼び方しないで!」
『あ、やっとしゃべってくれた』
あはは、と嬉しそうに聞こえるナオの笑い声が胸に刺さる。
腹が立って文句を言いたかったのに、いざとなったら何を言ったらいいのかわからなくなって黙ってしまった。
そして変わらないナオの柔らかな声を聞いて少し冷静になった。
あぁ、そうだ……この人はきっと『女ったらしの遊び人』なんかじゃない。
ずっと穏やかで優しい人だった。
それなら昨日の『嫁』発言や『運命』の話は何だろう。
ボロボロに泣いた私への慰めと同情のつもりだった?
もしそうならば、そんな優しさは全然嬉しくない。
そんなものは、いつかお互い後悔することになる。
だったら――
『ねえ……今、どこにいるの?』
少しだけナオの声が低くなって、私はビクッと肩を揺らす。
「教えない……」
でもたぶんナオは気付いてる。
ちょうど空港内のアナウンスが、電話越しに耳に届いているはずだから。
『じゃあ、どうして電話をくれたの? おはようって言うためじゃないでしょ? きちんと話して?』
そう。この人は優しいのだ。
でもこの優しさは、今の私には魅惑的な毒のようだ。
柔らかに包み込んでくれる甘い蜂蜜の中にドプンと浸かれば、きっとどこまでも溺れてしまいたくなる。
でも、蜂蜜を纏って重くて動けなくなった私を、この人はいつか煩わしく思う時が来るかもしれない。
私だって、少し蜂蜜の味が変わったくらいで途端に逃げ出したくなるかもしれない。
だったら、足元だけ蜂蜜に浸かったくらいの今のうちに、関係を断ち切ったほうがいい。
同情なんていらない。
優しくしてくれる相手なら誰でもいいからと、甘えて縋る自分も嫌だ。
この人だって、これ以上気に病まなくていい。
同情なんてしなくていい。
いくつもの本心と、少しの強がりと、大きな嘘を織り交ぜれば、きっとそんな不毛な結果は断ち切れるはずだ。
私はギュッと手を握りしめると、声を絞り出すようにしてナオに告げる。
「腹が立ったから……文句を……っ……言いたかったのよ」
どうして喉の奥のほうがグッと締まるような感覚がするんだろう。
震えてしまって、真っ直ぐな声が出なかった。
『何に怒ってるの?』
「それは……全部よ」
『……俺、嫌われた?』
寂しげに聞こえる声に、ズキンと胸が痛んだ。
ナオを嫌い?
最初と最後は意味不明だったけど、一緒に過ごした時間は楽しくて、嫌う要素なんて無かった。
でも――
「そうね……っ……嫌いよ。優しいところも、かわいく笑うところも、打っても響かない明るさも、私まで巻き込んでピアノを弾くところも、私の暗くて重い過去の話なんかを一生懸命聞いてくれるところも、全部……嫌い!」
「待って夏海――」
「私なんかを嫁にするなんて、わけのわからないことを言わないで。勝手に運命とか言って惑わすようなことを言わないで。私は……一人で平気なの。もう恋なんてするつもりはないの。あんな苦しいことはもうたくさんなの。『もしもまた会えたら』なんていう中途半端な言葉に期待するほど、私は恋に夢なんて見ていないわ。……運命の恋なんて信じない」
静かに怒りをぶつけるような私の言葉に、ナオは息すら漏らさずに沈黙していた。
「だから……さようなら」
そう言って一方的に電話を切った。
私はすぐにスマホの電源を切って化粧室に向かった。
これでいい。どうせ二度と会わないんだから。
個室に入って扉を閉めて鍵を掛けると、途端に涙が溢れた。
一体何の涙だというのだろう。
ナオを傷つけるようなことを言ったから?
嘘をついたから?
それとも――
(違うわ。好きなんかじゃない。私が好きなのはただ一人なんだから)
止まらない涙を押さえ込むように、私はゴシゴシと目を擦る。
誰でもいいから甘えて縋りたいだけの自分なんて、断ち切れ。
*-*-*-*-*
〈side ナオ〉
通話が切れた後、俺はスマホを握りしめてぼんやりと立ち尽くしていた。
夏海は酷く怒った様子だった。
嫌いだと言われた。
しかも彼女のいる場所は恐らく空港だ。
「…What? How? …Airport?(……あれ? 何で? ……空港?)」
混乱した頭で考えても、何も解決していかなかった。
最後に放たれた『さようなら』という言葉が胸に突き刺さるようだった。
「夏海……」
*-*-*-*-*
第三楽章終了♪
暗く切ない場面の多かった、ここまでの展開。
この後は明るい展開が多くなります。
どうぞ楽しんでご覧いただけますように( •◡-)♡




