03-02.
部屋の前に付くと、バッグから部屋のカードキーを取り出す。
なぜだかそれすらも楽しくて、頬がゆるゆるに緩む。
「あったぁ! キー見つけた!」
「うん、よかったね。部屋に入るまで見てるから、入って」
「は~い。ありがと、ね」
ナオにお礼を伝えると、頬は緩み、えへへ、と緩んだ声までおまけで零れる。
するとナオは溜息をついて手で顔を覆った。
「あーもう、困ったな。何なのそれ……」
「え~?」
「何でもないよ。じゃあね」
「うん。ナオ、おやすみ」
「おやすみ、ナツミ。またね」
その言葉が突如胸に刺さって、頭が一気に冷えていく。
「また……ね……?」
またっていつ?
明日アメリカに戻るから、もう会えない。
だから「またね」じゃない。「さようなら」だ。
そう思うと、床に足が張り付いたいみたいにドアの前で動けなくなった。
「ナツミ、早く部屋に入って。ちゃんとベッドで寝るんだよ」
「はー……い……」
寝る? あぁ、これだけ酔っていれば眠れるかな。
でもまた一人になるんだ……。
そう思うと、急に目の前が暗くなってくる。
足元がグラついて、真っ黒な蟻地獄にでも落ちていくかのようだ。
一人の時間は暗い、虚しい、苦しい、痛い、すごく……寂しい……。
「ナツミ!」
ナオの声にハッとする。ナオに腕を掴まれて支えられていた。
「……えっ?」
「危なかった。倒れるかと思ったよ。大丈夫?」
「あ……うん、平……気……。ちょっと……酔っ払いすぎちゃっただけで――」
と話している間にも、鼻がツンとして視界が滲む。
涙腺がビックリするくらい緩くて、泉が湧き上がるように涙が溢れる。
頬を伝った涙がポタポタと零れ落ち、キャメル色の絨毯が雨模様を描いていく。
「あっ……ご、ごめん……本当に平気だから」
「こんなタイミングで泣かないでほしかったな」
「うんっ……ごめ……ッ、迷惑……」
「違う。そんなふうに泣かれると――……困る」
そうだよね、わかってる。
寂しいからって卑怯な手を使って引き止めているようなものだ。
それなのに、どんどん溢れてくる涙をどうやって止めたらいいのかわからない。
気持ちがジェットコースターみたいに上下して、自分でもコントロールできずにいる。
こんなのナオを困らせるだけなのに……。
涙で同情を誘っているかのよう。
私って嫌な女だ。
「もう平気。部屋に入るから、ナオも帰って?」
「俺が帰ったら、ナツミはどうするの? 部屋で……一人で泣くの?」
返事に困ってキュッと唇を結んでいると、不意に隣の部屋のドアが開いて人が出てくる。
それと同時にナオが私の手からカードキーを奪った。
ナオにグイッと腕を引っ張られて部屋に入ると、私の背後でドアがガチャッと閉まる。
「……ナオ?」
夜景の明かりのみが差し込む暗い部屋の中、私はナオの腕に受け止められて包まれていた。
自分のものともホテルのものとも違う甘い香りが鼻腔をくすぐった時、ナオはパッと腕を緩めた。
「ごめん……」
「う、ううん、平気」
ナオがカードキーをスイッチに差し込むと、部屋に明かりがともる。
するとナオがその場にしゃがみ込んだ。
「あぁもぉぉう……入るつもりなんてなかったのに」
「ご、ごめん……。あの……ありがとう」
「うん」
ナオのおかげで隣室の客にメソメソ泣いている姿を見られずに済んだ。
でも……密室にナオと二人きりだ。
内心ソワソワと落ち着かない心地で佇んでいると、ナオがしゃがんだまま私に目を向けた。
「それでナツミ……一人で大丈夫?」
そうだ……部屋で一人で泣くのかと聞かれたのだった。
「うん、大丈夫」――早くそう答えてナオを帰してあげなくちゃ。
そう思うのに、私の口は縫い付けたみたいに開かなかった。
その代わりにポロッと涙が零れ落ちる。
ハッとして、私はすぐに顔を背けた。
電球色の明かりで薄暗いのが幸い。
そう思ったのに……立ち上がったナオが、私の顎をクイッと持ち上げる。
「ほら、また泣いてる」
幸いでも何でもなく、最早ごまかせないほどにナオに泣き顔を見られてしまった。
「平気……だもん……」
目だけでも逸らそうと無駄な抵抗を続ける私を、ナオはフフッと優しく笑う。
「なかなか頑固だね」
「……」
「ねぇナツミ。ナツミが嫌なら今すぐ出て行くけど……俺がいるの嫌?」
「……嫌」
「……そっか。じゃあ――」
「じゃない……」
小さな声で答えると、ナオが目を見開く。
シーンと静まり返る空気がいたたまれない。
「べ、別に、変な意味じゃないわ」
「わかってる。それなら泣きたいだけ泣けばいいよ。ナツミが一人で泣くのは嫌だから、俺がそばにいたいな」
そんな気遣いの優しさに甘えたがるなんて、なんて緩い涙腺だろう。
『そばにいたい』という言葉だけで簡単に緩む。
「あ、あのね、ナオ……私は卑怯で……あなたを利用しているの」
「ん?」
「私、悪い女なの」
「ナツミが……悪い女?」
「うん」
偽りなくハッキリそう答えると、ナオはクスッと笑う。
「そっか。別にいいよ」
「えっ」
なんてあっさり受け入れる人なのだろう。
心が広いのか、あまり深く考えてないのかよくわからない。
「だからもう一度聞くね。ナツミ……本当に一人で大丈夫なの?」
それでもナオが優しい顔で微笑んで涙を拭ってくれるから、私は縋りたい気持ちを抑えられなくなってしまった。
「だい、じょー…………ばない」
「ねぇ、『だいじょーばない』って何? 流行の日本語か何か?」
ナオは私の頭を撫でながら優しく微笑む。
日本の流行なんて知らないけど、フワッと包んでくれたナオの腕の中が温かで、穏やかで――
「うん」
もう流行でもそうじゃなくてもどうでもよかった。
違うって答えて、このぬくもりが変わってしまうのがただただ嫌だったのだ。
「そっか。俺も使おうかな」
「うん。……ねぇナオ、ごめんね」
「ナツミはきっと……何かはわからないけど、すごく何かを頑張ったんだね。でも心が耐えられなくなってしまったんだ。そういう時は、大人のナツミはバイバイ。遠慮もバイバイ」
よしよし、とナオに優しく頭を撫でられると、堰き止めていたものが一気に決壊した。
「ナオ……生意気……ッ……」
「うん、ごめん」
ナオが緩く笑うのが聞こえて、その声が穏やかでホッとして……
まもなく私は、うわぁぁぁーーん、と子供みたいに声を上げて泣いていた。
ナオは狡い。
私が意地で築く硬い壁をも、優しく上手に取り払ってしまうんだ。




