01-02.
電車の窓から外をぼんやりと眺める。
学生時代の面影を残すその景色が、徐々に記憶をよみがえらせた。
大学生のあの頃は全てが明るく照らされていて、全てが前向きで、何でも努力すれば手に入ると思っていた。
そんな自分を思い出すと、自嘲の笑みが零れる。
何も知らないって無敵だ。
あの頃が一番幸せだったのかもしれない。
目的の駅に着くと、電車を降りてホームを歩く。
幾度となく通ったその場所を足が覚えていて、迷うことなくそちらへと進む。
向かう先は、私と、そして大好きだった彼が通っていた大学。
恋が始まった場所だ。
行ったからといってどうなるとも思えない。
それでも行きたい場所はそこしか思い浮かばなかった。
まるでそこに救いを求めるかのように、私の足は気を急いたように進む。
駅舎内にある改札口を出ると、ふと、ポロン、ポロン、と柔らかな音色が耳に響いてきてハッとする。
聞こえるのはピアノの音。
大学に向かう駅出口とは逆方向から聞こえるが――
(この曲……)
ドキドキと胸が高鳴る。
わかっている。少したどたどしい音の流れは、彼が弾いているものではない。
それでも足は引き寄せられるように音の鳴る方へと向かっていた。
見えてきたのはグランドピアノ。
ストリートピアノとして、誰でも自由に弾けるように置いてあるものらしい。
それを楽しそうに弾くのは、10歳くらいの少女だった。
わかってはいても、ほんの僅かに期待してしまった気持ちが急降下する。
(彼なわけがないのに……バカね)
些細なことがきっかけで、すぐに彼の姿を追いかけようとする忠犬のような私。虚しい。
自嘲の笑みを浮かべながら壁際で足を止め、ピアノを弾く少女を見つめる。
(曲名は何だったかしら……)
はっきりとは思い出せないけれど、この曲を聴いた光景ははっきりと思い出せる。
小児科での研修医時代のこと。
病院のクリスマスイベントで、想い人がこの曲をピアノで弾いたのだ。
無愛想な彼が、繊細な指先で優しい音色を響かせるのが印象的だった。
ピアノを弾けるなんて知らなくて、感動しながらうっとりと見惚れたことを覚えている。
彼の新たな一面を見るたびに、好きな気持ちは増すばかりだったあの頃。
少しは残念な部分がある人だったら良かったのかもしれない。
そうすれば今の気持ちはもう少し軽いものだっただろうか。
じわりと視界が滲んで慌てて上を向く。
泣けば、みっともなくメイクは崩れるのだろう。そんな恥ずかしい姿で思い出の場所へ行くのは嫌だ。
無理矢理ほかのことに意識を向けようと、グランドピアノに視線を向ける。
そういえば、アメリカの病院でグランドピアノの屋根に頭を挟まれた患者を最近担当したのだった。
難しいオペで一時は命の危機もあったけれど、何とか後遺症もなく経過。
でも彼ならもっと上手くオペをしたのかも……と考えたところでハッとする。
私の思考というのは、何を考えても想い人が登場するらしい。
(もう行こう……)
それにしてもここに来るのは10年ぶりくらいだが、記憶しているよりずいぶん人が多い気がする。
何かイベントでもあるのだろうか。
そう思いながら、私は大学側の駅出口に向かって踵を返す。
その時、ぼんやりと視界は滲んでいて、後ろなんて見ずにサッと歩き出してしまった。
一歩踏み出した瞬間、ドンッと人に接触。体が背後に跳ね返された。
重心が後ろに傾き、どう考えても自分を支えられそうもない。
一瞬の出来事なのにスローモーションのように時間が流れ、これは転ぶわね、なんて呑気に思う。
何かに掴まりたくて無意識に前方に手を伸ばすと、視界の片隅に金色に輝く髪がヒラヒラとなびいて見えた。
何だか人工的な髪ね、なんて不思議に思って間もなく、近くの壁にゴツッと体の左側を打ち付ける。
それからぶつかった人に腕を掴まれ、体を支えられて転倒は免れたものの――
「うぅっ……痛っ……」
壁に、しかもちょうど角になって出っ張ったところに左肩を強打。
痛くて蹲る。
「ごめん! 大丈夫?」
男性の不安そうな声が聞こえてくる。
すぐに返事をしたいのに、決して「大丈夫」とは返せない痛み。
ギュッと目を瞑って苦痛をやり過ごすことで精一杯だった。
「どうしよう。本当にごめん」
すぐそばで、謝罪の言葉を何度も述べながらしゃがみ込むその人の声が、妙に籠もって聞こえるのが不思議だ。
痛みを堪えながら薄目を開けると、視界に男性の足元が映る。モノトーンスニーカーが見えた。
そこから徐々に上へ向かって視線を移していくと、クリーム色のパンツ、淡い水色のゆったりとしたシャツ、そして真っ白な首元――
(……え?)
フサフサと毛の生える純白の首元……は、いくら何でもおかしいことに気付く。
ハッと顔を上げれば、細長い顔にギョロリとしたまん丸の瞳、竹を斜めに切ったような尖った耳、目映く光る人工的な金の髪。……いや、髪ではない。
私はその人を見て、痛みを忘れて目を見開いた。
「馬……?」
金色なのは、たてがみ。
私の目はどうにかなってしまったのだろうか。
なぜか目の前に、白馬の被り物をした人がいる……。
困惑で二の句が継げずに金魚のように口をパクパクさせて固まっていると、白馬の被り物の中から声が聞こえた。
「えっと……俺は、決して怪しい者ではありません」
(この人、何言ってんの? どこからどう見ても怪しさしかないわよ!)
ご覧いただきありがとうございます。
長編です。
完結まで書き上がっているものを、推敲しながら投稿してまいります。
出だしは珍妙ですが(笑)、決してギャグを狙ったわけではなくてですね……。
真面目に綴って参ります。
では、『漬物石、蜂蜜沼に溺れる。』略して……漬蜂?
最後までお付き合いよろしくお願いします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾⁾
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