03-01.
店を出た私は視界に揺らぎを感じて、ふと足を止める。
体幹が鍛えられそうなほど足元がフラフラしてふらつく。
ものすごーく酔っ払ってるらしい。
「ナツミ、待って。フラフラしてるよ。危ないから送る」
後ろからナオの声がしてハッと振り向く。
足がふらふらして逃げられず、仕方がないから顔を背けた。
恥ずかしくてナオに目を合わせられなかった。
「平気だから放っておいて」
まるで不貞腐れているかのように目を逸らすと、ナオがフッと笑う。
「平気じゃないでしょ?」
「なっ、何よぉぉ。平気だもんっ」
「何そのかわいいの……」
かっ……かわいい!?
酔っている私の口から飛び出した、だらしのない声がかわいいなんて、ナオの耳はどうかしていると思う。
まさかの単語が飛んできて、ちょっと頭が冴えた。
「ナオ生意気っ!」
「わかった、俺が悪かったよ。ごめん。それなら、俺がナツミのことを送りたいから送らせてくれる?」
「……」
「俺、このまま帰っても心配で眠れない」
「……」
「引く気ないよ」
これ以上深入りしないほうがいいって思うのに、ナオの押しが強い。
そしてスパッと切り捨てられない私もどうかしているのだと思う。
「わかったわ」
観念したようにそう答えると、ナオがふわりと微笑む。
「それで、ナツミの家はどこなの?」
「少し遠いわよ」
「遠い? どこ?」
「んー、帰るのに10時間以上かかるところ」
「わぁ困った。遠すぎて今日中に帰れないね」
ハハッと笑うナオの笑顔にどこかホッとする。
冗談だと受け取ったのだろう。
私の家はアメリカにあるから本当のことなんだけれど。
「帰る場所は、ここからちょっと離れたところのビジネスホテルよ」
そう答えると、ナオが首を傾げる。
「今度は帰れそうな場所だね」
「うん」
「それならタクシーで向かおうか。ホテルまで送るよ」
「……こんな年でも一応女なんですけど~」
「こんな年って?」
「38歳」
「それが何? ナツミはナツミだし、素敵な女性だよ。そして俺は、こんな酔っ払ってるナツミを放っておけないし、送って襲ったりするほどバカなヤツじゃない」
わぁ、優しい。
子犬ちゃんじゃなくて天使かも……。
「ナオって、すごくいい子なのね」
ナオの背が高くて頭のてっぺんには届かないものの、手を伸ばしてナオの前髪辺りを何度もヨシヨシと撫でる。
不満そうな顔をするナオもかわいい。
「ちょっと。子供扱いしないでよ」
「怒った顔もかわいい」
「もう何でもいいよ。……それで、どこのホテル?」
ホテル名を伝えると、ナオと一緒にタクシーに乗り込んだ。
「ナツミはお酒強くないってわかったね」
「……これから何度か飲めば、強くなるかもしれないわ」
車窓から景色を眺めながら、負け犬の遠吠えみたいにそう答える。
するとタクシーの窓に反射して映るナオが、肩を揺らしているのが見える。
「うん、そうだね。普段は飲まないんだ?」
「ほとんど飲まないわ。仕事の時に二日酔いでぼんやりなんてしてる暇はないのよ。だってオペ――」
そこで瞬時になけなしの理性が働く。
危うく『だってオペの予定があったら』云々と言いそうになった。
あまり自分のことを詳しく話したくなくて、職業を明かしていなかったのだ。
(誤魔化さなくちゃ。なんて誤魔化そう……)
酔っ払った頭で必死に考えた結果――
「えっと……オペ……オペラ……を見に……行かなくちゃいけないから……みたいな?」
うわぁぁぁっ、へっっったくそかぁぁ、私!
案の定、それを聞いたナオはプッと笑う。
「ナツミはオペラを見る仕事をしてるの?」
オペラを見る仕事? 何よそれ……オペラ評論家みたいな感じ?
オペラというものを一度も見たことがないおかげで、そんな仕事があるのかどうかもよくわからない始末。
(……で、なんて答えようかしら?)
いまいち働かない頭では、ごまかしの答えもすんなり出てこず……黙り込んでいるとナオにクスクス笑われた。
「言わなくていいよ。俺も言ってないからね」
そう言われると、むしろ気になる。
「ナオのお仕事は、なぁに?」
「教えな~い」
「ケチ~」
口を尖らせると、ナオはフフッと笑う。
「ナツミが教えてくれたら教える……かも」
「かも? じゃあ私からは絶対教えな~い」
「いいよ、聞かないから」
そんな話をしながらホテルに着いてタクシーを降りる。
降車の際にはナオが手を添えてくれた。
妙にエスコートが手慣れててドキドキ――
「しなーーい!」
「急に何? どうしたの?」
ナオはクスクス笑う。
子犬ちゃんのくせに、時々ジェントルマンになるのは何なのだろう。
本当によくわからない人だ。
「何でもないっ」
「それでナツミ、ホテルの部屋は何階?」
「教えな~い」
「それは教えてくれないと困るから、ちゃんと答えて」
「や~だよ~」
「困った人だね」
そう言ってナオは楽しげに笑う。
気がつけば気まずさを忘れ、またナオと普通に話している。
ナオという人は、私が築いた壁を、優しく上手に取り払ってくれる人らしい。
頭がぼんやり。ふわふわ~、ゆらゆら~。
「ほらナツミ、部屋までもうちょっと。頑張って歩いて。じゃないと抱っこするよ?」
「や~だぁぁっ! でもナオは、力が強いね。すご~い」
ホテルの部屋へ続く廊下。
ふかふかの絨毯に足を取られて、足元が余計に覚束ない。
自分の千鳥足が不便で、わざとナオに体重をかける。
ビクともしないのがなぜかちょっとだけ楽しくなってきて、何度もグイグイと寄りかかった。
「トレーニングしてるからね。ナツミくらいなら軽いよ。昨日みたいに抱っこしようか?」
「やだぁ~、ばかぁ、へんた~い」
「その『へんた~い』にくっ付いてるのはナツミなんだけどね。嫌だったらちゃんと歩いて」
「はぁぁぁい」
ピーンと天に向かって手を挙げながら、上機嫌でホテルの部屋へ向かう。
あぁ、楽しい! とナオに寄りかかってフラフラ歩いていると、部屋のドアが見えてきた。
「あっ! あそこが私の部屋!」
「ナツミ、ご機嫌だね」




